あなたは間違っている 37



 あの超能力者一族も、先入観を捨てて考えれば判ったと思う。

 麻衣の素性には、超能力者一族との繋がりはない。見事にない。
 なのに石についていろいろ知っている。
 石は異界への扉をくぐってやってきたものである。
 答え。
 麻衣は石が超能力者一族の手に渡る前に、見たことがある。
 つまり、渡辺麻衣は、異世界に飛ばされて戻ってきた。
 ……あまりにも奇想天外、発想の八段ジャンプなので、想像しにくいのもわかるが。

 信二が尋ねる。
「異世界には化け物までいるんですか? そんなものまで?」
「そりゃいるよー。定番じゃないか」
 異世界、ときたらモンスター。
 まったく定番である。味も素っ気もひねりもなにもない。
 しかし、見慣れたというより見飽きている身としては、あの屋敷で化け物を見ても今更驚くはずもない。平静に慣れた作業として、サクサク殺せる。
 普通は金縛りにあうので、そのことで同行者たちが怪しんでいたのも当然だと思うが。

「で、僕が来て早々に化け物のごはんになりそうになったとき、助けてくれた人がいる。それが、シュレイル」
「……それが……あのひと、なんですね?」
「うん。そう。で、異世界人」
「えっ!?」
「僕とは違う世界から落ちてきた、異世界人。つまり最低でも三つの世界があるわけだ。僕が元々所属しているこの世界をAとして、シュレイルがいた世界をBとする。で、二人が落ちた世界をC。最低この三つ」
「い、いくらなんでも……初めて会った人が同じ境遇ってのは、できすぎじゃないですか!?」
 麻衣は大いに頷いた。

「僕もそう思う。……まああながち偶然でもないんだけど、やっぱりすごい確率だってことに違いはない。だからさー、大真面目に言われたりしたよ。強運の持ち主なんだか凶運の持ち主なんだかわからないって」
「なんで凶運……あ、そうか」
「突然異世界に落っこちるなんて確率、宝くじより低いでしょ」
「そう、ですよね……」

 沈黙。
 何を言っていいのかわからない、という表情。
 しばらく付き合って音楽に耳を傾けたりしたが、沈黙の海でバタフライするのにも飽きた。
 麻衣は沈黙のベールをかき分けて、言う。
「あの世界は、悪いとこじゃない。ほんとにね。多少化け物がでて、多少異世界人を忌み嫌っていて、多少言葉が通じなくて、多少食糧難だってことをのぞけば、悪いところじゃない」
「……地獄みたいじゃないですか……」
 麻衣はまじめにかぶりを振った。
「いや、そうでもない。慣れれば割と居心地よかったよ。なんたって暴力振るいたいとき、ぶつける相手に困んなかったし」
「え……あ、そうか化け物を相手に」
 人間の場合も多かったが言わないでおく。
 盗賊、山賊、火事場泥棒。
 隙を見せれば即、襲ってきたので本当に相手に困らなかった。
 日本で散々悩んだ死体の始末も、放っておけば自動的に化け物が片付けてくれるし。

「君がさっきできすぎっていったけど―――」
 麻衣は息を吐き出す。
「たぶん、ちがう。それだけの幸運があったから、僕は生き延びられて、こうして君に会っている。因果関係が逆なんだ」
 右も左も前も後ろもわからず、言葉も風俗も未知で、さらに化け物の姿に自分が対抗できたとは思えない。
 それでなくとも最初の出会いのとき、飲まず喰わずで砂漠をさまよい、倒れる寸前に化け物が現われて麻衣を食おうとした―――あの時に、間違いなく、死んでいた。
「異世界人は九割が、落ちて十日もたずに殺される。住民に殺される場合も多いし、化け物の餌になる場合も多い。僕がそうならずに済んだのは……僕が女だったせいと、シュレイルがいたから、だろうね」
「女だったから……?」
「つかまえてすぐ殺すより、性欲発散の道具として使ったほうがいいだろ?」

 信二はさらりと吐かれた台詞にフリーズした。
 たぶんいま頭を殴っても痛覚も感じないのではなかろうか。
 しばらく待ったが反応がなかったので、麻衣はひらひらと手を振った。

「……信二君、おーい、生きてるー?」
 ぎくしゃくと、ゆっくり身体の血が通うようになる。
「あ、のその……」
「以前言っただろ、どんな目にあったかって。君の想像している事ほとんど全部って」
 麻衣はため息を吐く。本人は今となってはもう何の感慨もない出来事なのだが。
「それよりつらかったのは、どんな目に合おうと、シュレイルに見捨てられないためには平気な顔して普段どおりに動かなきゃいけなかったこと、かな」
「……それは……」
「乱暴されて心が半死半生でもね、今すぐ立たなきゃ殺されると思えば、立てるもんだよ。そうして平気な態度を装っているうちに似たような出来事が二度三度四度と起これば、人間どんな事にでも慣れるもんだから、ほんとになんとも感じなくなる」
「……シュレイル、さんは……あなたを労わってくれなかったんですか?」
 麻衣は肩をすくめる。
「自分がついているせいでただでさえ負担をかけているのに、弱い事や、傷ついた事実を武器にいたわりを要求するのは最低の恥知らずだと僕は思う。だから一度も、シュレイルに優しくしてくれとは言わなかった。……心の中ではちょっと思ったけどね。それに、シュレイルの態度を見ていればそんな甘ったれた事を言った瞬間見捨てられるとは想像がつく」
「……えーと、お人よし、なんじゃ?」
「お人よしだよー、バカかと思ったもん。僕に会ったとき、シュレイル何日間も何も食べてないぐらい極貧だったのに、同じ境遇の女の子のつれてってっていう懇願に負けて連れてってくれたんだから」
 後でそれを知ったときには馬鹿かと思った。かなり真剣に。

 麻衣なら見捨てる。それはもう100%絶対に。
 飢えて飢えてどうしようもないあの飢餓の苦しみを知っている。そんな中、他人を助ける手をどうして差し伸べられる?
 それができるのはとんでもないお人よしだ。
「僕なら絶対、蹴り飛ばして一喝するね。何の義理もないのに一度助けてやったんだからそれで満足して自分のことは自分でやれっていう」
 絶品の美少女だった麻衣に手を出すなり、売り飛ばすのなら話はわかるが、どっちもしなかった。

「シュレイルは、元の世界じゃかなりの高学歴と高い教養を持った人だったらしい。色んな言葉を話せて、日本語もすこし話せたから、僕は彼からその世界の言葉を教わった。……あとで本人からはっきり言われたけど、もし僕が自分の不幸や、女だってことや、若いことを盾にして、優しい態度や特別待遇を要求したら、その瞬間見捨てていたって」
 現実的に考えてみよう。
 女だろうが、幼かろうが、それがシュレイルのこうむる迷惑を減らすか?
 答えはノー。
 むしろ増やすばかりだ。
 よって、シュレイルはそんなことを理由にして優しさを求める事を認めない。それは、自分のことは自分でできる人間だけが言っていいことだ。
 衣食住、すべてを極貧のシュレイルに頼りきり、語学の練習もシュレイルだのみ、身の安全もシュレイルに守ってもらっている人間が言っていいことでは、断じてない。

 それは重々承知していたので、自分が重荷でしかないということも身に染みて理解していたので、麻衣も足手まといになっている間、シュレイルに何かを要求した事は、一度しかなかった。
 シュレイルが一つの街をまるごと見殺しにしたときだ。

 助けるべきだ、と麻衣はいった。
 あのとき、シュレイルが麻衣を見放さなかったのは、彼自身の良心の問題だろう。彼自身、自分のやっていることが道徳に照らし合わせれば決してほめられたものでないことを知っていた。でも、他に選択肢はなかった。
 だからシュレイルは、見殺しにした。でも、その無理矢理納得させた良心を、麻衣が無神経な正義感で、思いっきり引っかいたのだ。

 さぞ腹が立っただろうが、シュレイルが普通とは違う出来の人間であるのは「自分が腹が立つ理由」をちゃんと自覚していたことにある。
 彼は。
 麻衣を見捨てなかった。
 そうすることで、彼はかろうじてプライドを保ったのだ。

「幸運だったのは、僕が黒髪に黒い瞳ってこと。あの世界の住民は皆、黒髪黒目だったから。一部例外を除いて。違う色の人間は、即、異世界人と見なされる。シュレイルは髪を染めてた」
「……その世界には、どのぐらい異世界人が?」
 麻衣は首を傾げる。
「さあ? 知らない。異世界人はほとんどが来てすぐ殺されるし、生き残った人間はみんな素性を隠すから会っていたとしても気づかない。結局、僕が会ったのはシュレイル以外にもう一人だけだった」

「……どうやって、あなたは戻ってこれたんです?」
 麻衣はかぶりを振った。
「ごめん。それはパス」

 A、B、C。
 三つの世界があり、そのうちシュレイルの世界Bと、麻衣の世界Aとの間には明白な時系列の関係がある。
 シュレイルは麻衣の世界の歴史をそらんじて見せた。麻衣が覚えている限りでは、間違いはなかったと思う。ただし、彼は付け加えた。
 ―――マイの世界と俺の世界は別個の世界だ。マイの世界で数百年の時間が経過しても、俺の世界みたいな文明が築かれるとは限らない。同じように、マイの世界でどんな出来事が起きても、俺の世界には影響はない。時系列的に過去と未来に位置しているだけで、完全に別の世界だから。

 麻衣は自分の推論を信二に言うほど性格は悪くない。よって、言わない。
 しかし、前から気になってはいたのだ。
 二つの世界に月がある意味に気づいて以来。
 C世界―――麻衣とシュレイルが落ちた世界が、麻衣の世界の未来の姿だとする。
 そうでも、麻衣のいる世界が、C世界のようになるとは限らない、限らないが……、少なくとも、麻衣の世界にはC世界のようになる因子がある、ということだ。

 このニッポンに?
 非現実的なものが生存権を剥奪され、科学の光があまねく怪異を照らし出して幽霊の正体見たり枯れ尾花にしてしまっているように見えるこの世界に?
 あんな化け物が現われるような、そんな因子が一体どこにあるのだろうか、と長い間考えていた。

 ―――そうしたら石があったのだから、笑い話である。

 A世界がC世界になる可能性が、はっきりと理解できた。
 そして更に、シュレイルのいたBのような世界が存在している理由もだ。

 あの石は恐らく、C世界から持ち込まれたものだ。
 そして、まるであつらえたかのように、麻衣の存在がある。
 石の存在を知り、危険性を知り、石を破壊できるなんて人間が、だ。
 そこまで思考を進めたとき、やっと、麻衣は自分がこの剣を手にした理由が分かった気がした。
 不思議でたまらなかった、心を読める少年がこの剣を麻衣に手渡したこと。

 ……「だれか」が望んだのだ。
 世界がそうなることを。
 たぶんそれは、神と呼ばれる存在。

 麻衣が石を破壊できれば、世界は正常に時の針を進める。
 できなければ、麻衣の死後、誰かが必ず石を握って願いをかなえ、化け物を呼び出すだろう。
 最初は世界は驚愕するだろう。だが、賭けてもいい。
 一年もすれば、化け物がいることが日常になる。
 そういう世界になってしまうのだ……麻衣の選択一つで。

 そして今、ギャンブルとして見たら、恐ろしく勝ちの倍率は高くなっている。



2006 11/6 up

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