あなたは間違っている 20



 全身についた血が、シャワーによって小気味いいほどあっけなく落ちていくのを見て、麻衣は薄く笑う。
 文明の利器とは素晴らしい。
 いつもはもっと手がかかった。水浴びなんてできるのは古井戸か泉か川で、水をすくっては身体にたたきつけ、血の痕跡をぬぐった。

 麻衣はシャワーから出ると髪をドライヤーで乾かし、血まみれの自分の服ではなく、この家を探って出てきた服に着替える。
 血も落ち、服も着替え、一心地ついたところで、さて、自分の服はどうしようかと考えた。
 警察の介入があった場合―――複数の被害者の血のつき具合から言って犯人のものと目されることは間違いないし、麻衣の髪の毛や体毛だって付着しているだろう。皮脂や垢だって―――。

 麻衣はそこまで考えたところで面倒くさくなった。
 日本ていう国は、ほんと、不便だ。
 死体が道端におちてればこの世の終わりかってぐらい大騒ぎするし、人間が武器持って喧嘩してるだけで警察が飛んでくるし、警察はいやんなるほど優秀だし。ほんとう、不便で不便で仕方のない国だ。
 麻衣が六年いた場所は、死体があってもふーん、人間同士が喧嘩してても我関せず、警察はなんですかそれ馬の名前ですかというところだった。
 ―――でも、どちらが正しいかといえば、日本のほうがはるかに正しいのだろう。

 日本で生きていくからには、日本の流儀にあわせなければならない。人を殺して、つかまりたくなければ、後始末をしっかりするしかないのだ。
 家族に対して格別な思い入れはさほどないが、何といっても両親には16年間自分を育ててくれた恩というものがある。兄の方は「殺人者の兄」と言われようが、ネズミにかまれて伝染病で死んで死体は焼却処分になろうがどうでもいいが。

 しかし結局、麻衣は放置を選ぶ。
 警察に通報されることはないだろうと思うが、通報されてもいい。そのぐらいの気持ちだった。

 麻衣が浴室を出ると、頭を掻っ捌かれた女性の死体があった。
 その滑らか極まる断面をしげしげと見て、つい舌打ちしてしまう。
 滑らか過ぎる。
 透明な刃の剣は、あまりにも切れ味がよすぎて、麻衣には手こずる難物だった。手ごたえがほとんどないほどの切れ味は、いいことばかりではない。
 モノと接触したときの摩擦がないというのは、刃を止めるときの制止力を、自分の筋力のみに頼らなければならないということだ。
 そして、あの剣はめっぽう重いのだ。
 あの大きさの真剣を、自分の筋力だけに任せて自由に操るのは麻衣の筋力では力不足もいいところだった。相棒とくらべ、麻衣は明らかに非力なのだ。
 かといって鍛錬すればどうにかなるという問題ではない。
 鍛錬して力をますということは筋肉を増やすという事だ。
 麻衣の身体は、身長及び筋肉のつき方からして、戦闘に最善の体つきをしている。麻衣が選択し、絞り上げたベストのからだが、今のこの体なのだ。
 鍛錬して筋肉を増やせば、それは自然と別のところに影響を及ぼす。足も遅くなるだろう、持久力も衰えるだろう、一日の必要カロリーも増えるだろう。
 筋肉を増やすという事は、無分別に筋肉を増やすという事は―――決していいことばかりではないのだ。

 いたって冷静に、職業的殺人者の眼差しで測れば、「あの剣は自分に向いていない」になる。
 男と女の筋力の違いと、実際的な筋肉不足、および、怯え。
 麻衣はあの剣に怯えている。……そう、怯えている。腰が引けている。
 自分の手の延長たる道具ではなく、凶器であり、いつ自分が傷つけられるかわからないと思っている。
 少し間違えれば、あの剣は容易く麻衣の指や腕を断ち切るだろう。
 麻衣は相棒ではない。瀕死の重傷でさえ、瞬く間に治せる人間ではない。一度傷ついたら、指先のかすり傷さえ一日では治らない普通の人間なのだ。
 その痛みを想像すると、麻衣はあの剣に怯える。

 自分の道具に怯える職人がないのと同様、怯えずにはいられないほどの切れ味の剣など問題外だ。
 あの剣は、相棒のように指の一本二本どころか両手両足切り刻まれても大丈夫な人間が持つのが相応しいのだ。

 実戦を潜り抜けてきた人間のシビアかつ実際的な評価だが、麻衣には選択の余地はない。
 麻衣はくすりと笑うと、死体の転がる廊下を軽やかな足取りで進み、靴を履いて外に出た。

    ◇

 ……観賞用の銃と、実戦用の剣と。
 どちらが強いだろうかという質問に答えを出したような気にさせる眺めだった。

 屋敷中に死体があった。
 検分に来た人間が事態を発見したのは翌日の朝。定期連絡がないのを不審に思っての訪問だった。
 時間がかかってしまったのは、責任者に指示を仰いでいたためと、この屋敷の主人が麻衣の手にかかってしまったせいで、許可をとらずに無断侵入することに躊躇した人間が屋敷の中に入ることができなかったせいである。

 ぐるりと屋敷を見回ってきた人間が、引きつった顔で言う。
「……ひどいな……」
「ああ」
 カインは息を吐き出す。

 ……これで、手だれの術者、ほぼ全員が殉死した。
 死亡、死亡、死亡。
 屋敷中が死につつまれている。
 男は苛立ちを込めてカインに話し掛けた。
「どういうことだ? 事前に体の準備を奪った上での、不意打ちではなかったのか?」
 言葉はぶつかる強度を持っていたが、別にカインに苛立っているわけではない。屋敷中に乱舞している血と死に怯え、抱いた恐怖心を誤魔化すために苛立っているのだ。
 それが判るので、カインも腹は立てず、なるべく穏やかに言った。

「……俺にもわからない。唯一の生存者に聞いてみよう」
 惨劇の被害者は、ただ一名。
 発見したときは拘束され、猿轡をはめられていた。怯えきっていた幼い十代の少女は、いま、一族の当主がつききりになっているはずだ。隠れていて見逃してしまったのではなくわざわざ生かしたのだから殺しはすまいと思うが、念のための身柄保護だ。もう、力のある能力者は、当主だけになってしまった。

(……もう、正面対決は、無理だな)
 一度あることは二度もある。少なくともあると考えなければならない。
 これだけ手勢を集めて駄目だったのだ。二度と同じだけの戦力は集められないし、集めたところでまた全員斬殺されるかもしれない。……それを思えば、同じ作戦は無理だろう。
 「生かしたまま捕らえて、情報を聞き出す」
 のは至難の業だとわかった。
 次は、「まず殺す」ことが対象になるのではないだろうか……。

 カインの脳裏に、一人の少年の姿が浮かぶ。
 麻衣に殺された。
 ……時間を待たねばならない。
 敵は手強い。用心深さと決断力を兼ね備え、あの戦力さえ斬り破った。何をどうしたのかまったく想像もつかないが、それでも人間である限り、殺すチャンスは必ずある。どんな人間でも、無敵というわけではないし、常時無敵でもないのだから。
 ―――期せずして、その考えは渡辺麻衣にその相棒が語った事とよく似ていた。どんな超能力者でも人間である限り必ず殺せる、と。もちろん、カインがそれを知る由もないが。




2006 9/17 up

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