人間と魔物と人間と


 燃え上がるような瞳が、睨んでいた。
 殺意さえ感じさせる怒りの塊。
 そんな瞳でマイを睨みつけ、青年は、言った。
「ありがとう、ございました」

     ◆ 

「なんで人間は死体が怖いんだろーね?」
 夜の見張りの時間に、そんなことを聞いてみたのは単なる場もたせの雑談以上のものではなかった。
 マイは死体が平気だ。
 鼻歌交じりに内臓引きずり出して腸で蝶々結びを作れるぐらい平気だ。
 でも、世間の人は死体を見ただけで悲鳴を上げる。

 シュレイルはマイが手の中でもてあそんでいるものに目をやって一瞬咎める目になったが何も言わなかった。
 薪を取り上げ、火に一本継ぎ足してから、答える。
「自分もいずれはそうなるということを考えたくないんだろう」
「そうだねえ〜。僕はもう慣れちゃったけど」
「マイだって最初は青ざめて震えていただろう」
 昔を知る人間だからこそいえる一言に、マイはくつくつと笑う。
「ま、ね。シュレイルの殺した死体をみて真っ青になって震えてシュレイルにしがみついて邪魔だって邪険に振り払われたっけ。それが今やまあ……」
 手の中で転がしていたのは、皮袋に入った丸いものだった。
「人間の死体は病原菌の巣だぞ。死にたてならあまり危険はないが……、できるだけ触らない方がいい」
「うん、わかった」
 素直に聞いて、マイは手の中で転がしていた皮袋を手元から離す。

 合戦場の後など、死後時間が経過した多数の死体を片付けるとき、人手の半分は病となって死に絶えるという。それを思えば、死体を食べてくれる魔物はありがたいといえなくもない。
 魔物と人間の戦いが始まって、もう百年に近い時間がたつ。
 魔物が生き、人間が生きている。この共存の現状は、魔物がコントロールしているからだ。
 人間をすべて貪り食ってしまえば、魔物は滅びるしかない。今の現状は、「魔物にとっては」共存共栄なのだ。
 シュレイルがいみじくも語ったように、「豚や牛とおなじだな」ということになる。
 人間は食うために、豚や牛を育てる。
 魔物は食うために、人間を放置する。
 人間は放っておいても自分で自分をケアして勝手に増えていく。
 人間は魔物と戦っていても、魔物の方は人間と戦っているという意識は薄いのではないだろうか。
 村や、町で、人間が増えるのをまち、増えたら攫って食べるのだ。
 家畜の養殖とよく似ている。
 そして、魔物がそんな手間を掛けるのにもわけがある。
 魔物は、人間しか食えないのだ。

 牛も、豚も、猿も兎も駄目。
 魔物はあくまで人間しか食べられない。付け加えるのならあと魔物と。
 だから魔物は決して人間を絶滅させない。そんなことをしたら、飢え死にするしかないからだ。
 一方人間は、魔物の最後の一個体が死ぬまで、魔物と争うだろう。食という本能に直結した、誰にもどうしようもない問題だからだ。

 幸い、魔物という存在は実に戦いやすい外見をしている。見た目はほとんどの場合人間から見て醜悪であり、愛らしい姿をしていることはまず、ない(ときどきあるけど。マイたちはその希少種と戦って殺されかけたけど)。人間を襲う目的は「食糧」なので、戦闘の正当性を考える必要もない。
 相手が食べるために襲ってくるのなら、食べられないために戦うまでである。
 この上なくシンプルな理由で、魔物と人間の戦いは続いていた。

 本日は先にシュレイルが睡眠をとり、マイは見張り番をすることになった。
 魔物が横行するこの世界では、野宿には見張りが必須だ。
 マイは荷物の中から作りかけの縄を取り出す。
 夜の長い時間を、旅人は内職をしてすごす。こうして縄を作っておけば、実用としても使えるし、町で小遣いぐらいにはなる。
 あぐらをかき、足の下に縄を入れ、体を左右に振って体重を掛けながら縄をゆう。
 この作業は、この世界に来て最初にシュレイルに徹底的に叩き込まれたこと。
 来たばかりの頃は何もできなかった。
 今のマイは、動物をさばいて食肉とそれ以外をわける行為もできるし、縄も作れる。縄作りのほかいくつかの内職用技能も習得している。鍵あけも得意だし、人殺しも魔物退治も得意である。
 そして、そのすべては一人の人間から教わったものだ。

 材料の繊維(大抵は拾った植物)が尽きたので縄を作り終え、マイは荷物にしまう。
 マイとシュレイルは、この世界では珍しい「旅人」という職種にある。
 希少価値では行商人よりやや劣るが、それでも十分希少種だ。
 この世界では魔物の発生以来、「旅人」という言葉の意味が飛躍的な変化を遂げた。
 「旅人」という言葉の一義は元のまま「世界を旅する人」だが、第二義に「腕の立つ人間」、第三義には「用心棒、護衛、厄介ごと引受人」という意味がある。
 つまり行商人の護衛をして町と町を移動する人間も「旅人」であり、厄介ごとを解決するため町の外へ出る人間も「旅人」であるのだ。

 第一義の意味での「旅人」である二人は非常に珍しいといえた。
 そして、「旅人」である彼女たちに厄介ごとの解決を依頼する人間も、数多い。
 町と町との交流が魔物のせいで断絶状態にあるこの世界では、異邦人はそれだけで珍しく、たとえ人ごみの中食堂で食べていてもすぐにそれとわかる。
 路銀稼ぎのため、マイたちはそれを受けることが多い。
 マイが先ほど手に持っていたものも、そういう依頼から発生したものだった。

 しかし―――。
 時々、後味の悪い仕事というのはあるものだが、これもまたその一つだった。

     ◆ ◆ ◆

「こちらが依頼された品です」
 皮袋を、シュレイルが、物柔らかな声で差し出す。
 依頼人の顔は悲痛に歪んでいる。
 四十代ぐらいの、中年の堅太りの男性である。豊満なのは富裕のステータスであり、地位と財産の目に見えやすい形の顕示である。引き締まった顔立ちは経験と落ち着きを感じさせる。
 この町の長をつとめている人物は、そんな人に信頼感をもたせる容姿だった。
「……このようなことを依頼して、申し訳ありません」

 人一人殺すだけにしては通常よりかなり多目の報酬を支払ってもらい、その代わりに生首の処分を頼まれる。
 ろくすっぽ顔の検分もしなかったのは、生首など見るのも触るのも嫌だという「一般人」特有の思考回路だろう。もとより首を持ってきてくれと頼まれたわけでもなし。
 町長の屋敷を出ると、予想通りの人物が声をかけてきた。
「まって!」
 マイは小走りに駆け寄ってきた少女の腕を引き、人通りの少ない路地に連れ込む。
 シュレイルがさりげなくその長身で人々からの視線の盾になってくれる。何も声掛けしなくても通じる呼吸だ。
 十五、六歳の、折れるように細い体の少女である。髪と瞳はもちろん黒。
 少女は一瞬、路地に連れ込まれ男二人に囲まれている今の状況に怯えた表情を見せたがすぐに口を開いた。
「兄さんは……!」
「依頼どおりに始末シマシタ」

 この少女の家族はいない。親類縁者みな、魔物によって貪り食われた。
 珍しい話ではない。町で、魔物の襲撃があって、それで人が攫われ髪一筋も戻らないのはよくある話だ。髪一筋残らず、全部魔物の胃袋の中に入ったのだ。
 そして、物資の流通、情報の流通ともにズタズタになったこの世界においては、町や村で血が濃くなることが懸念されている。兄妹、親子などの近い近親婚は宗教的観念から忌避されているが、それ以外、あまり近くない近親婚が繰り返されることで血が濃くなることは現在進行形で続いていた。
 そのため、この世界では町と町同士で、人間をやり取りすることがある。
 これを「血まぜ」という。
 今のご時世、一旦違う町へ行けば最後、生まれ故郷に二度と戻れず、家族と手紙のやりとりもできないことになる。そんなことになりたいと思う人間はそういないので、大抵は、家族がみんな死んでしまった人間に白羽の矢が立てられる。
 この少女のように。

 もちろん、悪いことばかりではない。
 家族がいないということは後ろ盾もないということだ。
 しかし頷けば、町長その人が後ろ盾になり、嫁入りに必要な道具一式を持たせてもらい、嫁がせてもらえる。嫁ぎ先の町でも、町長が何くれとなく面倒を見てくれるのだ。
 もちつもたれつ。悪い風習ではない。
 ただ―――、この少女のように、慕う相手がもうすでにいるという場合は話が別だった。

 先日、マイたちに極秘裏に頼まれたのは、この少女と駆け落ちの約束をしていた男の始末。
 普通なら、この町で想う相手がいる少女を「血まぜ」に出すことなどない。
 しかし、何事にも例外はあった。
 まず、すでに「血まぜ」の日取りなどが決まっていてゆるがせないことが一つ。
 もう一つは、向こうの婿が、この少女をいたく気に入っている、ということが一つ。
 さらに、向こうの婿の一家が、相手方の町長の一家だということが一つ。
 とどめに、婿の一家にいろいろと借りがあり、その借りを盾に迫られているということが一つ。
 これらの事情から、彼女にどうしても向こうへ行ってもらわなくてはならなくなった。

 こちらの町長はそれらの言いにくい事情すべてをマイたちに説明した。普通ならば隠そうとすることを。
 その、自己正当化の態度の見えない態度に理屈ぬきで感心したことと、シュレイルが板ばさみになって苦労している町長に同情したことなどがあり、仕事を請け負うことにしたのだった。

 少女は震える手でスカートを握り締める。
「そんな……じゃあ兄さんは」
「生きてるよ」
 え、という表情で固まる。

 町長からの依頼を受けた夜、宿屋に彼女が忍んできて訴えた。
 彼女が「兄さん」と慕う相手は、小さな頃から兄のように優しくしてくれた相手だという。
 血混ぜにでることを了承したのは彼女自身。
 でもそのことが決まったあと、青年を愛していることと愛されていることに気づいたのだ。
 あとは町長が語った事情と同じで、ただ一つ、駆け落ちなんてしませんから殺さないでくださいと付け加えた。
 彼女は、町長が都合の悪いこれらの事実を伏せてマイたちに依頼したのだと思ったのだ。
 普通はそんな事情を馬鹿正直に旅人などに語らないので、彼女が、町長が嘘をついたと思うのは当然である。
 マイはそこで町長の言葉に嘘がなかったことを確認しその馬鹿正直さに感心したが、彼女の訴えは却下して帰した。

 そして、彼女が帰った後、シュレイルを説得したのだった。
 いわく―――殺したって言って別人の首を持っていけばいーじゃん。
 普通の人間は死体など見たがらない。
 それに、苦痛に満ちて死んだ人間の死に際の形相は、家族でさえも判別が難しいほど歪む。
 しかしシュレイルは難しい顔だった。
 シュレイルいわく―――死人なんていう都合のいい身分になって、駆け落ちしないなんて考えられるか?
 それも言えているので、彼女たちは目標の身柄を確保して、別の町へ連行して、そこで解放した。どうもシュレイルは最初からそういうつもりで仕事を請けたらしい。
 そして彼女たちは身代わりのならず者を殺して、戻ってきたのだった。

 事情を聞いた少女は涙を流しながらお礼を言った。
「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとう……!」
 何度も何度もお礼を言いながら去っていく少女。
 町長としても、駆け落ちさえしなければ少女の恋人が生きていることに不満はないだろう。
 しかし……金と立場を盾に結婚を要求する男のところに嫁ぐ彼女が幸せだろうか?

 浮かない顔のマイに、シュレイルは涼しい口調で言った。
「本当に好きなら、なんとか町を渡るだろうさ。二年はかかるだろうがそれだけ経っても取り戻したいものなら、必ず」

 マイやシュレイルは気軽に町を渡れるが、それは彼女たちが「旅人」だからこそだ。
 魔物を相手に回しても、自分で自分の身を守れる稀有な存在だからだ。
 普通の人間がそんなことをしようとすれば、すぐさま魔物の夕食になってしまう。
 複数の「旅人」を雇う護衛料。
 それらを見知らぬ町で、自分を生かすための生活費を稼ぎながら得ようとすれば、シュレイルの言うとおり二年はかかるだろう。
 その頃、彼女はとうに嫁いでいるだろう。子供のひとりやふたり、いるかもしれない。
 それでも彼女を諦められないぐらいに好きなら。
 また、彼は会いに行くだろう。

 それだけの愛情が、あの青年にあるかどうか。
 普通の一般人が、マイに襲われて抵抗などできるはずもない。あっという間に身柄を拘束した。
 最初は騒いでいたが、連行する道々事情を説明するとそれ以降青年はずっと無言だった。解放する間際の、噛み付くようなあの表情を思い出す。
 俺の命を助けてくれて、ありがとうございました。

 彼女はあきらめないとか、取り戻すとか、そんな言葉は一言も出なかった。もし出たら、マイは二年も待てるはずがないと思ったろう。
 一時の反発からでた言葉は長持ちしない。そのときだけが真実で、すぐにさめる。
 何年も長持ちするのは……、もっと、別のものだ。
 でもあの青年は言わなかった。だから、ひょっとしたら、彼は会いにいくかもしれない。
 何年もかけて生活の基盤をきずき、お金をため、嫁いだ彼女に会いに危険な道を渡って、会いに行くかもしれない。

 何年も何年も、風化しない愛情というのは、あるのだ。
 ほとんどの愛情は一年もたたずに無になるけれど、世の中に無数に散らばる愛情の中には、そういう愛情が、確かにあるのだ。
 マイが、この世界に来た当初助けてくれた人を、ずっと想うように。

 マイは相棒を見上げ、からかう口調で言う。
「シュレイルは、そういう風に誰かを愛したことがあるかな?」
 シュレイルはかすかに笑う。
「さあ?」
 言いたくないのかなと思ったが、言葉は続いた。

「恋していたときはそう思っていたけど、でも、どんな恋の思い出も過去に変わった。相手が死んだからそうなったのか、もともとその程度のものだったのか、今となっては俺にも誰にもわからない」
 マイは想像してみた。
 シュレイルが死んだら―――、マイは、忘れて「思い出」にできるだろうか?

 ―――わからなかった。



一言メッセージで続編要望したかた。
そのおかげで書く気力がわきました。ありがとう。

2007 5/8up


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