あなたは間違っている 21



 時折、信じがたいほど運命は残酷な顔を見せる。
 その変貌は突然で唐突で……職務に忠実な徴税官のようだ。

 ほんの一時間前まで、のんきに観光とショッピングを楽しんでいたのに。
 いまや、自分の死か他人の死か、二択を迫られている。

 なんでこの屋敷に入ろうなんて思ったのだろう!? あんなにも清次郎が警告してく れたのに!

「……お、お金ならあげます! いくらでも!」
「却下。君が支払うお金なんて、せいぜい、今この場で差し出せるものぐらいだ。そ んなの君の死体を探ればすむ。……だから、ねえ? 清次郎? この子を助けたかったら、君に出来る方法はひとつしかないんだよ」
 自分の身を投げ出して、人の命を救う道。
「ああ、心配しなくていい。君は、死んだら……もしくは死にかけたら、元の世界に 戻る。この世界にね。だから僕は、ちゃんと君の死体をこの目で確認できるから」
 恐怖にしびれた頭の一部が、腑に落ちた。
 ───そうか。
 だから、心を読める清和の能力者は、その死を皆に認められたのだ。

 なぜ死体をわざわざ元の世界に戻したのかと思っていたが……これで、納得がいく。
 渡辺麻衣の冷酷なカウントがはじまる。
「十秒、あげよう。どちらが死ぬのか、選ぶといい」
 10……
 ───死にたくない。それは確かだ。
 でも、清次郎は何も悪くない。

 9……
 警告を無視して、入ろうとしたのは私。見つからないとたかをくくって。
 そう、この屋敷は広大だ。
 でも、広い屋敷の中、生きて動いているのが私と犯人だけなら?

 8……
 感覚を研ぎ澄ませていた犯人にとって、動いている人間の気配を察知するのは簡単だろう。ホテルのように他人がひしめきあっているわけではない。他に、誰もいないのだから。
 すべて、生きて動いているものは殺したのだから。

 7……
 中に足を踏み入れたのは探偵としての誇り?
 ……ちがう、意地だ。安っぽい、馬鹿で、子供のように聞き分けのない意地が、こ れから殺すのだ。

 6……
 死ぬべきは私か、清次郎か……決まっている!

 殺人鬼が5を数える声の前に、朝霞は正面から見据えて叫んだ。
「選ぶ必要なんてない! 私を殺しなさい愚か者!」

 渡辺麻衣は、朱にぬれたその顔で、にこりと笑った。
「これだけ死体が転がっているなかで、空元気でもそういえる勇気に敬意を表して、苦しませずに殺してあげよう」
 麻衣がすうっと手をあげて、朝霞は目を強く閉じる。子どもが注射のときにするように、強く。そうすることで、少しでも痛みや恐怖が少なくなるんじゃないかとそんなことを思って。

 死ぬのは怖かった。歯を食いしばっていなければ、カタカタと鳴ってしまうほど。
 それでも、自分のせいで人が死ぬよりずっといいと思った。
 ……じつは、5を数える間、迷ってしまった。
 でも、神様もそれぐらいは許してくれるだろう。ちゃんと、こうして正しい道を選べたのだから。
 さく。
 とても人体を切断する音とは思えないほど軽い音は、閉じた視界のなかで響いた。
 そのまま数秒、痛みが来るのを待つ。
 ……痛みがこない。
 ああ、もう死んだのか……。
 よかった、約束どおり、痛くないよう殺してくれたんだ……。
 ―――その幸せな妄想は、強烈なビンタで吹っ飛ばされた。

「ほけてんじゃないよー、お嬢さん」
 麻衣は人を蔑む嫌なニヤニヤ笑いで見ている。頬の強烈な痛みが、それが死後の世界ではない事を教える。
「……私……生きているの?」
 どうして、という言外の言葉は伝わったらしい。
「僕が殺してないからだよ、もちろん」
 なら……
 さっきの音は何だったのか。
 そう思いながら何気なく下を見下ろして、理解した。
 死体。
 今日、いくつ見たのか判らない人の死のすがた。
 でも、それは先ほどまでそこにはないものだったのだ……!

「あ……」
 事態を理解すると、足に震えが来た。
 生きているはずのないことは、多少動きの鈍い頭でも理解できた。
 肩からすっぱりと、袈裟懸けに胴体が切断された姿で生きている人間がどこにいるというのだ!

 死んでしまった……死んでしまった!
 私のせいで、死んでしまった!
 私が……私が、ここに入らなければよかったのに!
「清次郎が、庇うために飛び出すと思っていたからね。そのつもりで剣を振った。姿は見えなくても、斬った手ごたえで予想通りだとわかったよ」
 平然と、そう人殺しの首尾を語る人間が信じられなかった。

「で、次はお嬢さんの番」
「わ……私も殺すの?」
 そうだ、考えてみたら、約束を守る必要なんてない。こんなケダモノには、命を賭けた約束すら無意味なものに決まっている。
「うん。最初は正直そのつもりだったけど……」
 麻衣は肩をすくめる。
「パートナーがうるさいんだ。子どもは殺すなってわめいてる。あんまり機嫌を損ねるのも得策じゃないから、今回は見逃してあげる」
 歓喜と、そんなものを感じる自己嫌悪と、清次郎を殺したことへの罪悪感とが、三つ同時に襲って津波のように朝霞をさらう。

 それでも、最低限の聞くべき事を聞くことは忘れなかった。
「……パートナー……って?」
「この虐殺をしろと僕に提案した人。で、僕に超能力者と戦える力をかしてくれた人。まあ……平たく言うと、君たちの中の裏切り者かな」
 虚脱した脳が一瞬で沸騰した。
「馬鹿な! そんな人、いるはずないわ!」
 麻衣は顔を近づけ微笑む。…血のにおいがした。
「ねえ、君達の一族、総勢何人?」
 ぞっとして、思考が止まる。
 その微笑みほど、恐ろしい笑顔を、これまで見たことが無かった。

 単純に、血に濡れているからなんて理由じゃない。
 細くすぼめられた瞳も、弓なりになった唇も、どれも笑顔の形なのに……鬼が棲んでいる。
 人殺しを日常としてきた人間だけができる笑顔は、きっと、こんな顔。

「そのうちの誰一人として、不満を抱いてる人間はいないだなんて幻想、捨てたほうがいいと思うよ」
 ―――不満は、裏切りの下地となる。
 骨の髄まで恐怖で痺れている身体に、その言葉はしみこんだ。

 朝霞は悲鳴を上げた。
 麻衣が突然、髪を引っ張り引き倒したのだ。
「さ。殺しはしないけど、そのぶんの仕事をしてもらおうか。この家の金庫、どこ?」




2006 9/22 up

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