「カノンさんはー、とっても優しいんですけど、物理的にも精神的にも強いんですけど、ちょおっと、問題があるんですよねー」
「……」
「まあ人間である以上、弱い部分を持たない人なんていませんし、弱い面があるのはどうしようもないことなんですけどねー」
「……」
「カノンさんって、自分への罵詈雑言はいくらでも平気で笑って受け流せるクセして、どーしても私への悪口は同じようにできないんですよねー」
「……」
「まあ私への愛情のあらわれですし、笑っていられたらそれはそれで腹立つんでいいと言えばいいんですけど。ぶちぎれちゃうのは困ったものです」
「……あんたな」
「なんです?」
けろっとした返答。
鳴海歩はフライパンをコンロに叩きつけると振り返った。
「のろけなら他でやれ! 延々聞かせられるこちらの身にもなってみろ!」
ちっちっち、とひよのは指を揺らす。
「できるものならしてます。自分でもショックなことに、私ってばあんまり友人というものがいない人間でして。部下や取引先の付き合いならともかく、個人的なプライベートの悩みを相談できて、それを武器にしない相手というと、あなたぐらいしか心当たりはないんですよ」
「……人を脅迫してばっかりいるからだ」
「言っておきますけど、鳴海さんのせいもあるんですよ? あなたが、血の呪いについていつまでも黙っているから、私は高2のときからブレードチルドレンを救う為に奔走しなきゃいけなくて、友人作る間もなかったんですから。ブレードチルドレンを救うための、財力と、権力と、人脈と、情報を得る為に」
ひよのはそこで、天使もかくや―――という笑顔をうかべた。
「だいいち、あなたにとっても損はないでしょう? 私が弱音を吐ける相手になるっていうのは」
「…………俺は何でこんな女に惚れたんだ…………」
がっくり首を垂れる歩をよそに、ひよのは機嫌よくしゃべりまくる。
「それでですねー、カノンさんてばあまり頭の悪い方ではないじゃないですか。いえ、私の悪口言っている相手を見たら即座にしばきたおすとかそういうかっとんだ人ならそもそも恋愛の対象外にしてますけど。結構頭のいい人でしょう、そういう人ってですね、その場で爆発するよりタチが悪いんですよ」
「……そいつの会社をつぶしたり裏で手を回して首にしたりとかか?」
「鳴海さん。―――私が、カノンさんにそんな権力与えるほど阿呆だと思います?」
呆れたような、諭すような声。
一瞬呑まれて、それでも歩は返す。
「……あんたが直接的に与えなくても、アンタの周囲の人間にあいつは影響力を持っているぞ。あいつの肩書きはそれぐらい重いものだ。『結崎ひよのに影響力を持つ人間』ていう事実は、あいつの言葉を他人に受け入れさせる。社長の妻の言葉に、部下は頷くだろう? 妻自身に何も権力がなくても、社長に妻は影響力があるんだから」
「鳴海さんの言葉はもっともですけど、あいにく私はそこまで馬鹿じゃありません。社長と部下の話はもっともですが、あらかじめ部下に社長が『妻の言葉に何一つ従うな』と命令していたら、部下はそっちを優先させるでしょう?」
「まあ……な。じゃ、何が問題なんだ?」
ひよのはそこで初めて言葉を濁した。
「まあ……ぶっちゃけ、陰口の原因を無くそうとしているんですよ」
「あんたの陰口って具体的には何だ? ―――というか、陰口の原因を無くす方法なんてあるのか?」
「訂正します。原因ではなく、口実をなくそうとしているんです。陰口の原因は、あなたの言うとおり、無くすのは無理ですね。要は人間のどろどろっとした感情ですから。で、その口実となるのが、……」
「なんだ?」
ひよのはちょいちょい、と指差す。
「鳴海さん、私に対して陰口言ってみてください」
歩はあっさり言った―――
「我が儘、傲慢、ワンマン、自分勝手、マイペース、秘密主義者、陰険策士、腹黒」
「………………よくまあ好きな女に対してそこまでいえますね」
「それでも俺はあんたが好きだぞ」
「―――まあともかく! 私ってホラ、完璧じゃないですか。容姿端麗、頭脳明晰、財産はたっぷり、権力もたっぷり、性格良好。陰口叩こうとすると、家柄面もしくは、低俗な陰口ぐらいしかないわけです」
歩は上を見た。
「……あーなんとなく読めたな」
「……たったこれだけで読めちゃいますか、すごいですね」
「あんたが困ることで、カノンがやろうとしていることで、さらに陰口のネタになるようなことだろ? 想像つくぞ。あんたが本気で困ることなら、あのあんた大事のカノンがするはずないだろ」
「カノンさんは、迷うぐらいなら作ろうっていっているんですよねー」
「……それはカノンが悪いな。そんな気楽な事じゃない」
「子供なんて、できれば自然に覚悟も愛情もわいてくるっていうんですけど、そんなに簡単でしょうかね?」
「…………あー、あんたが香介だの亮子だのに相談を持ちかけられなかった理由がわかるぞ……」
「あの二人に、子供なんて相談事もちかけられるほど、さすがにそこまで能天気にはなれませんよ」
「いや、俺に相談持ちかけるあたり、あんたの無神経さはかなりのもんだぞ!」
「いいじゃないですか。私に頼られて嬉しいでしょ?」
鳴海歩は―――今しみじみと人生で多分最大級の真理だろうある言葉を噛み締めていた。
惚れた弱み、というやつを。
「……あんた、不妊症なのか?」
「検査してないですけど、たぶん違うと思いますよ。そういう風に陰口されてますけど。子供が出来ないのは、避妊しているせいです。避妊してなかったら、愛情豊かな生活送ってますからとっくに妊娠してるでしょうね」
「嫌なら嫌といえば、カノンはあんたの意思に従うと思うぞ」
「当初の実験の目的を思い出してください、鳴海さん。ブレードチルドレンは、優生学から生まれたんじゃないですか?」
「……あんたと、カノンなら、まさに最高の血統だな……。組織から圧力あるのか?」
「かなり。血の呪いも解けたことだし子供作れってうるさいったらありゃしません。できるだけ私のところでストップかけてるつもりですが、カノンさんにも届いてるでしょうね、生殖能力がどーのと検査されてましたから」
「……あんたは結局のところ、何が怖いんだ?」
「子供と自分とカノンさんが」
簡潔な理由である。
「……子供が怖いのか?」
「すごーく怖いですよ。自分の腹の中で人間を育むんですよ、十ヶ月もかけて。各種ホルモンの絶妙な配合で常識では信じられない急成長を遂げる胎児! 未知の経験に怯えるのは誰しも同じです。カノンさんが怖いっていうのは、カノンさんの平穏が子供によって乱されないかってことですねー」
「……ああ、そうか、なるほど……。血の呪いが、目覚めるきっかけになりえるものな……」
「案ずるより生むがやすし、を実行しちゃおうとしているんですよ、カノンさんは。まあ、できてしまえば私は堕胎は絶対しないとあの人もわかってますから……」
「要は問題はあんたの心だろ? あんたは自分で、自分の選択を決められないんだ」
ひよのは額を指で押さえた。
「……相談というのは、頭のいい相手にするべきものですねー。ズバッといってくれます」
「カノンの性格からして、あんたが本気で嫌がることは絶対しない。でもあんたは迷ってる。だからあいつはさっさと結果出してしまおうとしてるんだろ? あんたが決められないから。更に言うなら、あいつにとって子供は別に迷いの対象じゃないんだろうな。普通逆じゃないかと思うんだが」
「カノンさんは、私との間に明確な絆が欲しいんですよ。あの人は万年不安症で、いつも私の愛情を失うことを恐れていますから」
「……オイ」
「なんでしょう?」
「そういう奴がいるのに、あんたはひとりでのこのこ俺のところに来てるのか?」
歩は苦虫をつぶした顔で慨嘆した。
「俺はカノンに殴られるのも蹴られるのも御免だぞ……?」
「大丈夫! カノンさんには人を殺しちゃいけないって言ってありますから!」
「何の慰めにもなっとらんわ!」
フォローにならないフォローに怒鳴る歩。
「大丈夫ですよー。カノンさんにちゃんと言ってありますから」
「ああなんだ……言って出てきたのか」
ほっとする歩。
「歩くんならキミに手を出す根性ないから大丈夫、って言ってましたね」
「……」
「あ、ちなみにもし万が一私に手を出したら両腕の骨を念入りに砕いてやる、とのことです」
「…………俺は時々、とんでもなく自分の趣味の悪さを疑うぞ?」
歩はため息を一つつくと、さきほどから製作していた料理を皿に移し変えた。
ひよのの前に皿を置く。
「毒見役はいるか?」
「睡眠薬混ぜて私を暴行できるほど、あなたは馬鹿じゃないでしょう。そうならあのとき私を抱いてます。それぐらいは、信用してますよ。―――ご飯、作ってくれてありがとうございます」
そのままじっと歩は料理を食べるひよのを見つめていたが、聞いた。
「なあ、あんた、幸せか?」
「幸せですよ」
「あれだけカノンに不満言っていたのに?」
「人間同士の関係で、相手に一つの不満もない関係なんてありえません。客観的に見て、私はカノンさんに、ベタ惚れしていると思いますよ。
―――で、ところであなたは?」
「あんまり。……でも、ちょっと安心した。あんたがてらいもなく幸せだって言ってくれて。他人に愚痴こぼせるぐらい、カノンを愛しているって」
さびしげに、柔らかく笑う歩に、ひよのは目を細め、唇を笑みの形にしていう。
「私に未練ありまくりですねー」
「一生この未練は引きずり続けるよ」
ぷっと、歩は少し笑う。
「あんたの言葉当たってる。俺はあんたが俺を頼ってきてくれた事が嬉しい。都合のいい避難場所でも、のろけと愚痴の聞き役でも、あんたと接点を持っていたいんだよ。……きっと、これは、多分一生治らないな、重症だ」
「私が言うのもなんですが、奇特な人ですね」
「自覚は嫌って程してる。女の趣味は最悪だな」
「……どういう意味ですか」
「言葉どおりの意味」
言い返せないひよのに歩はにやりと勝利者の笑顔を向けて、席を立つ。
「俺は、あんたと違って弱い人間だからな。あんたに陰口叩く人間の気持ちも判る。あんたは強すぎて、欠点がなさ過ぎて、眩しすぎるんだよ。それに、こればっかりは一生あんたにはわからないと思うけど―――女に能力で負ける男の気持ちは、理屈じゃなだめられないんだ」
「……そうですね」
「頭じゃわかっているさ。屈辱と感じる自分の方がおかしいんだって。世は男女平等、仕事が出来る人間が上位に立つのは当然。けどな、女の年下の上司なんてものをあっさり認められるのは、よほど人間の出来たやつだけっていうのも、事実なんだ」
「よーくしってますよ。そのやっかみのターゲットになっている私ですから」
「低俗で、最低の、陰口だな。―――あのふたりは上手く行ってないのか、あっちがへたなのかカノンの方が精力ないのか、結崎ひよのが不感症でカノンが飽きたのか、それとも石女か。頭がいくらよくても子供できなきゃ女としての価値ねえな、頭の良すぎる女とのセックスなんてする気がしない、やってる最中分析されていたら興ざめだ、あいつが相手する気になれない気もわかる、それでもあいつが別れないのはやっぱり財産のせいだろう……こんなところか」
「うーん、ほとんど同じです。もうちょっと付け足す言葉がありますが」
「へえ?」
「カノンが相手してくれないなら欲求不満だろ、誘えば意外とほいほいついてくるんじゃねえ? いっぺんあの取り澄ました女をやってみたいな」
「…………その瞬間カノンがそいつら半殺しにしなかったのは奇跡だな」
沈黙のあと、歩は低い声でいった。
歩が同じ事を聞いたら、その下劣な言葉を吐く口を即座に止めたくなる。
「私が一緒でしたので、止めました。さすがに考えなしの暴力事件はまずいです。それに私はそんな言葉に傷つくほど柔じゃありません。―――まあ、闇でこっそりばれないよう報復するカノンさんを止めるほど人格者でもありませんが」
「……そいつらも気の毒に……」
どんな運命を辿った事か、自業自得とはいえ、少々同情を禁じえない。
「で、そんなことを言われたあんたは大丈夫なのか?」
「ああ……」
ひよのはくすっと笑う。
「嫌がらせも嫉妬も妬みも勲章ですよ。だって、その人より上だから、やっかまれるし嫌がらせされるんですから。私がこれまでどれほどの狂った戯言を浴びせられてきたと思います? 鳴海さん、その年で世界的ピアニストになったあなただって経験しているはず。上に上がれば上がるほど、人を妬む事しか出来ない人間の怨嗟の手が絡みついてくるのは」
「―――ああ。知ってる」
歩は言葉を続けた。
「でも、俺はそいつらの気持ちも判るからな。絶対的にかなわない才能に打ちのめされて、嫉妬する気持ちは。俺もかつてあんたに嫉妬した。―――俺にはできなかったことをあっさりしてのけた、あんたに」
ひよのはその歩の言葉をばっさり切って捨てた。
「嫉妬して、それで? その先が人間の度量ですよ。下らない嫌がらせに走るか、陰口で発散するか、陰口すら叩かずに自分の中に押しとどめるかです。私がかつて理緒さんにどれほど嫉妬したか、あなたはわからないでしょうね……それでも私は自分を律して、彼女に何の危害も加えなかった。鳴海さん、あなたもです。あなたは、私に何もしなかった。本人の知らないところで陰口叩く程度ならまだまし、嫌がらせまでする人間はすでに自分の客観視がまるでできてないか、自制心がまるでない人間でしょう。そういう人間は、自分の行動が一体どういう種類のものか、自分で認識できないんです。自分が低劣で最低の嫌がらせをしている、なんて自覚を持って嫌がらせをできる人間はそういません。彼らは、一様に、正義の懲罰をしているという認識でやっているんです。そういう風に自分の行為を正当化しているわけですね。他人から見てそれがどういう行為か、客観視ができないんです。―――そんな人間とあなたは同一じゃありません」
「……あんたが俺をかばうのは珍しいというより……」
「天変地異ですか?」
ひよのはくすくすっと笑う。
「私はあなたを慰めたんじゃなくて、事実を言ったまでですよ。生きている以上、負の感情を持つのは当たり前、それをどう行動に反映させるかがその人間の程度を語ると思っていますから」
憎しみや嫌悪や嫉妬を抱くのは人として当たり前。
その―――、先。
どんな行動をとるかが、鍵となる。
人はそれを、こういう。
「自律……ね。あーなんだか俺案外女の趣味がいい気がしてきた……」
歩は呟いて、話を当初の問題に戻した。
「で、あんたは子供欲しいのか?」
「……ほしくないです」
「ほしくないのか?」
「欲しい、かもしれないです」
「子供欲しい理由はなんだ?」
ひよのは食卓に顔をうずめ、うーと唸りつつ言った。
「女としての本能ですよ。……たぶん、これはそういう気持ちなんでしょう。漠然とした気分がわだかまっているんです。愛する男の子供が欲しいって気持ちが」
間を空けて歩は答えた。
「……でも、子供を欲しくない理由もある、と」
「その、狭間で悩んでいるんですよ。大体ですね、私は精子と卵子を合わせて子供を作成して、その子供の遺伝子調整しようと思えば出来ちゃう人間なんですからね」
「…………あんた、そんな技術まで確立してたのか」
「極秘ですから、内密にお願いしますよ。まあ、鳴海さんが見たアレに比べれば遙かに技術的に簡単ですけど、需要の多さでは上回るかもしれません。子供の遺伝子いじくって、生まれつき頭良く、肉体頑健、容姿端麗な子供にできるならしたいっていうのが人情ですからね」
「……ほんとにあんた、別格の天才なんだな……」
吐息を吐きながら歩はいった。心からの言葉だった。
「……カノンさんが、私が迷うぐらいならさっさと作ってしまおうって気持ちも判るんですよ。こんなにうじうじ一つに決められない自分は私だっていやですし」
「ああ、えらく珍しいな。即断即決即実行が信条のあんたなのに。―――でもまあいいんじゃないか?」
「なにが?」
「そう性急に答えを出さなきゃいけないことでもないだろう? どうせカノンが避妊しなくたって、あんたのほうで避妊しているんだろうし」
ひよのははあ、と息をついて背筋を伸ばし、真顔になる。
「鳴海さん」
「―――なんだ?」
「私は、心からカノンさんを愛してます」
「……ああ、それが?」
「今回私がここに来た用件って、あなたを心配してのことです。私はカノンさんに満たされて幸せです。もういい加減、私を見つめるのはやめにしませんか? その方が」
「あなたにとってもいいですよ、か? あいにく、理緒には悪いけど、その気はないな」
歩は強がる風でもなくいう。
そして笑いかけた。
「……あのな、あんた。それは俺に対しての侮辱だぞ?」
怒りでなく、そこにあるのはからかう声音。
「俺の一番は永劫不動に結崎ひよのだ。その一番が俺を見てくれないっていうのは、不幸だろう。けどな、一番が見てくれないからって、二番目を選ばさせられるのは、俺にとってもっと不幸なんだ」
「……」
「俺は、結崎ひよのが好きだ。ずっと永遠に好きだ。あんたが俺を見てくれなくても、カノンを見ていても、好きだ。叶わない恋でも、俺はあんたを一番好きでいたいんだよ。無理矢理他の相手に気持ちを振り替えるより、ずっとあんたを好きでいるほうが、俺は幸せなんだ。他のいい相手を見つけて幸せに、なんてはた迷惑な善意の押し付けはやめてくれ。………迷惑かける気はない。ただ想うのぐらいはいいだろう?」
歩はやるせなく笑う。
ひっそりと、ただ一人を想いつづける幸福。そんなものも、あるのだろう。
「俺にとってあんたは一番でも、あんたにとって俺は二番……どころか五六番目だろうな。それでもいい。こうして愚痴をこぼしに来てくれるだけでもいい。あんたにとって、五六番目の人間は、常にあんたを一番に想っていて、どんな事がおきても味方なんだっていうことを、憶えていて欲しい」
―――さすがに……ここまでいわれると説得の言葉も見つからないな。
ひよのは冷静に判断してくすっと笑う。
「じゃあ、憶えておきます。私があなたの気持ちにできるのはただそれだけですが、それでいいというのでしたら」
「憶えていてくれるのなら、それ以上なにを望むことがある?」
ひよのは苦笑して、席を立つ。
「お邪魔しました」
「ああ、また来てくれ。愚痴の聞き役でも相談役でも引き受ける。前もって連絡してくれればケーキつくっておくぞ」
§ § §
鳴海歩の家を出ると、そこにはカノンが待っていた。
「どうだった?」
カノンは全方向に目を配りながら、ひよのを車内に誘導する。
「まあぼちぼち、でしょうか。―――大体ですね」
ひよのは運転席に乗り込んだカノンの耳を、後部座席から引っ張る。
「あなたが突然子供がどうのって言い始めたのが問題なんです」
「欲しくない?」
「欲しくないとは言いませんが欲しいとも言いません。……カノンさんそっくりの男の子ならいいかもなあって思うこともないこともないですけど」
「とんでもない、キミそっくりの女の子のほうがいい」
本気と判る声音でカノンがいい、ひよのはため息をつく。
「……こういうところ、似た者同士って思うんですよね。私もカノンさんも、自分の子供ってだけじゃ愛せる自信がない。でも相手の子供なら愛せると思うんですから」
「バランスがとれてていいじゃないか。―――で、歩くんとの話し合いは?」
「愚痴言っておわり。まあすっきりしました。なお、あの様子じゃ私の事諦めるのは当分先みたいです」
チッとしたうち。
「……とっとと理緒なり誰かなりに鞍替えすればいいものを」
「そんな器用なたちじゃないですよ、鳴海さんは」
そこで車が到着した。カノンはひよのをエスコートして車から降ろす。
室内に入ったところで、キスを交わした。
時計の秒針が一周するほどの深いキスを終えて、カノンが尋ねる。
「……ひよのさんは、僕が嫌い?」
「愛してますよ」
「僕も愛している。……愛し合っているのに、子供を育てられないわけがない。君が子供を愛せないなら、僕が愛すよ」
「―――カノンさん」
「なんですか?」
「権利と義務は表裏一体です、いいですね?」
「う、うん」
「子供を産むに当たって、かかる負担は女性の方がずっと大きいですね? 男性とは比べ物にならないぐらい」
「……うん」
その後の論理の流れを読んだのだろう、それでもカノンは頷く。
「よって、子供に関しては女性の発言権の方が男性よりずっと大きいんです。そして私はまだ今は心の準備が出来てないので作りたくないです」
はっきりいうと、意外にもカノンはあっさり引き下がった。
「わかった。ならいいよ」
拍子抜けする潔さに、ああ、そうか、と理解したのはひよの。
カノンは最初から、ひよのが迷っていたから、あくまで判断材料として、意見を述べていたのだ。
僕はこう思う、君はどうだ? と示していたに過ぎないのだ。
僕は決められない、君はどうだ? なんて優柔不断な態度よりよほどいい。
最初に、ひよのがイヤだとはっきり言っていれば、カノンはそこで引き下がったろう。嫌とも言えず、さりとて覚悟もつけられなかったひよのに責任がある。
自分のいたらなさを思い知るのはいつだって恥ずかしい。
赤くなった頬を俯けて、だいたいですね、とひよのは続ける。
「二日と開けずに私を抱いているのに、何ヶ月も我慢できます? 性欲解消のためでも風俗なり他の女なりに触れたら私は激怒しますけど」
「……ちょっと自信ない」
ひよのが恥じ入っている理由に予想はついているのだろう、かすかに笑みを含んだ声。
顔を上向かせられ、カノンの唇がひよのの顔を辿る。
最初は目蓋、つぎに唇、鼻筋、額、また目蓋……。
瞳にキスが落ちる度、ひよのは目を閉じ、ふたたび視界にカノンをおさめて啄むキスをかわす。
腕はいつの間にかカノンの首に回っていた。
住民がふたりきりの家屋はそういう意味で奔放で、人目をはばかることなく気分が乗ったときにイロイロとしてしまう。
浴室やらソファーやら食堂やら。
そしてそれをひよのが嫌がったことは、ほとんどない。ひよの自身よりひよのの体を気遣ってセーブしてくれるのがカノンだし、ひよのにとっても、カノンとのふれあいは幸せなことだからだ。
隅々まで細やかな愛撫で体がとろけるような行為は、愛情を芯まで実感させてくれる。
愛する人との、大切にされていると実感できる触れ合いを、拒む女なんていない。
歩くん……惚れた弱みだねえ……(しみじみ)。かわいそうに。
この話はとにかく「ひよのののろけ」が書きたかった!
正直な話、のろけている人間って最強だと思いません? 友人のその攻撃にあったんですが、もう「勝手にやってろ」の世界。何言っても通じませんて(涙)。愚痴ですら顔をにやけてやればそれはのろけです。
で、のろけまくるひよの、というのが頭に浮かんで猛烈に書きたくなり……書いちゃいました。
くそー、最強無比ののろけ攻撃に人を巻き込んだんだ、末永く幸せにやってくれ。元気な赤ちゃんを産んでくれよな。
なお、これは君にできるあらゆることの未来にあたります。
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