白 青 緑 2
なるほど、人格と能力との間には、何ら相関関係はないものだ―――シンはキールを見るたびにそう思わずにはいられない。
キールには志もなく、天下に名をとどろかせようという覇気もない。あるのはただ、決定的に欠如した決断力と、突発的な暴風雨のように吹き荒れ、唐突にやむ行動力のみである。
キールの思考回路は複雑怪奇を極めているが、行動形式自体は非常に読みやすい。
他人にはあたりさわりなく。
家族にはやさしく。
危害を加えてくる相手には瞬間的な短時間で、壊滅的な損傷を与えるのだ。
そのきっかけとなるのは「家族」。
良くも悪くもキールの弱点は家族であり、逆に言えば、家族を握ればキールの支配はいともたやすく思える。そう、瞬間的にならば、たやすいのだ。
ただ、瞬間的にはともかく、永続的にとなると、非常に難しい、諸刃の刃となる。
キールは、馬鹿ではない。仕事のかわりに、家族との面会を迫るだろう。
そして同時に、家族がどこで捕らえられているか、全力で探し出し、見つけ、救出した後には一転して報復へと移る。
キールの戦は常に壊滅戦だ。生き残りを許さず、一人残らず殺しつくし、自らの敵を地上から消滅させる。
人を捕らえ、幽閉するのはたやすい。
しかし、長期間人をとらえ、幽閉しておくのはまったくもって、たやすいことではないのだ。そして報復するキールの面前に立つのは、シンですら恐怖を感じずにおれない。
人質を殺し、それを伏せて仕事をさせるのもまた、キール相手では難しい。どれほど巧妙に身代わりをたてても、シミナーであるキールは見破るだろう。
そう、難しいのだ。キールを脅迫するというのは、己の死と直結する非常に危険な綱渡りだと言わざるをえない。
現在キールがシンに対して殺傷行為に出ない最大の理由を、シンは正確に把握していた。
殺す理由がないから、である。
脅迫は、そのキールに自分を殺す理由を与えてしまう、非常に危険な賭けだった。
そしてシンは、そのことを知る程度にはキールのことを知っており、そして更に脅迫を長期間、自分が老衰死するまで持続させられると思うほどには、自分を過大評価してはいなかった。
敵にしたときのキールの容赦のなさは彼が一番良く知っており、それは、間違っても敵にまわしたくない最たるものだったのである。
熟慮の末、シンはキールに相対する交渉手段から、「脅迫」の一選択を抜いた。
それは、賢明な態度であったとすぐに知れる事となった。
同様の手段をとろうとした、とある人間は、その、とろうとしたという一事をもって、この世から永遠に心を離れさせ、深淵にて精神の休息につくこととなったからである。
残るは正攻法だということで、シンはキールに微笑みかけた。
形よく張り出した額に落ちていた銀の前髪が、顔を上げたことで二つに分かれ、滑り落ちていく。厳しい眼差しがゆるみ、形いい唇がほころぶ。花も色あせ、恥じらい枯れるだろう。朱金の微笑とたとえられる微笑だった。
レイオスの朱とは太陽の光の意であり、金とは黄金に値する、という意味とともに艶やかな、光を放つような、という意味が含まれている。人ならば誰しも魂を抜け出してまで見入ってしまうような、美しい微笑だった。
「僕は今、苦境の中にいる。だから、ぜひともお前の力が欲しい」
レイオスには、色に順列が定められている。
銀髪、銀目、白い肌の彼らは対照的に鮮やかな色あいを好んだ。よって、白は最下位に置かれる色である。これはどこのどの地域でも、変わりない。
白との間の色は諸説あるが、これまた最上位は決まっている。緑である。
皇族の順列においても、それは同じだった。
白から、位階はのび、緑が最上位となる。
そして、皇族において青は緑の次。第二位の位であり、そこにはつい先日まで白を身にまとっていた若造が座っているともなれば、他の皇族の反発は必至であった。
「いやだ、って言ってるだろうが。いいか、俺にはお前に手を貸さなきゃいけないどんな理由も存在しない」
「だからお前の欲しいものはなんだって聞いてる! お前の欲しいものは何でもやるから力を貸せ!」
そこで冷静にキールの訂正が入った。
「俺の欲しいもので、お前に何とかできるものは何でも、だろ」
「……そうだ」
もう一度だけ、たずねる。
「……おまえの、欲しいものは?」
何度目かの問いをすると、キールの目の焦点が改めてシンをとらえた。普通の人間ならばここで一度視点が跳ねる。
シンの姿に動揺し、その動揺を制御するために視線を一瞬そらし、また見据えるのだ。
それは、ナギでもイールでも兄ですらおなじ。短時間ではあるが、跳ねる。しかしキールだけはそんなことはない。平静に、まっすぐにこちらをとらえていた。
シンはそのキールの反応を見るたび、ある疑惑に取り付かれずにはおれない。
思えば初めて会った頃から、こうだった。
他者の動揺につけこむ教育をうけ、それがゆえに他者の動揺を観察する術を学んできたのだから、幼少の時であっても見落としは考えづらい。
別のシミナーで実験をしたとき、そのシミナーは普通の人間と同様の反応を向けた。
だから、キールがこうまで平然としているのは、キールが自分の顔に「慣れていた」からではないか?
そして自分と同じほどの容姿の持ち主を、シンは一人しか知らない。
キールは何かを言いかけ、そして口ごもってやめ、やがて吐息を吐いた。
「お前も、いいかげん、根性あるな……」
「お前にも一因はあるぞ」
シンの根性はキールに鍛えられた部分も大きい。キールの人の肺腑を抉りだしてつぶして地中深くに沈めて樹のこやしにするような皮肉に比べれば、宮中の悪口雑言など無害な小虫に等しい。取り合うこともなく、好きなだけ周りを飛び交わせておく余裕がある。
キールはやれやれと、肩をすくめ、それでも尚も一拍、ためらってから口を開いた。
「……こういう言葉、あるよな。その者を知りたければ欲するところを知れ。その人間が何を欲しているかを知ることは、その人間自身を知ることに等しい。これを逆にすると、自らの欲するものを教えることは、自分の内面を曝すことに等しい。
俺は、お前が思っているような無欲な人間じゃないよ。俺が望んでいるもの、捜し求めているものは、いっぱいある。ただそれが、人が一般的に欲しがるようなものではないというだけで。
お前は、確かに人の欲しがるものを与えることができるよ。財や、名誉や、地位やお前や。でも、俺は、そのどれも欲しくはないんだ」
目と目をあわせ、キールはきっぱり言い切った。
「お前には、俺が望むものを与えることはできない。そしてそうである以上、俺がその質問に答えなければならない理由も、また、ない。俺は、お前に自分の内面をさらけ出せるほど、お前を信頼していないんだ。イシス」
イシス―――?
「……なぜ、その名を呼ぶ?」
シンは怒ってはいなかった。ただ、疑問に思っただけだった。
「シン、と呼べばいい。お前にはその許しを与えてある」
「許可を与えていない相手に呼ばれるのは虫唾が走るけどって?」
「そうだな。本名ですら気分が悪くなるのに、愛称まで呼ばれようものなら、あまりの馴れ馴れしさに、虫唾が走る」
キールは黙って肩をすくめた。シンもやはり皇族で、時折ちらりと傲慢さがのぞく。キールにしてみればたかが名前なのだが、シンにとってはそうではないのだ。
「ということで、だめ。お前には俺が欲しいものは提供できないから、教えたくない」
「……わかった」
シンとしてはこう答えるしかない。
強さ―――。
シンはそれが、喉から手が出るほど欲しかった。
だからキールが欲しかった。キールの力が欲しかったのだ。そして、強くなりたかった。
「そんなに雲行きが怪しいのか?」
突然話し掛けられ、物思いを打ち破られて、シンは顔を上げる。
自嘲の微笑が顔をおおった。
「…ああ」
シンは一拍あけ、いう。
「暇だしな」
複雑な心境である。
殺人的な忙しさと暇とでは、殺人的な忙しさを皇族は選ぶ。
それは自身の力の証拠であり、同時に暇は、自身の力のなさの証明である。
「青様が何言ってる?」
「あいにく、階梯の上昇に伴い力が自動的に付随すればいいんだが、違う。正直なところ、明日をも知れない命でね」
皇族は殺し合いを稼業とする一族である。
そのためその一族が将来のことを語るとき、決まった定型句がつく一事が、この一族の凄惨な運命を無言のうちにかたっている。
その歳までいきていれば。
この文句が、常に、つくのだ。
おおよそ、皇族の未来は常に不透明である。
二十人以上いる兄弟のなかで、無事に成人する方が少数派で、天寿をまっとうできる者は、三人いればよし。
シンは生れ落ちたその時から、その運命を担ってきた。
「青でも何でも、とにかく殺しちまった方の勝ち、か」
「そういうこと」
キールをシンは正面から見た。
「お前は、強いんだな?」
キールは笑っただけだった。
「俺? その辺の五歳児より弱いよ」
「らちのあかない問答をしている気分じゃない」
「事実だっつーに。だいたいお前の言う強さってなに? 正々堂々名乗りをあげて戦うときの強さ? 生き延びる強さ? 不意打ちで敵を倒す強さ? おれ、弱いよ。五歳児にもあっさり殺されるもの。お前とちがって、俺は毒の対策なんて何ひとつ、とってないから」
「とればいい」
「無茶言うな。毒見役の人間どうするわけ? ナギやイールにさせるぐらいなら、俺がまっさきに毒食べて死んだ方が、ずっとまし。おすそ分けを持ってくるとき、毒でも入れてあれば、五歳児でも簡単に俺を殺せるよ。だから、俺、弱いよ。少なくとも、生き延びる能力という点では」
「……緑の座とお前と、どちらが強い?」
「結局言いたいことはそれか。……さぁね。戦ったことがないからわからない。だいたい、実際の戦いでやあやあこれから戦おうか、なんてなること滅多にないだろ。俺は不意打ち専門」
そういえば、キールが術を行使するときに使うのは、呪文ではなく紋印だった。指で印を描き、術の構成を省略し、使う。足音や呼吸音を消すことも草の民だけあって上手だ。
キールは自らの戦闘方針を選び、それに沿うように自らを磨いていた。―――それに気づき、シンは改めてキールを評価した。
「不意打ちでもなんでもいい。負けるのか?」
「……不意打ちした方の勝ちかな。おまえさぁ。要するに俺を雇ってお前の親父暗殺したいわけ?」
「そうだな」
「やっとの思いで白から青になったんだろ。緑になるまで、なぜ待てない?」
「……父を殺す前に、僕が死ぬ可能性の方がずっと高い」
「殺しておかないと、死ぬに死ねないって?」
自分でも、言葉になるほど固まっていなかった心境が、キールの言葉につられるように、次々と明確になる。
「……本当に、明日死んでもおかしくないんだ、僕は。強くなりたい。強さが欲しい。お前みたいに、強くなりたい。兄や姉の影に殺されるかもしれない日々を送るのは、嫌だ」
でも、何かを訴えるには、力が必要だ。
でも、自分には、その力など、無い。
心あるものなら、静かに悲嘆にくれる美しい子供には、同情してはいけないと心を戒めていても、少しは心動かさずにはいられないだろう。
せめて優しい言葉の一つなりとかけてやりたいと思うものなのだろうが、キールはまるで、森にある樹でも見るような態度で拒絶した。
「悪いけど、俺はお前には協力しない。他人に利用されるのは、まっぴらなんだ」
力を持ちながら無為に日々を暮らすキールを、どれほどシンはうらやみ、憎んだことだろう。
けれども、キールを束縛する権利も、力も、シンは持っていないのだ。
赤く染まった自分の手に視線を落とし、シンは顔をあげる。
枝葉で作られた天幕から一条の赤光が投げ落とされて、木々の白い樹皮を、雑草を、菌糸類(きのこ)を、そしてキールの全身を茜色に染めていた。
「……僕には現在力がない。影の数が、圧倒的に足りない。影の総数は全部で100.。緑の座がそのうち70を所有し、僕が10.。ほかの兄姉4人が全部で20ぐらいか」
キールが皮肉に唇を吊り上げた。
「かげ、ね」
皇族の私兵。多くの場合、界のすきまに存在している、心を持たない肉人形。
この影の数で、皇族間の勢力は決まるといっても過言ではないほど重要な存在だが、道具は道具だった。
そしてキールはこれをはっきりと嫌っていた。
「言いたいことがありそうだな」
「あるよー山ほど。でもま、とりあえずは前言修正。お前の持っているものの中で、俺にとって価値あるものがあった」
「……なんだ?」慎重に、シンはたずねた。
この人間とも思えない心が金属で出来ているような人間は、決して利益の無い妥協などしない。ある意味とても取引しやすい人間だが、この場面では用心が必要なのは、たしかだった。
「お前の持っている情報。正直なところ、精霊側も把握していないんだ。緑の座に与えられる能力がどういうもので、何種類あるのか」
「……何種類……」
「一つだけじゃ、絶対に無いね。最低でも三種類はあるはずだ。そしてそのうちの最も重要な一つについて、お前は知っているはずだ。……ちがうか?」
「……取引を自分から反古にするのは気が進まないんだが、とんだ勘違いだ。僕は知らない」
「じゃ、訂正。うすうす予測は立てているよな?」
シンは横を向いた。
切り返す。
「キール。まず、お前がそう推理した論拠は?」
「お前が盛大に気分を害するだろうから、言わない」
シンは鼻で笑った。
「そりゃ、確かに盛大に気分を害するだろうな」
なぜ、キールがそう推理したか、シンは気づいていた。確かに、自分は盛大に気分を害するだろう。
「僕も、お前と同じで不意打ちがもっぱら専門でね。特に得意なのは、もちろんこの顔を生かしての不意打ち、要するに寝所で相手の急所を一撃して殺すことだ。……なぜ、それを父にしないのか? 死にかけている現況では、それで果たした後殺されるから、という理由はもう使えない。残るのはより、実際的な理由、殺したくても殺せないからという理由があるだけだ」
キールがぱちぱちと手を叩いた。
「ご名答。おまえのそういう、いついかなるときも健在な状況判断力と推理力と洞察力、俺は買ってるんだぜ。更に一つ付け加えようか。数年単位で続いてきたのならば、お前の側も推理と洞察、そして対抗手段の模索を繰り返してきたはずだ。……ちがうか? そして、手足の自由を奪われたぐらいじゃ、お前を無力化したとはとても言えない。お前はその気になれば、含み針でも何でも使える奴で、物騒なことこの上ない。薬で体の自由を奪うにしても、その、皇族として生まれ育った体は、日々慣らしつづけた分、薬への抵抗力が相当高い。俺だったらお前には薬は使わないね。手篭めにしようと睡眠薬入れたつもりで効いてませんでした、なんてなったら、確実に死ぬもの。
お前はそれが出来る人間だし? となると残るは、術なんだけど」
「……皇宮内では、ほとんどの術の使用が制限される」
「その通り。そうすると、出た結論は」
「緑の座の、能力」
「そう。それが俺の出した結論ですけど、異論はありますか?」
「……ない。頭のいいやつだな、お前は。まったく……。で、取引はその能力がどういうものかを引き換えに?」
「そう。力を貸してやってもいいけど?」
キールは笑う。
シンのような誰をも魅入らせる美しさはないが、力強く快活な笑顔だった。
「どうする?」