リストマーク たとえばこんな、金貨の問題

ライン



 この星には、精霊の領土にして人の立ち入りできない土地と、人の住む土地とがある。
 人の住む土地といえど、そこは人のものではない。星のものであり、粗雑に扱うことは許されない。
 廃棄物で土地を汚染したり、無茶な開拓によって土地を不毛なものとしたり、森を切り開いて畑にしたり、といった事だ。
 最後の一つは、条件つきで一部は解禁されているが、原則として禁止であることに違いはなかった。
 キール・スティンは、そんな精霊の領土に立ち入っていた。

 無茶と無鉄砲は若者の取り柄であり、実際精霊の土地に入る者は、子供と悪心持つ無頼漢が二大筆頭だが、それにしては様子がおかしい。
 キールは林の側の野原をただ歩いて、頬をくすぐる風に自然な様子で目を細めていたが、この場合自然であることが不自然だった。
 禁忌を犯す興奮。辺りをうかがう緊張。精霊の行動に対する恐れ。
 そのようなものが何一つとして感じられない、まったくの自然体だった。
 キールは二月ほど前、十五歳を迎えた。

 選択した性別は男。よって、少年という呼称が適当だが、レイオスにおいてそのような単語は存在しない。
 言語は文化の反映である。性別を自ら決定し男女の差が小さいレイオス人には、少年少女という単語はなく、一様に子どもという単語が用いられる。
 よって少年とは、男の子どもという意訳をするしかない。単語に女性形、男性形がほとんど存在しないのだ。妻、夫、という単語も存在せず、一様に伴侶と呼ばれる。
 女性男性という単語は辛うじてあるが、使われることは稀であった。
 キールの外見は物静かで落ち着いた様子を人に与える。双子の弟のイールが、その瞳に歳相応の生気と活発さ、くるくると変わる表情を付け加えることで、賑やかで心和む印象を人に与えるのとは、好対照だった。
 自分で切っている髪はこの年ごろの子どもがよくするざっくばらんな短い髪型で、その手足は長く、成長期の骨の成長に筋肉が追いつかない成長期独特の体型だった。四、五年もすれば、その微妙な不具合も整うことだろう。

 キールは恐らく、この歳では一二を争うほど著名な人間である。
 今だに取り沙汰されるが、百年に一度の出生確率のシミナーの能力と、同じ確率の瘴気浄化能力を兼ね備えた人間は確率的に不条理な存在だ。
 そして更に、キールには家族とシヴァースしか知らない特技が二つ、成り行き上シヴァースに教えてしまった家族も知らない特技が一つある。
 家族にしか教えてない内の一つが術の才能であり、もう一つが、精霊の姿を見ることができる、というものだった。
 精霊はレイオスに住む人間のように、肉の殻がない。その為、見れる人間は緑の座と、その才能を持っている者だけである。

 キールが幼い日に、ちらちらと揺れる生き物の事をナギに尋ねると、父のナギは詳細な意見を取ったあと、天を眺めて慨嘆した。
 ナギがその時何を言ったかは憶えていない。が、想像はつく。「この上さらに」だろう。
 ただでさえ面倒なのに、この上更に。
 それが一番近いだろうか。
 だから、キールは、自分の仕事のことを家族には教えていない。―――教えられる種類のものでもなかった。

 精霊を見る事が出来る者のうち、精霊の親愛を勝ち取れた者は、精霊の領土への立ち入りができる。
 キールもその一人である。そしてとても家族に告げられない特技が、調停者であることだった。
 人の代表たる緑の座と話し合いをする、精霊の代表者たる調停者。
 キールがそれになったのは、押しつけられた犠牲の羊という言い方が最も的確に実情を言い表わしている。

 精霊にとって、人間は虫けら以下である。そんな精霊たちの間で、人間と話し合いをする役目である調停者という役職が、尊ばれる筈もない。
 とはいえ、調停者の決めたことに全ての精霊は従わなければならない以上、生半可な相手を調停者にする訳にはいかない。
 とはいえ、調停者は便利屋と同じ扱いである。面倒事を体よく押しつけられる厄介事引受人であり、報酬は(驚いたことに)まったくない。

 そんな役職になりたい相手はいるわけもなく、結果として、高位の精霊の間で順番に、当番制で調停者の役職は引き継がれていた。―――要は誰も引き受けたがらないから持ちまわり制にしているのだ。
 その点、人も精霊も大差ない。
 そして、誰もが嫌がる役職故に、時には人間が押しつけられることもあったのだ。
 人間が調停者になる条件は、まず精霊が見えること。これが絶対条件であり、次に厄介事引受人の力量があることが上げられる。
 当然ながらそこまでの条件を満たす人間はそうそうおらず、キールはその不幸な該当者だった。

 精霊は厳密な階級制度に縛られている。
 調停者は第三位。りっぱに高位のうちにはいる。普段は第四位の精霊の中から一人、人身御供で差し出されていた。
 だからキールは、こうして平気で精霊の領地を闊歩できる訳だが、とても帳尻はあわない。まったく、不幸であった。
 この事は家族にはとても言えない。成り行き上、知られてしまった幼なじみが一人いるだけだ。

「……リルレーン」
 キールはある場所まで来ると、足を止めた。
 草原のただ中としか見えない場所だ。
「リルレーン」
 知り合いの精霊に呼び掛ける。
 キールよりも階級が上。第二位の精霊の女王。
 死の女王。
 呼び掛けに返答があり、キールは招かれた。


 第二位の精霊は三人いる。
 それぞれが己の領域を持ち、そこから滅多に出てこない。
 キールが入った空間の周囲には物質がなかった。体感感覚でいえば、無重力に浮いているようなものだ。人間の目に映る光の反射もないので、黒く見える。
 漆黒の闇。
 平常心を保てる人間はほとんどいない空間。それが死を司る精霊の領域だった。
 キールはゆっくりと友人に近づいて言った。
「そろそろシンに金貨を渡して、一月がたつ。時間切れだね。あいつには解けない」
 死の女王はいう。
『…まったく。貴方の悪癖も、ここに極まれりですね。どう間違っても、誉められたものではありませんよ。判っているのですか?』
「わかっているよ、リルレーン。けっして、誉められたことじゃないって事もね。でも、俺はシンに憎まれたくないし」
 キールはにこりとした。
 キールは彼女の側にいるのが好きだった。
 人間のような感情の振幅がない、少なくとも感じられないから、側にいられても負担ではない。

 そして彼女は孤独だ。そしてキールも、孤独だ。この世に苦しみを判りあえる誰もいない、という孤独であるが。だから自分が孤独であることを隠さずともよい。優越感に満ちた同情をされることがない。
 三番目、リルレーンはキールが勝てない唯一の相手だった。
 だから、キールは、人よりも彼女を好み、彼女は、キールの唯一の友人だった。
 友人はいらない。
 迷惑をかけられるから。
 だから、友人をつくるのなら、自分より強い相手しか欲しくない。
「ねぇ、リルレーン。俺は、地獄に落ちるだろうね」
 それでもいいと考えてしまう自分の心は、もう手の施しようのないほど、病んでいる。









ライン


シリーズのページに戻る

前へトップへ次へ