生贄募集 4
護衛対象の二人が、寝床を作るのも待てない勢いで馬から下りたとたん崩れるように寝入ったのを確認して、マイとシュレイルは準備をする。
先人の残した焚き火の跡を見つけ、そこに拾った枝を積み上げて火をつけた。
食事を支度したあとで、シュレイルは地図を広げた。
意外にも、地図というのは需要のある商品である。
もっとも「実用品」ではない。
町に閉じ込められ、移動することがかなわない人は、地図を見ることで想像力という名の翼を広げるのだ。「世界」がこの町だけではないことを、それを眺めることによってのみ知る。
その地図の大本は百年は昔のものだが、それを忠実に複写して売られている。
その地図の情報が正しいのか間違っているのかは町にいる誰にもわからない。ただ二人のように「実用品」として使用するごくわずかな人間だけが、それを知ることができる。
地図を眺めていた相棒がつぶやいた。
「理想的な、分断と各個撃破だな……」
地図(といっても、百年は前のものなのだが)を見ていての台詞である。
何を言っているのか、すぐに察しはついた。
「同感だね。そうして戦力つぶされて百年もこうして飼われていたら、そりゃあやる気もなくすさ」
生まれたときから魔物の腕の中にいたら、それが当然として成長し、飼いならされてしまうに決まってる。
「芸術的とすらいえるぞ、よくこれだけできたな」
「ん。程度の差はあれ、いままで踏破したなかで、魔物の影響下にない集落ひとつもないしね」
ふたりは、おそらくこの世界でも上位百人のうちにはいるぐらい多くの距離を踏破してきたが、どの町も魔物を恐れていた。
かつて、王城と呼ばれていた場所へも行ったことがある。
予想通りというべきか、予想外というべきか。
「そこにはなにもなかった」。
空っぽの町すらもない。単なる草ぼうぼうの野原で、シュレイルが地面を詳しく観察してかつて大昔にここに集落があった痕跡を見つけなければ、地図のまちがいで別の場所かと思うところだ。
そして、建物がどこへ行ったかは、……二人はある推論を打ち立てた。
「人間を健康的に飼う為」には街道の補修が必要になる。街道を補修するには資材が必要になる。その資材というのはつまりそういう場所から持ってきたのではないか?ということだ。
魔物の側に立てば当然の話だ。人間だって豚や牛が怪我しないよう病気を引かないよう、厩舎に穴があいたら直すだろう。
それだけの話だが、養殖されている側の人間から見ると、気が滅入る話だった。
こんなことを言っている、そして自由に往来できている(ように見える)シュレイルやマイとて、魔物からは自由ではない。
「俺は思うんだが―――」
「ん?」
「魔物が人間の言葉を話せないし理解できないのは、人間が食事だからじゃないか?」
「どういう意味?」
「豚の鳴き声が人間の耳に意味ある言葉として聞こえないからこそ、人間は豚を食えるんじゃないか?」
マイは頷いて肯定する。
「たしかに。命乞いの言葉なんて並べ立てられたら、普通は食べれないだろうね。僕は食べれるけど」
「そう考えると、魔物の存在ってやつは、ものすごく意図的に思える」
「あーあーよくわかるよ」
マイは何度も頷く。
指を折って数えていく。
「人間しか食べられないってあたりがまずものすごく変。百年前だっけ、突然わんさか現れたあたりも変。生殖その他の生活行動が一切不明なのも変。変変変、とにかくとことん変」
「生存に直結しているからな、食事の問題は。人間しか食べられない、って属性付けされた時点で、人間と争うのは必然だ。食物連鎖の頂点? 食物連鎖は基本的に、自分より下位のものなら全部を食べられるのが普通だぞ。肉食動物が植物も時々は食べるように。しかも、あつらえたようにそろいもそろって醜いときてる。なんであんな姿なんだ? まるで、人間と戦わせるために生まれたみたいな―――」
シュレイルはそこでぱったりと口を閉ざした。
マイに謝る。
「悪かった」
「いいよ。僕もしょっちゅうやってるし」
「俺たちがそんなこと考えてもしょうがないのにな。関係のない問題なのに」
―――考えるな。俺たちはこの世界の人間じゃない。この世界のことはこの世界の人間がやるべきだろう。俺たちは、無関係の人間だ。
よく、マイがシュレイルに言われる言葉。
魔物とは、この世界は、いったいなんなのだ?
その疑問を感じるたび、言われる言葉だ。
立場が逆転したわけだが、マイは笑って受け流した。
魔物に支配されている現状を、変えようという人間は無数にいる。
けれども、それが実を結ばないのは、魔物が賢いせいだ。
誰かが抵抗組織を作ったとする。その誰かが賢く、秘密にしていたとする。一人のうちはいい。二人ならいい。五人もいいだろう。でも、十人、二十人の規模になったら、必ず秘密を漏洩する人間が現れる。
原因は、秘密にすることの困難さと秘密にする必要性を構成員が感じられないためだ。
相手は魔物である。人類共通の敵。それと戦う人間が、人間から支持されないはずがないだろうという認識がある。
しかし、マイたちは知っている。
秘密でなくしてしまったら、駄目なのだ。
普通の魔物は、人間の言葉をしゃべれないし理解できない。
でも、―――そうでない魔物もいる。
マイもシュレイルも、それを骨の髄まで良く知っている。
人間の顔をしているように見えて、人間の言葉をしゃべれる魔物も、いるのだ。
魔物に抵抗しようと思ったら、一つの町ではとても足りない。
二つ三つの町が協力し合って立ち上がらなければならない。
となると、うわさは広まる。
魔物の耳にも入る。必ずだ。
そして入った時点で、おしまいである。
町ごと滅ぼすのか。
それとも連絡員を待ち伏せして喰うのか。
どちらにせよ、終わりだ。
戦って勝とうなんていうのは下の下。
彼らに出会ったら、二人は即刻逃げる。戦っても勝ち目はない。もし勝ったところでいいことはなにもない。すでにぶっとい棘を刺されている。
君たちと俺らとどっちが強いか、考えな。君たちがこれ以上目障りな行動をとったら、食うよ?
マイは「触らぬ神にたたりなし」って至上の名言だと思うのだ。
生きるうえで重要なことは、自分の身の程を知ることだ。
マイは、自分が不死身のスーパーマンなどでないことを知っている。
彼らに敵わないことも知っている。
戦ったら、あっという間に殺されて食われて終わりだ。
身の程を知るマイは、自分が恐怖を感じていることを率直に認める。
怯えていることも認める。
そしてそれが、ちっとも無様なことではないと思っている。
自分がとるにたらない食料の一つであること。
世の中、自分より明らかに強い、敵わない相手がいるということ。
それを認識し、実感してこそ長生きできるというものだ。
連絡員にならないかと勧誘されたこともあったが断ったのは、それが原因だ。
臆病者と言わばいえ。だが、臆病でない人間は長生きできない。
他人のために、絶対勝てない相手にかかっていくのは単なる馬鹿だ。マイは命が惜しい。自分が生き残るためなら、あるいは相棒のためならそういう勇気も出せるが、他人のためにそんなオッズの悪い賭けにかける命の持ち合わせはない。
そしてそれを恥じる気持ちなど、寸分も無い。
「マイ、明日は町につくけどどうする?」
「僕が二人見てるから、シュレイル行って来てよ」
「了解。じゃあ頼むな」
頼むな。
そんな些細な一言でさえ、嬉しくなる。
ほんと恋心というのは厄介だと思いながら、マイは見張りの番にたった。
§ § §
翌日。
町に着いたが、シュレイルから二人に外出禁止の命令が下った。
「町に着いたんでしょう? どうして僕らは入れてもらえないんですか?」
護衛対象の二人から、当然の言葉が上がった。
「僕らの長年の経験から、護衛対象が町に入ったら厄介ごとを起こす確率が高いとわかっている。そしてトラブルに巻き込まれたら最後、護衛である僕らがそのツケを払わなきゃいけない。だから、入ることは認められない。わかった?」
にこっと笑ってみせる。
「騒ぎなんて……」
「君たちが起こさなくても、向こうが起こす。君たちはよそ者だ。しかも腰に剣も持っていないし、君のおねーさんは女性だ。よそ者の女性は、それだけで強姦の被害にあっても文句は言えない存在だ―――そういう風に考える馬鹿者は、どの町にも必ずいるんだよ?」
自分でもそんな差別意識に心当たりがあったのだろう青年は口ごもり、姉をみやって、そして頷いた。
どの町でも、よそ者への風当たりは厳しい。よそ者だから信用できない、よそ者だから金を払ってもらえる保障がない、だから物を売りたくない―――そんな風に差別されることは、どの町でもあるだろう。問題化しないのは、「よそ者」自体が滅多にいないせいだ。
こういうとき、自分自身も率先してよそ者を差別する側に回っていた人間ほど、物分りがいい。
逆に、自分自身がそんな感情を持たないリベラルな善人ほど、納得に時間がかかるのだ。
「僕らが他の町にいっても普通に振舞えるのはね、愛想のよさと姿のよさと腰に剣をさしているためと、それが飾り物ではない実力があるから。君たちみたいな一般人は、たちまち喰いものにされるから、やめときなさい。だから、この場で待ってて。相棒が買い物して戻ってくるまで、ほんの少しだと思うから」
「魔物がきたらどうするの?」
細い声がたずねた。
「僕が守るよ?」
当たり前というふうに答えたマイに、姉は疑問の眼差しで見たが、先ほどの「飾り物でない実力」という言葉を思い出してか、何も言わなかった。
そして三人はシュレイルの帰りを待つことになったが、沈黙の中で沈んでいるのは気詰まりで、雑談という流れになる。
「マイは、どうして旅人なんてやっているんですか?」
マイは少し考えた。正答は、「相棒がそうしたいというから」だが、それは気が引ける。
いつもどおりの答えを、いつもどおりの隙のない笑顔でいうことにした。
「暴力が好きだから」
嘘ではない、念のため。
「……ぼうりょく?」
「うん。むかつくやつをばっさり切り殺すのとか、魔物と戦うのとかはもうぞくぞくするね。ああ生きてて良かったーって感じかな?」
こういうと、一般人は顔がひきつる。
青年の顔もひきつったが、根性でこらえた。
そこへ、マイはほがらかにいう。
「僕は善良な人間だからね。普通の一般人相手には、良心がいたむからやんないの。でも悪党相手だったり、魔物相手なら別に殺そうが何しようが文句なんかどこからも来ないし、殺したい放題」
にこにこ笑顔でこんなことをいわれれば、普通はびびる。恐れてくれた方が御しやすい。
護衛対象は大人しい方が仕事がやりやすいのは万国共通の常識だ。
マイは話を変える。
「グローブってどういうひと? どうやって知り合ったの?」
「あ……と、よく知らないんですけど、行商人として町に来たころから、良くしてくれます。姉さんに薬をくれたり、看病を手伝ってくれたり……。僕が子どもの頃からなので、もうかれこれ二十年ぐらいかな?」
「に、」
マイはびっくりした。
二十年。
伊達や酔狂ではじまった絆でも、それだけいれば本物だ。
「あーうー、それは。グローブさんにとって君たちはまるで子どもみたいな存在なんだろうねえ」
それからのマイはもっぱら聞き手にまわった。
町での生活をいろいろと聞き、相槌をうつ。
マイは雑談にまぎれて最後に釘をさした。
「僕らはね、向こうがルールを守るかぎり、絶対にルールを守るの。でも、向こうがルールを破ったなら僕らもルールなんて知ったこっちゃない。そうだろ? 殺されようが、身ぐるみはがされようが、最初に裏切った方が悪い自業自得ってもんだよ。ねえ?」
「え、ええ……」
「ちなみに、僕らを裏切った人間で生きてる人間いないから」
太陽が黄昏色に染まる頃、シュレイルが戻ってきた。
手には馬の手綱をもち、馬の背には荷物が載っている。
普段どおりに振舞っていたシュレイルの様子が変だということにマイだけは気づいたが、シュレイルが自分から話さないということは、話したくないのだろうと判断して何も聞かなかった。
それが判明したのは、もう一つ町を経由して、明日は目的地につくという夜のことだ。
野営番をしていたマイはため息をついて、天幕から出てきた女性に剣を突きつけた。
「とったもの、今すぐ出すのとここで殺されるのとどっちがいい?」
「なっ……何を根拠に」
マイは鋭い声をあげた。
「シュレイル! 出てきて」
女性の後ろから出てきた相棒に、マイは苦い顔をむける。
「どうして財布をするの見逃したのさ?」
たとえ熟睡してようが、荷物をすられたら気づく。盗難対策および何かあったらすぐに逃げ出せるように、それを枕にしているのだから。おまけにこの世界の通貨は貨幣が主流だ。どんなに気をつけていても、音がする。それだけの気配を振りまいていて、シュレイルが気づかないなんてことは考えられない。
騒ぎに気づいて、シュレイルの後ろから青年もでてくる。
シュレイルの返答は簡潔だった。
「グローブが死んだ」
姉弟の顔から表情が消えた。
マイですら、一瞬驚きに顔を染めた。
「……なぜ?」
「殺された。生贄にされたようだ。マイ、何日か前に俺たちの隣を猛スピードで通り過ぎた馬を憶えているか?」
「ああ、あれが―――?」
「グローブの使用人、いや弟子だ。町にあった馬を盗んで逃げ出したんだ。グローブが命がけで逃がしたらしい。俺の顔をみて、掴みかかりそうな目をしてたよ」
マイは目を細めた。
冷淡に言う。
「―――馬鹿が。あの町はもうおしまいだな」
行商人は、ネットワークを持つ。
次の行商人が来なければ、町は物資のやりとりができない。だが、行商人を殺して生贄にしてしまった町に寄るような行商人はいない。
自給自足ができているから閉ざされたっていいだろう、という浅慮な人間もいるだろう。
だが、マイの見たところ、あの町には鉱山はなかった。
鉱物を産出できない以上、剣も、鍋も、鍬も、鋤も、ありとあらゆる金属製品が自力で製造できない。
また、塩田もなかった。
珍しい話ではない。
行商人を介した物資のやり取りによって、それらをまかなっていたのだろう。
塩は貯蓄があるだろうが、それを使い果たしたら最後だ。
死ぬ気で外へでて、奇跡的に他の町まで行けたとしても―――よそ者に冷たいものだ。
取引は足元を見られ、ひどく不利なことになるだろうし、その塩をかかえてまた元の町まで戻れる確率はどれぐらいあることか。
ともあれ、シュレイルが財布をすった女を見逃そうとした理由はわかった。
人の良いシュレイルは、ほだされたのだろう。
命を投げ出して、かばったグローブの行為に。
「お、お願いします! あなたがたに渡したお金、あれは全財産なんです。あれがないと、私たちは他の街へいっても食べるものを買うお金すらなくて…!」
本当に言葉どおりに「差し出せるすべて」を差し出してしまったので、明日のパンを買う金もない。だから一旦支払った金を戻してほしい。
良くある人間心理だが、頼むのではなく、いきなり盗みに走った辺り、人間の程度がしれる。
マイは冷たい目で、泣く女を見据えた。
「娼婦になれば?」
反発したのは弟だった。
「姉さんを侮辱するのか!」
殴りかかる相手を体を後ろに引いてかわし、膝をがらあきの腹にぶちこむ。
効果は絶大で、青年は腹をかかえて倒れこんだ。
体はそれなりに農作業で鍛えられていても、戦闘技術がマイとはちがいすぎる。
地面の上で腹部をおさえて苦しみもがく青年に話しかける。……地獄の苦しみのさなかに聞こえているかはわからないが。
「あのさあ、どこが侮辱? 食うに困って身を売るのはふつーのことだろ? そんな女いくらでもいるよ。目の前にも一人いるよ」
姉の表情が固まる。マイはにやりとしていう。
「僕、元娼婦だけど?」
姉がシュレイルを見たが、彼は何もいわなかった。
マイは言いさとした。
「食うのに困っていたころ、男の袖をひいてはお金を貰って食べ物を買って食いつないでいました。そういう人間に向かって、言うわけ? 食べるものがないからと娼婦になれというのは侮辱だと。へーほー。甘ったれんな、この若造!」
言い終わっても、青年は数分、もだえ苦しんでいて立てなかった。
マイはじっと待つ。
青年がやっと立ち上がれるようになると、彼はマイの顔を見て、頭を下げた。
「……すみ、ません、でした」
「シュレイル、財布その女から返してもらって」
マイはシュレイルから財布をかりて、銀貨を三十枚ほど取り出す。
「はい、馬代」
「―――え?」
手渡された青年はぽかんとしている。
「馬代。グローブがいないってことは、馬を返すさきもないだろ?」
「え、あ、あの」
「相棒の意向とこっちの要求の妥協点はこれぐらいなんだけど」
「……はい。ありがとうございます」
「ってことで、シュレイルもいい?」
相棒は頷いた。
◆ ◆ ◆
護衛対象の二人を送り届けたあと、マイはこぼした。
「シュレイルは人が良すぎるよ。もう」
「マイこそな」
「まったくもー、馬が手に入ったのはいいけどさ。手入れが面倒なんですけど」
水に飼い葉にマッサージ。
生き物を飼うにはそれなりの手間が必要です。飼い主の責任を認識したうえで、購入しましょう。
マイは馬の首を撫でる。
動物の、暖かく脈うつ体に触れていると、心が落ち着くから不思議だ。
マイは囁いた。
「きみ、非常食だからね」
馬一頭かっさばけば、一月ぶんの食料になる。
いざとなったら捌く気まんまんの主人に、馬は怯えたようにいなないた。
「恐怖」。
生き物が生きるうえで、一番重要なことだと思うのです。
マイもシュレイルも、恐怖を知る人間です。恐怖を知っているからこそ、彼らの行動は「恐怖」を呼び起こさない範囲に限定されます。
ま、無敵の人間なんていないって事ですね。
2007/08/13 up