あなたは間違っている 31



 かなり真面目に思っていることがある。
 ……この外見で、見た目まで悪くなったらイヤだ。

 麻衣は男にしか見えないが、誰が見ても美形というだろう容姿でもある。
 男にしか見えないのは……まあ、しょうがない。諦めよう。
 いくら日本に戻った今となってはマイナスにしかならないとはいえ、今から元の女らしい容姿に戻るのはかなり無理がある。
 パサパサの髪をどう手入れすれば以前のような烏の濡れ羽色の髪になるのか判らないし、肌は恐らくもう修復不可能なレベルだ。体についた筋肉をとるのは、考えただけでも気が遠くなる。
 でも、誰もが奇麗という容姿でいることは、けっこう麻衣にとって重大な事だったりするのだ。太ったりするのは、とても嫌だ。
 ずらりと並べられた絢爛豪華な料理を目の前にして、渡辺麻衣が考えたのはそんなところだった。

 現在、渡辺麻衣は丁重に遇されている。
 毎日小さくもない食卓がいっぱいになるほどの食事を供されるし、高級ホテルの一室をあてがわれている。
 ホテル外には外出禁止だが、ホテルにはスポーツジムもあり、ショッピングをする店もあり、その代金はすべて向こうもちでいいときている。
 この生活がはじまって三日ほどたつ。
 ここで大人しくしている事を要求されたので、そのとおりにしていた。
 一体何を自分に期待しているんだろうなあと考える。
 渡辺麻衣という人材は、はなはだ使い勝手の悪い人間である。
 そんな自分に何を期待しているのか……いろいろ考えている事はあるが、確定要素はない。

 促されるまま迎えの車に乗ってこの立派なホテルについた。
 まず傷を治そうという話になった。
 ―――治癒能力者は、麻衣をみて、変な顔をした。
 そして麻衣の体の診察をして、ますます変な顔をした。
 そして、とうとう言ったのだ。それも、小声で。
 他の人間には聞こえないように顔を近づけて。
「なんです? この身体は?」
 まー、こっちとしても予想はしていたけどねという内容だった。
 治療を開始して、治癒能力者が戸惑いと不安の入り混じった表情になった瞬間から、こっちも不安には思っていたのだ。
「気にしないでください」
 相棒に何度も治療された身体だ。身体のかなりの部分が、シュレイルが作り出した細胞で埋められている。だから、こんな反応が返ってくることもあるかもしれないと、思っていた。

 ……こうして他の治癒能力者に傷を治してもらうのは初めてだが、そうすると、ひょっとして相棒ってすごい能力者なんじゃないかという気がしてくる。
 治癒速度が、比べ物にならない。
 シュレイルの場合、他人と自分自身を治すときで治癒速度に数倍の違いがあったが、麻衣を治すときと比べてもやはり違う。
 彼なら数秒で直した傷は、じわじわゆっくりと塞がっていく。
 傷を塞ぎ、穴をうめ、以前とまるで変わらない身体組織を作り出す……あの人は自分でも、「なんでそれができるのか」が不思議のようだった。できるものはできるので便利に使っていたが、科学者に近い思考を持っていたので、どうしてそういうことがおこるのかとその原理に疑問をいだいていた。
 人間の身体は、そう簡単に傷は治らないし、治る力にも限度がある。酷い傷が、元通りに治ることはない。なのに、シュレイルの力は元通りに治すのだ。
 傷が塞がり、包帯が取れると、さすがにほっとした。

 最初に確認したのは顔面だ。傷が残っていないかどうか。
 シュレイルは、顔面だけはことさら丁寧に傷が残らないようしてくれた。外見の重要性を知っていたからだ。
 差し出された鏡をのぞきこむと、傷は残っていない。かなりほっとした。

 そして、ホテル外から出ないことを要求されて、三日がたつ。
 そろそろ要求と交渉がきても、おかしくない頃合だった。

    ◇

 チャイムの音がして、すぐに扉が回った。
 無断で入ってきた人間に、麻衣は動揺の気配のない平静な眼差しを向ける。
 その視線に、一瞬、相手はたじろいだ。
 しかしすぐに建て直し、あくのない笑顔を浮かべる。俗に営業スマイルといわれるものを。

 髪をきれいに撫でつけ、灰色のビジネススーツを一部の隙もなく着こなし、暗灰色の書類入れを手に抱いている。
 肌の色は麻衣ほど日に焼けてはおらず、かといって色白とはとてもいえない普通の肌の色。皺や張りからして四十代か、苦労がちな三十代でも通る。
 顔立ちは平凡で、黒縁の眼鏡をかけていることぐらいしか特徴がない。雑踏ですれ違ってもおそらく誰の記憶にもとまらない。こうして一対一で顔をあわせても、一時間後には思い出すのが難しいだろう。

 テーブルに腰掛け、窓の外を眺めていた姿勢のまま、麻衣はにこりとして侵入者に話し掛ける。
「いらっしゃい」
 この場の主人は自分で、あくまでお前は乱入者だ、という意思表示。

 相手は落ち着き払ったようすで、すぐさま切り替えした。
「こんにちは。渡辺麻衣さま、ですね?」
「そうだけど。あなたは?」
「田中、と申します」
 ……偽名だろうなと思ったが、どうでもいいことだった。
 個人識別及び呼び名がわかればいい。
 麻衣は意識を集中させ、廊下の気配を探る。―――複数人が行き来している。彼らが田中の仲間なのかは、つかめない。
「キミ、ひとりだけ?」
「……ええ」
 いきなり君呼ばわりされ面食らったのか、一瞬だけ間が空いた。
「僕に、一体何を聞きたいの? 一体何をしたいの?」
 直球もいいところの質問に、驚いたのかしばらく答えが無かった。

 ややあって、田中はこういった。
「死体を33、つくられましたね」
「うん」
「まず、事情を説明いたします。
あれにより、一族内では大混乱です。先日の一件と、今回の件……それにより、実質的に一族のなかの強力な能力者はほぼ死に絶えたといっていい状況です」
「……」
「遺族があだ討ちや復讐を言い出すにも程がありましてね。復讐よりも、恐怖がまさりました。なんせ、33人がまとめて殺されましたので。どのような戦力をぶつければあなたを捕獲できるのか、それすらわからぬ状況です。普通の人間ならば、どのようにでも殺せる。同じ人間で、殺せると思えばこそ、復讐の念はわく。しかし……気を悪くしないで頂きたいのですが、あなたはいま、遺族にとって、人間ではないのですよ。どこをどうすれば殺せるのか判らない、怪物になっているのです」
「撃たれりゃしぬし、刺されれば死ぬし、毒入れられれば死ぬけどね……」
 今日まで麻衣は毒物をなんら気にせず食事を取っている。
 もう、毒を入れられようと気にならなくなったからだ。

「そして一方。一族の上層部では、あなたの申し出を受けようという意見が大勢です。なんといっても、あなたはかなり、派手にやられたので。これ以上殺されては、一族の瓦解につながりかねない……いえ、今の状況でもそうなりかけてますが」
「―――ナルホド」
「今、一族は正直なところ、あなたなど知ったことじゃない。そういう状況なのです。……そして、こちらでも」
 田中は含みありげに言葉をきる。
 麻衣は唇を吊り上げた。
「悪は、正義があるからこそ存在意義があるってやつ?」

「まあ、平たく言うと、そうですね。あなたをこのホテルにご招待した人々は、あなたの手によって一族が瓦解寸前にまで追い詰められていることに気づいた。気づいたはいいが……長年の敵がいきなり弱体化してしまって、喜ぶどころか途方にくれてしまったわけです。あなたのように、敵=殺せという単純明快な敵対ではありませんでしたし」
 ちくりとした嫌味だが、その程度では麻衣の象の足裏ほどにも分厚い顔の皮を一ミリたりとも傷つけられない。
 笑って言ってやる。
「僕は長年敵=殺せっていうシビアな思考世界で生きてきたからね。子どもの意地の張り合いレベルのぬるま湯思考じゃないし」

 田中はガキの意地の張り合いといわれて不快げな顔もせず、話を続ける。
「明確な敵があるからこそ、この組織はまとまってきたのです。ところがその敵が弱体化した。では自分たちは何をしよう、どうしよう、という段になると、途端に彼らは明確な目標がないことに気づきました」
 強大な魔王を倒すため、様々な苦難をのりこえ旅をしてきた勇者一行。ところがその旅の途中で突然第三者が魔王を倒してしまいました。もう、魔王はいません。勇者達はボーゼンとします。魔王の部下のモンスター達はたくさんいますが、魔王はもういません。さあ彼らはこれから一体どこへ何をしにいけばいいのでしょう―――。
 麻衣が脳裏に浮かべたのはこんな想像だった。
 そしてそれは、実状を正確に言い当てていた。

 麻衣が目で続きを促すと、田中は続ける。
「遠慮のない事を言わせていただければ……、うちは混乱状態にあります。
弱った隙に攻撃をしようと主張する人もいれば、「攻撃といってもどう攻撃するんだ?」という人もいますし、なにぶん、皆さんあなたの大量虐殺で人死にうんざりしているのです」
「……それは、まあ、わからないでもないけど」
「私たちは日本人です。敵=殺せというあなたの考え方の前では、子ども同然の幼い敵対意識しか持ちません。そして、いわば「本物」のあなたの容赦ない所業の前に、その凄惨さと、遺族の嘆き悲しむ姿に、争い自体に皆嫌気がさしてしまったのです」

 ……理解できる思考の流れではある。
 AくんとBくんが「きらいだー、お前なんてきらいだー」と言いあっていたら、突然Cという大人が「お前きらい、死ね」とナイフで刺して本当にAくんを殺してしまったようなものである。
 Aくんと争っていたBくんは死体を見て青ざめ恐怖に怯え、これまでのAくんとの喧嘩の日々を思い出し、そして「本当の争い」というものを知って、争い自体に嫌気が差してしまったのだ。

「一族が弱体化した今、争う理由がなくなったとして、一族など放っておいて、それぞれ社会の中で自立してそれぞれの人生を歩もうと主張する人もいます。
もはや、当方では、あなたをどうこうしようという意志がないのです」
 麻衣は数秒、間を空けた。
「………………は?」



2006 10/22 up

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