あなたは間違っている 18



 音が出ないよう、ドアノブを強くつかみながら、朝霞はピッキングで扉を開けた。一時期滞在するだけの客人には裏口のカギなど渡されるはずもない。ピッキングの技術を朝霞がもち、扉のカギがピッキングであくタイプでなかったら早くもつまづくところだ。

 音を立てないよう、厳重に注意しながら、そろりそろりと扉を開けていく。
 糸のようだった線が、目の通る太さになったとき、朝霞は思わずドアノブを離しかけた。そうなったら扉の閉まる音が大きく響いただろう。

 しっかりしろ!
 朝霞は自分を叱咤する。
 まだ……まだ自分の目論見が甘かった。
 警告文だけで内情を何も知らないから。頭のどこかで事態を甘く見ていたのだ。
 そんな朝霞の甘えを粉々に打ち砕くほど、現実は容赦なく凄惨だった。

 裏口は、短い狭い廊下に面している。その三歩分もない狭い廊下に、……死体があった。
 朝霞は歯を食いしばりながら、扉を引く。自分の体が入るぐらいになると、するりとすべりこみ、後ろ手にゆっくり静かに扉をしめた。
 床を見る。
 ……大丈夫、まだバツサインはない。

 この屋敷はとにかく法外に広い。地方の土地が安い場所だからこそだが、二人の人間が鉢合わせする可能性はかなり低い。たとえるのなら、一軒のリゾートホテルの一階と三十階の泊り客が鉢合わせする可能性ぐらいだ。ラウンジやロビーや浴場などの泊り客が共通していく場所を除けば、その可能性は相当低くなる。
 朝霞は扉を閉めると、死体に向き直った。
 一目見て死体とわかったのは、それがもう生きているはずもないからだ。

 ぱっくりと頭部が露出している。
 帽子もフードもかぶっていない、なんて意味ではなく……頭部が、斜め横に切断されていた。
 まるで人体模型の標本のように、頭の中身があらわになっている。
 切断は真横ではなく、斜めだ。目の辺りから、反対側の額の辺りへ切れている。
 見まいとしていたが、……傍らに落ちている赤黒い塊は、頭髪を付着させた頭部だろう。
 身体は壁にもたれていた。壁を調べると、頭より二十センチほど上に、深い溝がある。
 朝霞は壁の傷を探る。深い。が、幅は狭い。
 幅は八センチほどなのに、一番深いところでは向こうの壁に突き抜けている。
 向こうから細い光が差し込んでいて、そうとわかる。

 ―――こみ上げてきた吐き気を、睨み殺すように強く念じて体の奥に引き返させる。
 出来れば見たくなかった死体の頭部を観察すると、ありえないほど鋭利だった。
 脳は三重に保護されている。硬膜、くも膜、軟膜だ。その上頭蓋骨もある。脳は人体の中で最も強固に保護された場所だといえる…。
 その防御を力で叩き潰すのならばともかく、こうまで鋭利に切断するにはどうすればいいのだ?
 斧? いやそれでもこうはすっぱり行かない。叩き潰したり、引き潰したり、割ったりする箇所がどこかに必ずあるはずなのだ。

 ……普通人には、無理だ。
 カマイタチ、真空の刃。その系統の能力者の、それも相当強力な能力者でなければ、こんな死体は作れない。
 そう、やっぱり、そうなのだ。
 朝霞は得心して頷いた。
 一族の人間が普通人にこうまで翻弄されるはずがない。
 超常現象に慣れているのも当然、超能力者に驚かないのも当然だ、彼女自身が強力な能力者なのだから!

 裏口に面した短い廊下が終わるとすぐ、開けた空間に出る。そこは台所で、武器もある。朝霞は包丁を手にとろうかと思ったがやめた。
 無能力者の自分が、超能力者に対抗できるはずもない。邪魔なだけだ。
 出会ったら逃げるしかないし、出会わないよう死力を尽くさなければ。

 慎重に廊下を進むと、また、死体があった。
 朝霞はその前に立ち尽くす。……自分と同じぐらいの年の、女性の死体だった。
 目に、涙が滲む。それが非現実的な光景を目にしている自分への憐れみか、憤激なのか、この人々への憐れみなのか、わからなかった。
 ……なんでこんなに、死ななければならない!?
 どうして殺されなければならない!?

 石は一族のもの。それを奪ったのは彼女。
 百歩譲って、自分たちが拾っただけにすぎず、石の使い方をよく知っているらしい彼女が本来の持ち主だとしてもだ。
 どうして、殺されなければならないのだろう……。
 石を握った人間に、石は寄生し、完全に乗っ取った後、あの化け物を招く。
 彼女自身が言った事だ。
 朝霞は石に魅入られる事がどんな被害を招くのか、知っている。化け物が湧き出た本家屋敷の後片付けに、駆り出されたからだ。話を聞いたときには半信半疑だったが、実物の怪物の死体を見れば、よほどの馬鹿でもない限り信じる。

 石に魅入られた人間を放置しておけば、同じ惨状がまた起きる。そして、今度はそれを食い止める手段はないのだ。主だった能力者は、前回、みな、死んでしまった。
 そして渡辺麻衣は、それがわかってなお、石に誘惑に屈した。
 それほどに、彼女にとってこの世は生きづらかったのだろうか。
 ……そうかもしれない。

 朝霞は彼女の経歴を思い出してみた。
 十六歳、高校一年生の夏に、彼女は失踪した。
 成績優秀で、真面目な生徒であり、そのうつくしい姿は近隣の評判だった。
 ただ容姿端麗なだけではなく、勇気があり、祖父の教授で剣道の心得もあったことから、知り合いが不良にからまれたりしているところには躊躇わず割ってはいる立派な少女だったという。
 当然人望もあり、教職員から人気もあった。
 その少女が突然失踪した。

 そして、同日、彼女の一番の友人だった少女が、駅のホームから飛び降りて自殺した。
 事実を並べるのならば、それに付け加えることは一つだけになる。
 渡辺麻衣は、失踪から戻ったその日、家族に会いに行くよりも前に、その少女、西下唯(さいか・ゆい)の家を訪ねた。
 本名は名乗らず知り合いの者だと嘘の説明をして、焼香をすると、礼儀正しく帰っていったという。目立つ外見からして、それが渡辺麻衣であることに間違いはない。

 問題は、どうして偽名を名乗ったか、である。
 西下唯と、失踪前の渡辺麻衣とは非常に親しい友達だった。学校の中で、一番親しかったといえるだろう。当然、渡辺麻衣の名前は西下唯の家族も知っていたのだ。

 綺羅星のごとく輝いていた渡辺麻衣の側にいて、萎縮せずに対等の友人であるのは難しい事だ。それができたのは、彼女が渡辺麻衣におさおさ劣らない容姿の少女だったからである。
 烏の濡れ羽色の髪を背まで伸ばし、背筋をぴんとのばして颯爽と歩く渡辺麻衣とはまた違った魅力の少女だった。
 人の庇護欲をそそるタイプだったのである。
 栗色の、ウエーブがついた髪をふんわりと垂らして、いつも人を和ませる笑顔を浮かべていた。渡辺麻衣が美しいなら彼女は可愛らしく、思わずその柔らかげな頭を撫でたいという気持ちを起こさせた。

 ……ここからは、関係者も口を閉ざしているので、事実ではなく推論になるが、恐らくほとんど間違いはない。
 渡辺麻衣の兄の気持ちを、想像する事はそう困難ではない。
 近所でも評判の、気持ちのいい美少女として彼女は多くの人間に好かれ、期待されていた。有名な剣道家の祖父は、明らかに兄妹のうち妹の方を可愛がっていたという。
 それに比べ、兄の方はぱっとしなかった。瑕もないが目立つところもなかった。普通の運動神経、普通の成績、普通の人望。

 妬みも、葛藤も、苦しみも、いずれは時が癒してくれる。老人はそれを知っている。しかし、現在その渦中にある人間にとって、それは信じられないことなのだ。
 ……ことに若い人間にとっては。

 どんなきっかけで暴発したのか、それは朝霞は知らない
 妹に向けて暗い情熱をもやす兄と、しかし、その衝動を実行に移したところで返り討ちになるだろうリアルな現実。その予測は恐らく兄をますます鬱屈させただろう。……結果、渡辺麻衣の兄は最も卑怯な手段で、妹への意趣返しをしたのだ。

 そしてその日から、西下唯は学校を休む。

 渡辺麻衣が、起こってしまったことを知り、実の兄を病院送りにしたことは複数の関係者が知ることだ。
 そしてその後、西下唯の家を渡辺麻衣が何度も通うのを、近所の人間はよく見ていた。突然不登校になった友人を力づけるためだろうと、彼らは推測していたが。
 ―――そして、渡辺麻衣が失踪した日。
 西下唯の家族から証言は取れている。
 彼女たちは二人で家出する計画を立てていたのだ。
 家出といっても実は水面下でお互いの家族間で了解がとれ、しばらく遠い場所で静養しようという話がついていた。
 渡辺麻衣の家族にとっては、自分の息子の不始末であり、訴えられるかどうかの瀬戸際である。学校をしばらく休ませるのも止むを得まい、という結論だった。
 また、西下唯の家族にとっては自分の可愛い娘の心の静養である。
 それを渡辺麻衣は家出という形で西下唯に伝えたのだ。家族からの申し出ではなく、そういう形にした方が親友は頷いてくれると思ったのだろう。正しかった。

 ……その日、西下唯は駅のホームで、いつまでもこない親友を待っていた。
 約束の時間から一時間が過ぎ、二時間が過ぎ……、心が失望と絶望に覆われる。そしてそれに抗う気力も、もう彼女には残っていなかった。
 土壇場で怖くなったんだ。
 ……きっと、彼女はそう思ったことだろう。
 渡辺麻衣が来ないことを、そう思ったことだろう。その思考を短絡というのはあまりにも無慈悲だ。

 そのころ、渡辺麻衣は悪漢の手により連れ去られていたのだが、そんなことは知る由もないのだから。

 そういう事情を含んで考えれば、渡辺麻衣が偽名を名乗ったのも当然である。
 彼女の意思ではなかったのだが、彼女が失踪したがために西下唯は自殺したともいえる。また、最大の加害者である人間は渡辺麻衣の兄であり、未だに何の罪にもとわれず、むしろ被害者が自殺して裁かれなくなったことを喜んで、のうのうと生きているのだから。

 ……そして、その兄が同居する家に、渡辺麻衣が帰ってきたとき起こったひと悶着も想像がつく。
 自分の犯したことなど過去のものとしてすっかり忘れ、生きてきた兄にとって、妹の生還はにわかには信じがたいことだったろうし、いるだけで忘れたい過去の罪を思い出させるものだろう。
 家の中は、荒れただろうことは、間違いない。
 実際、言い争いを渡辺麻衣の友人が目撃している。

 長期失踪した家族を持つ人間が、家族の生還をすべからく喜ぶかと言われれば答えはノーである。
 失踪の理由は誰にもいえないことだとすればなおさらである。
 時の流れが優しく慰撫するままに、娘の死を受け入れ、認めて安らがせようとしていた家族にとって、娘の生還は青天の霹靂でしかなかった。
 最初は喜んでも、次には困惑がおそい、周囲からこうむる様々な迷惑によりはっきりと忌避に変わっていった様子を、前任の探偵はよく調べている。
 ―――渡辺麻衣は、実の家族に、「帰ってこなければよかった」と言われたのだ。

 彼女は、生活力溢れる人間だった。
 実の家族が自分を疎んでいることを悟ると、さっさと家を出た。当初こそ無事の連絡を寄越していたが、家族が麻衣を心配する様子もないことから、やがてそれも途絶えている。

 実の家族に、彼女は「死んでいればよかった」といわれたのだ。
 この世のどんなに鈍い人間だって、そんな彼女が幸せだとは言わないだろう。
 ―――大切な人の幻。
 石の作り出す、もういなくなった愛しい人の安らぎに心を委ねても、それを理解は出来た。

 石に魅入られる事の危険。それがわかっていてもなお、彼女は一時の安らぎを求めたのだ。
 それほどに、彼女にとってこの世は生きづらかったのだ。

 破滅を判っていても、一時のことだとわかっていても、それでも幸せが欲しい。

 ……朝霞は、それを責められるほど、強くもないし子どもでもない。
 でもこれだけは判っている。

 それで、渡辺麻衣だけが破滅するなら彼女の人生だ。彼女の権利だ。
 でも、その我が儘勝手に他の人間が付き合わなければならない理由などない。
 石は、また惨劇を引き起こす。それは、なんとしても止めなくてはならない。
 また起こったら、もう止める術はない。
 だから一族総出で止めたのに……彼女は、また人を殺した!

 これは、誰がなんといおうと間違っている。
 自分の幸せの為に自分を破滅させるのならば勝手にすればいい。でも、自分の幸せの為に他人を傷つけたり……ましてや殺す権利などあるものか!

 彼女は、間違っている。






渡辺麻衣の兄との確執については読み返してみるといろいろあります。



2006 9/9 up

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