あなたは間違っている 38


 戦勝の祝賀会から離れる人影を視界の片隅にとらえても、麻衣はしばらく行動を起こさなかった。
 出されるごちそうをしっかり胃に収め、食いだめしてから立ち上がる。
 宴会はすでに主賓関係なしに盛り上がっていて、そっと座を離れる者のことなど、誰も気にしていない。

 大体このあたりかな、と見当をつけたあたりで、探していた相手は見つかった。
「シュレイル」
 ほんの少しだけ、驚いた顔で、彼は振り返る。
 彼がいるのは高い物見櫓の頂上だ。高所恐怖症の人間なら失神するような高さのここは、夜ともなるとひどく冷える。
 賑やかな宴会の夜、こんなところに訪れる人間など絶対にいないはずだった。
「つけていたのか?」
 信じられない、という顔。尾行を察知できなかったことに疑念を感じているのだ。
 マイは首を振ってあっさり否定する。
「んーん。勘。ここらへんじゃないかな、と思って」
「よく、わかったな」
「ここが一番居心地悪いからね」
「……? どういう意味だ?」
 麻衣はシュレイルの顔を指す。
「シュレイルは、誰かに褒められたり、楽しい祝いの席だったりすると決まってそういう顔をする」
「……どんな?」
 探る眼差しだった。
 マイは笑っていう。
「自分が楽しんでいる事に、罪悪感を感じてる顔」
「…………」
 相棒の目線が、マイから外される。顔に浮かんでいるのは、マイに対する評価を改めたのだろう表情。

「……マイ、嫌な質問をしていいか?」
 マイは渋面になった。
 マイも彼のことは多少知っている。シュレイルがわざわざ断るとき、その言葉に嘘はない。
 嫌な質問、と彼がいったら、掛け値なしに嫌な質問なのだ。
「今頃俺たちの家族は、それぞれの世界で、俺たちのいない生活をしているだろう」
 マイは頷く。
「マイの家族が、人生に前向きにマイは死んだものと諦めて幸せに暮らしているとしたら、マイは嬉しいか?」

 マイは即答できなかった。
 ……シュレイルの言葉に嘘はない。
 本当に、嫌な質問だった。

 喜ばなければいけないとは判っている―――。
 帰る道が見つからない今の状況を考えたら、マイの失踪に家族が不幸の檻に囚われるのではなく幸せを見出したのは、喜ぶべきことだ。
 だが……複雑になる。どす黒い感情が湧いてくる。自分抜きで形成された家族の幸せ。それを、マイは、喜ぶことが出来ない。
 殺されかけた。暴行された。暴力も何度も受けた。飢えの苦しみを極限まで味わった。
 自分がこれほど苦しんでいるとき、家族がのうのうと幸せになるのが許せないと思ってしまう感情が、確かに、在る。

「俺は我慢できない」
 潔いほどの断言。
 マイは顔を上げる。
 シュレイルは普段どおりの顔で、夜空を仰いで言葉を紡いでいた。
「あいつが俺のいない場所で、いない世界で、大人になって俺の死を受け入れて諦めて幸せになるなんて、絶対に我慢できない」
 マイが凝視すると、シュレイルはくすりとして視線を向けた。

「それとおなじだよ」
「え……?」
「今頃故郷であいつは苦しんでいる。なのに、俺がここで楽しかったり幸せだったりしたら、あいつは嫌だろう? この世界で楽しいと感じると、故郷のことを思い出す。俺が突然失踪して苦しんでいるだろう家族の事を思い出すと、楽しいと感じた事自体が罪深いことのように思う」
 あいつというのが誰のことか、言われなくてもわかった。
 シュレイルが故郷に残してきた、親友。
 マイは首を傾げる。
「ん? リイリって言葉、ファミリーって意味じゃなかったっけ?」
「家族だよ。合ってる。あいつは、もう、俺にとって家族だ。両親が死んだ今、俺に遺された、ただ一人の家族」

 マイは何かいいかけて、やめた。
 マイは別にこの世界で幸せになっても、罪悪感を感じない。楽しいと感じても、家族に悪いとは思わない。さすがに「シュレイルといたいからもう帰らなくていいや」と思ったときだけは罪悪感を感じたがそれだって束の間だ。
 でも、シュレイルは感じるのだ。
 幸せを感じたとき、楽しいと思ったとき、故郷の親友のことを考えては、罪悪感を感じる。彼の失踪によって痛手を受けているだろう親友の心を思いやって、罪でもない罪を背負ってしまうのだ。

 マイは少しばかり、自分の友人関係を思った。
 失踪から数年がたって未だに自分の帰りを待っていてくれるだろう人間は、唯ぐらいか。それだって、絆のためではなく、憎しみのためだ。
 家族だって、まだ待っていてくれるかどうかは怪しいものだ。所詮マイは、彼らの家族として生まれたから愛されたという程度の関係しか築かなかった。
 迷いもなく、シュレイルは親友が今も彼を待って苦しんでいると断言する。
 それに比べれば貧しい人間関係である。マイは、実の家族ですら信じられないというのに。
 それを思うと少々の意地の悪さと、あとは必要性から、マイは尋ねた。
「親友が、もう諦めているっていう可能性は?」
 シュレイルは冷えた夜気に白く吐息を吐く。
「……そうなら、いいけどな。あいつは、たぶんまだ待っている。探して探して見つからなくて、心が擦り切れるほど苦しみながら、待ってる。だから俺は絶対に戻らないといけない」

 マイが初めて会ったとき、シュレイルは帰る道を探していた。
 次に会ったときも探していた。
 そして今もまだ、探している。
 どんな目にあっても、何の手がかりもなくとも、闇雲ともいえる必死さで。
 何の情報もなくともまだ行っていない土地にはあるかもしれないといって旅をし、着いてやっぱり何の手がかりもなくともその更に奥にはあるかもしれないとまた旅をする。
 元の世界に戻る方法。
 そんな存在するかどうかもわからないものを揺らがぬ心で探し続けられる理由がわかった。

 かなりの嫉妬を感じながら、マイはそれをおくびにも出さずにシュレイルの隣に座る。
「利害関係は一致してます、協力シマショ」
 二人で、夜空を眺めた。

     § § §

 同じように異世界に飛ばされ、同じように帰還した。
 シュレイルと、自分との差は、結局のところ培ってきた人間関係の差だろう。

 こうして信二に向き合い、話しながら、マイはそう思わざるを得ない。
 馬鹿ではないので、唯が死んでいることも、家族が「マイがいなくともそれなりに幸せ」にやっていて、家族に疎まれる事も予想していた。
 自分の外見や経歴が日本においては異分子として弾かれる事もだ。
 しかし、こうも予想通りだと、ため息しか出ない。

 今頃シュレイルは楽しくやっているだろう。
 あの人が馬鹿正直に信じてもらえるとは思えない「異世界落ち」を語るとは思えないので、やっぱり公式には内緒にしているだろう。親友には話すだろうが。
 となるとシュレイルの周囲の100人は怪しむだろうが、1人は信じるだろう。
 シュレイルの親友がシュレイルに対して「お帰り」といえば、それだけで戻る為に切り捨てた全ての苦痛、異世界をさまよった全ての苦しみが、一瞬で吹っ飛ぶだろう。
 1人だけでも味方がいてくれれば―――、人間の心は救われるのだ。

 ただひとりでいい。
 マイには、1人としていない。



2006 11/7 up

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