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世界一の幸せ者 結崎ひよの。 彼女が本を読んでいて驚くのは、イラクでテロが起きて驚くのと同じようなものである。 ソファに仰向けに横になり、本を掲げて読んでいるその脇を、掃除機を担いだカノンは何も思わず通り抜けた。 「カノンさん」 カノンは掃除機を持ったまま、くるりとふり返る。 まだ若い、タキシードを着せれば実にさまになるだろう水も滴るいい男が、シャツにジーンズ、掃除機担いだ姿で振り返った。 まさしく家庭の「主夫」である。実際この家の家事一切を取り仕切っているのは彼で、そうした姿も結構似合って板についているのは長年の経験ゆえか。 ひよのは先ほどと同じ姿勢で、本を読んでいた。そのままの姿で言う。 「媚薬ってなんです?」 「……は?」 「この本の描写からすると、脳の視床下部に作用して性欲亢進効果があるみたいなんですが、欲望全般ならまだしも、男性ならまだしも、女性の性欲のみを選択して刺激するのはそうとう難しいんですけど一度も男性経験のない女性がその薬飲んだだけで我慢できなくなっておねだりするようになる副作用ナシの薬なんてあるんでしょうか?」 カノンは事情をつかめず困惑する。 「……一体何を読んでるの?」 「カノンさんのベッドの下の秘蔵本」 一気に理解が追いついて、カノンはひよのから本を取り上げた。さすがに顔が赤くなる。 「ひよのさん!」 本を取り上げられたひよのの眼が冷静にカノンを見上げる。 「そんな都合のいい薬、あるんですか?」 「あるわけないだろ! これは単なる男の都合のいい欲望を具象化したもの! そんな薬が本当にあったらどいつもこいつも好みの女性に飲まして合法的にレイプしてるよ!」 「カノンさん、合法的なレイプなんて法律的に矛盾してます。レイプというのは非合法です」 冷静なひよのの指摘。 「被害にあった女性本人に自覚がなければ合法的だよ! 要は女性がしたくてたまらなくする夢の薬なんだから」 「なるほど。それはそうですね。もうひとつ、その中に出てくるのは高校生中学生で避妊なしのプレイを望む女性ばかりなのですが、産婦人科の医者でもその本のスポンサーにいるんですか?」 「…………ひよのさん」 カノンは頭を抱えた。 「わざと言ってるだろう」 「少子化は国を挙げて取り組まなければならない事業、子作りこそが国の基と推奨している実に立派な雑誌ですね」 「―――ひよのさん」 カノンは腰に手を当てて見下ろした。 厳しい目をしていた。 「親しき仲にも礼儀あり。僕は君に対してであっても個人的な領域を持つ権利はあるはずだし、見られたくないものだってある。プライベートを覗き見されて、いい気はしない。君が今やってるのはれっきとしたマナー違反だ。ひどく不愉快に感じるね」 「……茶色の長い髪の、女の子が出てくる本が多かったですね」 「お預け食らった三年間、それぐらいの自由があってもいいだろう? 僕の好みは亜麻色の髪の、髪が長くて色白で童顔で外見からは想像も出来ないほどタフな女の子でね。だから選択的にそういう女の子がでてくる本を選んだ。それだけだよ。―――で、返事は?」 「……すみません」 「よろしい」 頷き、カノンは手を伸ばしてひよのの頭を撫でた。亜麻色の、長い髪。 「何かあったの?」 「ええ。たまたまカノンさんの部屋に無断で入って、たまたま秘蔵本を見つけてたまたまその写真集のアイドルが私に似ていたもので、ついどんなものを読んでいるのかと全部読破してみたということがあったんです」 「…………」 カノンは掃除機を抱きかかえたまま、しゃがみこんだ。 脳内では無音の悲鳴が上がっている。 よりによってひよのに全部読まれてしまった……。 いまだかつて経験したことのないダメージである。 最近久しく使用していない夜の友を思い浮かべる。ああどんなのがあったっけ。 あれもこれもあんなものも、そしてうわああああああ、あれもか! 「……あのね、ひよのさん。そういうものは見なかったふりするのが思いやりなの!」 「天然で狂牛病を発症しているような、頭がとろけている女の子ばっかりでしたね。性感染症の予防なしでそんな見ず知らずの女の子とするなんて、その中の男性は実に勇気のある人たちです」 「……コンビニの数百円雑誌にはね、ひよのさん。男はリアリティなんて求めちゃいないんだよ! 求めているのは実用性だし、漫画家は漫画家でたった十数ページで少女漫画なら十冊以上使う展開をスルーして最後のステップまでいかなきゃいけないんだから! ……ってこんなこと言わせないでよほんとに……。―――機嫌わるい?」 ひよのは間を空けて答えた。 「どうやら少し」 「僕がそういう本を持っていたことが? その相手が君に似ていることが? 空想の中で君を抱いてた事が? それを実用に使っていた事が?」 「真ん中のぞいて最初と最後」 「……」 カノンはひよのを見下ろした。理解が追いつくまで、一秒かかった。 えーと、これは、まさか。 「……妬いた?」 「どうやら、けっこう」 すなおな肯定に、胸が熱くなる。カノンは謝った。 「ごめん」 「謝る必要ないですよ」 ひよのはソファから体を起こす。 「カノンさんの言う事はもっともですし、私であってもそこまで要求する権利なんてないですし、そもそも最初に我が儘言ったのは私ですし……、平たく言うと、八つ当たりですね。不愉快にさせてしまってすみません」 ひよのは、道理を通せば必ず引っ込む。 年の割りにカノンは世界各国の色んな女性を見てきたが、文句なしにひよのが一番話が通じると太鼓判を押すのはそれが理由だ。 大抵の女性は道理を通せば逆切れするのだが。 「見てみぬふり。わかっては、いるんですが……それが一番賢い方法だって。でも腹が立ったんです」 「それだけ僕を好いてくれてるってことだろう? 嬉しいよ」 ひよのの不機嫌の理由が「嫉妬」であると判明した瞬間から、不愉快さや怒りはどこかへ雲隠れしてしまったカノンである。 いまやかなりの上機嫌で、カノンはひよのに顔を寄せると、キスをした。 唇が離れた後、ひよのが切り出す。 「……そうだカノンさん。ひとつ気になったんですけど」 「なに?」 「ああいう頭の悪い女の子が男の人は好みなんですか? あんな雑誌にあれだけ同じタイプが載るってことは、アレが男の理想の定型の1パターンだってことでしょう?」 カノンは額に手を当てた。 「……まあ……否定はしないね。男はなんだかんだ言っても庇護される可愛い女の子が好きなものだから。自分より賢い女は嫌いっていう男の方が多いと思うな。馬鹿な女の方が可愛いって男の方が多い」 「あなたも? ああいう頭の悪い女の子が好みなんですか?」 困ったなと、カノンは膝を折って、ひよのと目を合わせる。 「僕の好みは後にも先にも、気に入らない運命は力ずくで変えさせる度胸と根性とパワーのある、結崎ひよのっていう人だよ」 面と向かってのてらいのない告白に、ひよのの頬が赤く染まる。 「……どうしてあなたは臆面もなくそういうことを言っちゃうんですか」 「誰にも恥じる必要ない本心だから」 溺れるように、恋をしてる。 他のどんな相手も興味ない。 世界中の美女に好かれても、ひよのに好かれなければ意味がなかった。 そう言えるカノンは、心から愛せる相手がいる幸せ者で、 更にその相手と両思いになれたカノンは、世界一の幸せ者なのだった。 ひよのを叱るカノン君が書きたかったのです。しかもカノンの方が正しいって状況で。 たとえ×××(ネタバレのため伏字)でも、やっぱりそういうものは見てみぬふりをするのが礼儀だってば、ひよのちゃん。 しかしどうだろう? やっぱりショックだろうか? 同じ状況でショックですって話を聞いた事があるんだけど、どのくらい衝撃的なものでしょうか? 私は、絶対ショック受けないだろう人間なので、こればかりは不明です。 なお、これは君にできるあらゆることの未来にあたります。 2005/07/23 up |
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