あなたは間違っている 47



 カインは選択を迫られていた。

 目の前、一メートルほど先の床には、赤い石が転がっている。
 血と肉の泥濘のなかにあってすら、その赤い輝きは目を引いた。
 自分の体を切り落とし、切り刻み、石を取り出した渡辺麻衣は、その石が見つかって気が抜けたのか、倒れてしまった。(麻衣がどんな幻を石によって見させられているのかもちろんカインが知る由もない。その幻が悪夢でなかったのは気まぐれか、あるいは死に行くものへのちょっとした同情かもしれない)。
 つまり―――

 今この場には、赤い石と、カインしかいないのだ。

 ……誘惑に振れそうな心を、記憶が制止する。
 化け物。死体の山。殺された子ども達。
 ―――カインは麻衣ではない。
 自分が間違っていると知って、それでもなお自分の欲求の為にはどうでもいいと犠牲を割り切れるほど、カインは自分勝手でもないし(悪い意味での)強さもない。
 死体の山をかついで人生の長い道のりを歩いていけるほど、強くないのだ。

 ……壊さないといけない。
 カインは道具を求めて目をさまよわせる。
 石は、石の質感をもってそこにある。
 普通の石でさえナイフなど突き立てても無駄だろうし、トンカチで叩くにしても、普通の石でさえそうそう砕けないだろう。
 となると、選択肢は一つしかないわけだが―――
 カインは、抜き身で投げ出された透明な刀身の剣を見つめた。

    ◇

 草薙信二と葵屋繭子は、渡辺麻衣の泊まっているホテルのエントランスにいた。
 信二は呟く。
「……すごく立派なホテルなんだけど……」
 腰が引けている信二が思わず感心してしまう事に、繭子の態度には気圧されているようすがまったくなかった。

 すたすたといつもどおりの態度―――つまり背筋を真っ直ぐ伸ばした歩き方で、ずんずん進んでいく。
「ほら信二。早く来なさい。あの人何号室だって?」
「ま、まゆ、いいのかこんな……勝手に」
 燦然と輝くシャンデリアで室内はまばゆいぐらいだし、床に敷いていある絨緞なんて靴底が全部沈むぐらいだし、周囲にいるのは地位も年齢もあるおじさんおばさんたちばかりだし、高校生の自分たちはどうみても場違いで、さっきからなんだか視線を感じる。
「しゃきっとする! 普通にしていれば全然大丈夫よ」
 繭子を見ていると、普段は感じない「育ちの差」というものを感じてしまった信二だった。
 大金持ちだろうが、なんだろうが、学校では単なる一生徒だ。
 だから普段は意識する事もなかったのだが、繭子は「いいところのお嬢様」らしく、あきらかにこんなホテルに慣れている。その慣れが態度にも出て、普段どおりにふるまえる。そしてそれを、信二は「堂々としている」と感じてしまうのだ。

 信二は反省して、繭子をお手本に、いつもどおりの態度をとろうと努力する事にする。
 まずは歩き方から、背筋をまっすぐ、周囲をきょろきょろおどおどせずに。
 信二のそんな態度に、こころなしか、先ほどからの好奇の視線もやわらいだようだった。
 二人はエントランスをぬけ、奥のエレベーターへ。
「……まゆ。渡辺さんが留守だったらどうする?」
「そういうときは、奥の手があるからへーき」
「……奥の手?」
 なんだかとってもいやなよかんがするぞするぞするぞ。

 繭子は意味ありげにふふんとわらって、
「ホテルの鍵なんて、簡単よ」
 ―――聞かなきゃよかったと思う信二だった。

 エレベータをおり、目標の部屋に向かう。
「ねー信二、あの人極貧だったよね?」
「……うん、まあ」
 極貧とはいいすぎだが、二十歳そこそこの、家族も頼れず定職も持たない人間だった。
 少なくとも、こんなホテルに暮らせる財政状況ではない。
「じゃ、渡辺さんまーた怪しげなことに首つっこんでんだわ」
「…………」
 否定する言葉が何一つ出ないあたりが、渡辺麻衣の人格だった。

 信二が黙っている間に、目的の部屋へとたどり着く。
「チャイム鳴らさないでね」
「え? なんで?」
「逃げられちゃう。今あけるから」
 繭子はバッグの中から、あまり見たくなかったものを取り出して見たくなかった使用方法の末、鍵の回るカチリという金属音が、した。
 もちろん、その間信二は見て見ぬフリをしていた。

    ◇

 扉が開いたとき、カインは素早く振り返った。石を狙って横取りの為に現われた敵かと思ったのだ。
 しかし、そこに立っていた十代の少年少女の姿に戸惑う。
 二人を凝視するカインの目がだんだんと見開かれていく。
 そしてとうとう呟いた。
「……まさか―――草薙信二?」

 ぎょっとしたのは突然名前を呼ばれた信二である。
 二人は二人で、室内のとんでもない状況に凝固していた。
 ホテルとも思えない広い室内の一番広い空間の絨緞の上にビニールシートが敷かれて?
 そこに血まみれの肉が転がっていて?
 室内は鉄錆の匂いのする血の匂いがむわっと立ち込めていて?
 どうやらその血と肉のぐしゃぐしゃになっている塊は、人間……みたいで?

 硬直してしまった高校生二人を、責めるのはあまりにも酷だろう。
 そんなところに名前を呼ばれたのだ。信二はぎょっとした。
「な、なんで―――」
 つまらなそうな顔で、超能力者は答える。
「……渡辺麻衣がいっていた。もしかしたら、お前が訪ねてくるかもしれないと」
 明らかに外国のアクセントのある言葉に信二は先ほどとは別の意味で緊張した。
 ―――外国人。
 しかも髪や顔立ちから言って中国系だ。
 それは、日本において犯罪者という認識とわかちがたく結びついている。

 ……状況を整理しよう。
 室内には死体がひとつ。
 生きている人間がひとり。
 生きている人間は、中国系外国人。

 せめて繭子だけはかばわなくてはと、信二が背後の繭子をかばう姿勢を見せる。
 カインはその様子を辟易した目でみた。
 彼はこの高校生がどういう思考をたどったのか手に取るようにわかった。室内の状況を見れば当然だろうし、慣れてもいたが快いはずもない。
 それでも危害を加えなかったのは、麻衣と約束したからだ。
「誤解するな。お前になにもしない。……渡辺麻衣と約束している」
 素っ気無い口調でいった。

 信二が目をしばたかせる。
「わたなべ……さん?」
「もしかしたらお前が来るかもしれない、来たら何もしないでほしいといった。俺は来ないと思ったが」
 思ってもない話に信二はうろたえたようすで、視線をさまよわせ―――青いシートの上の、人間の顔に気づく。
「渡辺さん!?」
「近寄るな」
 駆け寄ろうとした信二の足は、手を広げたカインの腕の前で止まる。

「どういうことだ……あんたが殺したのか!」
「……まだ生きている。俺がやったのでもない。これは渡辺麻衣が自分でやった」
「そんな馬鹿な……!」
 いいさして、信二は言葉を呑んだ。
 ―――死を予感させる空気は、確かにあった。だからこそここまできたのだから。

 大人しくなった信二を冷たい目でながめ、更にひとこと、言い置いた。
「二人ともそこで黙ってみていろ。騒いだら約束など関係ない。殺す。逃げても殺す」

 麻衣が倒れたとき、彼女の手から離れた剣。
 カインは迷わずその剣に手を伸ばす。
 石を破壊しなければならない。
 銀製の柄に巻かれた無骨な滑り止めの布が、この剣が実用品である事を教える。
 その柄に手を伸ばし、掌に握りこんで―――カインは悲鳴を上げた。

 私に触れるな。(ノリ・メ・タンゲレ)

 静かな声が天啓のような閃きとともに通り抜ける。
「……ッ!」
 激痛に放り出した剣が、麻衣の体の上に落ちていく。
 ぎょっとしたがもう遅い。胴体を輪切りにするコースで、剣が落下する。
 間に合わない―――!
 カインが顔をひきつらせたその刹那に、脇から伸びた腕がその剣をとらえ、渡辺麻衣の真上から移動させた。
 それを、カインは唖然としてみた。



2006 11/30 up

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