白青緑7
大人の肩あたりしかない身長。
とても小柄な大人ではありえない、頭と頭身のバランス。
幼い声変わり前の、細い声。
それらを最も生かす方法を、知っている。
「こんばんわ、ファル・ティアージェ」
相手の驚きが顔を走り抜ける前、先手をうって、少年は笑いかけた。
いるはずのないところに、いるはずのないモノがある。
これで動揺しない人間はいない。
しかし相手もさるもの、一瞬で動揺をおさめ、少なくとも表面は平静に問い返した。
「なぜ、こんな所に、子供がいる?」
少年は身軽に、腰掛けていた机から飛び降りる。そして顔全面でにっこりとわらった。
「こんばんわ、ファル・ティアージェ」
ファル・ティアージェ。
それは直訳すれば、「人の高貴なる御方」という意味になる。
呼び掛けられた青年は、いつもの無表情をいささかも崩さず、黙ってその不審な子供を見ていた。
しかしその子供はその表情や不穏な空気が感じ取れないわけでもなかろうに、笑っている。
子供だから、鈍感だということはない。子供は子供だからこそ、敏感だ。
とくに子供に優しい人か、そうでないかを見極めることは天性の嗅覚といっていい。
その威圧感は大人でも尻尾をまくだろうに、少年は悠然と微笑みを浮かべたままだった。
「―――君は一体、何者だ? なぜここにいる? どうして忍び込むことができた?
それを答えてくれなければ、私は到底なごやかなお話合い、などできる気分ではないのだが?」
「それは、失礼。ではまずどうやって忍び込んだか、は……セグメンティアに入れていただきました」
「セグメンティアに?」
それは彼のお気にいりの侍女の名だった。
最も古きから彼に仕え、彼が最も信頼をおいている者である。
彼女が彼に無断で人を入れるなど、有り得ないことだった。
「そらごとを言うでないわ。どこからやってきた? この賢しい狐が」
少年は彼をじっと見つめ、唇を曲げた。
「なるほど。あなたにとって、彼女は、何があっても信じられる人なのですね? そして、彼女があなたに無断で人を入れるような利敵行為をするなど有り得ないと、あなたは考えている」
「子供! 私はそなたの戯言に付き合いをよくする理由も、不愉快に耐えるべき理由も持ってはおらぬ。そして、ここは私の私室。顧みるにそなたは私の許可をとってここに立っているのではない。ここで斬り捨てるも私の自由であるということを知っているのであれば、迅く去れ!」
ここは彼の私室だった。
短気な皇族であれば、少年がいるのを目にした瞬間、抹殺の命令を下していただろう。
彼は冷酷ではあるが、残虐ではない。殺人をためらいはしないが、あくまで理知的にその命令を下し、感情にまかせて行うことはなかった。
だからこそ、少年は今も自由の身で、よく動く舌を動かすことができるのである。
しかし言ったあと、青年はふと、いぶかしげな顔になった。
記憶をさぐろうと試みる表情。
「そなた、……まさか」
「おや? すごいな、気づいた……」
「キール・スティン……?」
「はい、そうです」
少年はあどけなく笑った。
「シンがそういえば、皇族は全員シミナーの顔と名前覚えているって言ってましたっけ。そうだとしても、思い出せないと踏んでいたんですけどね。その記憶と結びつけるものは何一つなかったはずなのに」
にっこり笑って続けた。
「おさすがです」
―――何よりも、その、上から芸をする動物を見下ろし誉めるような言いざまが気にさわった。
しかし処断する訳にはいかない。相手は子供で、しかもシミナーなのだ。
「それで? シミナー殿は、一体いかなる用件で参ったのか?」
「用件は単純ですよ。―――お願いがあります」
「おねがい……?」
「はい」
お得意の、太陽のような笑顔を振り撒いて、キールは言った。
「シミナーの待遇改善を」
「……緑の座にそれは言われることだ」
「あの御方にそれを言ったところで、聞き入れてくださるはずがないじゃないですか」
それはそうだろう。
しかし、だからといって何故、彼のところに来るのか?
「瘴気浄化能力者はこの世におれを含めて四人しかいないのに、何故シミナーが百人もいるのか、もちろん皇族である貴方はご存じですよね?」
「…………世の安定のためには、仕方あるまい」
「生涯幽閉の運命の瘴気浄化能力者に、その言葉を言ってみてください。きっと大層おもしろいことになりますから。俺は、ですね。さしたる事は求めていないんです。ただ、俺が生まれた年から、毎年国家予算にはある資金が積み立てられている……。それは、割合的には、とてもわずかです。十分の一厘ほどでしょう。でも、毎年毎年積み立てられるその金額は、決して馬鹿にできるものではない」
「……それが?」
「どうか、その、特別会計予算を、破棄してください」
「シミナーに与えられている特権は、義務という名の紙の裏だ。特権を持つものは義務をも追わねばならない。そなたのいう事は、どこから見ても道理が通らない。他の者のところへ嘆願に行くがいい」
そういう青年に、少年は言葉を重ねた。
「公平ですね。少なくとも、その逆よりは、はるかに。
おれは、特権はいりません。ただの一人の子供でいい。与えられてきた育成年金も生涯年金も返還しましょう。そのかわり、義務の鎖からも解放してほしいのです」
「……そなたの両親は草の民だったな。なるほど、金には執着のない民だ。そなたがシミナーの資格を失ったとしても、さしたる咎めもしないだろう。だが、全てのシミナーがそうだとでも?」
皇族が覚えるのはシミナーの顔と名だけではない。
家族構成と履歴までも、それに含む。
「いいえ。中には、それこそシミナーに下される年金だけを頼りに暮らす、寄生虫のような家族もいるでしょうね。一生遊んで暮らせるほどの金を何もせずに下されて、それに慣れてしまった者の、当然の末路です。おれとしては、自分の家族がそのような人々でなかったのを、神に感謝したいところですね。ですがおれは別に、全てのシミナーの特権を廃せよ、と言っている訳ではないんです。 ただ、シミナーを返上する権利を認めてほしいと、言っているだけなのです」
青年は目をほそめた。
その経歴から、彼はキール・スティンとは自己犠牲精神の豊富な、英雄志向の子供であると思っていた。
史上初めて、無料治療をはじめたまだ子供、となればそう見るのが普通だろう。
しかし実際に対面して得た感触は、ひどく硬く明確な、揺らぎのない知性だった。
「残念だが、私にはその権限はない。法を改正する権限は、一重に緑様に帰するものだ」
「ですから、あなたに依頼しているのですが。次代の緑の座は、あなたでしょう?」
確かに、彼の勢力は皇族の中でも一二を争う。
それにそう言われ、気分をよくしたのも確かだ。
……だが、それだけで操れると思ってもらっては困る。
「では前提条件として一つ尋ねるが、そなたに協力して、私に一体何の利益があるのだ?」
まだ幼い体の子供は子供らしい崩れた笑顔を浮かべた。
「…シンの居場所を、教えてさしあげましょう」
「シン……?」
誰のことだ、と束の間思い、はっとした。
さきほど少年がその名を口にしたときに、気づいてしかるべきだったのだ。
まるで似ていない仲のいい二人の兄弟。並び立って、笑い声が絶えないでいるところをよく目にした。
そして、その時に、年長の方が、年若い、皇宮で最も目を引く弟にそう呼び掛けていた。
「……青の座の、愛称……」
キール・スティンの年と、青の座の年はそういえば同じほどだ。
しかし、まさか。
皇族と出会う機会など、あるはずもない。
「はい、そうです。それと、面と向かっても呼んでいますよ。青の座がここ二日、行方不明だったでしょう?」
青年はすっと表情を消し、無表情で少年を見下ろした。
改めて、この子供を注意が要る人物だと、認めた。
それを恐れる様子もなく、受けとめて、少年は歌うように言った。
「あなたが私に協力を約束してくださるのでしたら、青の座が一人で、無防備に訪ねる場所をお教えいたしましょう。もちろん、ご存じですよね? 青の座がときどき、姿を消すのは」
「……皇宮に秘密部屋でも持っているのではないかと思っていたが、皇宮外にでていたのか」
「はい。そうです。……どうしますか?」
赤の座と呼ばれる青年は、深く、沈思した。
罠の可能性が高い、けれど、心動かされるだけの価値ある提案だった。