とある平和で平凡な一日 ぱーと3

注意! 子どもネタです。




「おはよう、ひなた」
 朝起きて食卓に行くと、すぐさま父の朝のあいさつが飛んでくる。
 背中を見せていたというのに、後ろに目がついているみたいに、父は人の気配に敏感だった。

「……おはようございます……」
 朗らかな父とは対照的な、口の中で消えてしまいそうな声で、私は返事をする。
 椅子を引いて座った食卓は、父がいつも綺麗に掃除をしていて、いまも飴色に光っている。

 父はそんな私の態度などちっとも気にしていない様子でフライパンに向かい、すこしおいて、私の前に朝食が並べられた。
 白く、ぴんと米が立ったほかほかの炊きたてご飯に、豆腐とわかめのお味噌汁。大きな目玉が二つのベーコンエッグは、箸でつつくととろりと濃い黄身が流れ出した。醤油をかけて、ご飯と一緒に口に運ぶと、適度な塩分と卵の旨味に、淡白なご飯が良くマッチしている。
 ぱりぱりのレタスの歯ごたえが歯に美味しいサラダもセットだ。

 そんなご飯を作ってくれたのは、父―――カノンヒルベルトだ。
 父は美しい人だった。
 つるんとした髭のあともない綺麗なほっぺたをして、髪は天然の状態で色素が薄い。吸い込まれそうな碧の瞳は、私に向けられるときは、いつも優しい。
 面長の顔は、上品さを感じさせる配置で整っている。外国のどんな俳優よりも、父はハンサムだった。
 近所中で噂されているように、その顔で母に上手く取り入って結婚したんじゃないことも、私は知っている。

 いつか、幼かった私は父と母に聞いたことがある。
「お父さんは、『お金目当て』にママと結婚したってほんとう?」
 小さかった私を抱き上げていた父は目を丸くした。
「ひなた……」
「おかねめあて、って、なに?」
 近所でかわされる噂話。
 私が来た途端ぱたりとやめてしまったおばさんたちの様子から、良くないことだということぐらいは、こどもでもわかった。

「お金目当て、っていうのはね……」
 うーん。
 言葉に詰まってしまった父を救ったのは、その後ろで私たちの話を聞いていた母だった。
「お金目当てっていうのは、この人がオカネを愛していて、私を愛していないってことですよ。ひなた」
 ひょいと父の肩越しに、私の頭をなでて言った。
「そうなの?」
「ひなたにはどう見えます? あなたのパパは、ママを愛していないように見えますか?」

 とんでもなかった。

 そのときも、今も、私は父ほど深く妻を愛している人を知らない。
「おはようございますう〜」
 間延びした声で起きてきたのは、母―――結崎ひよのだ。
 よかった、今日は起きてきてくれた。
 母はそう極端に寝起きが悪くはないけれど、良い方でもない。……母の寝起きが悪いのは、たぶん父のせいだろうけど。
 以前遅い母を起こしに行った私を追いかけてきた父は、タッチの差で、間に合わなかった。
 追いかけてきた父に後ろから目をふさがれる前に、ばっちり見てしまったのだ。
 両親の寝室で、何も身に着けていない姿で、すやすやと眠る母を。
 ―――その直後に父に目を塞がれて部屋から出され、扉を閉められてしまったけれど。
 扉の向こうでされた『夫婦の対話』は、きっとピンク色のハートが飛んでいるようなものだろう。

 夫婦仲円満でなにより。
 そんな母は、私と良く似ている。
 ……訂正。
 私は、母と良く似ている。
 母の薄茶の髪は天パでウエーブがかかり、寝起きはひどい有様だ。
 私は整えてから来るけど、母はそういうところ気にしない人なので(おおらかというか、ずぼらなひとなのだ)、そのまま朝の食卓に現れる。
 天下一品の童顔で、もう三十近いというのに下手すると十代に見えたりする。私と、よく姉妹に間違えられるのには困ってしまった。

「おはよう、ひなたー。カノンさん」
 母は挨拶して食堂に入ってくると、いつものように父とキスをかわす。
 その間、私はいつものように礼儀正しく、別方向を向いていた。

 唇を離す音とともに、父の、母にだけ向ける声音での挨拶。
「……おはよう、ひよのさん」
 いとしくてならないものを、見つめる声。
 頭を鳥の巣状態にして、くしゃくしゃのパジャマを着ている母の姿からは想像もつかないことだけれども、母はその昔、天才の名をほしいままにしていた科学者だったそうだ。
 最初疑っていた私だけれども、インターネットで母の名前で検索してみたところ出るわ出るわ。今現在、母(および私たち)は過去の発明で得た財産をもとに、悠々自適の毎日を送っている。
 天才と呼ばれていた頃に取得した特許の特許料だけでも、親子三人、食べていくのに充分なお金が黙っていても懐に入ってくるらしい。

 そんな母と、十代後半の頃から同棲し、二十代早々に結婚したのが父だ。
 母がまだ高校生として学校に行っていた頃―――業界内部の注目は集めていたが名声は勝ち得ていなかった若い頃に母と知り合い、射止めた父は、子どもの目にも明らかなぐらい、母を愛していた。
 あたりかまわずいちゃつく両親に、子どもの頃は(今も子どもだけど)いい加減にしてくれと思ったものだけど、今ではもう諦めている。

「今日は、鳴海さんが来る日ですねー」
 モーニングコーヒーを飲みながらの母の言葉に、父がわかりやすく柳眉をよせた。
 鳴海さん、というのは、私にとっては昔からよく家を訪ねてくれる優しいおじさんだ。私の事を父と競うように可愛がってくれた。
 美味しいお菓子やおもちゃを手土産によく訪ねてきてくれて、私を可愛がってくれた大好きなおじさんだけれど、その人はじつは、かの世界的に有名な天才ピアニスト、鳴海歩その人だったのだ。
 昔、母に求婚して、しかし父がいたのでふられ、今もまだチャンスを虎視眈々と(この形容は歩おじさん自身が使った)狙っているのだと、私を膝の上に乗せて言った。

 冗談めかしてはいたけれど、歩おじさんが本気だっていうことは子どもの私にもわかって……だから、父が歩おじさんを警戒する気持ちも、わからないでもない。
 でも、どうしてわからないのかなあとも思うのだ。

 父のそんなやきもちを、母が歓んでいること。
 母にとって、父以外の人など考えられないこと。

 だから父は、心配する必要なんて、ちっともないのだ。
 それは、ふたりのこどもである私が保証する。




 物凄く久しぶりのスパイラルです。
 これはそれでも君は微笑うからの未来の話です。
 カノンとひよのの子どもであるひなたのことをつらつら考えていたら、どんどん暗い方向へ話がいってしまったので、慌てて区切りました。ここまでは、明るいです。
 これの続きは、(書くとしたら)結構リアルに暗い話になります。


2005/12/23 up

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