+こーなったらいいな、ステキだな ぱーと4+
ガンガン10月号ネタバレ注意!
読んでない人は注意してください
青空を大気に反映させながら、その日の空気は澄んでいた。
結露した水分が墓石に露を結び、陽の光を浴びて輝いている。
冬のまだ肌寒い朝、大気にはわずかながら霧の気配も見える。しかしそれも、今日は蒼穹の見える素晴らしい天気なので、気温が上がるに従い消えていくだろう。早起きで、外を歩く習慣のあるほんのわずかな人間にしか気づかれぬまま、ひっそりと。
そんなわずかな人間のひとりが、鳴海歩である。
体の中心部は厚手のコートで守られているとはいえ、むき出しの顔は寒い。冷気にさらされて、頬が感覚を失う。
歩は手に持つ生花を左手に持ち替え、空いた右手を口元にやり、息を吐きかけた。温かい吐息が跳ね返り、頬を暖めてくれる。
墓地に入って、歩はわずかに歩調を緩めた。
まだ、陽も昇りきらない早朝だというのに、その墓の前には既に人がいた。
墓地の入り口からでも、そのブルーホワイトの頭はよく目立つ。歩はゆったりした足取りで彼に近づいた。
声変わりした重厚なハスキーボイス。少年の面影のない見事な重低音の美声で話し掛ける。
「月の違う命日だってのに、まめだな」
月も同じ、日も同じ命日を、特に祥月命日という。
逆に言えば単に命日、と呼ぶ場合それは月の違う故人の死んだ日をさしていた。
最近では祥月命日と呼ぶものはほとんどなく、命日、とだけ呼ぶようになったせいで、命日という言葉は祥月命日の意味も持つようになったが。
カノンの死んだ、月の違う命日。それが今日だ。
長い銀髪を揺らして、時を止めたように墓碑を見つめていた世界的ピアニスト―――アイズ・ラザフォードは顔を上げた。
「……アユムか」
いつごろからだろう?
彼が、歩を「清隆の弟」ではなく「歩」と呼ぶようになったのは。
「まめというなら、おまえこそだ。アユム」
親友のアイズはともかく、自分がこうしてここに毎月来るのは、確かに奇異としか見えないだろう。もう、五年もたっているのだから。
「ああ、そうだな。―――まだ夢を見るのか?」
「ああ……。内側から、壊れていく感じだ」
ぽつりと、呟き。
歩は黙って、カノン・ヒルベルトの墓に目を移す。
墓参りの時期外れの墓地は、雑草と汚れが横行する土地となる。
けれどもそのなかで、いつも、カノンの墓だけは整然と美しくととのえられていた。
目の前のこの繁忙なピアニストが、ない時間を無理にひねり出してはここへ足を運び、誰に頼むでもやらせるでもない自分の手で、それもピアニストの手で、雑草を引き抜き、箒を持って掃き清め、心無い他の訪問者の残したごみを持ち帰っているからだ。
時に、手を雑草の葉などで傷つけながら。
親友の墓が荒れるに忍びないのならば、いっそ人を雇えと言われたとも聞く。
確かに一度のリサイタルで何万ドルという金を稼ぐ天才ピアニストのアイズ自身が、貴重な時間を削ってまで掃除などという雑用にかかずらうことはない。
けれども、歩には理解できた。
アイズがそうはしない理由、人任せではなく、自分自身の手でやりたい理由が、歩には理解できた。
「お前は、体の調子は大丈夫か?」
「ああ。万事、快調だよ。もう二十一だしな」
二十歳までは生きられない。
どの医者も太鼓判を押した歩の体は、あにはからんや、一年も前にその日を越えた。
体に仕掛けられた時限爆弾は、どういった次第か、その役目を放棄しているらしい。
「そのかわり、一日に飲まなきゃいけない薬の量ときたら結構なもんだけどな」
歩は茶のコートに包まれた肩をすくめてみせる。
この五年で彼は随分背が伸び、道を歩けばすれ違った女性は十中八九振り返るようになった。
ひょろ長いのではない、身長に見合った肩幅と体格。それでいて無骨な印象はなく、優雅な雰囲気すらあるのはその挙措のせいだろう。
「……ナルミアユム」
そう呼びかけたのは、五年前の面影をやどしたまま、線の細い美青年となったアイズである。
その青年はコートから銃を取り出し、静かに歩の胸に擬した。
歩は叫びもしないで、といって凍りついたわけでもなく、その銃を見下ろした。
「―――ずっと、聞きたかった事がある。五年前の事だ。おまえは、どうして、カノンの死を予測しながら何も手を打たなかった?」
「同じ事を聞きたいな。ラザフォード。どうして、お前は、五年もそれを聞かなかった?」
歩は銃を向けられても眉一つ動かさず、即座に切り返した。
アイズは静かに、言った。
「お前は二十歳までに死ぬと思っていたからだ」
「……」
「二十歳までにお前は死ぬのならば、おれが手を汚す事はない。むしろ火澄のように、殺害が救済となることすらあるかもしれない。―――だが、お前は今もまだ生きている」
歩はラザフォードを見つめていたが、ふっとわらった。
「俺はカノンを信じていた。信じるよすがが欲しかったから―――というのは、駄目か?」
「……意味がわからない」
「日本語のせいじゃないぞ。判らなくて当然だ、ラザフォード。―――支えてくれるものが欲しかった。たとえ心が揺らぎ、憎しみに飲まれそうになっても立ち止まれる確固たる何かが。カノンなら、そうなってくれると信じた」
アイズの表情が変わった。緩みかけていた腕に力がはいり、まっすぐ腕の延長線上に銃が添えられる。
「……絶望を教えられても、希望を口にして死んでくれることをお前は期待していたのか」
ぞっとするような冷気が、ひたひたと押し寄せる。
一つ間違えば引き金を引くな、と思いながら、歩は答えた。
「そうだ。あいつの死が、俺には必要だった」
アイズの指が引き金にかかりそうになって、弾かれたように指は離れた。
「お前が、土壇場で自分を止められたのは、カノンのせいだろう、とは思っていた」
歩は沈黙で返す。
―――こちらも、そう思われている事は知っていた。
五年もたつのに、毎月毎月命日に墓前に参るアイズ。それを知っているのは、毎月毎月、歩もここへ来ているからだ。五年もたっているのに。
「結崎ヒヨノのことは聞いている。あの娘は、最初から清隆の指示で現れて、お前を裏切っていたのだと。お前は、あの日、それを清隆から知らされた。それでもお前が自分を制止できたのは、裏切りを予見し、その保険としてカノンの死を作っていたからだろう、と思っていた。そしてもう一つ。―――お前にとって結崎ヒヨノというあの娘は、少しも大切な存在ではなかったためだと」
「……」
余裕を感じさせる、沈黙の中の含笑。
歩はアイズの声を聞きながら、たたずんでいた。
「―――だが、そうでなはかったという事が、今の言葉でわかった」
「なに……?」
「大切だからこそ、傷つく。そうだろう? 大切であればあるほど、裏切りの傷は深くなる。ナルミアユム、お前はカノンの死を予見しながら何もしなかった。カノンの死が必要だったとすら言った。お前が本当に結崎ヒヨノをなんとも思っていないのなら、裏切られても傷つくまいし、裏切りを予測した段階で手を打っていたはずだ。心の傷も些少だったろう。だがお前は、裏切る事を予測してなお、カノンの死を求めた。人ひとりの命と引き換えにして、人間ひとりの存在を重石として、自分自身を鎖で縛らなければ立っている事もできないほどにお前は追い詰められた―――いや、追い詰められることがわかっていた」
鳴海歩―――現在21歳の青年の口元には、深い微笑が刻まれていた。
今にも殺されようとしている者の表情ではない。
加害者もまた、今にも殺そうとしている者の表情ではなかった。
歩の胸元に銃を突きつけている銀髪の世界的ピアニストの表情には、猛々しい殺意も、凍るような憎悪の気配もない。
ふたりの頬をかすめ、その場を通り過ぎていく冬の風の気配とよく似た表情が宿っていた。
「結崎ヒヨノの裏切りを予見したお前は、それでも疑いきれなかった。本気で疑っていたのなら、遠ざけるなり、絆を徹底的に破壊する行動に出るはずだ。暴行するとかな。しかしお前はできなかった。―――疑いきれなかったからだ。頭ではありえると思っても、心が否定した。お前は、結崎ヒヨノを失いたくなかった。絆を破壊すれば、確かに裏切られても傷は浅いが、裏切っていなかったときはお前はただ結崎ヒヨノを失うだけの結果になる。お前はそれを恐れた。そしてまた、お前にはわかっていた。『そこまで結崎ヒヨノに心を許してしまっている自分は、裏切られたとき兄を殺してしまうだろう』ことが」
結崎ひよの。
ほぼ五年ぶりに聞く名だ。
ブレードチルドレンの面々は、彼女が清隆の手の者と知って自然と歩の前で彼女の話は控えたし、義姉もまたそれは同じだった。
「だから、お前は、火澄がカノンを殺すことを予見しても何も言わなかった。おれに警告を発する事も、火澄を見張ることもしなかった。お前には、カノンの死がどうしても必要だったからだ。仮に結崎ヒヨノが裏切っても自分を制止できる頚木として、人間一人の質量をお前は必要とした」
「……そのとおりだ」
歩は、あっさりと認めた。
アイズは自分の内側の熱を堪えるように顔をゆがめ―――結局、そのまま銃を下ろした。
「殺さないのか?」
「―――おまえにとって、結崎ヒヨノは何にもかえがたい女だったという事がよくわかった。お前は、長くもない一生ずっと罪悪感に囚われ続ける。自分の勝手で人ひとり見殺しにしたという罪悪感に体の内側から侵食される。殺されかけても、文句一つ言わないほどに、お前は苛まれている。恐らくまともに寝ることも出来ていないだろう。ちがうか?」
歩は苦笑でそれに答えた。
―――それがこの場合は答えだった。
「おれとしたことが、見る目が無かったというべきだな。平気な顔をしてる人間は、内面も平気というわけではない。―――ナルミアユム、お前は、わかっていたはずだ。カノンを見殺しにすれば、自分がどういう状態に追い込まれるか。いっそ死を選んだ方がましなほどの生き地獄が待っていると。―――だが、それでもお前は、結崎ヒヨノとの絆を断ち切るのではなく、カノンの犠牲を選んだ」
結崎ひよの。
ふと、歩は物思いにかられる。
懐かしい名前だ。
輝かしいものも、いとおしいものも、うつくしいものも、失いたくないものすべてを象徴する名。
あの頃、自分にとって、なにを奪われるのが最も酷いかと聞かれれば、それは彼女でしかありえない。
一緒にいたのはたったの二ヶ月。
だが、今から思えばその一日一日が一生をかけるに足りる輝きを持った日々だった。
アイズは、そんな歩を憐れむような、慈しむような顔で見ていた。
ポツリと呟きがこぼれる。
「……お前は、本当に、あの娘が大切だったのだな」
誰かの死と引き換えにしても、その相手との絆を壊したくはない。
そんなエゴイズム丸出しの反吐が出るほど醜い行動を「愛」と言えるのならば、
―――あれはまちがいなく、愛だろう。
冬の寒風が歩の髪をさらう。
歩の、唇だけを動かした返答はアイズには見えなかったろう。
そうだな、すべてを予見しても疑えないぐらいに、そうだったよ。
次回展開妄想小説初の前後編。
イロイロ考えたんですよ。
「どうして歩はカノンの死を予見しつつ何も手を打たなかったのか」とか、
「歩を土壇場で支えたのは何か」とか。
考えすぎて長くなっちゃいました。
なお、web拍手のオマケは杉浦のサイトの場合常に一種類です(何度もクリックする必要ありません。)そしてこれからしばらく、サイトに再録はできない出来の悪い代物を定期的にアップする予定です。
2005 9/16 up
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