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あなたは間違っている 16
渡辺麻衣が仕事帰り、道を歩いていると体が固まった。
まばたきすら自分の意志ではできなくなる。
その瞬間から三秒とたたないうちに、両腕を抱きしめられる。
「ごめんねー、まった? わっちゃん」
左右の腕に一人ずつ。
腕の動きを封じ(金縛りで動けないのだが念のためだろう)、声高にいかにも親しげに話しかけながら、体の動かない麻衣をずるずると引きずっていく。
首が動かせないまま、目だけを動かして、周囲を見る。
人通りの多い道だが、麻衣たちを見る目はあっても不審そうに見ている目はない。
悲鳴を上げる様子も、助けを求める様子もないからだ。
そのまま、車道に止まっていた車の後部座席に引き込まれた。
体が動かなくなってから、一分もたっていない。なかなかの手際だと70点をつけてやる。
ばたんと車の扉が閉まると、左右に引っ付いていた人間は豹変した。
「何の能力も持たない普通人のクセして水和を殺して……。腹ンたつなあ……こいつ、ここで殺しちゃ駄目なわけ?」
麻衣からみて右に座る女性が苛立たしげに、運転席に座る人間に話し掛ける。
それに、噴火直前の活火山を思わせる静けさで、左の女性が答える。
「駄目だよ。―――『上』に見せるまではね」
声音から漂うのは、押さえつけた憤怒。それに期待してか、食い下がる。
「いたぶるぐらいはいいでしょ?」
「駄目」
ぴしゃりと答え、それきり、窓の外に視線をやる。物憂げな表情である。
話し合いを拒絶する態度に、ちえ、と小さく声を洩らして右の女は沈黙した。
運転席から声がかかった。
「ミネ。首から上の呪縛を解いてやれ」
「なんで?」
答えたのは、右の女。
「これから最低でも一時間はかかる。瞬きできなければ失明する危険がある。いいか、くれぐれも、首から上だけだぞ」
「……失明させちゃだめなわけ?」
「傷一つつけるなといわれている。失明するに至った事情を『ミネが解かなかったから』と説明してもいいか?」
舌打ちの音ともに、首から上が自由になった。
そろそろ痛んできた目を閉じて視界を闇にそめ、潤いを補充しながら麻衣は考えた。
『シュレイル。超能力者を殺すコツを教えて』
遠い昔、そんな質問をした事がある。
そのとき彼は……たしか、剣を研いでいて。手を少し止めて、麻衣を見た。
「マイは俺を殺したいのか?」
「うんにゃ。シュレイルは殺しても死にそうにないし、殺すのすごく大変だから諦めた」
「じゃ、必要ないだろう」
「とんでもない。いつか、超能力者が敵になったときに必要だよ」
その彫刻のように整った顔をゆがめ、シュレイルは呆れた顔をした。
「超能力者は、滅多にいないぞ。ましてやそいつが麻衣の敵になる可能性なんて……」
マイは言葉をさえぎった。
「だろう、も、かも、も、両方禁物。自分に都合がいい希望的観測が死に繋がる。死にたくなければありとあらゆる可能性を考えて、あらかじめ用心に用心を重ねておく事。……シュレイルはここにいる。だったら、超能力者に会う可能性はないなんて僕は考えない。超能力者はほかにもいて、敵になる可能性だってある。たとえ極小でも、そういう可能性があるのなら、そのときに備えて僕は知っておきたいよ」
そういいきったマイをシュレイルはまじまじとしばらく見つめて、三秒して呟いた。
「俺が、マイに甘いのはマイのこういう考え方が気持ちいいからだな……」
そして彼はたずねる。
「超能力者といってもいろいろあるぞ。どういう超能力者だ?」
「とりあえず、シュレイルとおなじ超能力者」
シュレイルは深く考え込んだ。
しばらくの沈思を、マイは妨げずに待つ。
やがて彼は顔を上げた。
「……超能力者が敵に回ったとき、心得ておかなきゃいけないのは相手が人間だという事だ」
「……人間……」
「―――これだけは絶対に忘れるな。相手は人間だ。どれほど化け物じみた力を持つ、魔王のような超絶的能力者だとしても、そいつは人間だ。何をしても敵わない駄目だ、なんてことは絶対にない。人間の悪知恵と勇気で、必ず殺せる相手だということだ」
「うん」
「俺がされたら嫌な戦法は、なんといっても遠距離からの狙撃だな。頭を吹っ飛ばされたら超能力も使えないし、超遠距離からの狙撃だったら、気配も感じ取れないだろう」
「……それはそれで素晴らしいけど、僕には無理だ。僕に使える戦法でいうと?」
「不意打ちで頭か心臓を確実に貫いて殺せ」
物騒で……端的で明快で魅力的な言葉だった。
シュレイルがつづけた。
「確実に一撃で仕留めろ。頭なら脳をつぶせ。心臓ならしっかり壊せ。致命傷も駄目だ。即死の状態にまで追い込め」
「なんで?」
「腹部を刺しても、人間息絶えるまで数分かかる。超能力者は死ぬ間際が一番強いぞ。その数分で、マイを十回でも殺せる。死ぬ前に十秒与えたら、マイの負けだと思え」
「参考までに、シュレイルなら?」
「死ぬ前に一秒あれば全身修復できる」
「……了解。でも、もし不意打ちできなかったら?」
シュレイルは肩をすくめ、投げ出すように言った。
「逃げろ」
「逃げなきゃ駄目?」
「マイが俺と同じ超能力者と戦うなら、逃げた方がいい。敵対するなら正対は絶対に避けろ。逃げて、撒いて、不意打ちで片付けることだな」
「じゃ、もし正対しちゃってて、逃げる事も出来なかったら?」
シュレイルはきっぱり言った。
「戦いをできるだけ避けろ。泣き落とし、懐柔、降伏、なんでもやれ。どうしても戦うなら……俺が最初に言ったことを念頭にいれて、あとはマイの運と力次第だ。どんな超能力者も、人間に殺せない相手はいないと信じて、運を天に任せて特攻しかない。はっきりいう。勝ち目は極小だ。……でも、ゼロじゃない」
……うーん。こうして考えると、シュレイルの言葉って判りやすいけど身も蓋もないよなあ。
超能力者と敵対したら、基本戦法は不意打ちで、それができなければ逃げて、逃げるのも駄目なら降伏しろと。
でも、その言葉を聞いていたから。
これまでずうっと、逃げてきたんだよなあ。
この車の行き先は、どう考えても……囲まれているよなあ。
右も左も超能力者。超能力者のバーゲンセール。
……どうしようかね、なんて呟くまでもなく、心は決まっていた。
沈黙につつまれた車内の空気は、車が到着することで終了を告げた。
麻衣は引きずられるまま大人しく車から降りる。
屋敷の門をくぐり、立派な座敷に通された。複数の人手でもって、人形のような麻衣の体は正座の形に直される。
襖がすっとひらいた。
許された範囲内で首をそちらに向けると、人影が見えた。
麻衣は少し意外だった。―――若い。
老いに重きを置くこの国の習慣からは珍しい。
年齢は二十代、落ち着いた風情のある、外ではしゃぐよりも屋内で本でも読んでいるのが似合いそうな、線の細い文人タイプである。
見るからにアウトドアの色黒の麻衣とは好対照だった。
青年は背の低い黒檀の机をはさんで麻衣の前に正座すると、マイに聞いてきた。
「お加減はいかがですか?」
「……この状況でよかったら、そのほうが不思議だね」
「それもそうですね」
短いいらえを返したきり、相手は何も言わない。麻衣も沈黙を続ける。
「……」
「…………」
先に根負けしたのは、相手のほうだった。
「体の自由を奪ってすみません。しかし、これはやむをえないものだったのです。部下には君を傷つけないよう指示しておきましたが、お怪我などありますか? なにぶん、あなたが殺した水和くんのことで殺気立ってましたから……」
「ないよ」
麻衣はそっけなく簡潔に答える。無駄なことは一切答えない。
……交渉に重要となるのは、恐怖心。
かつて麻衣が思ったとおり、「自分を恐れている相手は扱いやすい」のだ。
麻衣を怯えさせようとして、麻衣に悪意を持っている人間に誘拐を命じた。周り中から悪意を向けられている自分の立場をわからせようとして、だ。
演技か、あるいは本心か知らないが、誘拐した連中の棘のある態度は麻衣に自覚を促すだろう。自分は捕虜であり、周囲全員から憎まれているのだという自覚を。
恐怖を促すには悪くない手だが、見抜かれればそこまでになる。
「……そうですか。体、縛っているのは勘弁してください。そうでもしないと、あなたはすぐさま私を殺そうとするでしょう?」
まったくそのとおりなので、肯定を述べるまでもなかったのだが、相手は沈黙を機嫌を損ねたからと思ったらしい。
微妙に、口調に焦りがにじむ。
「……その、こちらに来ていただいたのは、お話を聞かせていただきたいからです」
シンジのような能力者は本当に稀有らしい。そして、相手方にはいないらしい。
とわかる。
「あなたが、どうして石のことを知っているのか……。そして、石とはどういうもので、どういう風に使用するべきなのかを、教えていただきたいのです」
四家とやらは馬鹿のあつまりらしい。
とわかる。
ほんのすこし、柔軟に考えれば答えが出そうなものなのだが。
ぼろぼろと情報をこちらにこぼしてくれる相手に感謝しながら、麻衣は沈黙していた。
相手は身を乗り出す。
「もちろん、相応のお礼はいたします。石をこちらに引き渡していただければいくらでも。あなたも、逃げ隠れる今の生活より、大金を得て悠々自適にすごしたほうがいいでしょう?」
「……いくら?」
ほんのすこし心を動かされた様子で、麻衣はたずねた。
「石の情報と石をあわせて、こちらではあなたに五億円お支払いする準備が出来ています」
随分張り込んだものである。
麻衣は金銭の価値を充分承知していた。金がなく、軒先に並べられたパンを買い求める方法がなく、プライドを捨てて懇願しても店主も生活がかかっているのでもちろんくれず……餓死寸前にまでいたった。そんな経験があれば金銭の大切さは身に染みる。
「それに……あなたがこの取引に頷いてくだされば、家内部の不穏な一派の動きを押さえます。水和くんを殺した事で、あなたを個人的に恨んでいる人間は少なくないのですよ」
「―――感謝してるんじゃない?」
にやっと唇をゆがめ、麻衣はいった。
一瞬、呆気に取られたのだろう。それから憤然と言葉を紡ぐ青年。……若い。若すぎる。麻衣と渡り合うには稚拙すぎた。
「感謝……とはどういうことです?」
「僕を逃がした事でのお咎めは、死んだことでチャラになっただろ? 死んだからこそあの子の責任を追及しなかったんであって、生きていたらさぞ回り中からいじめられただろうね」
息を吸い込んで固まる青年。
見るからにやっと、という感じで声を絞り出す。
「……ど、うして、それを…」
単なる想像なのだが、大正解だったらしい。
責任の押し付け合いと、責任を取らせる義務という組織の古来からの体質というやつと、死んだら死人に鞭打つ事ながれになる日本の伝統だ。
青年は体勢を立て直し、言葉を紡いだ。
「……あなたがやったことは、誰がなんと言おうと正当化できるものではないんですよわかっているんですか? あなたが石を持っていることだって、いずれ多くの人が涙を流すことになるんです!」
煙に巻く為に、麻衣は少しの間、その話に乗ってやることにする。
大真面目に返した。
「なんで正当化できないの?」
「そんなの……! え?」
「なんで正当化できないの?」
「ひ、人を殺すという事はですね! どんな言葉を尽くしても正当化できることじゃないんです!」
「なんで?」
にっこり。
無心の子どものように純粋に、あどけなく、麻衣は微笑んで尋ねる。
「そんなの、決まっているじゃないですか!」
「どこがどう決まっているの? 正当化できないのなら、戦争で人を殺している人はなぜ許されるの? どうして正当防衛のときは許されるの? どうして心神喪失のときは許されるの?」
……アドバンテージは圧倒的にこちら。
こちらの陣地に引き込み、叩きのめすのがこの雑談の目的。
「……! それは」
「正当防衛は、罪じゃないんでしょ? 監禁されている人間が脱出しようとして監視人を誤って殺しちゃったら、それ、裁判官も罪に問うのに迷うと思うなあ」
正当防衛は難しいかもしれないが、過剰防衛にはなるだろう。
「……あ、あなたは子どもを殺したんですよ!」
論旨のすりかわり。馬鹿な人間の常套手段だ。麻衣はにやっと笑う。
「さっきまでの論旨は人殺しはどうしていけないのか、だったけど、今度は子どもだからいけない、になるの? じゃあ子どもでなきゃ殺していいの? 相手が子どもだったら、一切の反撃なしで殺されなきゃいけないの?」
「ひ、……人を殺せば、悲しむ人がいるでしょう……」
どこかの本の受け売りだろう。
麻衣は笑って一蹴する。
「正当防衛って人を殺しても罪じゃない。それは知っているよね」
「え、ええ」
「悲しむ人がいるから殺しちゃ駄目なら、悲しむ人がいない人は殺していいってことだよね」
沈黙。
「僕を殺しても悲しむ人がいない。つまりあんたは、僕を殺しても全然オッケーって言ってくれたんだよ」
「そ、そんなのは詭弁です……!」
なんとか抗弁しようとするのをさえぎって、麻衣は朗らかだった。
「好きだなあ、そういう馬鹿な人って。じゃ、僕を殺しても悪くないっていわれちゃった僕としては、僕を殺してもいいんだといわれちゃった僕としては、当然、人を殺しても罪じゃないよね」
「そ……そんなの……っ! おかしいです、あなたは頭がおかしい! 論理が無茶苦茶だ!」
論理がおかしいといいたて、頭がおかしいといいたて、それでいて矛盾点を指摘できない。
馬鹿の模範的回答である。
どこがおかしいのか理路整然と指摘できないため、言い負かされた事を認めたくないため、「相手は頭がおかしい」と一方的に決め付けて話を終わりにするのだ。
麻衣はくすくすと笑う。
「人間を殺した事は三桁に昇るけど。僕に説教したければもうちょっと勉強しておいで」
実は、麻衣を言い負かすことのできる論法というのは存在する。
「どうして人を殺してはいけないのか」
麻衣自身気づいているのだが、感情論や道徳論に行くと、無限ループになるこの設問には、もっと理性的に返答するのが正しい。
―――人間の作る人間社会において、構成員を殺傷する事を正義と認めたら構成員同士の殺し合いが起きるため、禁じているのだ。
というのが返答例の一つだ。
そのルールを破った人間は罰を受け、それを周囲が見て、見せしめとならなければならない。たとえ正当防衛でも、裁判でそれを実証しなければそれまでは無罪放免にはならない。だからあなたは警察に捕まり裁判を受けなければならない―――とまあこんな風に話を進められたら、麻衣としても困るところだ。
青年は麻衣に嘲笑されて屈辱に頬を染め、立場の違いをやっと思い出したらしい。
そもそも最初から、こんな問答をする必要はなかったのだ。立場は向こうの圧倒的優位。身動きすらもできない捕虜の立場。仕掛けたのは麻衣だが、乗ったあたりは無用心としかいいようがない。
それで負けたことで精神的優位はかなりのところ奪い取られた。
麻衣は微笑をたたえている。
「……それで、どうでしょう? 取引に応じていただけますか? 応じていただけない場合、こちらとしても相応の手段をとらせていただきますが……」
ここらが潮だろう。
最後に少しだけ、自分の決心を確かめる。
そして、麻衣は立ち上がった。
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2006 9/3 up
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