リストマーク たとえばこんな、金貨の問題

ライン




 彼は金貨を掌の上で転がしていた。
 5テグザ金貨。
 それがこの金貨の名称だ。金貨は二種類ある。5テグザ金貨と、1テグザ金貨。
 5テグザ金貨には、裏には鷲と植物の絵。表には5テグザの文字と、その周囲を植物の枝が囲んでいる装飾がある。
 大体、これ一枚で市民一人が一年暮らせる。
 住居費も食費も医療費も衣料費もこみでだ。

 そのため、もちろん普通の庶民には持てるものではない。持ったとしても、今度は使える店がそもそもないのだ。その店の商品全てでも、この金貨のつり銭には足るまい。
 もっぱら貴族や皇族間、あるいは大商人の、額の大きい取り引きの時に使われるものだった。

 賭けの内容は、この金貨のおかしなところを見つけろ、というもの。そしてあれだけしつこく、先入観の問題だ、と繰り返した。
 ということは、この問題には罠があると見るのが妥当。しかし、罠を見つける以前の問題として、違うところがまるで判らないのだった。
 もう一枚、同じ種類の金貨を用意した。
 ―――すると、まったく装飾も重さも大きさも同じ。
 少なくとも素人目には、見分けがつかないので、混同しないように、賭けの対象となった金貨に黒い布を貼付した。

 彼には鑑定眼があった。
 幼少から良質の中の更に極上のものばかりに囲まれてきた結果である。しかし、その彼の目でも文様に差異はなく、見分けは難しい。
 鑑定眼があるといってもそれは素人の中での話だ、ということで、玄人の鑑定士を招き、鑑定を依頼した。
 相手は皇族に呼び付けられた挙げ句、出された古物でも芸術品でもない、それこそ一般に流通しているただの金貨の鑑定に戸惑ったようだが、紛れもなく本物であると太鼓判を押し、そしてもう一枚の金貨との差異を尋ねた彼に、否という返答を返した。
 それはまあ細かい差異ならばいくらでもございます。なんといっても、実際に使われている金貨なのですから、傷もあれば汚れもございます。けれども、この二つは同質のものです。

 ならば、と重さを計ってみた。全く同じだった。ほんの少し、金貨を人体に例えるなら髪の毛一本ぶんほどの微妙すぎる差はあったが、計りの誤差の範囲内、また実用品である金貨の範囲内のものだった。
 大きさも同じだった。
 そして重さと大きさが同じならば、当然密度も同じである。密度が同じということは、金の含有比率もまた同じということだ。
 5テグザ金貨は、純金製ではない。金とその他の金属の比率が、7対3の割合で含まれている。

 大きさ、重さ、外見の文様、金の含有比率も同じ。
 ここにきて、回答者は手詰まりに追い込まれた。
 シヴァース・イシス・サラディー。
 若干十五歳の皇族の少年は、黒机の上に二つの金色を並べ、睨みつける。
 この問いの出題者は、彼の喧嘩友達にして、幼馴染みの、一番負けたくない相手だった。
 問題の提出から今日で二日が経つ。期限はまだまだあるが、二日ですべきことは全てやり尽くしてしまった。何をすればいいのか見つけることができない。事実上の手詰まり状態に陥っていた。
 たしかに出題者の意図したとおり、これは難問だった。
 出題者は、先入観と何度も繰り返し言った。ならば、この二つの金貨の間には、先入観で見えなくなっているだけの、「何か」の違いがあるのだ。
 しかし、それがわからないこそ、先入観なのだった。

 シヴァースが出題者である同い年の少年に抱いている気持ちは複雑怪奇だ。それを一言でいうのなら、同世代に天才が存在し、自分に自信を持っている者の不幸と言えるだろう。
 シヴァースは優秀だった。皇族への教育は、
一般が思っているのとは逆に、普通の子供に対するものより遥かに厳しい。ついてこられない者に対して慈悲などはなく、その行き着く先は熾烈をきわめる。
 ついてこれない者は落ちこぼれるのが普通なら、皇族の場合、ついてこれない者には死あるのみだ。

 シヴァースについている専任の教師は十名を超える。その教師たちは優秀な人材で構成され、シヴァースが権勢争いを勝ちぬき、至尊の座に就いたならば、彼らは皇帝の側近の地位につくだろう。
 自然、教育にも熱が入り、熱心であると同時に厳しいものとなる。
 そこまでの環境で育てられたシヴァースには、当然のことながら、自分に対する自負があった。

 同い年の、いや自分と同じ年ごろの子供の中で、自分より優秀な相手などいる筈がない、と。
 同じ皇族で至尊の座を争っている兄や姉は、自分より優秀だが、遥かに年上だから除外する。しかしその彼らにしたところで、自分と同じ年ごろの頃には、同じぐらいでしかなかっただろう。
 その自信を木っ端微塵に砕いたのが、キール・スティンという名の、自分より半年だけ年下の子供だった。
 迷子になっていた自分を一時保護してくれた家庭の一員だ。
 自分を育ててくれた兄の方針で、市井の者と交わるべきだとされて、シヴァースの脳裏に自分に親切にしてくれた家庭が浮かんだのは自然の流れだっただろう。
 お土産にお菓子やお魚、食料品や酒を持って、その家に足繁く通った。そう、三日とあけず、頻繁に。
 そこまでしたのは、兄の命令だけではない。そこが、居心地よかったからだ。

 いい家庭だったと思う。
 その家庭の構成員は三人。戸主のナギ。そしてその双子の息子。兄がキール。弟がイール。
 そして、シヴァースはキールに、喧嘩をふっかけられたのだ。
 自分の何がキールの気に障ったのかは知らない。シヴァースは身分を隠し、精一杯腰を低く、控えめに、また自分の武器を最大限に使って一家に対したのだ。
 喧嘩をふっかけられて自分は戸惑い、もちろんその挑発を無視し、好意を得ようと努力した。
 しかしそれでもキールの悪意に満ちあふれた態度は変わらず、挑発も終わらなかった。
 ある日ついに我慢を越え、喧嘩を買った。
 ―――そして見事にぼろ負けしたのだ。

 その頃の事を考えると、ため息がでてくる。
 自分は自信があったのだ。
 護身術は皇族の必修授業であり、もちろんシヴァースも受けていた。キールが特別大柄というわけでもなく、身長は同じくらい、体格も、同じ程度だった。
 しかし、負けたのだ。
 そしてその後も、口喧嘩なら五分の成績だが、実際に手がでる喧嘩では、シヴァースがキールに勝つことは極めて稀だった。
 そうして勝負が決まると(大抵キールの勝利で終わる)、キールはけがを治療した。添え木を当ててという原始的なものではない。治癒の術をキールはその年で習得していたからだ。

 レイオスに住む人々は、誰もが日常的に術を使う。
 魔力は糸で、術は服に例えられる。魔力を織って布地にし、その布地を加工して術を作り上げる。
 難しい術であればあるほど織らなくてはならない布地(構成)は長くなる。また、経験が全ての世界のため、年齢と術の能力はほぼ比例した。
 下級技は、子どもでもできる。けれど下級技の中でも難しいものはそれなりに難しく、大体三十歳ぐらいが、下級技を全て終了する時期だ。
 中級技の終了時期は、五十歳ごろ。
 そして、上級技となると、上限がない。上級技から上は、個人が自分の魔力の特性を把握し、創意工夫しながら作り上げていくしかないからだ。

 治癒の術は上級技だった。十歳の子供が使えるようなものではないが、キールの場合、年齢と実力が親密な関係を持ったためしは一度たりともない。
 上級技ともなると、構成は非常に長くなる。普通に正攻法で編んでいれば、半日ぐらいかかってしまう。だから中級技以上の術は、構成の省略が頻繁に行なわれた。
 省略には主に、二つの方法がある。
 呪文と紋印だ。
 呪文は口から言葉を唱える事で省略をする。紋印の方は、複雑な印を指で描くことで、省略する。
 呪文の方は、隠密行動には向かない。紋印による省略は、利き腕を使用する。一長一短である。
 キールは紋印の方を選んでいて、指で丸を描く仕草をした後、上級技をほとんど一瞬で編み上げてシヴァースに手をかざした。
 骨折した指、へし折られた関節……。キールはそれらに手をあてる。すると痛みが一瞬で消える。そして十秒経たないうちに、骨折が完治するのだ。

 シヴァースには、どうしたって出来ない芸当だった。いや、十歳から三十歳までの子供の中で、同じ芸当ができるものはいない。キールぐらいだろう。本人もその異常性を熟知しており、家族とシヴァース以外には隠して、「通常よりほんの少し成績がよい生徒」で卒業した。
 ただでさえ「異能」として注目を浴びているキールは、更に稀代の術者であるという評判を得ることを拒絶したのだ。
 シヴァースはよく思ったものだった。
 なんでこんな奴がよりによって自分の前にいるのか。
 キール・スティン。
 ある程度以上の知識層のなかで、この名前を知らない者はないだろう。一般人の中でさえ、知っている者は数多い。
 キールは、子供の頃から職業を持っていた。
 家業でもないのにその年ごろで職業を持っているというのは違法ですらある。未成年の就労禁止である。
 しかし、キールは持っていた。それは、彼が、生れながらにして特別で希有な能力者であったからだ。

  シミナー。精神治療者。
 精神についた傷や障害を、まるで肉体の治療のように完全に癒せる希有な能力者のことである。
 精神疾患が全盛のこの星で、最も求められている技能。そして、その能力は完全に先天性のもので、後天的な取得は不可能であり遺伝でもないとされている。
 そして、その能力者の誕生は極めて確率が低い。確率的に、一千万人に一人。年でいうなら、百年に一人。
 現在レイオス星にいるシミナーは全部で百人程度。そして、住民の三人に一人は身内にシミナーの治療を要する患者を持っているか、あるいは自身がそうだという。
 このような状況、またキールの家に治療希望者が殺到し、事実上まともな日常生活を送ることすら困難であるという事から、キールはその道を選択した。
 といっても、それだけならば移住すればいいだけの話だ。しかしキールはそれをつっぱねた。
 キール・スティンが自分の住む土地を愛しているとは、シヴァースはかけらも思っていない。キールが愛しているのは、一つだけだ。
 自らの家族。
 それだけ。

 キールの父のナギは、キールと違ってあの土地に五十年近く住んできた。離れるのに躊躇いがあって当然だろう。
 しかし、それを口には出せない。ナギにとって、自分の息子と「たかが愛着」とでは、天秤ははっきりしているからだ。それに、非難もあるだろう。
 キールはその父の言葉にできない意をくみ、自分が矢面に立つことで非難を受けて、脅迫まがいの飴と鞭を駆使して、あの土地に住み続けているのだ。
 つくづく、思う。
 キールの家族に対する愛情と思いやりと細心の配慮と気配りの、せめて一割でもいい、周囲に分けてくれたらと。
 まぁ、言うだけ無駄な事でもあるが。


 つぎへ




ライン



シリーズのページに戻る

前へトップへ次へ