あなたは間違っている 50




「水も土も火も風も……やさしいってどういう意味だと思う? 信二」

 あの翌日。
 学校で会った繭子は沈んだ顔でそう切り出した。
 場所は、早朝の教室。
 普段ならまだ誰も来ていない時刻の教室には、予想通り、繭子の姿があった。

 信二も同じような顔を自分がしているという自覚はあった。
 繭子が沈んでいる原因から話題を意図的に避けていることもわかった。
 ―――渡辺さんは死んでいた。
 一縷の望みに賭けて、彼が去った後、脈をとってみたが誰がどう見ても間違いなく死んでいた。心音停止、瞳孔拡大、脈もなし。これで生きていたらゾンビしかない。

 結局、信二たちは彼女を助けられなかったのだ。彼女の何の救いにもなれなかった。
「なかなか火傷しなくなったとか、怪我しにくくなったとか、そういうことだとおもうよ。多分……」
「……どーも私、昨日のこと夢でも見てたんじゃないかって思うのよね……目の前で、人が消えたり出たり」
「……俺はむしろほっとしてるよ。あんなもの見たら、いくらなんでも渡辺さんがホラふいた可能性は無いから」
 異世界だーといわれ、一応信じたものの、心の中では疑心が残っていた。
 その疑心を取り除いた決定打だった。
 目の前で人が消えたり出たりする超常現象を目にすれば、いくらなんでも信じる気になるというものだ。

「……ねえ、信二。私ね、昨日から迷っているんだけど」
「なにを?」
「……私たち、渡辺さんの家族に言うべきじゃないかな?」
 思いつきもしなかった。

 信二はため息をついて言う。
「いらないよ。あの人の家族は、あの人を切り捨てた時点で赤の他人だ。死んだと知れば悲しむだろうけど、それは世間体のために悲しむふりをするだけだ。本当に悲しんだとしても、一週間もすれば安堵のほうが勝るさ。あのひとのせいで世間体が悪くなるような事が未来永劫起こらなくなったと知って。―――そんな人間を安心させてやりたくない」

 渡辺麻衣の遺体がどうなったのか、信二は知らない。
 カインが追い立てるように二人を部屋から出したのだ。
 カインが所属する組織には、ふたりのことを内密にしてくれるという。そんな人間は、いなかったあらわれなかった―――ということで。
 そのかわり、念を押された。
 絶対に、見聞きした事を誰にも話さないこと。
 あくまで二人を見逃すのはカインの一存なのだ。

 渡辺麻衣の死が二人のうえにゆたっていて、彼らは憂鬱だった。
「ねえ、カインっていうあの人……絶対何か隠してたわよね」
「それをいうならシュレイルさんもだな」
 渡辺さんが間違いを犯した―――という。
 だが、具体的にどういう間違いを犯したのか、まったく説明がなかったのだ。
 それに、おかしな点はまだある。
 突然異世界から召還された(はず)のシュレイルさんのあの平静さだ。……もっとも修羅場慣れしていたからという理由も考えられるが、ついでに頭の回転が高速で、一をきいて十気づく人だというのは話していてもよくわかったが、それにしたって、だ。

 渡辺さんが、どんな「間違い」を犯したのか、一度も彼は聞かなかった。

 聞かなくても、状況を見れば、彼にとって事態は明々白々だったのだろう。
 ここで、信二はため息をまた吐く。
 ……わかっている。
 全部、思考の逃避だ。

 渡辺麻衣が死んだ―――何も出来なかった。
 そのことから、信二は逃げたくて、考えないようにしたくて、別のことをいろいろと考えているのだ。単なる逃避だ。
「ねえ、信二」
 優しい声で呼ぶ声に、信二は顔を上げた。

「どうしてあんたはそんなにひとりで背負い込むの?」
「え……?」
 そんなつもりはなかった信二は驚く。
「渡辺さんて、あんたとは何の関係もないひとでしょう? 家族でもないし、特別仲がいいって訳でもない、単なる友達。それに……あの人は人が何言ったって、どんな正論でどれだけ説得したって、自分のやりたいようにやる人よ。だから、あの人の死は、あんたのせいじゃぜんぜんないの。信二が落ち込む必要なんて、どこにもないのよ」
「……わかってる」
「それにね、渡辺さんは、別に不幸じゃなかったと思うわよ」
 これには驚いた。

「……どうして? あんな目にあって、戻ってきたら家族にも疎まれて……帰って来なければよかったなんていわれて、どうして?」
「あの人は、自分のやりたいようにやったもの」
 心の狭間にすとんとおちる、静かな静かな声だった。
 風のない日の、雪のように。

「あの人は、自分のやりたいことをやりたいようにやって、死んだのよ。それを不幸だという方が間違ってるわ。本人はきっと、誰も恨まず、幸せに逝ったと思う」
「―――」
 確かにそうかもしれなかった。

 渡辺さんは、誰も恨まず逝っただろう。その点だけは、確信できる。
 たくさんの血に手を汚してきたせいだろう。どこでどんな風に死んでも―――たとえ道でバナナの皮ですっころんで頭を打って死んでも、飛び降り自殺者の下敷きになって死んでも、それが運命、自分のしてきた報いだと納得して死んだだろう。

 間違えても信二の事など恨むまい。
 これが自分の生きた人生だと、胸張って死んだだろう。
 ……でも。
 それでも。
 うるみかけた涙を必死の努力で引き戻していると、頭が撫でられた。
「なんでそんなの悲しいのか、自分で判ってる?」

 ……少しの間を置いて、こっくりとうなずく。
「よろしい」
 偉そうに頷く繭子。

 悲しくて、つらくて、いきどおろしくて、もっと自分がちゃんとやれていたら、こんなことにならなかったんじゃないかとそればかり思いが募って。
 ほとんど他人に近い知り合いにこんなこと思うのは間違っていると、理性は思う。
 でも感情は、その理由をちゃんと知っていた。

 信二は、麻衣が、好きだったのだ。

 麻衣が信二をどう思っているのかは知らない。でも信二の方は麻衣が好きで、できれば、友だちになりたいと、思っていた。一方通行の好意では友だちにはなれないから。
 死んでしまうのがこんなに悲しくて、こんなに後悔にとらわれてしまうぐらいに、好きだったのだ。
「私はもう、家で昨日散々泣いたわ。信二は、まだでしょ。泣きなさいよ」

 ―――その日、誰も来ていない早朝の教室で、信二は制服の袖が全面濡れてしまうまで、思い切り泣いた。
 繭子はその間、ずっとついていてくれた。
 やがて信二が泣き終わると、声がかけられた。
「落ち着いた?」
「……ああ。助かった」
「いいわよ、べつに。友だちでしょ」

 信二は息を吸い込む。
 ……気持ちの整理は大分ついた。
 渡辺麻衣は、やりたいようにやって、生きたいように生きた。
 そして、死に方も自分で指定して死んだのだ。
 同情するのは、おかしなことだ。

 ―――罪には報いがある。
 小学生でもあるまいし、そんなこと知っている。
 人を傷つけたら、それは巡り巡って、最後には必ず自分のところに来るのだ。
 麻衣のように。

 渡辺麻衣が自分勝手にやったことのツケは、最後にきちんと来たけれど。
 それがあるべき姿で正しい事で、そんな自分勝手ははた迷惑でしかないけれど。
 それでも……信二は、やりたいようにやって、生きたいように生きたその生き方を、ちょっとだけ、ほんの少しだけ、格好いいと思う。




END

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2006 12/5 up

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