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あなたは間違っている 29
「僕の経験からいうと……、激しい苦痛に耐えられる人間はいない、とはいわない。稀にいる。でも、ほとんどの間は、耐えられない。最初は嫌がっていた人間も、一発殴ればかなり大人しくなるし、指を一本切り落とせば、そうとうの数の人間が素直になるんだよね」
自室に連れ込まれ、大量殺人者ににこやかにこんな事を言われて、それでも拒絶できたら、それだけでその人間の勇気を褒めていい。
渡辺麻衣は、実際にそれができる人間でありそれをする度胸もつもりもあった。
そのことがまた、相手に敏感に伝わり怯えさせる。
「話す? それとも指を切られたほうがいい?」
麻衣の浮かべる快活な笑みは爽やかで、朝のラジオ体操のインストラクターでもつとまりそうだった。
先ほど無言で暴力を振るった(頬を殴りつけた)人間のものとも思えない。
その二面性がますます怯えさせる。
そして、交渉とは、怯えた方の負け、なのだ。
◇
怯えきった相手からは、面白いように情報が取れた。
「こ……っ、交渉を、もちかかけ、もちかけろ、と。そっ、そのように、いわれて……っ!」
「……毎度毎度思うけどさあ。どうして君なわけ? 交渉役って、重要だよ? とくに今みたいな状況で、僕に対しての使節に、どうして君? この局面で、僕ってかなり重要人物だとおもうよ? 石持ってるし、いろんなこと知っているし。そういう重要人物相手のきったはったの交渉に、どうして君みたいなお馬鹿なお子様が毎回でてくるのかな?」
麻衣の目の前で尋問されている(すでにそれは交渉ではない、尋問である)のは、かつて麻衣の前で食い逃げしてくれた相手である。
恨みはあっても義理はないし、交渉技術は下の下だ。
普通なら、麻衣の元には寄越さない。
もっとも……そういう道理で物事片付くなら苦労はない。
現実は得てして道理を無視した馬鹿馬鹿しい事が起こる。それもかなりの頻度で。麻衣はそれを知っていた。
たとえば、この坊やが熱烈に交渉役となることを主張したとか、あるいはリーダーがそこまで気づいてない馬鹿だとか。
「し、しらない。ほんとうだ……!」
「……まあいいけど」
考えられる可能性としては、麻衣のほうが馬鹿ということだ。
この少年が馬鹿のふりをしていて、麻衣がまんまとそれに引っかかったマヌケ。
もちろん、その可能性も充分あるので、頭に残しておく。
自分がかしこいと思っている馬鹿ほどよく罠に引っかかる。いろいろな経験が麻衣にそれを教えていた。ただし、それを知っていてもやはりひっかかるときにはひっかかるのだが。
麻衣は質問する前に少し考え、別の状況を想定してもう少し考え、更に別のことをまた考えた。
最終的に結論をだしたのは、相棒の言葉だった。
―――憐れみは、人間の最も高貴な感情だ。
しょうがない。
ずたぼろ状態の自分に手を差し伸べてくれたイマドキ珍しく義侠心あふれる奇特な少年だ。それに免じて、見捨てるのはやめよう。
ため息を一つ吐き、その質問をする。
「草薙信二はどこにいる?」
会話をチェスとしてみれば、この質問はクイーンの価値を敵のポーンに与える自殺手だ。
人質に人質としての価値があると自白しているも同様の質問なので、できればしたくなかった。
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2006 10/18 up
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