 |
あなたは間違っている 34
それなり以上のランクの日本のホテルには、必ず、和室が存在する。
たとえそれがいかにも洋風の調度で構成されたホテルであっても、日本にあり、日本人のニーズには和室を求める心が存在する以上、ホテルの片隅でも、和室づくりの部屋が存在しているものだ。
そんな部屋の扱いはホテルによって様々で、宿泊客ならばフリーというところもあれば、フロントに申請して鍵を用意してもらうところもある。
(……見事なもんだ)
その人物―――仮の名前を田中としよう。もちろん偽名である―――は思った。
渡辺麻衣が宿泊しているホテルにも、和の一角は存在している。面積にすれば15畳程の狭い空間だが、床の間もあり、茶室もある、畳敷きの部屋である。
そこに、渡辺麻衣は正座していた。床の間を背にした、凛然たる姿である。
田中が見始めてかれこれ十五分は経過しているが、ぴんと伸びた背筋はその間微動だにせず、折り畳まれた足の上には、一本の剣があった。
渡辺麻衣の表情は静かだ。
目は半眼。細めるのでもなく、見開くのでもない自然な顔。
集中しているのがわかるが、その集中は外部にもれて周囲を息苦しくさせるものではなく、完全に彼女自身の内部に向けられていた。
彼女の周りの静謐は、他人に緊張を強いる種類のものではない。
むしろ、いらだった心や荒ぶる心を沈静化させ、癒すものだ。
しわぶき一つ立てることなく座っている彼女は、側で誰かが何をしていようと、爆発が起きようと、変わらず座っているだろう。
そう思わせる純度の高い空気があった。
こうしてよく見てみると、彼女の顔が実はとても整っているのがわかる。16歳のとき、彼女は近隣の高校にまで名の知れた美少女だった。
今の集中している横顔もまた、美しいという賛美に値するものだった。
観世音菩薩。あの仏像に共通する、沈黙の中の静美。
日本人にしては凹凸の深い顔立ちも、その一因だ。
男としか見えないほど男性的な彼女の、女性的な部分が、そうしているとにじみ出るようだった。
睫毛の長さに一度気がつくと、騙し絵に気づいたときのように、たやすくそう見えるようになる。
男性にしか見えなかった彼女が、女性にも見える。
渡辺麻衣は、精神を集中しながら、雫もそれを外に洩らさず、ただ自分と語り合って沈黙している。
何を自分自身の中で語り合っているのか、無性に知りたいと思った。
◇
麻衣はひとりになったホテルの一室で、正座をくむ。
太腿に乗せたのは、銀の剣。その重み。
びっしりと施された細工は多少目利きの麻衣が見ても、一級品だった。そんな芸術品のような外見をしているので、まだしも違和感は薄れる。
これが実用一辺倒の無骨な剣だったら、ますます違和感に拍車がかかるところだ。
ここは現代日本で、自分は帰ってきたのだということを、麻衣は時々実感としてわからなくなる。たぶん、安堵できる状況に戻ったはずなのに、少しも安堵できなかったせいだろう。
剣の能力をばらしたのは、なげやりになっていたからということもあるが、ばらしたところで支障はないからだ。
たとえこの剣を盗んでも、麻衣が使おうとすれば手元に戻る。
対応策がない。
たとえこの剣が使いづらくとも、恐ろしくとも、選択の余地がない、というのはこの剣が持つ能力ゆえ。
心を読める少年が持って来たとき、ニセモノならいいと思ったのは、本物であるということは今の状況は誰かの作り出した幻覚ではなく現実だから。
石を、どうするか。
こう事態がややこしくなると、始末は至難の業だ。いや、ややこしくした張本人である麻衣が言っていいことではないのだが。
もう石を頼ることもない麻衣からすれば、石は始末した方がいい。
多少の責任も感じる。
石を受け取って、すぐ、石の誘惑に負けずにこの剣で一撃すれば、それですべてはおしまいだったのだ。
麻衣が負けてしまったので、事態がここまでこじれた。
事態をややこしくした張本人は誰が見ても―――、麻衣から見ても麻衣である。
この剣で石を一撃すればたぶんそれですべてが終わる。
ところが、麻衣の体内に石が入り込んだ今となっては、麻衣にはそれはできない。
麻衣には石は壊せない。石が次に出てきたときには多分麻衣は死んでいる。
この剣を誰かに預けて麻衣の身体から石を取り出して砕いてもらうにしても、……抜けない。
抜き身状態で剣を渡した場合……多分流血惨事になる。シュレイルはそれだけはするなといっていた。麻衣もそれに逆らう気はない。
剣が抜いていい人間とそうでない人間を見分けるということは、剣に何らかの意志があると仮定しても、そう飛躍した考えではないだろう。
そういう意志のある剣が、使い手に相応しくない人間の手に渡ったらどうなるのか……かなり恐ろしい想像がよぎる。シュレイルも同様のことを想像して、止めたのだろう。
麻衣はひとつ嘘をついた。
剣を抜けるのは麻衣以外にもいる。
シュレイルが持ち主だった頃、麻衣が何度か使用したように。
ただ……見つけるのは難しい。
この剣は使い手に相応しい人間を見抜く、とシュレイルはいった。
どういう基準で選んでいるのか不明だが、明らかにこの剣は人を選ぶ。
ならば、麻衣以外にも「相応しい人間」がいるはずだが……。どうやって探せというのか。
また、探して、見つけたら、どうするというのだ。
麻衣が負けたように、石の誘惑に必ず勝てる人間など存在しない。石の誘惑はそれほど巧みだ。
麻衣が石を壊すよう頼んでも、「実害」を知る麻衣ですら敗れたのだ。伝聞でしか知らない人間ならばなおのこと、石の誘惑に負けるだろう。
この剣を持った人間が石を握ったら、……麻衣を見てもわかるだろうが、災厄そのものである。
剣にこだわるから悪いのかと、麻衣は別の観点から見てみる。
普通の手段で、石を壊す。
金槌でぶん殴る。
火で熱する。
……多分、破壊できない。
石を壊せるのは、多分―――この剣だけだ。
目をそむけてきたことを突きつけられて、麻衣は息をひとつ、吐く。
天の配剤……?
時折、こうした、皮肉屋の神の存在を感じることがある。
石がこの世界にあって、この剣がここにある。その二つが近距離にあり、かつ出会う。
このようなときに、人は神の存在を感じるのだろう。
ただ予定調和が狂ったのが、麻衣が誘惑に負けたことだ。
おかげで、剣は石を破壊できない。使い手の体内にもぐりこまれてしまっては、斬りようがないからだ。
予定が狂った。
石を始末することを、放り出したっていい。
どうせ自分はもうすぐ死ぬのだ。死んだ後の事まで知るものか。
そう思う反面、そう思う自分を制止する声があるのも事実で。
麻衣は、自分の行動を決めかねていた。
|
2006 10/31 up
|
 |