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あなたは間違っている 49
右の呆然と左の唖然を無視して、赤毛の青年は腰を曲げて床の鞘を拾い上げる。
かちん、と鯉口が鳴るかすかな音で正気に返ったらしい信二が声を出した。
「ちょ……! 待ってください! それじゃ……!」
青年は振り向いて、ただ信二の方を見た。
―――少年の興奮が、波のように引いていくのが見ていてわかった。
信二は声を小さくし、通常以下のトーンにまで落とした声で、それでも言う。
「……渡辺さんが、かわいそうです」
「君は、マイから直に俺のことを聞いた?」
ぐっと臍の上に力を込めて、気圧されまいと努力しながら、信二は頷く。
「―――はい」
「俺のことを話したということは、失踪していた間のことも?」
「……ええ」
「マイは、この世界で、失踪の理由をべらべら人に喋る性格ではなかったとおもう。……どうだった?」
「―――秘密にしていました」
「ということはマイは、君を信頼したのか。意外だな……。俺の知るマイは、人を信頼する事を難事としていた。人を信頼するのに、普通の人間が一ですむところを十かかる性格だったのに」
あーえーまあ。
そういう性格でしたね、確かに。
言葉は砕けていても心は絶対に許してない。強固な壁がそびえていた。
赤毛の青年はそういうが、正直なところ、渡辺麻衣が信二を信頼しているとは、今だに思えないでいる。
「マイが君を信頼したのなら、俺も信頼しよう」
信二は目をぱちくりとして青年を見上げた。
今の言葉は、どこをどうとっても、青年のマイへの愛情と信頼の現われとしか思えないのだが……?
「俺は、マイが憎いわけでも、死ぬのが悲しくないわけでもないよ」
表情を消して青年は言う。無味乾燥の、感情の篭もらない声。
かぶりとともに彼は言う。
「でも、マイは間違えた。間違っている事を百も承知の上で、恐らくは、こうして自分が若くして死ぬ事も考慮に入れた上で、この道を選んだんだ」
「でもそれは―――あなたに会うためでしょう!?」
「会うことなど望まなければよかった」
切って捨てる口調。その冷酷さに、言葉が喉の奥で震える。
せりあがる憤激を、表現する言葉が見つからない。
「一生、ずっともう二度と会えない相手だ。割り切ってしまうべきだった」
とうとう、我慢しきれなくなって信二は叫んだ。
「……渡辺さんは! そうしてました! あなたのことは死んだといって、会えないとわりきって……!」
「―――わかってる。まったく忌々しい。マイは、それぐらいのことわかっていただろう。何事もなければ、マイはそのまま生きれただろう」
吐き捨てる口調。信二は彼を知らないので、それがどんなに珍しいものかも当然知らない。
視線を送られたカインだけは、その後に続く言葉がわかった。
そのままなら平穏に生きられるはずだった。でもマイは―――出会ってしまった。
石に。
どんな願いもかなえる、赤い石。
その誘惑に、渡辺麻衣はかなわなかった。
「間違っているとわかっていながら、マイは誘惑に負けた。多くの人間を殺した。それも、自分勝手な欲望の為にだ」
冷ややかな声は断罪。
自分の胸のなかの憤激が打ち砕かれそうで、信二は必死になってそれを守る。
「でも! それはあなたに会うためで―――!」
「きみは、マイが君の大切な人を殺してもそうやってかばえるか?」
舌が凍りつく。
「出稼ぎに来ている外国人が、恋人に会いたくなる。恋人には帰国しなければ会えない。帰国には金が要るがその金はない。そして通行人を襲って殺して金を奪ったとする。『大切な人に会うため』に人を殺したわけだが、……君は同じ論法でかばうか?」
「…………」
「もう一度聞く。マイがきみの大切な人を殺したとする。君はそれでも、マイをかばえるのか?」
「…………」
信二はもう、何もいえない。
もし―――ミコトがマイに殺されたら。
それでも、自分は、マイをかばえるか? 命を助けて欲しいと命乞いができるか?
赤毛の青年は、荘厳な鐘が鳴るように言った。
「罪には、罰がなければならない」
思わず、居並ぶ一同が耳を澄ませて「拝聴」してしまう重い響きだった。
「マイがしたことは、誰が聞いても間違いだ。自分の身どころか他人の身まで巻き込んで、一時の心の平穏を求めた。……それは罪だ。罪には、報いがある。なければならない。さもなければ人は皆罪を犯す。マイは、自分の為に多くの人間を殺めた。それは、死でしか償えない」
「死ぬ……以外のことでも、償いはできるでしょう?」
繭子の言葉に、ほとんど同情的な目を青年は注いだ。
カインもだ。
口火を切ったのはカインだった。
「この女が犯したのは、死でしか償えない罪だ。生きて償うなんて、許さない。そんな都合のいい逃げは許さない。本当なら苦しみもだえて死ねといいたいところだ」
実際に、マイに親しい人間を殺された人間の言葉に、信二も繭子もうな垂れる。
自分たちの言う言葉がいちいち薄っぺらく、遺族の憤激の前にはどれほど無力なのか……思い知らされる。
赤毛の青年は長身を折り、膝をついた。渡辺麻衣の髪に触れる。
そのまま頭を持ち上げ、膝の上に置いた。
声はかけない。血もそのまま流れ続ける。
黒髪を撫でる手は、愛しい人間が緩やかに息絶えていくのを見守る手だった。
その気になれば、彼はマイを助けられるだろう。
でも、それは「間違い」なのだ。
マイは死んで当然の罪を犯した。そのマイを助ける事は、正しい事では……ない。
マイを膝に乗せた赤毛の青年は、信二を見上げて問う。
「……きみに聞きたい。マイは、ここに戻って、幸せだったか?」
信二は……答えられなかった。
そして、その沈黙だけで、答えを読み取るに充分だった。
二十秒ほどの間のあと、次の質問が投げられる。
「マイの家族は、マイが帰ってきたことを喜んだか?」
―――また、答えられなかった。
信二がうつむいていると、暗灰色の声が返ってきた。
「そうか……」
最愛の女の道を踏み外した姿を目にして、その原因となっただろう彼女の不幸を耳にして、彼がどんな思いでいるのかを想像してみたが、信二には荷が重かった。
誰より幸せであれと願いつつ別れた愛する女が、幸せとは縁遠い人生を送っていた。家族からも忌み嫌われ、日本の平凡な日常に溶け込めず。乾いた目で違和感を抱えて過ごすなか、とうとう道を踏み外した―――。
(俺なら、すっごくいやだなあ……)
まず、ミコトとやむをえず離れて、そしてその後ミコトが不幸になったと聞くだけで嫌だ。
もし信二が、これから先イロイロあって、ホントーにやむを得ず、ミコトと離れることになったとする。
それでも信二はミコトが好きだろうし、ずっとその幸せを願い続けるだろう。
でも、ある日ミコトが不幸だと耳にしたら?
さらに、彼女が道を踏み外し、変わり果てた姿まで目にしてしまったら……(たとえば麻薬中毒者とか?)そしてその原因として、彼女の不幸を聞いてしまったら?
想像しただけで、気分がめいる。
―――異世界に飛ばされて。偶然、奇跡の様な確率で別の異世界から落ちてきた人間と出会って。
たとえ結ばれたって、お互い元の世界に帰ったら別れ別れになるし、実際そうなったのだ。
相手は異世界で、どれほど頑張っても、どれほど努力しても文字通り「違う世界の人間」だから諦めるしかなくて。
それでも幸せであってほしいと願っていたら、こんな結果を知らされた。マイは家族にすら帰還を疎まれ、不幸であったこと。そして、間違った道を選んでしまった事を。
赤毛の青年の表情は、あまり変わらない。穏やかに、マイの髪を撫でている。
変わらない表情の内側に抱え込んだ感情は、あまりにも寂しい。
泣きたいような思いで、信二はその光景を見つめる。
膝枕をするシュレイルと、彼の膝に頭を乗せる渡辺麻衣。
……彼女があれほどまでに願った光景がここにある。
でも、それが叶ったことを一番知りたい人間がそれを知ることはない。意識のないまま、もう目覚めることなく死ぬ。
ゆるやかに息絶えていく、その最期の瞬間を、人生で最も願った願いが叶った事を知ることなく彼女は過ごすのだ。
それが彼女の過ちの報いというのなら。
運命の女神の、何と、慈悲深いことだろうか。
§ § §
赤毛の青年の手が、マイの目を閉じさせる。
誰も言葉を発することなく過ごした数分間だった。
彼は膝の上の頭を外し、床に置いた鞘に納まった剣を拾い上げる。
「お別れの時間が来たようだ」
立ち上がった青年の姿に、カインはとっさに声をかけた。
不思議な心の動きだった。会ってまだ30分と経っていないのに、別れることを寂しいと感じていたのだ。
「……そういえば、あなたはいったいどうやってここへ?」
鞘におさまった剣を、彼は掲げる。
「この剣、ご先祖様の、何がどうなっているのかテクノロジーは不明な剣が、ここへ呼んだ」
「……は?」
「仕組みや仕掛けは、わからない。長い事ほったらかしになっていたし、その次は分析する機材のない場所に飛ばされたし、その次はマイにあげたから調べようがなかった。帰ったら、調べてみようとおもうが」
「その剣が……?」
「異なる次元を共通項で繋いだ。渡辺麻衣が死ねば、元の持ち主へ。そのために俺を呼びつけた。……こういう芸当ができるのならさっさとやれといいたい」
青年の声は苦い。
うべなるかな、と信二も思った。
その剣がそういう能力を持っているのなら、ひょっとしなくたって、彼やマイが言葉の通じない異世界で死ぬ思いをしながら旅をする必要はなかった気がする。
ひょっとしたら、彼らは要らぬ苦労をしていたのかもしれないのだ。
渡辺麻衣の死亡とともに、彼がここにいる「くさび」もなくなった。
剣を手にした青年の姿が、かすれていく。電波状況の悪いテレビの画像のような「かすれ」。
そのとき、思い出したように彼が言った。
「ああ、それと」
そのとき長い手が伸ばされ、それぞれ繭子と信二の首にからまった。
引き寄せられ、唇を塞がれる。
「○×△■〜〜〜〜っ!」
抵抗することを思いつくより早く、唇は離れていた。
最初は信二。次に繭子。
顔を真っ赤にした繭子から唇を離し、彼は言う。
「マイを助けようとしてくれて、マイを心配してくれて、ありがとう。それは俺からの感謝だ。間違いは正されなければならないのと同じぐらいに、見返りを求めない善意には善き報いがあるべきだと俺は思っている」
言うまでもなく、信二は男とキスするのは初めてである。
いったい、これのどこが善き報いだと思ったが、彼はふと笑う。
「君の周囲の土も水も風も火も、今日このときを境に君に優しくなるだろう」
思いもがけないプレゼントに問い返そうとした瞬間。
かすれが一気に全身に広がり、―――そして、次の瞬間には消えていた。
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2006 12/4 up
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