白、青、緑 1

 

 

 血の、匂いがする。
 シンはその発生源をたどって首をめぐらせ、森の木々の間を進むキールを見つけた。

「こんにちわ」

 キールは悠然と振り返る。背に死体を担いだままだというのに、その表情にはあせりはなく、シンは内心落胆した。

 シンがキールに皮肉と揶揄のこもったいつもの言葉を投げつける。
「何やってるんだ? そんなものをかついで」
「病院につれていくんだよ」
「なんだ、生きてるのか」
 いささか拍子抜けした。

「当たり前だ。死体をわざわざ担いで歩くような目立つまねするか。その場で顔の判別が親でもつかないぐらいに壊して捨てる」

 二人がいるのは慣れ親しんだ森の奥部である。二人が慣れ親しんでいるということは、イールやナギもまた慣れているという事だ。
 死体を担いでいるようなところをナギやイールに発見されれば、それはまずいことになるだろう。

 昇りはじめた射光が木々の紗幕の内部にほんの少しだけ差し込んでいる。そろそろ正午も近いところだが、森の温度は一日を通じてほぼ一定を保つ。それは、広がった枝と葉が太陽の光と熱のほとんどを貪欲に吸収し、自らの栄養と変えているためだ。樹冠という。

 永年の落ち葉や枯れ枝の堆積によって地面は土の層がまったく見えないほどに栄養分の大きい腐葉土が覆い、踏む足に柔らかな感触と、重みによって水分が染み出る独特の感触を味わう。
 しかしそのぶん、靴が汚れやすく、また慣れていない者には歩きにくい。
 慣れた者にしか判らぬことだが、まったく人の手の入っていない原生林にも道はあった。獣道である。
 シンはナギ一家に教わった道を歩いていたわけで、そこにキールがいて、こうしてばったり会うのも、まんざら偶然とばかりは言えない。
 
「まったくもって同感だが、そうも当然のように答えるという事は、やった事があるんだな」

 キールは薄く笑って何も答えない。
 誘導尋問は不発に終わったことを悟る。言質となるような危険な言動は、いつ足を引かれるかわからない。それを理解している者の慎重さだった。

「その子は一体どうしたんだ?」
「罠にかかっていたところを見つけた」
 こういう言葉遊びはシンも得意分野だ。
「なるほど。人攫いの罠にかかって誘拐組織に連れ去られていたとこを見つけたわけか? 獣の罠にしては、足は綺麗だな」

「……」
 キールは嘘はあまり言わない。
 ただ事実ではあるが、誤解されやすい言い方を好んで使用し、聞いた人間が誤解にはまってもがいていても訂正しないだけである。

 シンは呆れて言った。
「お前、いつか、刺されるぞ」
 普通に平和に生きている知人同士が道端でばったり再会したならともかく、キールと誘拐組織がばったり出会ったなら、結論はひとつしかない。

 そしてここに、同じく誘拐組織に捕らわれていた人間をかついでいるのなら尚更、結論は瞭然だった。
 キールはいつもの微笑を浮かべた顔で、シンを見上げた。
「それで? なぜにお前も、ここにいるんだ?」
「言わぬがよろしいでしょう、それは。視察、観察、散歩、どれがいい?」
 視察はこの森におけるなんらかの計画が上がっている、ということ。それも皇族であるシン自らが出向くのならば、かなりの規模の。
 観察はキールを観察していたということ。
 散歩は気まぐれ。

「4番目の証拠隠滅って線は?」
 シンが眉をあげた。不快感を示す仕草ではない。
 興味と、意外さを示す表情だった。

「へぇ。何の証拠だ?」
「この森でお前が先日、『何か』をした。ところがどじって証拠品を残したことに気づいて今日、ここにきたっていう線は?」
「ありそうにないなぁ。そもそも皇族である僕はお前と同じく免罪特権を担っている。二つ目、何事も瑕瑾(かきん)のないものはないが、僅瑕があるという前提を持って物事をなしていれば、それも少なくなるものだ。僕は、物事をやる際には事後の処理を何よりも一番に考えるたちでね」
 証拠など残さない。

 キールはこのやりとりの間も、すたすたと足を進めている。
 それを追いつつ、さすがに不思議に思って聞いた。
「どこへ行くんだ?」

「精霊の領域」
「なんで行くんだ」
「そこでないと癒せないから」

「身体上の傷か?」
「精神上の傷だよ」
 シンは大きく頷いた。
 キールは精神治療者である。
「お前が人助けをしているところを見るとは、あまりの珍しさに感無量だ。明日は絶対雨が降るな」

「うるさい。勘違いしているみたいだから言っておくけどな。俺は敵でもない限り自分のせいで傷ついた相手は癒すぞ。死にかけている相手も癒す。大体なんでついてくるんだ」
「いくつかの答えがあるが、何から聞きたい?」
「どーせ俺が嫌がっているからと好奇心だろうが。ただし、忘れるなよ。これから俺は精霊の領域に行くんだ。お前なんざ、入った途端に追い出されるぞ」

 シンはその脅しをせせらわらった。
「精霊が機械なら四角四面にそうするだろうさ。ところがあちらは知能も状況判断力もきちんとある。お前が背中に背負っている相手をお前の連れと判断して攻撃しないように、お前と一緒に入れば僕もお前の連れと判断されて攻撃されないだろうよ」

 正解である。

 キールは一瞬黙り、これ以上この話題を続けるのは不利だと悟ったのか、話を変えた。
「……それで? お前がここに来た正解は?」
「一番目だ。視察だな」
 キールはちらりとシンを見た。
「草の民の長老と精霊がそれを認めたのか?」

「精霊は問題なし。そもそもこれは精霊が口出しできるものじゃない。この森は人間側の持ち物だからな。なるほどね。調停者であるお前も知らないって事は、緑様は精霊には徹底徹尾不干渉でいてもらうつもりだな。長老は、頷いた」

 これは駆け引きである。
 キールがシンから情報を巻き取っているように、キールもシンに情報を巻き取られていた。

 キールは表情を変えずに罵る。
「あのくそじじい……」
 キールが罵ったのは、果たして緑の座か、草の民の長老か。
 気にも留めずにシンは話を進めた。

「父は精霊側には一語たりとも情報を流さないようにして事後承諾にしようとしていたようだが、私がいま、お前に流したな。さあ、これからお前はどうする?」

 キールが阻止の方向で動くようならそれはそれで面白い。
 逆に、静観を決め込むようなら、無事に計画が進む。
 どっちに転んでも、悪い目は出ない。
「……契約の条文には、不干渉の精神が貫かれている。俺に出来ることは一つもない。精霊側からねじこんでも、できることはさしてない。ここは人間側の土地だ」

「話をそらすなよ。僕は、キール・スティン、お前がどう思うかを聞いているんだ」
「俺は、別にどうなったって構わないけど、ナギが悲しむな」

「おまえなぁ……一事が万事、それか!?」
 ぼやいたとき、キールがシンの手をつかんだ。
 驚いて手元に目を向けた瞬間、入っていた。




 精霊の領域の特徴とは、なんだろう。
 シンは周りを見回し、ふと考えた。
 木も土も風も、なんら変わっていないように見える。地面を踏みしめる手ごたえもだ。

 なのに、入った瞬間がわかった。
 肌にまとわりつく違和感のようなものが、ここに入るな、と警告する。

「よっ……と」
 キールは背に担いでいた人間を下ろし、キールはシンをしっしと手で払った。
「どっか行け。それとも殺されて放り出されたいか?」
 シンも長い付き合いだ。冗談で言っているときと、本気の殺意が込められているときとの区別ぐらいつく。
 今回は後者だと冷静に判断し、左の足を後ろに引いて、右手を左肩に当て、文句のつけようもないほど優雅に一礼してのけた。

「殺されたくないから退散いたします。ご機嫌うるわしゅう、調停者さま」



 出てきたキールは 精霊の領域の外側で待っていたシンを見て、驚いた顔になった。
「何でお前がここにいる、か? お前の言いたい事は?」 

先手を打つと、キールは頷いた。
「まあ、そういうこと」
「一つ目。なぜそこまで赤の他人をかばうのか、その理由を聞いていない。二つ目。赤の他人の顔を見忘れた。背中に背負われていたからな。三つ目、提案が一つ」

「一つ目の問いは、俺のせいで巻き添えをくったから。目の前で見せしめに拷問された。傷は治したけど、痛みで錯乱した心を繋ぎあわせ、組み立てなおす作業には隔離された安全な空間が必要。それには現時点ではここがいい。いつも使っている治療用の空間には入れたくない。そして転移は痕跡が残る。だから森まで飛んで、後は歩いて精霊の領域に入った。赤の他人の顔は見せる気がないから隠していた。よって見せる気はない。三つ目の提案って?」

「何で治療用の空間に入れたくないんだ?」
 キールは頭を振って、その問いに答える意思のないことを示し、しかしふとその動きを止めた。
 話し始めたのは、どういう心境の変化からか。
「……現在既に人がいる。複数回の治療を必要とする相手で、あと二三日で終わるけど、シミナーに誰が罹っているか、それは守秘義務の範囲内だ。だから他人を連れてはいけないし、お前にも今俺が誰を治療していたか、教える気はない」
 当たりさわりのない範囲内で答えておく、というつもりらしい。

 シンはさめた笑いを浮かべ、右の靴のつま先で、地面を一回叩いた。
「ふぅん……。守秘義務、ね。僕はてっきり、ようやくお前にも恋の花が芽生えたのかと、喜んでやったのに」

 そのからかいに、キールは不意に真顔になった。
「……お前、自分の中で『理想の恋人像』って、作ったことあるか?」
 シンは自分の心中を探ってみた。

「ないな」
 かぶりを振って答えると、キールは笑んで、憐れみ見下す眼差しを向けた。
「だろうな。人は、誰だろうと将来の自分の理想の恋人像を作り上げる。それは夢と希望と想像で彩られたこの世のどこにも存在しない代物だけれども、儚く美しい光だ。
 と・こ・ろ・が」

 キールはその一言を一音ずつ区切ると、呪いと毒を仕込んで焼き上げたような笑顔を向けた。
「お前にはそれはできない。なぜならお前は、歪み、壊れているからだ。シミナーの俺から診た診断結果、教えてやろうか。8年の歳月をかけて観察した結果だから、いつになく自信があるね。誤診の可能性はほとんどない。
 お前は誰かに恋することはできない。なぜならその恋愛というものによって、お前は幾度となく傷つけられ、その度に嫌悪感と傷口を深くしていったからだ。もっとも、悪いことばかりじゃない。お前が他人の恋心を何の良心のとがめもなく、操り、利用することができるのも、他人の熱心な求愛に僅かでも心を動かされることがないのも、そのためなんだから」

「へぇ……なるほど。シミナーっていうのも伊達じゃないな。さて、さっき言った提案に入ろうか」
 シンは感心した頷きをしたのみで、動揺するそぶりもなくさっさと話を自分の望む本筋に戻した。
 キールはため息を吐く。

「お前もいい加減しつこいな」
「根性がある、と言って欲しいね。そうだ、そういうお前は、心の中に自分の理想の恋人を作っているのか?」
 キールの視線がふっと揺らいだ。

「……作ってるよ」
「…………愚問だったな。許せ。お前の欲しいものは?」
 キールは目をすぼめて、シンを見ていたが、ふっと太陽のほうを見た。
 キールとシンが会ったときは、昇りかけていた。
 けれど今は、沈んでいる。あと少しで、夕焼けが真っ赤に森を染め上げるだろう。
「……もう陽がおちるってのに、お前も、いい加減、しつっこいな。皇族ってのはそんなに暇なのか?」

「実をいうと、今は、そう。この間教師の一人が誤って暗殺されてな。その教師の受け持っていた時間が空いたことと、現在は仕事もないんだ。あっちもこっちも暗殺されるわ引き抜かれるわ、逃げられるわで、もうぼろぼろ」

「青の座についたばっかりじゃな」
「その通り。この一年生き延びられるかどうかが、鍵だな。おかげで僕はなんにもやることがない。よって、有能な人材の募集にもたっぷり時間をかけられるわけだ。ここは暗殺の心配もないしな」

「あのな……」
「お前の、人様の弱点を的確に見抜ける能力と、それを論理的に解説できる頭がぜひほしい」

 自己覚知は、皇族の習性とすらいえる。
 自己覚知とは、自分で自分を検査し、知ること。自分自身を見極めることである。繰り返されたその習性によって、シンはとうの昔に自分の中の病巣に気づいていた。

 シンの出した結論と、キールが先ほど言った言葉との間には、小動物が掘り返してできたほどの溝もない。キールがいかに見事に人の弱点を察知し、つつくかの証拠のようなものだった。

「ついでに俺の頭の中の情報も、だろ」
「もちろん、否定はしない。人間が調停者になるのはそれぐらい珍しいし、記録を調べたかぎり、どの時代の調停者も、緑の座には非協力的なんだ。ほとんど調書はない。強制的に協力を要請するにしても、相手が相手だから、どの時代の緑の座も踏み切れなかったんだろう」

 強制的に協力を要請。
 言葉は使いようである。要するに拷問、脅迫のことだ。
「俺もその一人なんですが、鼻持ちならない皇族の若君?」

「だから、欲しいものは何なのかと聞いている。お前に好きな人間がいることは以前聞いた。その相手との間に何か障害があるのなら取りのぞいてやってもいい。お前にはできなくても、皇族である僕にはできることは、あるはずだ。……それに、これは僕の本心からの願いでもある。
 もうちょっと恋にうつつを抜かすとか、そういうことをしてみないか? ずっと人生が楽しくなると思う。お前は存在感が希薄だ。目隠しをして、谷沿いの道を歩いているような危うい感じがつきまとう。それは、お前が、生きたいと思っていないからだ。ある日突然石にけっつまづいて転んで頭打って死にそうな気がする」

 冗談めかしているが、本気で心配している声音に、キールは寂寥感を感じた。

 遥か昔に失われた恋について、事情など言うつもりもないが(一生だ)、シンにそんなことを言われると、くるものがある。
 キールは小首をかしげて、シンを見た。
「それで?」

「……お前の好きな相手は、どういう人間だった? 好みの人間をみつくろってやろうか?」
「冗談じゃないな。あれと似た人間がいたら、いじめていじめていじめ抜いて殺すね」
 キールはふん、と鼻を鳴らして答え、手を伸ばして小枝を折った。

 シンはその仕草を視界の端で捕らえ、先ほどのままの口調で言う。
「好きな相手の模造品は許せない、と?」
「……ちがう。目障りで仕方がない上に、嫌なことばかり思い出すからだ」
「嫌なこと? お前にもそんな人並みの感情があったのか」

「……何の力もなくて、みじめに切り捨てられるしかなかった頃を、思いだすから」
 予想もしなかった答えに、シンは目を見開いた。
 キールが今シンに晒した傷口は、シンが幼い頃から現在に至るまで、常に胸に抱いている渇望と、あまりにも酷似していた。

 

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