 |
あなたは間違っている 33
部屋に、一人の少女がいる。
短く切った黒髪は不揃いで、濡れたような光沢は汚れのためだ。房になって固まった髪のところどころには白い埃やどす黒い血の塊が付着していた。
その顔は肌色の部分を探すのが困難なほど傷ついている。顔は紫色と赤色がほとんどをしめ、ボールのように腫れ上がって元の造形を見出すのは不可能だった。
少女は壁にもたれるように、座り込んでいる。
投げ出された手足には、申し訳程度の布地しかなく、棒切れのように細い手足に白くこびり付いた汚液は、異臭を立ち昇らせる。
瞳の位置はほとんど変わらないが、何も見てはいない。
希望も、絶望すらもない、うつろな瞳だった。
部屋は最低でも一月以上は掃除していないだろう。木造りの壁は黒ずみ、床は埃とごみがあちこちに散乱している。食べカスらしいごみの腐敗臭の上に、独特の異臭が加わって、強烈な悪臭になっていた。
不潔で汚らわしい世界に音が鳴る。
部屋の壁の一角が崩れた音。いや―――扉だ。
自分もその扉から入ったはずなのに、出入りする人間も見たはすなのに、それが扉だということを、少女は気づけなかった。
入ってきた人間は少女の姿に一瞬だけ足を止め、正面に立つと手を差し伸べた。
頬を両手で包むようにして数秒。
手を外し、いたわりの滲む声で尋ねる。
「立てるか、マイ?」
黙ったまま人形のように青年につれられて、その日は宿をとった。
その晩、少女は予言というべき夢を見た。
うつらうつらと眠っては起きを繰り返して、目が覚める。目が覚めたとなりには宿屋の主人がいて、もう二日も寝ていたという。
食事のために少女が起きると、そこには手を差し伸べてくれた青年はいない。
彼女を置いて、足手まといで病気の彼女を置いて、出立してしまったのだ。
ぎゅうっと、心臓が一気に収縮する痛みで、目がさめた。
心臓の痛みに、前かがみになって胸を押さえながら急いで隣を見ると、青年はいた。眠っている。ベッドではなく、床の上でだ。
部屋を見回せば個室。それは、彼らの財政状況を考えれば相当の出費だった。
しかも、少女はベッドの上なのに、青年は床の上。筋違いの待遇だった。
―――足手まといだ。
いないほうがいい。
いても、何の役にも立たない。
少女はこみ上げる涙を今だけ許した。
―――あの夢は、必ず実現する未来でもある。
自分が立ち直るのに時間がかかっていれば、彼は、自分を置いて行ってしまう。
ここは日本の学校ではないのだ。傷ついている人はそっとしてあげようなんて甘い考えは通用しない。
心が打ちのめされ、傷つけられても、沈んでいる時間すら、自分にはない。
見捨てられたくなければ、ここに置いていかれたくなければ、明日の朝は平気な顔を作らなければ。
笑いかけ、おはようといい、さあ出発しようといい……。
そうして、平気な態度をしなければ。
彼の旅を邪魔するようなことは、してはならない。自分は、足手まといなのだから。
見捨てられたくない。
置いていかれたくない。
考えただけでも、体が震える。それは絶対的な恐怖だった。
少女はそれを教えてくれた夢に感謝する。
彼に見捨てられる事。それを思えば、どんなことでも耐えられた。
◇
契約は成立し、支払いも履行された。
契約内容に裏切りがないことを確認し、渡辺麻衣は、手の中に剣を生み出して、放り投げる。
田中は受け取り、その重さに少しよろめいたが取り落とすほどではない。
「抜いてみて」
「……これは、例の剣ですね……」
呟きに麻衣は呆れた。
―――ったく、どれだけスパイを潜ませてるんだか知らないけど、情報ダダ漏れ。
剣の柄を引いた田中の表情が変わる。
「……これは」
「抜けないよ。それ」
さらりといった。
「な……?」
「返して」
するりと剣を奪い取り、麻衣はごく普通に剣を抜いてみせる。といっても十センチほどだが。刀身が長いので、全部は抜かない。大体危険すぎる。
呆然としている田中に麻衣は肩をすくめる。
「アーサー王の聖剣伝説でもなんでも、定番だろ?」
「……まあ……そうですが……」
「所有者である僕にしか抜けません。この剣。で、この剣の特殊な能力がもう一つあって、この剣持っていると、超能力無効になったりするんだなこれが」
どうして「そう」なのかは聞くだけ野暮だ。
「知らん」である。
そもそもそんな能力があるとわかったのが、とある超能力者にちょっかいだされたシュレイルが刺し殺したときだったりする。つまり、偶然判明したのだ。
実を言うと、「超能力全般無効」か、「たまたま無効」だったのかも不明で、麻衣にとっても賭けだったのだ。
……あの心の読める少年はその辺も読んでいたはずなのだが……、よくまあこんな剣を差し入れしたものだ。
「そういうわけで、僕にとって超能力者33人っていうのは、普通の人間33人とかわらないんだな」
田中の反応は意外と平静だった。
たぶん、「定番」であるからということで、想定の範囲内だったのだろう。
麻衣が一人でやったのなら、麻衣が特別な能力を持っているか、特別な能力を持つ道具を持っているか。
どちらかしかない。
「………どうやって、こんなの作ったんです?」
「僕に聞くなって。もらいもんなんだから」
くすくすと、舞う蝶のように笑って。麻衣はそういった。
|
2006 10/27 up
|
 |