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あなたは間違っている 24
清次郎を無視してテレビを見ていた麻衣が、こちらを向く。
突然の動作に心臓がはねた。もちろん、今の麻衣には血がついていないが……あの血に染まった顔面を思い出した。
「そうだ、伝言よろしく」
「え? 伝言?」
「うん。……あのさあ、僕って自分さえよければ他人が迷惑しようがまあオッケーっていう人なんだけど」
……それは、重々承知しております。
殺された怒りより、恐怖の方がはるかに大きくて、感情を司る箇所が麻痺しているらしい。怒りはまだ湧いてきていない。
怖いのだ。
恐ろしいのだ。
恐怖は最強の感情なりえる。恐怖に怯えていれば、怒りも湧いてこないものだと初めて知った。
「でもってそれって、逆を返せば死んだあとなら誰がどうなろうといいってことなんだよね」
「……」
「だから頼みたいのは、平和な調停の使者。僕が死んだ後なら、今僕が隠していること全部教えてあげるし、僕が死ぬのってそう遠くないよ。うん……そーだね、長くて半年ぐらい」
「―――半年?」
「うん。長くても。たぶんそれぐらいで、死ぬと思う。石が、体内に入っちゃってるから。このまま僕が願いを叶えないでいると、石が痺れを切らして僕を殺すと思う」
うんうん、と他人事のように麻衣は軽く頷くと、話を進めた。
「だから、君は向こうへ帰ったらこう言って。半年待てば、僕は死ぬ。それまで大人しく傍観しててくれれば、僕の死後に、僕が隠してきたこと全部教えるって。まあ……普通は、傍観する方選ぶんじゃない? 戦力ぶっつぶされてるし」
「死ぬ……って、石が殺す……わけですか? なんで?」
「僕が石に願いを言わないからだよ。……僕もこの石について確実に正しいって情報は知らないんだけどさ。これはたしか。この石、所有者に願いを叶えさせたいんだよ。それができないとなれば、まず、まあ、殺されるだろうね」
「避ける方法……とかは」
「あることはあるけど、やりたくないな」
その気弱げな様子が、無性に気に障った。
「どうしてです!? あるなら試せばいいじゃないですか! らしくないですよ!」
麻衣は苦笑する。
「方法っていうのはね、この剣」
いきなり麻衣の掌の上に現われた剣に、ぎょっとする。
そんな清次郎に、麻衣は微笑む。
「……これはね、石との契約。こんなもの、日本では持ち歩けないだろ? だから、石に頼んだの。僕は石を手にしてすぐ三つの願いを言った。一つ目の願いは次元の移動。二つ目の願いが大切な人との再会。三つ目の願いが、この剣が僕の望むどおりに現われたり消えたりする事」
「……それで、その剣が?」
「石がいま、僕の体内のどこに入っているのかは判らない。わかるのは、脳味噌じゃないってことだけだ。脳じゃないけど、体のどこかにある。石を含む身体の一部を切り落とせば、僕は助かる。でも、石がどこにあるかは分からない。仮にレントゲンをとっても、多分すぐに移動するだろうしね……。この剣はね、切れ味は最高だけど、傷は普通に痛いんだぜ? ばくちで手足を切り落として、石があればよし、なければまた……なんてことするぐらいならそのまま死んだほうがまし」
麻衣は体を震わせてみせた。
「手足がなくなった人間と、接した事ある? 壁越しに聞こえるその苦鳴を聞きながら、眠りについたことある? 四肢欠損の痛みたるや、そりゃあ凄まじいもんだよ。悲鳴が止まるのは、痛みが無くなるときじゃない。死んだときか、喉がかれたときだ。あんな思いするぐらいなら、そのまま死んだほうがいい」
直感した。―――変だ。
清次郎の知る麻衣なら、激痛に接してでも生きるほうを選ぶ。たとえそれが分の悪い賭けでも、生き残る目があるのならそちらにかけるはずだった。
その理由に予想がついてしまいそうな自分が嫌だった。
強く固くもっていた心が折れるのはどういうときだ。
その目的が、泥にまみれたときぐらいしかない。
「大切な人」への渡辺麻衣の愛情が冷めたか、どうかしたのだろう。
……ということは、先ほどの申し出も本心と見るのが妥当。
半年、静観していればこちらは渡辺麻衣の死と、秘密を手に入れる。
なかなか魅力的な取引だ。少なくとも、上は受け入れるだろう。
復讐心にたぎる人間は納得いかないかもしれないが、それはしょうがないことだ。誰だって、大切な人を殺されれば復讐を考える。考えない人間の方が少ないのだから。
そこで、好奇心がうずいた。
「その剣は、なんなんですか?」
「もうちょっと質問は具体的に」
「どうしてその剣は次元が違うのに切れたりするんですか?」
「……正直に答えてあげるとね、僕も知らん」
困ったように首を傾げる様子は、嘘をついているようには見えない。
「僕は端的にこう思っている。魔法の剣、って。……それじゃ足りない?」
「……超能力を使う人間が論理的とか科学的とか言ってはおかしいんですけどね。何ですかその剣。非常識ですよその切れ味。コンクリートでもぶった切れそうじゃないですか」
「さすがにコンクリートは斬った事ないけど、まあ筋肉と骨と内臓詰まった人体があの手ごたえだからね、斬れるんじゃない?」
「―――」
清次郎は何かいいかけ、言葉が見つからずにとめる。
魔法の剣。
それで納得してしまうのがいちばんいいのだろう。どうしてとかなんでとか、そういう考えても答えの出ないことは、考えないほうが無難だ。
所有者の麻衣自身、もらいものでなにもしらないのだから。
清次郎は立ち上がった。
「―――わかりました。伝えましょう」
「うん、よろしく〜。駅の交番でテキトーに嘘ついて頼めば、電話ぐらいは貸してくれるだろうから、電話借りて迎えよんでね」
立ち去りかけて、思い出して振り返った。
「僕が庇った彼女は……」
「あ、うん。安心して。殺してないよ。……ちょっと昔の知り合いに似てたから、殺すのに忍びなくて」
―――西下唯か。
本人は気づいてなかったが清次郎も相似には驚いた。
童顔で、細い栗毛が面長の小さな顔を縁取る。どんぐりのような大きな黒い瞳。
どう見ても十代のあの外見で、実は二十代の後半なのだから女とは恐ろしい。
実は調査員に彼女が選ばれたのは、それもあったりする。昔からの潜入捜査のセオリーともいえる。親しい知り合いに似た相手には、人間好意を抱きやすいからだ。本格的な諜報組織では、整形して潜入するのは定石ともなっている(といってもこれは潜入捜査の場合なのだが)。うちではそれほどしない。たまたまよく似た人間がいたので、調査を依頼したのだ。
「それを聞いてほっとしました。―――今のお話は、僕が必ず上に伝えます。その回答はどちらに持ってくればいいですか?」
「うん。回答は、イエスの場合は、質問状の形にして僕に渡して。この部屋にいるからさ。新聞受けでいいよ。その質問状に、回答を記入して、第三者に預けておくから。僕が死ねばその人間が君達のところに郵送する……ってのはどう?」
清次郎は頷いた。
「恐らく、上も頷くでしょう」
§ § §
清次郎がいなくなると、麻衣は立ち上がって扉に鍵をかけた。
ここまできても、居直り強盗に射殺されるのは好ましくない。
渡辺麻衣は、欲しいものの為にまっすぐな人間だった。人を殺めても、後悔なんてするもんかと思った。
麻衣は今、何も欲しくない。お金も命の延長も、なにもいらない。
あるのは、むなしさだけだった。
どんな障害も困難も乗り越えて欲しいものを掴もうという気概は、翼が生えたように飛び去ってしまっている。
では、自分は一体何が欲しいのか? を考えたとき、麻衣はどうしようもなく虚しくなるのだ。
―――マイは、大金を手に入れたら何をしたい?
―――まずお腹いっぱいになるまで美味しいものを食う。次に虫とかいないベッドで眠りたい。あ、あと温かい湯のお風呂とかも入れるかな。
……望んでいたのは、まともな食事と清潔なベッドとお風呂。
日本では誰もが持っている当たり前のことで、日本に帰ってきたらその望みはあっという間に充足された。
だが、満たされない。よくある欲望の拡大かと思ったが、ちがう。
麻衣が欲しかったのは、大金でもないし、衣食住でもない。それらを、相棒の傍らで受ける事、だったのだ。
石の力にも限りがある。
万能の石というのは誤りだ。
最初に望んだ相棒との再会は、果たせなかった。
だから、麻衣は幻を作った。
……幻は、消えた。
「一番欲しい望みが叶えられないのなら、こんな石いくらあっても仕方ない……」
二番目以降の望みなど、麻衣に限らず日本国民なら足りているものだ。
身体の中で、石が苛立っているのがわかる。麻衣の台詞に反発しているのだ。
少しの間を置いてやってきた苦痛に、麻衣は身をよじる。
もしこれで心臓が止まればいっそ楽でいい、と思う。
どの道を選んでも八方塞り。そうなったのは九割がた麻衣のせいだが。
しかし残念ながら死は訪れず、痛みがやんだころ、麻衣は疲れた身体を引きずって寝台に入った。
次に目が覚めたのは、第六感だ。
ときどき、こんなことがある。ふと夜中に目が覚めて、しばしば、同じ夜に危険が迫るのだ。
時刻を見ると、十二時間以上すぎている。それでも浅い眠りだったせいで、疲労感は消えずに身体のあちこちに残っている。
呼び鈴の音がした。
強盗だろうか。不在かどうかを確かめているのだろうか?
のぞき窓を見て、なんともまあ律儀なことだと思った。
無言で扉を開け、入ってきた人間ににやりと言う。
「君も律儀だねー。これから殺す相手に、わざわざチャイムで訪問を知らせるとは」
抗う理由の無くなった今、抵抗する気は、麻衣には無かった。
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2006 10/4 up
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