| 逃げぬよう捕らえてしまおうかこの鳥を |
ことり。 テーブルの上に置かれた、小さな機械。 「―――これをあなたの胸に埋めます」 よく澄んだ水晶の声で、彼女は言った。 カノンは、機械を見下ろし、数秒して顔を上げて、彼女を見つめた。 ◇ その機械が爆弾である事。ひよのが死んだら爆発する事。ひよのが死ななくとも、ひよのがスイッチを押せば爆発する事。取り外そうとしても爆発する事。最後に、発信機になっている事。 それらを一通り説明すると、彼女は伏せ気味の眼をまっすぐあげて、カノンを正面から見た。 「あなたに依頼したいことはふたつ。ひとつは、これを埋めさせてくれますか? もうひとつは……仲間に、これと同じものを埋める手伝いをしてくださいますか?」 カノンは黙って、テーブルの上の小さな機械を見つめた。……本当に小さい。体の中に埋めるのだから当然といえば当然だが、こんな大きさで充分な性能が見込めるのだろうか? 「断っても、いいです。いやだといっても、いいです」 「いいよ―――構わない」 カノンはかぶりを振り、そう言った。 ブレードチルドレン。血の呪い。 カノンヒルベルトは、あと一年足らずで20歳の誕生日を迎える。血の呪いは目覚め、カノンという人格を喰らい尽くすのだ。外見はまるで変わっていないようで、そう振舞う事にも長けた悪魔が誕生する。 自分という人格がなくなるのはもちろん恐ろしい。だが最もカノンが恐れるのは、そのとき自分の身近にいる、自分が悪魔になったら殺すと約束した少女がどうなるかだ。今のカノンは、ひよのを傷つけるぐらいなら喜んで死を選ぶ。でも、悪魔になったカノンは、ひよのを手にかけることに寸分の迷いもあるまい。 あっさりと頷いたカノンに、まるで彼女こそが被害者のようだった。 酷くつらそうに顔をゆがめる。 「……私、ひどいこと言ってますよ? どうして責めないんです?」 ―――おまえをしんじていない、と。 お前は悪魔になるかもしれないから今のうちに手綱をつけておく、と。 ひよのの言葉はそう言うことだ。でも、どうしてカノンにそれを責められる? カノンは自嘲を込めて笑う。 「……誰より僕を信じられないのは、僕だ。なのにどうして君を責められる?」 それに―――カノンが拒絶した場合、ひよのはカノンを側に置き続けることはできないだろう。 カノンとしても、別れを受け入れるしかない。誰より自分を信じられないのが、この自分なのだから。だとしたら―――答えは決まっていた。 ひよのは唇を噛み締め、顔を背けて俯いた。 「……ごめんなさい」 そんな顔は、ひよのには相応しくない。 カノンはテーブルを迂回すると、ひよのを抱きしめた。 「傷つかないで。君の判断は、正しいんだから」 正しさで言うなら、ひよのの行動は圧倒的に正しい。 ブレードチルドレンの血の呪いは迷信かもしれない。何も起こらないかもしれない。平穏無事に暮らしていけるかもしれない。―――でも。 もしそれが本当だったら? ひよのは殺され、ブレードチルドレンの手に何人もの人間が命を落とすだろう。露骨な敵対ではない、ひそやかに、裏にまわって、人は殺され続ける。 なにも殺そうというんじゃない。ただ相手がひよのを殺せない保険をつくるだけだ。楽観に染められた無思慮を人権と勘違いした振る舞いよりはるかに、最悪の場合を見据え、前もって手を打っておく対応は、正しい。 「手伝うよ。仲間と敵対してもかまわない。君の行動は、正しい」 「憎む権利が、あなたにはあるんです……! 怒る権利があるんです! 爆弾なんて埋められて不愉快でしょう!? 人の意思を無視してリモコンみたいにスイッチひとつで殺せる機械を無理矢理埋める手伝いをしろなんていわれて、腹が立つでしょう!?」 「ぜんぜん」 ひよのを抱きしめたまま、カノンは晴れやかに笑う。 その顔は見えなくとも、その声の調子は伝わったのだろう。しがみついてくるひよのの体温が、布地を通じて伝わってくる。 爆弾。こんな大きさでは爆発力はたかが知れているが、心臓近くの動脈に設置するので問題はない。ひよののことだ、手抜かりはないだろう。即死に違いない。 カノンはひよのの小さな顔を両手でくるんですくいあげ、かがみこむように目を合わせる。 「悪魔になったら、この爆弾で僕を殺すの?」 合わさりあう、瞳と瞳。ひよのはこういうとき、嘘は言わない。心の苦痛に顔をゆがめながら、頷いた。 「……ええ」 「そう。ありがとう。本当に心から礼をいうよ」 ―――それは、混じりけなしのカノンの本心だったのだけど。 ぱしん。 ひよのはカノンの手を振り払った。 「……どうして、責めないんです……!? 私はあなたやブレードチルドレンの人たちの命を、テレビゲームみたいにボタン一つで消えるものにしようとしてるのに! 他の人ならともかく、あなたには……あなたたちには私を責める権利があるのに!」 ひよのは、たぶん、他人から責められても毅然として反論できるだろう。非人道的で、人権無視で、横暴で傲慢な措置であることは違いないが、彼女にとってそれは最善の選択なのだから。 でも、きっと、彼女はブレードチルドレンに責められたら、一言の反論もせずにすべてを受け入れる。 殺す者の覚悟と、義務。 殺される者からの怨嗟の声は、殺す者が享受しなければならない、義務だ。 ましてカノンは、ずっと、彼女の側で彼女の味方だった。そんな彼に、彼女は同じ措置を受けろといい、仲間を捕縛するのに手を貸せといい、……それに何の抗議もしない。 カノンは見惚れるほど優しく苦笑すると、ひよのを見下ろした。 「どうして責めなきゃいけない? キミが、僕を殺してくれる。僕が悪魔になったら僕を殺してくれる。君は約束を絶対に守る。そう思うことで、僕はこのやくたいもない現実に対抗できる剣を手に入れられる。―――血の呪いを背負って生きつづける苦しみを、君という存在が救ってくれる」 血の呪い。 見境なく人を殺す悪魔になるかもしれない自分を思うと、闇雲に自殺したくなる。その衝動を、その闇を、ひよのが救ってくれる。 「むしろ、僕は君に謝らなければならない。人を殺したくない君に、人を殺す約束を押し付けてしまった」 ひよのは、「約束」に関しては非常に義理堅い。相手からならともかく自分から反故には絶対しないし、どんな不利益があっても遂行する。……その少女に自分を殺す約束を押し付け、そんな少女の性格がわかった今も、カノンは取り下げられない。 自分が悪魔になったら、ひよのが殺す。 その約束のおかげで、カノンはすんでのところで現実から脱落せずに済んでいる。カノンにとっても、命綱のような約束だったからだ。 「……仲間を、裏切る事になっても……?」 「僕はもうとうに一度裏切ってる。すべてのブレードチルドレンを狩ると決めた時に。いまさらなんだ? それに、僕だって馬鹿じゃない。血の目覚めを控えて、組織が動かないと思うほうがおかしい。……僕らを殺させないために、君は僕らを強固な鎖でしっかり縛ってみせる必要があるんだ。ちがうかな?」 猛獣を処分しに来た役人に、檻の中の猛獣を見せ、ほーらこんな檻に入っているから大丈夫ですよと見せる。ひよのがやろうとしているのは、そういうことだ。 「―――でも、いざとなれば私は起爆スイッチを押すことを躊躇いませんよ」 冴えた声に、カノンは頷く。 「それでいいんだよ。僕は、そうしてほしい」 問答無用で襲ってきたハンターに比べれば、ひよのは非常に良心的だ。爆弾を埋め、その時点で殺してしまえばいいのに、悪魔になったら、という猶予を設けてる。……その判別がどれほど至難なのか、わからない彼女でもないというのに。 ブレードチルドレンが悪魔になったらころす。 カノンが悪魔になったらころす。 「嫌なこと、押しつけてごめん」 カノンが謝ると、どんと柔らかい体がぶつかってきた。 「ひよのさん……?」 ひよのは答えず、カノンの背に回した腕に力が篭もる。 豊かな胸を押し付けるように、そんな風にされると、男の身には少しつらい。 紛らわすため、恋焦がれる女の背に流れる髪を梳く。一房すくいあげて、口づけた。 「約束の三年まで、あと、もう少しだね」 ひよのは、約束を絶対に守る。ブレードチルドレンが悪魔になったら殺すという約束も、カノンが悪魔になったらひよの自身の手で殺すという約束も。……三年待てば、カノンのものになってくれるという約束も。 唇をくすぐる、柔らかな髪の感触。花の匂い。 「僕は二年、待った。これからも待つ。待てると思う。……だから逃げないで」 ひよのは顔を上げる。恐れおののきながらも、正面から見据える瞳。 「逃げません……私、逃げませんから」 怯えを抱きつつも毅然としたその顔に恋の衝動が吹き出して、カノンは後頭部に手を回しひよのの口を吸った。 愛しい。時々、息をするのも苦しくなるほど魅せられている。 彼女のためなら何でもできた。仲間を裏切る事も、何だって―――。 カノンの幸せは、結崎ひよのという。 彼女がカノンの元から去らないよう、天地万有の神に祈りを捧げたかった。 続編の君にできるあらゆることにいく。 |
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