あなたは間違っている 11




 ああ、これは死ぬな。
 冷静にそう判断した。
 こんなところで、こんなつまらない死に方をするのは、自分には実にお似合いというものだろう。
 ぐしゃ、と骨がつぶれる音が体の中から響く。
 それきり意識が途切れた。



 自分が死ななかった事に気づくまで、体感時間では何日もたっているように思えたが、実際にはほんの一分にもみたなかったろう。
 網膜によく馴染んだ顔が映った。
 相棒の顔は見たこともない表情だった。
 ぼんやりと見つめて数秒たって、首が動かせるようになったところで周りを見る。自分たちを取り囲む壁に見覚えがあった。
 落書きが散らされた下層民の集合住宅がほんの一メートルほどの幅をあけて近接している。集合住宅がつくる狭苦しい路地に二人はいた。自分が落ちた場所から、ここはごく近い。距離で言ったら、たぶん十歩も離れていない。
 相棒が、大慌てで路地に引き込み、治療を始めたのだ。

 ここはまずい。警告しようとする。
「シュ……」
「黙れ!」
 呼びかけようとしただけで怒鳴りつけられて、マイは唖然とする。
 迫力に怯えたわけでなく、ただ単にびっくりしてしまったのだ。
 ―――彼の、毛羽立って荒れた怒鳴り声なんていうのを、長年付き合って初めて聞いた。
 相棒は、温和で優しく、怒るときには声が低くなって静かになる。怒れば怒るほど、冷たく冴え渡るタイプなのだ。本気で怒らせたことは、まだ、ない。たぶん一生ないのではないだろうか。彼が本気で誰かに激怒する、なんていうことは、その日の食費にもあえぐ自分が突如として大金持ちになるよりも想像しづらいものだった。

 そしてこの相棒がそこまで平常心をなくした理由といったら一つしかないではないか。
 好意をもたれていることは感じてはいたが、こうして態度で示されると嬉しくなる。
 しかし、これは言わなければならない。
「ここじゃ……だめ。見られる……はや、逃げ……」
 相棒の表情が変わる。
 焦りに歪んだ表情が和らぎ、それまでとは違った顔で腕の中のマイを見た。その瞳がふっと暗くなる。
「十秒、見つからないよう祈れ」

 自分が動かせるぐらい治療がすすむまで、あと十秒。
 その十秒間を祈りながらすごし、動けるようになると即座に荷物をまとめて町を離れた。
 そのため、あのとき、誰かに見られていたか、いまだに定かではない。その後それが原因の厄介事は起こらなかったので、見られていたとしても大したことはなかったのだろう。

 ちなみにそのあと、マイはこんこんと説教された。
「いくら俺が治癒能力者だからっていって限度がある! 傷が治る原理を知っているのか?」
「……ええーと、自然の治癒力?」
「ばか! 傷ついた体が治るのは……」
 とそこで詰まってしまったのは、母国語ではない言葉で会話する悲しさである。
 相棒は医学の知識がある。母国語でなら人体の傷が治るプロセスを流暢に説明できただろう。しかし、大抵の日本人が「細胞」という単語をスペイン語でどういうのかしらないように、今使用している言語でなんというのか、その言葉を知らないのだ。いやそもそも、該当する概念があるかどうかも怪しい。
 さらにだ。
 マイにとっても今喋っている言葉は母国語ではない。母国語でも、高度な医療知識を駆使した説明を理解できるかどうかあやしいが、この言葉ではまず、無理である。

 彼は説明を断念して、言い換えた。
「体が時間をかけて行う工程を無理矢理一気に行うんだ。あまり過信するな。変な症状がでたら、言う事。いいな?」
「…はい」
 およそ、マイに説教をかまし、さらにそれを聞き入れさせることのできる人間はこの相棒だけではないだろうか。
 マイがどれぐらいの人間を泉下に送ったか、知っていてのこの態度は豪胆の一言に尽きる。ほとんどの男は返り血で赤に染まったマイをみれば、震え上がってしまうものなのだが。
「俺が見つけたとき、マイの頭蓋骨割れてたぞ」
「……ああやっぱり。そんな感じがしたんだ」
 シュレイルは額に手を当てて嘆いた。
「あのな、マイ。闇討ちとか襲撃とかならまだしも、ベランダに落ちたものをとろうとして墜落死なんてまぬけな死に方やめてくれ。いきなり落ちたときには心臓が止まるかと思った。慌てて駆け下りて路地に引きずり込んで治療したけど、あと数十秒遅れてたら死んでたぞ」
 叱責にも、マイはにやにやと笑っている。
 いくら叱られても、ちっとも心は痛くならない。
 かつて、シュレイルに叱られたときはそれこそ心が麻痺するぐらいにダメージになったものだが、愛情の篭もる「馬鹿」は痛くない。

     § § §

「どうしましょう?」
「さてどうしようか?」
「どうするのがいいでしょうかね……」
「最善策を探したいところだな」

 四者四様の言い方で、彼らは現在の状況を形容した。
 彼らが集まっている場所は高級レストランの個室である。
 情報を独占していた清和の一族の長が、ことここにいたり、やっと他の一族の長に実状を示し、助力をもとめようという気になったのだ。
 渡辺麻衣という人間が、石を持ち逃げした事。
 石の性質についてなにやら詳しそうであり、その一部は実際に確認して事実である事を確かめたこと(麻衣の身体に癒着してたこと、カインに囁きかけてきたことなどがそうだ)、そして一度はとらえたものの、逃がしてしまったという事までも、である。

「問題は、居場所だな。捕捉が出来れば捕らえることもたやすい」
「経験者としては、たやすいというのはない、といっておくぞ?」
 複雑そうな顔で、清和の当主が口を挟む。
「どういうことだ?」
「居場所を察知したことが数度。そのたび、確認しようと人を接近させただけで察知されて逃げられた。そしてまた最初からやり直しだ。逃げの見切りのよさは一級品だ」
「臆病者、ということだろう?」
 嵯峨の一族の当主の嘲弄が口調に滲む。
「小心さは細心さ、と言いかえるのも正解だと思うがな」
 言い返す清和。
 微妙な緊張感を緩和したのは、陽成(ようぜい)だった。
 穏やかな口調で、話し掛ける。
「その人物は、どうして石について知っているのです?」
「わからない」
 清和の当主は率直に答えた。
「調べてみた。この……渡辺麻衣という人間は目立つ人間だ。容姿も人目を引くし、経歴も変わっている。名前を調べるのは簡単だったし、聞き込むのも然りだ。しかし、肝心のところは不明のままだ」
 他の三人の手元に、探偵から回ってきた調査報告書を複写したものを回す。写真も添付した。

 読む間を少し空けて、陽成の当主がいった。
「……これは女性ですか? 私には男性に見えますが、どうも女性の欄に丸がついているように見えるのですが」
「女性だ。まちがいない」
 さもありなん、と清和の当主が頷きながら言った。

 宇多の当主が口を開く。
「この調査報告書は不十分だな。六年間、失踪している間の事が調べきれていない。腕の悪い探偵を雇うからこうなる―――ほお、これはまた美しい」
 宇多の当主は、他人を責めるチャンスは見逃さない人間であり、どんなささいなことも糾弾の理由とする才能に長けている。
 清和の当主はやんわりと否定した。
「探偵の腕は悪くない。帰ってきたあと、誰に対しても、彼女は自分の失踪理由を話していないのだ」
「そちらの家にはそういうときこそ絶大な威力を発揮するカードがあるではないですか」
 沈痛な表情で、清和の当主はかぶりを振る。
 個人的にはまったく殺されても愛惜はないが、能力的に惜しい人間であったことは確かだった。
「それゆえに、シンジは殺された」
「殺された!?」
「渡辺麻衣に殺害された。遺体の状況はそれはひどいものだったよ―――人物を知る資料になるかと思い、写真を持って来ているが、半端な覚悟で見たら向こう一週間は肉類が食べられなくなるものだ、とはいっておく。年端もいかない子どもを殺し、その死体を切り刻む……渡辺麻衣という人間は、そういったことができる人間だ、ということ。これをまず肝に銘じてもらいたい」

 現代日本で、人を殺せ、遺体を切り刻める人間がどれほどいるだろう?
 それを良心の呵責なしに、となると、更に少なくなる。
 渡辺麻衣は、極めて少数派である事は間違いなかった。

 そして、そんな人間と対峙する側にも、覚悟が求められる。
 居合わせた人間全ての顔に、うそ寒いものがよぎった。
「……そんな異常性格者が相手なのか?」
「しかも、小心さと恐ろしく思い切りのいい決断力と、素早い逃げ足を兼ね備えているわけですか……」
「でも、それにしたって普通人だろう?」

 清和の当主は頷く。
「そう、『たかが普通人』だ。だが……強いぞ」
「普通人、でしょう?」
「普通人だ。だが、どう見ても人殺しを日常としている世界の住民だ。たとえるなら、そう、今戦争から戻ってきた傭兵と、一族の人間が戦ったとする。能力があっても、場数が違いすぎる。苦戦は免れないだろう。……そういうことだ」

 静かな断言に、彼らは手元の報告書に目を落とした。
 六年の空白がいやでも目に入る。
 そして、失踪する前の彼女が凛然とした、光を放つような美しい少女であったこと。
 そんな少女が突然失踪すれば、人は嫌なものを想像するしかなくなる。
「……どこかの変質者……? それとも人身売買組織に売り飛ばされたりしたのでしょうかね」
「その可能性は高いな。下世話な詮索好きの人間には、彼女ははっきりこう答えている。―――自分にとって都合が悪いから話さない、と」
「ああ、なるほど……大体、どういう人間かわかりました。率直である事で反論の糸口をつぶすタイプですね? 大抵、頭が悪いか、頭がよくて反応を予測してそうするのかどちらかに分かれるのですが」
「本人に聞いたら、前者だというだろうな。私の印象では、後者だが」
 ふむ、と陽成は顎の下で掌を組む。
「君から見て、この……彼女、か、彼女の印象は?」

 考えながら、清和の当主は唇を開いた。



2006 8/5 up

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