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あなたは間違っている 23
死んだはずの自分が生きていたことにも驚いたが、それ以上に、目の前に自分を殺した人間がちゃぶ台の前に座って渋い赤茶色の椀を片手にこちらを見下ろしている事に気づいたときには心臓が冷えた。
まだ視界も輪郭がぼやけ、「アレ、どうして生きてるんだろ……」とぼんやりしていた頭が一気に覚めた。
凝視したまま声も出せずに凍り付いていたが、自分を殺した人物は椀を口から離して呟く。
「うわ……まさかと思ってたけどほんとに生き返ったよ。やだなあ」
そういって、また椀を口に運ぶ。
「…………」
十秒たち、二十秒たった。
それ以上のことは何もなく、普通に食事を続ける青年の姿を見ていると、心臓を直に掴み上げられた様な恐怖心はだんだん鳴りをひそめてきた。
清次郎は、自分のいるところを見回す。
ここは……青年の住んでいる週貸しのマンションらしい。
木の床に、折りたたみ式のちゃぶ台が置かれ、青年の正面の壁にはテレビがある。
備え付けのテレビの音が、沈黙する二人の間を満たしていた。
ニュースの音と、鼻腔を味噌汁の匂いがくすぐる。
「日常」の気配だった。
青年は立ち上がると、左側の壁際に備え付けられているキッチンに向かい、何かを手にして戻ってきた。
「はい」
とん、と軽い音を立てて、清次郎の目の前、ちゃぶ台の上に置かれたのは、……カップラーメンの容器だった。
「食器はないんだ。贅沢いわないように」
湯気とともに立ち昇る味噌汁の匂いが、鼻をくすぐった。
清次郎は床から体を起こした状態で固まっていた身体をギクシャクと動かす。ねじった格好の体が無理な緊張から解放されてほっと安堵する。床に手を突き、起き上がりつつ右を見た格好で硬直していたので、てのひらがぶるぶると震えた。二度三度と手を開閉する。
そして、目の前に置かれた味噌汁に目をやった。
「……」
今おかれている状況が、まったく、理解できなかった。
殺されたはずなのに生きていて、殺した相手はのんきにテレビ見ながらちゃぶ台かこんで味噌汁すすっていて、自分にカップラーメンの容器に入った味噌汁なんてものを振舞う。
清次郎は見ていた。
ずっと見ていた。
斬られないよう距離を開けてずっとうしろから、渡辺麻衣が住民をひとりひとり、悲鳴すら上げさせずに恐ろしく手早く始末していくのを、清次郎はずっと見ていた。
渡辺麻衣の透明な剣は、次元の違う体でさえ切り裂く。その剣の軌跡に自分が入らぬよう、充分な距離を置いて、この青年が人殺しを嬉々として行うのを、ずっと見ていたのだ。
―――嬉々として。
あの笑い顔を思い出し、ぞくっとする。
怖かった……離れたところから見ていても、震えが走るほど恐ろしかった。殺人を、心底楽しんでいる人間の顔だった。
似たものを言うなら、運動好きの人間が、思う存分走った後に莞爾と浮かべる笑顔だ。
……モノが殺人で、そんな顔ができる人種など、清次郎の近くにいたことはないし、いて欲しくもない。
「……なにをしているんですかこんなところで」
丁寧語を使う自分の気の弱さに、唾を吐きかけたくなる。こんなやつに、どうして敬語を使う必要があるのか。
「味噌汁食べてる。食べないの?」
「……毒でも入っているんじゃないでしょうね」
麻衣は椀を下ろし、いかにも呆れた顔で見た。
「あのさあ清次郎。きみ、僕が一通り殺すの全部見てたんだろ?」
答える必要もないので、沈黙する。
「僕が君を殺したいのなら、とっくに殺されてるとおもわない?」
清次郎では麻衣に敵わないと思っているからこその発言だ。
―――普通人が、超能力者である清次郎を、いたって普通に見下してこんなことをいう。
怒るべきだし不愉快になるべきなのに、ならなかった。
心のどこかで、「渡辺麻衣は特別」という認識ができてしまっている証拠だ。
……そして、実際、そうなのだろう。清次郎は、渡辺麻衣より弱い。
渡辺麻衣は、一族の主だった能力者全員を、30分とかからず全て殺してのけた。あの血なまぐさい時間の間中、時間の感覚が喪失してしまっていたので、正確な時間はわからない。ひょっとしたら、十分ぐらいかもしれない。でも、一時間は、かかっていない。それは断言できる。
清次郎が誇るとともに悲しく思うのは、殺された誰一人として、命乞いはしなかったということだ。
したところで、聞き入れたとは思わないが。
全員が誇り高く敢然と立ち向かい……無惨に斬り殺されていった。
誰か一人でも、逃げてくれれば。
そして、広い屋敷の別の場所にいる人間に逃げろと伝えてくれれば、生存者はいたかもしれない。でも、それすら誰もしなかった。
超能力者であり、相手は普通人である。
その、認識が……逃げるのではなく立ち向かう事を選ばせたのだ。
非戦闘員である屋敷の人間達は、逃げる間もなく事態に気づく間もなく不意打ちで突然人生の幕を切り落とされた。
各地から召集された能力者たちは、事態に気づいて、自分の行動を選択するぐらいの余裕はあった。
そして皆、立ち向かう事を選んで、殺されたのだ……。
そのなかには、清次郎自身も入っているはずだった。
「……どうして私は生きているんです?」
だから、どうして丁寧語になってしまうのか。
清次郎は自分に腹を立てながら、意識的に言い換えた。
「どうして私は生きている?」
「味噌汁」
「え?」
「食べたくないなら返して。食べるから」
奪われまいと、反射的に軽い容器を持ち上げて口をつける。
すすって驚いた。……この、どこから見ても男にしか見えないそれも精悍な美青年にしか見えないでも実は女性の作った味噌汁は実に美味かった。塩味も適度なら具の旨味もよく出ていて、さらにはさまざまな具がゴロゴロと入っていてその具が実によく煮えていて……芋、汁、肉、野菜が口の中に飛び込み、溶けるように柔らかくくずれてその奥へと導かれていく。
かっかと胃の中で燃えて体が温まる、抜群に美味な味噌汁だった。
「美味?」
夢中ですすりながら、こくこく、と頷く。
「僕はそう見えないけど、結構料理上手いのさ」
確かに、意外だった。
この青年が味噌汁をつくっている姿を想像する。
この誰が見ても美形というだろうが誰が見ても男だというだろう青年があのキッチンで、鍋の前に立って、鰹節でダシをとっている姿……。
つい笑ってしまって、―――血の色のあの時間を思い出した。
……この青年が、あれをしたのだ。
次々と剣を振り上げ、人々の頭をかち割り、身体を貫き、殺していったのだ。
具沢山の味噌汁で、体の内側からほかほかと熱が起こってくる。
その熱に、緊張と恐怖までも緩みそうな自分を戒めた。
「……どうして、殺さないんです」
自然と口調が丁寧語になったのにまたもや気づいてしまった。内心いらだったが、言い直すのも格好悪いので次気をつけることにする。
「殺す理由がないし、気もないし」
「なんで私は生きている?」
ちゃぶ台を挟んだ向こうの目を覗き込み、見つめた。にらみつけた、の方が正しい。
しかし、渡辺麻衣は、緩く笑うばかりで何も見えない、読めない。
ポーカーフェイスではとてもたちうちできなかった。
「今は、君が殺された翌日」
「え?」
「秘境ってわけじゃない、同じニッポンの都市部だ。普通に帰れるだろう。帰っていいよ」
「え……」
頭の中はパニックだった。
なん―――だって?
「な、そ、それはッ!」
「……? 帰れ、っていってんだよ? 帰さない、っていってるんじゃないよ? その反応なんでさ」
麻衣の反応は、相変わらずドライだ。
……この数ヶ月、つかず離れず長い事彼女を見てきたが、彼女の思考方式というのは殺伐としていて乾ききっている。現代人はドライだというが、なんのその。
渡辺麻衣の「自分さえよければすべてよし」思考の徹底振りのまえには勝負にすらなってない。
その思考方式は利益優先であり、確かに利益だけを考えたら、麻衣の言う事は正しい。しかしだ。
混乱状態のとき、混乱のまま放り出さないで欲しい。
「そりゃあ……! ……そうですが。でも、その……」
その時、やっと、ようやく気づいた。
自分でも、もっと早く気づけよと思うが。
「―――次元のズレが……」
「……鈍い」
ぼそりという一言に返す言葉もない。
清次郎は麻衣の言葉を思い出す。
「死ぬか、死に掛ければ戻る……? 死に掛けたから……?」
「じゃないの?」
「で、でも傷が……!」
「それについては僕も知らん」
「で、でも! あの傷でどうして生きているんです? 死にかけというより死でしょう! たしかこう、左の肩から入って、右の腰に剣が抜けましたよ!」
「充分、生きれるよ」
「は!?」
「生の定義も、死の定義も、どちらも定かじゃない。ギロチンで首を切断されても、脳死まで数分かかる。切断された首は、少しの間意識を保っているといわれる。『生きている』わけだ。君の場合、首のほかに胴体もちょっとくっついてるんだから充分生きてるって」
「……」
ぱくぱく、と、口を開閉させてしまった。
そんなのは生きているとはいわないとか、死に掛けどころか死んでいるとか……どれも言葉にならずに、清次郎は口を閉ざす。
「内緒の話だけど。切断された首に栄養補給したらどうなるのかって実験をした人間がいてね。見事、立派に、生きてるそうだよ。声帯は切られているから、声は出せないけど、自分の意識もあって意思疎通もできたってさ」
想像してみて……総毛だった。
簡単とは言わないが、現代の医学でそれを実践しようとすれば、不可能な事ではない。麻衣の言う言葉を、ホラか嘘と決め付けることはできなかった。
しかし……首だけで生きていかなければならないとは、どういう出来の悪い悪夢なのか。
……そんなの今はどうでもいいだろう。
混乱する頭をなんとかまとめて建設的思考をしようと努力する。
まず……生きていることに文句はない。うん、まったくない。
どうやら渡辺麻衣に胴体を輪切りにされて、死ぬまでの数分の間に次元をシフトして、なんでか傷も治ったらしい。
なんで傷が治ったかは判らない。わからないが―――謎がもう一つある。
「なんで私はここに?」
「しらん。味噌汁飲んでたら君がわいて出たのには驚いた」
「……驚いたようには見えませんが」
またも敬語復活。もう面倒なので直す気にもならない。
気圧されているのだ、悪かったな。
「充分驚いてる。知的好奇心が勝った、それだけだよ。味噌汁奢ってあげただろ。とっとと帰れ」
清次郎は、かなり長い間、渡辺麻衣を一言も喋らずに見つめた。
……渡辺麻衣は、自分の領域で、他人がいないとき(と、麻衣が信じているとき。実際には清次郎がいた)独り言を言う。
異国語なので何を語っているのかは判らないが、雰囲気というのは伝わるものだ。悪口を言われていると外国語でも何となくわかるのと同じで、会話の内容はわからなくとも、今挨拶をしているなとか、そういうことは伝わってきた。
―――まぼろし。
大切な人の、もういない人の、幻。
でも所詮、幻は幻だ。
渡辺麻衣は、その幻につかまり、石の誘惑に負けた、弱い人間だった。
でも、その事実どおりに彼女が弱く見えたことは今まで一度もない。
逃げ回り、街を転々としながらも、彼女はいつも幸せそうだった。それは強いという事だ。
きつい日雇いの仕事をしていても、部屋に戻れば表情が緩んだ。
幻と会話をする彼女は、張り詰めていたものがなくなった顔をしていた。
麻衣の『大切な人』は、よほど麻衣の心の重要な部分を占めているのだろう。家族もなく、友人もなく、恋人もいない彼女の心の支えが、幻、なのだ。
彼女は今、どうしてか、細そうに見えた。
疲れているように見えてしまって、清次郎は首を傾げる。
それに、清次郎を見逃すというのもちょっとおかしい気がする。
生存者ひとりもなしの皆殺しを実行してのけた強靭な精神力の持ち主である彼女だ。敵は殺すという強い信念があってのことだろう。
……どうして、いま、ここに湧いて出た清次郎を、それも強力な能力者である清次郎を、みすみす生かして帰すのだ?
人体を「まげる」ことはできなくても、歩く麻衣がどこかの屋根の下を通りがかったとき、屋根を落として殺すぐらいのことは、出来そうなものではないか(自分でもそういう状況で能力が発動するか不明だが)。
麻衣は沈黙したままだ。凝視する清次郎を空気のように無視して、テレビを観賞している。
根負けしたのは清次郎の方だった。
「……私がここを仲間に知らせたらどうするんです?」
「問題ない。ほぼ壊滅状態だろ、君達の一族。それなのに、その状況で、居場所を敵がわざわざ知らせてくれた状態で、のこのこ敵の居場所にわずかな戦力で乗り込んでくるほど君達おばか?」
……確かに、麻衣は、居場所を知られた、のではない。清次郎をわざわざ生かして返すというのは麻衣自ら知らせるということだ。罠の可能性を考えないほど上層部は馬鹿ではないだろうし……そして何より、「恐怖」もあるだろう。
死に彩られたあの館を目にして、恐怖を抱かない日本人がいたら異常者だ。
清次郎は悲しいが、わかってしまう。上の人間は、渡辺麻衣に恐怖するだろう。
そして恐怖は、どんな場合でも、冷静な相手を有利にさせるのだ。
しかし……。
「―――警察が乗り込んできたら?」
渡辺麻衣は、テレビから目線を外して清次郎の方を見た。
「通報できないだろうけど……通報されても別にいいよ」
その投げやりな返答に、清次郎は戸惑う。
ひそかに彼が見ていた渡辺麻衣という人間は、どういう欠点はあれ、「前向き」という点だけは賞賛に値した。
彼女は常に自分の利益を考え、自分にとって最良の結果を得る為に努力していた。後ろ向きで、自分の命を簡単に軽く扱い投げ捨てる人間の多い今の時代、その姿勢は、褒められるに値すると思う。
その「最良の結果」が他の人間にとって迷惑となる今回のような場合は、災厄以外の何者でもないが。
清次郎は戸惑いつつも麻衣を見つめる。
麻衣は清次郎の尾行をまくために地下やビルの二階以上を好んで通ったので常に見ていたわけではないが、それでも他の人間よりは、麻衣を知っていると思う。
その経験が、清次郎に教えていた。
何かが変だ……と。
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2006 9/30 up
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