あなたは間違っている 48


 激痛に、思わず放り出した剣。
 回りながら落下する刃物の柄を正確につかみ取った手は、まず剣の切先を上にあげて引き戻し、戻してから刃を下に下ろした。

 左手を剣に使用し、右手でカインの手をつかむ。
 至近距離で、落ち着いた目が言った。
「この剣にさわってはいけない」
 くすぐられるような感触にカインが手を引く。手を離してくれたおかげで抵抗もなく戻った手をみると、爛れた皮膚がカインが見ている前で治っていった。
 その間、数秒。傷跡一つ残らない。
「―――」
 カインはかるく息を呑む。
 皮膚が爛れているのは、わかる。剣を掴んだときの激痛からして、剣のせいでこうなったのだろう。だが治ったのは?
 超能力には慣れているし、治癒の能力者だって知っているのでさほどの驚きはないが、かなり優秀な、治癒能力者だった。
 それになにより、先ほどまでは絶対にいなかったのだ。
 繭子も信二も、驚愕の目でその人物を見ていた。

 周囲に目を配る余裕のなかったカインに比べ、二人はしっかりと見ていたからだ。虚空から現われるところを。
 信二はその人物を真剣にみつめた。
 性別は男性。髪の色は赤。
 目に美しい赤ではない。茶色に近い、赤みがかった茶というほうが正しい。純粋な赤でないぶん、ありふれている色合いだ。
 染めているのではないのは、肌の色の白さや、顔立ちからして明らかだ。彫りの深い顔立ち……外国人だった。
 背はかなり高い。信二は高校生としてわりと背が高いほうだが、その信二よりあきらかに頭一つは高い。それでいて頭は小さいので八頭身以上だろう。
 肌の色は白く、滑らかで透けるようだ。
 下ろした剣を片手に握ったまま、視線が二人のほうへ向けられる。
 ほっそりした顔にはめられた眼差しは、湖のように深い知性を宿していた。

 信二は、その人の名前を知っていた―――。
 不思議な確信とともにいう。
「シュレイルさん……ですね?」
「俺をそう呼ぶのは、マイだけだ。君は、マイから聞いたんだね」
 すんなりと、会話が成立する。遅滞は一切ない。
 驚くべき事に、彼は日本語をしゃべった。多少なまりがあるが、文法にもおかしなところはない。
 異世界放浪中、最初日本語しか喋れなかったマイとコミュニケーションをとっていたら自然に覚えた―――なんてことは判るはずもないが、信二には気にするゆとりもない。
 どうして現われたのかとか、いつの間にとか、そういうことはどうでもいい。
「あなたがシュレイルさんならお願いがあるんです! 渡辺さんを助けてください!」

 顔色を変えたのは、今度はカインの方だ。
 彼は治った手を見つめていたが、ハッと顔をあげた。
 この手を見れば治癒能力者であることはわかる。渡辺麻衣を治すこともできる。
「だめだ、そんなことは許さない!」
「どうしてですか! 死に掛けてるんですよ!?」
 絞め殺してやりたい。
 もともと、カインとしては、草薙信二をどうこうするつもりはなかった。
 渡辺麻衣との約束というより、渡辺麻衣の配慮のおかげでビデオカメラという抜群の証拠があるせいだ。それを見せれば殺人犯の汚名は完全にぬぐえるし、あとは少々おどしつけて、因果を含めて返せばいい―――そう思っていたのだが、今すぐにこの子どもを黙らせたくなった。

 怒りをこらえて、信二を睨みつけ、事実を端的に言う。
「―――あの女は、俺の恩人を殺した」
 信二は言葉をなくす。
 うそだというには、カインの眼差しは真実のみが持つ凶暴な光があった。
「仲間も何人も殺した。自分の勝手な欲望のためにだ。許せるか。本来なら八つ裂きにしてやりたいところだ。ここで死ね」
 場違いな低い笑い声が響いたのはそのときだった。

 発生源は、赤毛の青年だ。
 ふたりの視線を浴びて、かぶりをふる。
「いや失礼。いかにも、マイのしそうなことだと思って」
「え……?」
「―――とはいえ、この世界は治安がいいところだろう? 俺はマイがそんなところで好き勝手なルールを貫くほど馬鹿でもないと思っているんだが?」
「何を言って……」
 信二が言葉を発しかけ、シュレイルの言葉の内容が脳にようやく到達して、止まる。
 確かに、渡辺麻衣はああいう人柄だが、図書館で勉強して、普通に生活していた。
 人を殺したといわれ、「ああそうか、彼女ならやりかねない」ですんなり納得していたが、よく考えればおかしい。
 信二もまたカインに目をやると、カインは数秒の思考時間の後、答えた。

「シュレイルといったな? 渡辺麻衣が、どんな犠牲を払っても会いたいと願った人間の名だ。……あんたが、本当にそうならばだが、渡辺麻衣は、あんたに会う為に俺の仲間を殺した」
 石のことについて説明するわけにはいかないからそんな風に言った。
 「何でも願いが叶う石」が存在していてここにある? それこそキャンプファイヤーの会場に火薬を並べる行為だ。そんな火種をばらまくほどカインは愚かでもないし好戦的でもない。
 幸いにも、赤毛の青年はそれで全ての事情を察したらしい。

 剣を握ったまま、ちらりと渡辺麻衣の側の石を見る。
 視線をやったのはわずか数秒、しかも高校生からは渡辺麻衣を見ていると誤解する角度で、さらに身体を微妙に移動させて高校生二人の視界に石が入らないようにしていた。
 赤毛の青年は左手の剣をもちあげ、軽く振る。
 剣の軌跡は見えなかった。剣の刀身が透明なせいもあるが。

 高校生二人は何も気づいてない。
 しかしその小さな何気ない仕草は、床に置かれた、小さな赤い石をぱっくりと二つに割っていた。
 ―――カインはそれに気づいて安堵の前に総毛だった。
 彼の腕の長さ、刀身の長さを考えれば届かない距離ではなかった。だが、石は小さく、床の上だ。更に、すぐ側の渡辺麻衣の身体にも、ブルーシートにも傷はひとつもついてない。超絶的な腕前だった。
 ……そして、全ての超能力を無効とする剣は、相手の手の中だ。
 もしも戦ったら、勝ち目はなかった。

 赤毛の青年は言う。
 低音の、知的で上品で落ち着きのある声だった。
「事情は了解した。マイが悪いな。全面的に」
 戸惑いを浮かべる一同を無視して、カインの前に立ち、彼は言う。

「あなたの言葉が一番筋が通っているようだ。俺は治療はしない。ここで、マイの死を看取ろう」




2006 12/2 up

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