神さま人を愛する資格のない僕ですが
彼女を愛しているっていってもいいですか?




 再生が始まる。
 画像が揺れ、すぐに収まった。

「ささ! 並んでくださーい!」
 声の主は見えない。
 映像はたくさんのご馳走が並んだテーブルの上を映している。
 一見して普通の家庭の食卓である。四人掛けのありふれた大きさのテーブルに白のビニールテーブルクロスが敷かれ、その上いっぱいに多彩な料理が並んでいる。
 牡蠣のフライ、まぐろの香草包み、豚肉のしょうが焼き、ゆで卵や蒸し鶏のサンドイッチが載った大皿など、見るからに美味しそうである。
 なかでも一際目立つのは中央のケーキだ。
 蝋燭がたてられ、中央には「十二月一日 誕生日おめでとう!」のチョコレート板が飾られている。

 先ほどと同じ声がまたいう。
「はやくはやく! 歩さんこっちこっち! 並んでください」
 十代の少女のものらしき声だ。
「……どうして俺が……」
 ぶつくさいう少年の声とともに、画像のアングルが変わる。
 テーブルの上ではなく、テーブルの向こうが映し出される。

 そこに並んで立っているのは、良く似た兄弟だった。誰しも一目で兄弟とわかるだろうほど、よく似ている。
 向かって左側にいる長身の青年が兄だろう。右側にいるのが弟。およそ、十歳以上は年の差がありそうだった。弟らしき十代の少年はまだ高校生だろう。一方、兄のほうはどうみても二十代後半以降である。
 ふたりともよく似た整った顔立ちをしていた。
 兄の方が弟に言う。
「まあ、そう言うな。今日ぐらいは彼女の言うとおりにするのが筋ってものだぞ?」
「清隆さん、いいことを言ってくれました!」
 画面の外から、あの少女の声。それとともに画像が微妙にブレる。どうやらこの映像を撮影しているのは、彼女らしい。
「さあ、笑ってください!」
「そうそう、ほら歩も清隆さんも、こっち向いて!」
 もう一人、大人の女性の声が割り込む。姿は見えない。
 弟は反論もせずに黙り込むと、ふうと息を吐き出し、それで気分を切り替えたのか、笑顔を作る。
 ケーキを前に、笑顔を向ける兄弟。
「歩も清隆さんも、誕生日おめでとう!」
「歩さんも清隆さんも、おめでとうございます!」
 画面の外から、二人の女性の声が兄弟へかけられる。
「ああ……ありがとう」

「ひよのさん。手、疲れてない? 代わるわよ。ほら歩の隣に立って」
「じゃあお言葉に甘えまして」
 そんなやりとりのあと、画面に一人の少女が入ってきた。
 亜麻色の髪をお下げにした、なかなか可愛らしい少女だ。年は十六七といったところか。
「歩さーん!」
 少女は少年の隣に立つと、腕を抱き寄せて、こちらに向けてにっこり笑顔でピースをつくる。
 しかし、少年の方は少女の積極的態度に戸惑い顔だ。
 すかさず画面外から、叱咤が飛んだ。
「こら歩! 笑顔笑顔!」
「あのな……ねーさん」
「歩さーん! 今日ぐらいは笑顔でいましょうよー」
「そうそう。恥ずかしいのはわかるけどホラ開き直んなさい」
 やけくそのように笑顔を作る少年に、少女はいっそう深く腕を抱きしめた。
 その顔には満面の笑みが浮かんでいる。

 いまどき、滅多に見られない太陽のかけらのような笑顔。
 映画の中ですら希少品になってしまった笑顔を、少年は見おろす。
 再び正面へと顔をむけたとき、少年の笑顔は本物になっていた。

 微笑ましくその図を見つめる青年と、笑顔の少年と、少女。
 カシャリ。
 フラッシュの光が混ざった。
 どうやらカメラも同時に使っているらしい。

 三人揃っての構図が終わると、少女が画面外にいる女性に声をかけた。
「まどかさん、今度はまどかさんが清隆さんと腕組んで。代わりますよほら!」
「よろしく〜」
 画像がぶれ、すぐに元通りになる。
 画面に今度入ってきたのは、長い髪の二十代後半とおぼしき女性である。
 青年の腕を取ると、正面を向いてにっこりわらった。青年の方も弟とは違ってすぐさま笑顔になる。
 撮りおわると、女性は画面外の少女に声をかける。

「じゃ、お邪魔虫は退散しましょ。ひよのさん、ビデオ貸して。歩も今日は仏頂面禁止だからね!」
「……わかってるよ」
 という少年の顔は優しい苦笑。
 女性も青年も画面の外にいき、代わりに入ってきた少女は自分より頭半分高い少年を見上げてえへへと笑った。
 外野から野次が飛ぶ。
「二人でナイフ持って!」
 誕生日ケーキは、一般的ケーキの倍ほどの高さがあった。
 少年は少女に一本のナイフを渡し、彼女と一緒にそのナイフを使って切っていく。
 一ピース切り分け、抜き取ったとき、少女から感嘆の声が上がった。
「綺麗ですねえ……ひいふうみい……七層?」
 外は生クリームのデコレーションがきいたごく普通の外見だが、中身はカラフルな色使いで七層になっていた。

「歩さんが作ったんですか?」
 言われたとおりに仲良く一本のナイフを持ちながら、少女がたずねる。
「いや。兄貴につくらせた」
「清隆さんのですか。腕を振るってくれたんですねー」
「兄貴はその気になれば俺より上手く作れるんだ」
「お味が楽しみですね。じゃ、さっさと切っちゃいましょう!」

 ケーキを八等分に切り分け、四人分皿に載せると、二人は顔を見合わせる。
 まだ十代の少年少女の顔に浮かんだ一瞬の微笑みも、映像は見逃さずにとらえている。
 その瞳の中にお互いの姿をとらえて、自然と浮かんだ笑顔だった。

 名残惜しさを感じさせる表情で、ふたりはナイフをケーキが載っていた台に置き、手を離した。
 少女は改まった様子で少年に向き直り、笑顔で見上げる。
「歩さん。十七歳の誕生日、おめでとうございます」
「―――ぜったい、こんな恥ずかしい真似二度としないからな」
「はい。付き合っていただいて、ありがと……え?」
 少年が少女の左手を強引に手に取る。
「『恥ずかしい真似』は、これからが本番だ」
「は、はい? 歩さん?」
 少年はズボンから何かを取り出すと、少女の指にはめる。
 遠いせいでなにかはわからないが、仕草で指輪とわかる。
「……サイズはぴったりだな」
「な、なんですか? これ? どういう意味ですか?」
 少年は眉間にやや皺を寄せ、鹿爪らしい顔というにはやや弱いが笑顔というには程遠い顔をしていた。緊張しているのだろう。
 少年は生真面目な口調で言う。
「たぶん、あんたが思ってるのと同じ意味。俺、鳴海歩は、結崎ひよのに、結婚を申し込む」
 画像は揺れず、二人以外の声も聞こえない。
 カメラを保持している人間は、この展開を知っていたらしい。
 瞳をまんまるにして少女は少年を凝視している。

 やがて、少女は薬指にはめられた指輪を撫でていった。
「―――帰って、くるんですね?」
「約束は守る。あんたとの約束は特にな。俺が一度でもあんたとの約束を守らなかったことがあったか?」
 少年を見上げる少女の顔が、名状しがたい感情に塗りつぶされていく。
 人に、笑顔を作り出せる力を与える記憶を持っている人間は幸せだろう。
 そして少年は、かつて少女にその記憶をあたえ、今、思い出させたのだ。
 顔を笑顔に変えて、少女は頷いた。
「……そうでしたね」

 じっと成り行きを録画していた年長者ふたりがそこで乱入した。
「よーし! 歩、しっかりばっちり記録したからね! あんた、もう一生彼女に頭上がんないわよー。もし戻ってこずに婚約不履行やろうものなら裁判になって確実に負けるからね!」
「ところで、誓いのキスがないなあ、歩?」
 少年はわざとらしく目を見張り―――少女の腰に手を回して引き寄せ、片方の手で顎を捕らえて上向かせ、さらに邪魔な前髪をさらっとよけて、あっという間に唇を重ねた。
 短いキスが終わると、その場にぽかーんとした空気が流れる。
 と、少女が顔を真っ赤にして抗議した。
「あ、歩さんっ!」
「誓いのキス、だろ?」
「そ、それはそうですけどっ!」
「さんざんキスしててまさかないとは思うが、俺とキスするのが嫌なのか?」
「そうじゃなくて、ですねっ! ひとまえで……」
「兄貴達のまえで、っていう文句は却下。誓いのキスなんて基本的に公衆の面前でやるもんだぞ?」
「ううううう〜〜〜っ!」
 言いまかされ、つける文句が見つからなくなった様子の少女。
 少年が柔らかく微笑んで言う。
「俺鳴海歩は、結崎ひよのを永遠に愛し続けることを誓います」
 沈黙。
 求められている役割を悟った少女はあたふたと周りを見回したが、少年はもちろん、その近親者も誰も助けてくれない。
 結局顔を真っ赤にして、俯きながら口にした。
「わ……私結崎ひよのも、鳴海歩を永遠に愛し続けることを誓います」
 自然な、ゆっくりとした動きで、再度腰に手が回り抱き寄せられたが、少女も今度は抵抗しないで目を閉じた。
 不意打ちではなく同意の上で、重ねられる唇。

 ビデオ内タイマーが五回数字を変えるだけのあいだキスが続き、二人は離れた。
「……ここまでやれば裁判でも何でも俺の敗訴は間違いないな」
 画面外から返答の声が飛ぶ。
「私が弁護士につくんでもなければ、敗訴間違いなしだな」
「歩、ひよのさんを大事にしないと駄目よ?」
「めいっぱい、大事にしてるつもりだけど?」

 少年は少女の顎を持ち上げる。
「約束する。俺は必ず戻ってくるし、あんたと結婚する。嬉し泣き以外で、あんたを泣かせたりしないから」
「も、もう……っ、歩さんってば……もう……!」
 止まりかけていた涙がまた溢れてくる。
 それを誤魔化すように、少女は声を張り上げた。
「あーもう! ご馳走が冷めちゃいますよ! 食べましょう!」
 シャンパンの栓が引き抜かれ、手の込んだ料理の数々が供される。
 青年の腹踊りや女性二人の熱唱会。誕生日パーティというより、温泉地での無礼講のどんちゃんさわぎを思わせる、にぎやかで騒がしく、荒っぽく、温かいパーティを、画像は記録し続けた。


 ここで、画像は一度暗転する。



 ふたたび映像がはっきりした像を結んだとき、そこにいるのはあの少年だった。
 彼は穏やかな表情で、重厚な机に座っていた。恐らくカメラは固定してあり、そこに話し掛けているのだろう。
 彼のほか、誰もいない雰囲気だった。
「この映像を見てるのは、あんただろうか……それとも、俺か?」
 先ほどのパーティとは壁紙などからして違う室内と判る。
 ベージュ色の壁紙。どっしりとした、重役室に置かれているものを思わせる飴色の机。
「もしこれをひよの。あんただけが見ているのだとしたら、俺があんたに言いたい事はひとつだ。愛している。俺がこの先どんな世迷言を言っても、信じないでくれ。今ここにいる、俺の言葉だけを信じてくれ。あんたを、俺は、この世で一番愛している」
 少年はカメラを見ているが、その瞳に射抜くほどの強さはない。
 むしろ穏やかなまま、情熱的な愛の言葉を捧げた。
 だからこそ、そこにあるのが擦ればメッキの剥げるイミテーションではないと伝わってくる。

「そして、これを見ているのがひよのじゃなく、俺が見ているのだとしたら、頼みたい事がある。あんたは、おれだ。だから、俺がひよのを愛したように、あんたも必ずひよのを愛するだろう」
 相手の共感に訴えかけるように、少年は言う穏やかな中に一本の芯を含ませた語り口で言う。
 少なくとも彼が真摯な事はまちがいなかった。
「いまここにいる俺は、言葉で言い尽くすことなどできないほど、ひよのを愛している。だからあんたも、きっとひよのを愛するはずだ。最初は無理でも、いずれかならず、愛するようになる」
 少年は俯く。
「……いや、そうはならないかもしれない。俺は論理を壊されてひよのを愛するようになった。あんたの論理をひよのが壊す機会が訪れなければ、あんたはひよのを愛さないかもしれない。
―――俺が、あいつを、なんとも思わなくなる時が来るかもしれない」
 想像すらできない恐怖に怯えて、少年は体を震わせた。

「あんたは、おれだ。だから、俺は、その糸のように細い縁にすがって頼もうと思う。あんたがもし、ひよのを愛せなかったら、……そうしたら、できるだけ優しくしてやって欲しい。傷つけないでほしいんだ。あんたにとっては我が儘千万のとんでもない言い分だろうな。けど、伏して頼む」
 少年は虚空に目をやった。
「……明日、俺は手術を受けるため入院する。手術が失敗したら死ぬ。成功しても、記憶を失う可能性がある。ただし、しなければ保って後二年の命だ。……正直言って、躊躇った。成功しても、俺が俺でなくなってしまうかもしれないなら、あと二年をひよのと一緒にすごそうかと。ひよのは、あいつは、そんな俺をいつもどおりにしかりつけた。とんでもない女だよな。
そして、今ここにいる俺は、そんなあいつを、誰よりも愛しいと思っているんだ……」

 少年はこちらをみると、はっきりした声で言った。彼の声はよく通る。ソリスト向けの声だ。あるいは大勢の大衆の前で演説する人間向けか。
「親愛なる自分へ。お前にはいろいろな混乱の種が山積していると思う。それでもこれだけは信じるに値するものが存在する。お前は、自由だ。神でもなんでもない。好きなように人生を選び、人生を紡ぎ上げていくことができるただの人間だ。自由に生きろ。お前には、それが許されている」
 唇が最後に、音もなく動く。
 ―――ただ、できることなら、彼女に愛を。

 そこで画像は終わった。





 再生が終了した画面は、砂嵐にかわる。
 彼女はそのままじっとしていた。

 もう、十年も前のことに思える誕生日パーティ。
 鳴海歩は、自分が成功率の低い手術にこれから向かう事を知っていたし、清隆もまどかもひよのも知っていた。
 全員知って、その上で彼らはその気配をおくびにもださずに終始笑顔で誕生日を祝ったのだ。
 もう二度と、こんな風に全員揃って集まれないかもしれない。その可能性のほうが高い。
 成功率は低く、成功したとしてもなお厳然たる危惧は存在する。
 ―――そんな悲愴感を少しも感じさせず、彼らは笑顔だった。
 笑顔笑顔笑顔。
 ビデオのなかの顔は誰もがみな笑顔だ。
 悲しんでも不安になってもしょうがない。これが一度きりの花火かもしれないならば、なおさらその記憶を笑顔で飾り立てようじゃないか!

 近い将来の不安を知りながら、彼らは涙で泣き濡れるより、いつもと変わらぬ笑顔で過ごすことを選んだのだ。
 歩は、最後まで笑顔だった。
 手術室に入る前に、ひよのの手を握って微笑んでみせた。

「……歩。あんたは、約束をやぶらない子よね?」
 清隆と結婚するまではとっつきにくい子どもだと思っていた。けれども、夫の失踪中、まどかをささえてくれたのは歩だ。その時間をへて、あの子への認識は単なる記号上の「弟」から、心から(いと)しめる大切な家族へと変わった。
 ―――俺のいない間、他の誰かに心変わりしてても構わないぞ? 俺は、アンタが泣こうが叫ぼうが全部無視して、攫ってくるから。
「ひよのさんに愛想つかされないように……ちゃんと帰ってくるのよ」
 つぶやき、まどかは窓から空を見上げた。いまごろ、「彼女」もまたこの空の下で胸がつぶれるような思いをして祈っていることをまどかは確信している。
 手術が成功しますように。彼のままの彼で、戻ってこれますように。


 ―――帰ってくるから。
 再会の誓いは約束。
 この胸の痛みを、優しい思い出に変えるための儀式。




ナルヒヨフェスティバルに投稿した作品。長いタイトルだ。
こーしてみると、なんつーか、へたくそやなー。
誕生日記念小説ですが、別に期間限定ではありません。




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