レイオスは、ほぼ単一宗教の星だ。ほぼ、というのは、土着の神を崇める者もいるからだ。 レイオス星にはこびる神話は王権神綬説の最たるもので、皇帝に神が王権を与えたとされる。そして、その、緑の座(皇帝)に精霊と対抗するための不思議な能力を与えた神が信仰されていた。政教分離してはおらず、皇帝が最高神官をも務める。 皇族は、出生順ではなく、色の位で地位が決まった。緑を最上位とし、紫を最下位とする七つの階位である。そして、色は実績に応じて上がっていく。 シヴァース・イシス・サラディーの位は青。故に彼は青様、もしくは青の座と呼ばれる。皇族の中で緑の座に次ぐ色である。 最上位は緑。緑の座と呼ばれ、皇帝の別名でもある。 そして、シヴァースの父でもあった。愛情などはこれっぽっちも感じていないが。他の兄妹も同様だろう。年に一度、儀式の最中でのみ顔を合わせるような人間に、一体どうやって愛情を持てというのか。 血族に対し、愛情薄いのが皇族の特徴である。 シヴァースは皇族の中でも高位にある。彼が手に掛けた兄弟は数多い。 そして、末子、第二十三子でもある。しかし、二十三人いたうち、現在生き残っている兄姉はたったの三名だった。 一名はもう競争から外れた。皇籍を抜け、紫の座と呼ばれる位となったのだ。 もう一名は赤の座。青の一つ下の位にして、シヴァースの育ての親。しかしながら、勢力はシヴァースの半分程度にすぎず、遠からず手にかかると言われている。 最後の一名は青の座。シヴァース・イシス・サラディー。その急激な階梯の上昇は史上例を見ず、またその容姿の見事さから不穏な噂はいくつも立ちのぼり、不快な煙を上げていた。 近々緑の座に上がることが確実視されている人物でもある。 赤の座と青の座の関係は、このところの皇宮のお喋り雀たちのなかで、最も好まれる話題である。 二人は言うまでもなく、兄妹である。皇宮では血統が重んじられるので、遺伝学的にも、血はつながっている。シヴァースにその美貌を譲ったと言われている母は、緑の座本人以外は誰も知らないが、シヴァースの美しさは一目見れば誰もが感じ入るものだった。 そしてまた、皇宮において兄姉とは、信頼と愛情を示す言葉ではなく、裏切りと陰謀と殺し合いを意味する。 そんななか、赤の座が幼少の青の座を引き取り、手元で育てたことに関しては皇宮の謎の一つとされている。 最も有力な噂は、その容姿の見事さに目をつけ、手元において育てて武器にしようとしていたが、シヴァースが兄を裏切り決裂した、というもの。 次に有力なのは、赤の座が幼いシヴァースに心奪われ、伴侶とするために育てたというもの。 そして最後に、緑の座がシヴァースを引き取り育てようとしたが前例にないためできず、密かに赤の座に命じて養育させた、というものである。 皇族の場合、乳母は大抵母方の貴族から人員が派遣される。そもそも皇族は、ほとんどの場合母が違う。 しかし、緑の座がその容姿に魅了され子を作ったとされているシヴァースの場合、母方については貴族であったかどうかも疑わしいものだった。そもそも誰も、シヴァースの母の姿を知らないのだから。 ただ、シヴァースを見て、誰もが納得し、噂を作っただけである。これならば、緑の座が血迷うのも無理はないと…。 美形の大安売りと言われる繚乱の花咲く皇宮のなかでも、一際美しく、一線引かれた特別な美貌の持ち主。それが、彼である。 だからシヴァースは、兄であり親でもある赤の座に会わなければ、まず五歳の誕生日を迎えることはなかっただろう。 皇族は、半数以上が、実の兄妹に赤ん坊の頃に殺されるのだから。 どのような天才も、赤ん坊の頃には泣くしか能がない。そして、芽を摘むのは早ければ早いほどいいのだ。 しかしシヴァースはそれについて、兄や姉を非難する気はまるでない。 シヴァース自身、今父に新たな子供ができれば、即座に殺すからだ。だから彼が、最後の子供であろうと言われている。今子供を作っても、死ぬだけだからだ。 イールやナギと笑いあっているシヴァースも本当なら、平然と赤子を殺す決断をするシヴァースもまた、真実だ。 皇宮とはそういう場所であり、皇族とはそういう生き物だった。 しかし、そんな場所でありながら、赤の座はシヴァースに優しかった。 シヴァース自身、兄がなぜ自分を育ててくれたのか判らない。わかっているのは、自分のために兄がたくさんの犠牲を払ったという事だけだった。 皇宮の噂の中でも、いわば赤の座の生殺与奪を握る青の座が赤の座にどう出るのか、という点が最も熱がこもる部分だ。 皇宮の噂ではいろいろと言われているが、シヴァースは兄が好きだった。愛していることを自分でも認め、その感情に地団駄を踏みながら、その感情故に彼は動けなかった。 ほかの兄妹なんて、どうでもいい。それが赤子であろうと、皇族という運命に生まれてきてしまった以上は、力ない者は死ぬしかないのだ。 力なく、泣くだけしか能がなく、運という機会すらない者に生を与えておくほど、皇族の身分は軽くない。 でも、兄は殺せない。 一年前、シヴァースはそういう結論に達してしまった。 ―――覚えているのだ。 ナギとキールとイールに出会わせて縁をつないでくれた人。自分の髪や額に唇をよせ、行ってらっしゃいと声をかけ、シヴァースが望むまま疲れているだろうに竪琴を奏でてくれた。 髪をなでる手の感触、衣についていた涼しげな暖かい匂い、唇の感触、お帰りと告げる声――。 五感に染みついた記憶全てができないと否定する。理性が選択した行動を拒絶し、シヴァースは己の中に最も手強い己を抱え、背反する二つの意見に引き裂かれる。 理性と、感情。 その二つを人はしばしば自分の身のうちに実感することがある。シンにとって、この問題こそがそうだった。 軽蔑できる人ならば良かった。 自分が貴方には逆らえないのをいいことに、さっさと自分を抱き寄せる人なら。あるいは、この容姿を使って誰かを篭絡しろと命令するような人なら、こんなにも苦しまずに済んだのに。 優しさだけの人だった。少なくとも、自分に対しては。 ………だから、苦しい。 シヴァースは煮詰まると、ナギの家に行く。 キールとの、香辛料をたっぷり煮込んだ舌戦でも、ナギやイールの心休まる会話でも、どちらでもシヴァースには救いになるのだ。 昔は、キールが何もかもに恵まれているように見えた。だから尚更むきになって、勝ちたかった。でなければ、自分が、あんまり惨めだったから。 キールとは違って、この容姿以外の何も持たない自分が、惨めだったから。 お前の取り柄ってその顔だけだし。 キールが明るく残酷によく言う言葉。シヴァースはその時は否定するけれども、本当はみじめな心で認めていた。 そう、自分はお前とは違って、この顔しか取り柄がない…。 その日、シヴァースはナギ家に入るなり、イールに抱きつかれた。 そして告げられたのは、二日前から、キールが帰ってきていないというものだった。 § § § 「……キールが?」 「そーなんだよおっ!」 シンはあらぬ方を向いた。なんせ、心配するだけ無駄という人種がこの世にいるが、キールはまさにその典型だというのがシンの意見だったからだ。 「ほら、これが脅迫状!」 キールの身柄と引き換えに金貨十万枚を用意しろ、という文面だった。 古典的というべきか、要点のみ押さえた簡潔な脅迫状を見たシンの第一声は、 「……何日で帰ってくるか、賭ける?」 だった。 「シンおねがいっ、キールを探してよっ!」 「大丈夫。そのうち帰ってくるよ。…やー、今日はいい天気だねぇ。」 「…………シン。キールが心配じゃないの? 」 「―――イール」 ぽん。 シンは肩を叩いた。 「大丈夫。殺して死ぬような奴なら僕がとっくの昔に殺して灰まで焼却してるから。」 「だーっ! 冗談じゃないんだよっ!?」 「あいつが誘拐されたっていう時点で冗談みたいだと思うけど……」 「……シン。怒るよ?」 シンは肩をすくめた。掛け値なしの、本気だったのだが。 「キールは強いよ。だから平気」 「…そりゃ、キールは強いけど……」 キールは強い。けれどそれは子供の中でなら強い部類に入る、だ。大人で悪事の専門家に、敵うはずがないとイールは考えていた。ナギもだ。 シンは苦笑する。 ……キールは、本当に、強いのだ。子どもであっても。 シミナーは生きている宝石と呼ばれている。ついでにキールは、その外にも希有な能力を持ってうまれた。確率学上の謎とまでされて、だからあれほど有名なのだが……瘴気浄化能力者でもある。 レイオスでは誰もが魔力をもち、術を使用する。それはレイオス人なら誰でも使っている力だ。 そして人は、死に際こそ最も心が強くなるものだ。心で不思議を起こすレイオス人が死ぬとき、何が起こるのかと言うと――恨みの念が、土地や人を枯らすのである。 自然死ならば大抵は問題にもならないが、殺人の場合は加害者に向かう。そして間違えようのない目印となり、同時に犯人の寿命と気力を奪っていくのだ。 その瘴気を浄化できる希有な能力者でもあった。キールは。 だからレイオス人には殺人の悪癖はない。もっとも、キールという例外もいるが。 その価値を思えば、十万枚とは破格の身代金である。激安セールだ。 シンはあははと笑う。 「そのうち帰ってくるよ平気……っていうのはだめかな」 「シン!! 真面目にやってよ!!」 「だってさぁ、あいつが誘拐されるってこと自体が冗談みたいなもんだし、その内帰ってくるよ、平気平気」 シミナーの価値は高い。その通り。 瘴気浄化能力者も、ある方面では、価値が高い。まったくその通り。 よってその二つを兼ね備えるキールは価値がとんでもなく高い。うん、その通り。 でも、キールは子供だから誘拐しやすい。これは全然違います。 シンは額に手をあて、イールを見る。本人は意図しないあでやかな流し目に、イールは一瞬硬直した。 そして復活した。のは兄への愛ゆえだろう。 「…あ、あのね。いくらキールが強いったってそれは子供相手だから……大人に敵うはずがないじゃんか」 シンは大の大人でもばっさばっさ斬り捨ててきたし、キールはそんなシンに勝率ほぼ十割を保っているのだが、イールがそう思うのは当然だった。 「シン、私からも頼むから…」 シンにくらべればキールは強い。でも、そういう犯罪を専門に扱っている大人に比べれば、差は歴然としている。 ナギもイールもこう考えているのだろう。ちゃんちゃらおかしくて笑ってしまう。 「シン。キールは現に、もう三日も帰ってきてないんだ」 それはまあ、不思議だけれども。 キールは無闇矢鱈と家族を心配させる人間ではない。キールは、家族だけは愛している。他の人間は眉一つ動かさず…というかいつも通りの表情で、その額に剣を突き刺す奴だが。 キールにシンは事あるごとにいう。揶揄と皮肉と……憧憬をこめて。お前の家族思いの数分の一でも周囲に向けろ、と。 キールは拒絶し、こう答えた。 『俺がシミナーでなくても、俺が役に立たない存在でも、俺が俺であるというだけで、必要としてくれるのはナギとイールだけだ。だから、俺は彼らを大切にするんであって、……俺を利用しにくる奴ら、お前とかに親切にしてやる義理はまったくない』 心配で心配でどうしようもない、といった顔のナギとイールの顔を見ていると、キールの言葉は正しい、と感じた。 キールがシミナーでなくても、大切にするだろう、彼らは。彼らだけは。 「シンはキールが心配じゃないの?」 全く動揺する素振りも見せないシンに焦れたのか、イールが聞いた。 「心配? もちろんしているよ。誘拐犯が何人殉職することになるのかと…」 「シンっ!」 誘拐はキールにとって珍しいことではない。もはやお昼のおやつの感覚だ。十日前に誘拐された、五日前誘拐された、二日前誘拐された、今日誘拐された、という感じだ。 しかしそれを家族はほとんど知らない。 ―――どういう事かというと、キールがその度にさっさと誘拐犯を全員殺害し、土に還しているからだった。 瘴気浄化能力者。殺人許可証を携帯しているに等しい人種。 精神治療者。あまりに貴重なために、人権を保障されている人種。 キールはその両方の能力を持ったが故に、通常、瘴気浄化能力者が辿る生涯幽閉の運命を回避し、野に放された。 しかし、シヴァースははっきりと失敗だったなと思っている。野に猛獣を放したようなものだ。しかも笑顔を装え、とびきり狡猾な。 正当防衛なのは確かなので告発していないが、キールの周りは死体が多すぎた。 そして、それを為しえるキールの力量は高い。シヴァースとの喧嘩の時は素手の取っ組み合いだけだが、キールは稀代の術者であり、……シミナーでもある。 そして何より、躊躇いや迷いがない。 それが一番重要だった。 人を殺せる能力を人は持っているが、実際に人を殺す人間はごくごく稀だ。それは瘴気の利害のためだけではない。 普通の人間は、人を殺せない。正当防衛であっても、どこかしか迷いが入る。人を殺すということに、ためらってしまう。 ……キールは、違う。 能力などより、人を殺せる心の持ち主であるということの方が、余程危険だ。 人を殺しても、ついた瘴気は浄化してしまえばいい。人を殺すことに関しては、はなから迷いなどない。そういう奴なのだ。 しかしまさか、それをナギやイールにいう訳にはいかない。 「……いちおう、捜索には動くけどね。イールの頼みじゃしょうがないし。でも、イールと僕の認識、根本的に違うんだよ。キールは強いよ、本当にね」 苦笑してみせる。 ちょっと目を細めての気安い微苦笑は退廃の香りただよう美を漂わせる、魅力的な表情だった。 シヴァースは自分の容姿を武器と認定し、その効力を利用することを辞さない人間だった。 しかし二人はシンに親しく接してきた年月で慣れている。兄、息子の事が心配で胸を絞るような思いでもある。 よってあまり効果はなく、二人はくれぐれもよろしくと告げた。 お気づきになられた方も多いと思いますが、これは、「彼らはお互いを正しく理解していた」のワンシーンです。 ……あのときキールがすぐもどってこなかったのにはきちんとワケがあったんですよ……。 ミッシング・リンク。失われた環。この物語で、かなりの事項が「あ、そーか!」と腑におちると思います。 そして、これから先は、有料となります。 購入ページはこちらになりますので、お読みになられたうえで、お決めください。 |