結崎ひよの殺人事件 6
「鳴海さんは、いつから私のこと好きになってくれたんですか?」
そう聞かれたとき、歩はいつものように放課後の部室でひよのと一緒だった。
別段放課後一緒にすごすというルールがあるわけではないが、放課後はなんとなく一緒にいるのが以前から普通になっていて(新聞部にいかないとひよのがまとわりつくせいだったが)、歩もいつの間にかひよのの顔を見る時間が長い方が嬉しいと思うようになっていて、更に恋人同士という関係がプラスされた現在ではいろいろな諸事情から、そのままその習慣は継続されている。
「んーまあ……気がついたら、かな」
料理雑誌から顔をあげてのこの一言にひよのは怒るかと思ったが、あにはからんや、ふんわり笑った。
「鳴海さんらしいですね」
その表情に、歩は顔を寄せる。ひよのも察して目を閉じる。
ふれるだけの、短くてぎこちないキスは、それでもだいぶ慣れてきたように思う。
つかんだ肩の感触だとか、一度抱きしめた体の柔らかさだとか。そういうものを肌で実感するたび、歩は驚く。歩よりはるかにしっかり者でたくましいひよのが、こんなに柔らかくてぐにゃぐにゃで力を入れると壊してしまいそうな身体を持っているということが、信じられないように感じるのだ。
女の体と男の体は、つくりも「やわさ」も、天と地ほども違っていた。
歩が唇を離すと、ひよのは「にへらっ」と幸せそうに笑う。
この表情も、歩は好きだ。これが見たいがためにキスしている面もあるような気がする。
一時期一緒にいた同居人―――火澄はかつて、歩をこう称した。「持たざる者の強さ」だと。
あたってる、と、思う。
歩は人に寄りかかるのが下手だ。頼るのも下手だ。寄りかかるより、壁をつくる。つくって誰も近づけまいとする。
そんな歩に近づくには、半端な壁で引き下がるような根性では駄目で、ひよののように岩壁だろうが石壁だろうが粉砕していくパワーのある人間でないと駄目なのだ。最初、到底相性が合わないように思っていたが、実はぴったりなのかも知れない。
その火澄は一月ほど前にふらりと姿を消し、入れかわりに姉のまどかが退院して復帰した。
ウォッチャーのキリエなどは突然の火澄の失踪に深刻な顔をしていたが、歩はそれほど気にしていない。時がくれば、向こうから姿を現すだろう。
―――今は、嵐の前の一時の静けさにすぎない。
誰よりも強くそれを感じていたのは、ひよのでもなくキリエでもなく、歩だったろう。
ひよのがこの狭間の静かな時期に告白してきたのは歩に「願い事」をせっつかれたせいもあるにしても、今しかやれない呑気なことをという気持ちのせいだろう。
こうのんびりしていられるのは、あと、少しの間だけなのだから。
「鳴海さんにちうされると嬉しいですねっ」
「ちうって言うな、恥ずかしいだろ」
「じゃベーゼ」
「……それはそれで恥ずかしいが、フランス語でいうとなんとなく恥ずかしさが減るから不思議だな」
「母国語でないからですよ、英語で悪口言われててもわからなければ腹もたたないでしょう、それと同じようなものです」
「……そういえば、あんたは?」
「え?」
「俺にばっかり言わせるなんてフェアじゃないだろ、あんたはどうして俺のこと好きになったんだ? どう見ても迷惑ばかりかけてたと―――いやそうでもないか」
ひよののせいで事件に巻き込まれたこともけっこうあった。たとえば某剣道部の話とか、某ピアノの話とか。
ひよのはもったいぶって、わざとらしーくため息をつく。
「どーしてこう自分の女の子への影響力に自覚がないんですかねー……」
「え? でもあんたは普通の女の子じゃないだろ」
事実であったし歩の率直な感想でもあったが、無礼なのか褒め言葉なのか判別にこまる言葉である。ポジティヴシンキングのひよのは褒め言葉としてとることにしたらしく、軽く首をかしげただけで抗議はせず、こう返事した。
「鳴海さんと一緒ですよ。あなたと一緒にいたら、気がついたら好きになってました」
歩は苦笑する。
歩の口にした理由、ひよのが口にした理由。
どちらも嘘だ。
そして、それをお互い気づいてる。
なのに歩の顔にもひよのの顔にも偽物じゃない笑顔が浮かんでいる。
お互いの嘘に気づいているのに、なのに居心地がいい。人が百人いれば百通りの人間関係があるけれど、そのなかでも変な関係だと思うのはこんな時で。
§ § §
ひよのが脅迫のネタを隠すなら、どこに隠す?
自分の部屋で、歩は腕組みして考え込んだ。
ひよのは、かなり、いや大層、ひねくれ者の性格をしている。
彼女の性格からして、素直でストレートなところには隠さないだろう。更にいうと、用心深くもあるから一つ見つけられてはいオシマイなんてことではなく、複数の箇所に隠してる気がする。
ひねくれ者のひよの。
防犯を考えるなら、まっとうに銀行の貸し金庫が一番だろう。もしそうなら、おそらく今日明日中には遺族の了解を得て、警察が貸し金庫の中身をチェックするだろう―――ひよのの名義で借りてるならば。
ひよのが人をおどしてその人名義で借りていたら、それを探り出すのは警察でも少しホネだ。……しかも、たぶんそうだ。銀行は高校生に貸し金庫を貸すほど酔狂ではない。
同じものを複数の地点に隠したなら、ひとつぐらいは見つかるものはないか?
あのひよののことである。突拍子もないところに隠すだろう、たとえばいつも見ているのに気がつかないような―――。
歩は立ち上がった。
月臣学園には、その条件にぴったりの場所があった。
広大な敷地をもつ月臣学園だけに、警察のロープもすべてをかこうというわけにはいかない。警察がかためて一般の生徒の出入りを禁止しているのは七箇所ある通用門の付近だけで、学園の生徒ならそこを通らずに学校内に入る方法ぐらい知っているのだった。
監視カメラの分布図、ひよのに以前調べてもらった地図を思い出しながら、それに引っかからないよう進む。幸いにして、警察が集中しているところ―――新聞部部室からは遠く離れている場所にそれはあった。
そして、唖然とした。
「や」
笑って手を振っているのは紛れもなく、一時期同居していた、突然姿を消した、予想もしていなかった―――。
「火澄……?」
「そや、俺や。ここにきたつーことは、歩も気づいたんやな」
「……ああ、そうか。ニュースで流れたんだっけな」
「そやそや。あのおさげさん亡くのうてしもうたんやなあ……。出先でニュース見てびっくりしてな。そこから先は、お前の推理とおんなじや。おさげさんならひょっとして、てな」
歩は息を吐き出した。
「―――それで誤魔化せるとでも思ってるのか?」
「え?」
「誤魔化すならもっと頭使え。いくらなんでもあんまりにも出来すぎだ。お前が、今、ここに、この場所にいる。その不自然さがそんな言い訳で通ると思うか?」
「……ああ、お前がそう言うのもわかるよ、このタイミングで現れた俺、をお前が疑ってるんもな」
歩は気にせずずかずかと「それ」に近寄る。
学園の賓客専用の豪華なエントランス、大理石のカウンターに置かれた水槽である。
用件を満たすのは、全体に水が詰まった水槽。ほとんどの水槽は上部にすこし、空気の層がある。それがなく、全面水で満たされたガラスの器はここだけだった。
「……ないよ、そこには」
「お前が持ち去ったのか?」
キツイ一言に火澄は苦笑してみせた。
「ちゃうよ。―――先口がいたみたいやな。持ち去られた後、や」
「やっぱりひよのはここに隠していたのか?」
水で満たされたガラスの器の向こうは、透明なのに、見えない。
家にガラスのコップがある人は試してみるといい。
コップに水を満たした状態で、ガラスと水と奥のガラスを透過して、その向こうにあるものが見えるか否か。……見えないのだ。
「ああ。持ち去られた後やけど……裏の壁になにか貼り付けてあったみたいな痕跡があるん。ガムテープのねばねばが残ってる。たぶん、お下げさんのやろ」
水槽の裏に、物を置く。
正面からは、水槽のガラスが光を反射して見えなくする。
横からは壁と水槽で見えない。
そして上からは、小さな紙くずでも丸めておいておけば小さな隙間だ、充分だったろう。
持ち去られたあと―――。
それも予想はしていたが思わず息を吐いた歩に、火澄が言う。
「なあ歩。俺な、以前から気になってたことあんねん」
「……なにが?」
「あのお下げさん、お前は無関係無関係ゆうてたよな。でもな、俺の聞いた話じゃとてもじゃないけどそうは見えへんねん」
「―――……」
歩は押し黙る。
「お前に情報を提供して、お前が巻き込まれたブレードチルドレンの殺人事件解決の助力をして? ブレードチルドレンのあの子……理緒の作った爆弾の人柱に進んでなってお前が逃げられんようにして? 理緒に負けたお前と理緒の再戦の段取りつけて、最後にはカノンを殺して楽な道に走ろうとしたお前を強引に引き戻した……」
「あいつは、その、おせっかい、だから……」
その言葉が嘘でしかないことを誰より本人が知っていた。
「―――なあ歩、聞くで? お下げさんってほんまに無関係なん?」
ひよのは常に、「逃げようとする歩を引き戻す」方向で動いている。
魔方陣の爆弾のときもそう。爆破の棒をひよのが握ったら、歩が逃げられるはずもない。
理緒とのときも、そうだ。歩を叱咤し、道を切り開き、再戦の道をつけ……。
とどめがカノンのときだ。逃げを理屈で正当化しようとしていた歩を力ずくで止めたのは、ひよのだった。
「歩はさっき、あんまりにも出来すぎてるから、俺が怪しいゆうたな。……おんなじこと、お下げさんにも当てはまるで。このむしろこう考えた方が筋が通るんちゃう? おさげさんは最初っから、無関係でもなんでもなかった。お前を成長させるよう、お前が逃げる方向にすすまんよう、清隆が配置した駒やったんやって」
「水を張ったガラスの器の向こうは見えない」はとある推理小説にでてきたトリックです。杉浦が考えたなら大したものですが。すんません題名紹介したいんですが、き、記憶が……。
2004 10/16 up
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