「在りし日を夢見るさまよい人 21」




「……不老不死になって、世界を見守り続けるというのですか?」
「ええ」
「女性のあなたが?」
「ええ」
「絶対に死ななければ、たしかに絶対に負けないものですが……侵入者とやらは、あなたひとりで何とかなりますか?」
「クルーノの眼さえあれば、なんとかなるわ」
「ならそのままでも―――」
「忘れないで。クルーノの眼は、私が死んだら終わりなのよ。雲霞のごとき群れは、私を目指すでしょう。その全てを捕捉して抹殺する自信はないわ。板の遠く離れたどこかに着地して、ひそかに這い忍び寄る者もいるでしょう、だまし討ちしようとする者もいるでしょう。その全てを防ぎきる自信はない。……神族ですら一度死んだ人間は生き返らせることは出来ないの。生きている人間を、不老不死にすることはできても」

 きっぱりとした言いように、場に、静寂に似た空気が流れる。
 そこにいる人間はみな、自分の中で彼女の決断を咀嚼していた。
 そして、その選択肢は、どうやら最良のもののようだった。

 その時、スクエアが言った。
「―――ヘプライト、茘枝を止めてください」
「え? あ……あんたは」
 声の僅かなイントネーションから、ヘプライトはそれが誰か悟る。
「はい、クルーノの眼です。ヘプライト、彼女を、止めなさい」
「は? え、でも……」
 命令の意味を図りかね、ヘプライトは視線を往復させる。ある種の人間なら、鈍重と、一瞥して烙印をおしてしまう動き。
 その肩を、クルーノの眼はつかむ。
「ヘプライト、あなただけが、茘枝を止められます。彼女を止めなさい」
「クルーノの眼……」

 茘枝はやんわり微笑んだ。
「……初めて、私をその名で呼んでくれたわね。クルーノの眼」
 スクエア……いや、クルーノの眼は、こんな形容が似合うのなら、ひどくつらそうだった。
「茘枝、あなたは誰より良く知っているでしょう? かつて茘枝様が背負った不老不死がいかなるものか。浅ましく愚かな権力者たちが欲する不老不死の、真実の姿を。どうしてそんな運命を背負おうとするのです? いいじゃないですか。どんな苦しみも、悲しみも、不幸も、死はすべてをゼロに戻します。死だけは、この世の生きとし生ける全ての人間にあまねく与えられた唯一平等な権利だというのに、どうしてそれを放棄するのです?」
「わたしだけが、それをできるからよ。わたしだけが、これから流れる血と、涙と、悲しみの量を少なくできるから」
「いいじゃないですか。それに悲しむあなたの胸の痛みも、死ねば終わりなんですから。なのにあなたの選択肢は、そんな救いを捨て去る道です」
「私ひとりが死んで、それで多くの人が助かるのなら、それは価値ある選択肢じゃない? それに……『あなた』が止めるの? クルーノの眼?」
 茘枝の唇に、苦笑に似た笑みが浮かぶ。

「……たしかに、私には選択肢の一つとして、その道へといたるための道具が用意されています。必要あらば、それを使用してもよいとも言われました。あなたは、それを使用することなく、私の誘導からではなく、その道を選んでくださいました。茘枝様の記憶を見ているというのに。強制でも誘導でもなく、あなたはその道を選んだ。あなたの意思で。私の立場ではあなたの選択を賞賛し、推奨しこそすれ反対するなど言語道断の横槍です。ですが、―――あなたは今、失敗しようとしている。あなたはいずれ今のこの選択を悔いて悔やんで夜も眠れぬ日がやってくる。あなたは、死ねなくなるんですよ?」
「老いなくもなるわ。女はそのためになら、命をも賭けるものよ」
 からかうように、茘枝は返す。
「あなたは……自分がこれから背負うものを、わかってない! 茘枝様がその呪いから解放されるのに幾星霜かかったと思うんです!?」
 声を荒げるクルーノの眼をじっとみて、茘枝はくすりとする。
「……あなたがそんなふうになるところを、はじめて見るわ。クルーノの眼」
「おやめなさい」
 強く、さとすように、クルーノの眼は言う。

「おやめなさい。人間がいくら死のうといいでしょう? あなたがいくら胸痛めようと、死ねばそれも無です。どうしてあなた一人が背負わなければならないんです」
「クルーノの眼。あなたを継承した私の、義務だと思うからよ」
「やめてください……!」
 クルーノの眼は両耳を塞ぎ、叫ぶように言った。
「私は、そんなもののために生まれたんじゃない! 茘枝様がかつて落ちたのと同じ地獄をどうしてまた見なければならないのか!」
「―――クルーノの眼……」

「茘枝様は私をドラゴンを救う為に作ったはずです!」
「すくうため……?」
 茘枝は首をかしげた。
 他のメンバーも同様だった。
「神なのに、人間である茘枝様に育てられたドラゴンは時間感覚が人に近い。でも、人は、星が滅びるほどの長い時間を孤独に生きるようにはできていない。ドラゴンが、孤独のまま過ごす長いとしつきに倦むときがもし来たら、その時の為に私は作られました」

 茘枝が死ねなかったのと、まったくちがう理由で、ドラゴンは死ねない。

 神の遊戯は壮大だ。世界を一つ作り出し、その生態系が育つのを見守る。当然そこにある時間の感覚は人とはちがう。
 けれども、古の大魔術師はドラゴンを育てた。人である彼が育てたドラゴンは、気がつけば人と良く似た時間感覚をもつようになってしまった。
 彼は悩む。
 神であるドラゴンにとって、時間は毒となり楔となるだろうか?
 ならないならばいい。
 だが、もし自分がいなくなったあと、この子が時間に倦む苦しい時を持つようになったらどうしよう。
 あの苦しみを、この子にまで味あわせることになったらどうしよう。
 自分は孤独を紛らわすために、人間と深く関わった。彼らとの交流は(一時的なものではあるが)癒してくれた。心を通わせた人間が年老い、やがて死んでも、その面影を引き継ぐ子どもが現れて彼をなぐさめた。

 けれども、ドラゴンは―――この子は、人間が嫌いになってしまった。
 自分が、人間によって傷つけられ裏切られ続ける姿をこの子に見せ続けてしまったから、この子は人間が嫌いになってしまった。
 これでは、人間とまじわることで孤独を癒すこともできはしない。
 ―――では、この子に、一つの権利を送ろう。
 この板で、神と茘枝以外すべてのいきものが持っている権利。
 死ぬ権利を。

 そうして作られたのが、クルーノの眼だと、彼は語った。

「……そうだったの……。茘枝様は、人間にとってドラゴンが害になったときのためだけじゃなく、ドラゴンのためを思って、あなたを作ったのね」
「これは私の職掌を逸脱していますが―――おやめなさい、茘枝」
 クルーノの眼は、周囲を囲む男たちにも訴える。
「彼女を止めてください。不老不死だなんて、この世で最悪の苦しみを彼女に味合わせたいんですか?」

 ケリーが声を出した。
「その不老不死、解く方法はあるんだろう?」
「―――あることはあるわよ。それはたしか」
「ただし、人間があの魔法をどうやって解いたのかまったく不明です」
「そもそもどうやって人間が不老不死になるんだ?」
 茘枝とクルーノの眼は、似た表情で顔を見合わせた。
 シグナルのように、一瞬の目の動きで多数の情報をやりとりして、彼らは軽く頷く。

「今から話すこと……内緒よ、いいわね?」
 全員が揃って頷く。
「難易度はひたすら高い、運任せです。神族もしくは悪魔族の手を借ります。つまり不老不死の魔法とは、そういった上位の存在を呼び出す魔法の事です」
 茘枝が冷静な口調で続ける。
「まず呼び出しに相手が応じてくれるかどうかが運。次に契約を持ちかけ、相手がそれに乗ってくれるかどうかが運。人間の持ち物で、神さまが欲しがるようなものなんてないから、相手が気まぐれを起こすかどうかが分かれ目になる。呼び出しに応じてくれたとしても、素直に相手が人間の望みを叶えてくれる可能性はなきにひとしいわ」
 かつて大魔術師は、大切であった人間を亡くしたとき、その邪法に手を染めた。

 不運な事に、彼には、それが成功するだけの力があった。呼びかけは成功し、上位の存在は現れ―――そして、死者の復活ではなく、不老不死の呪いを、茘枝にかけた。
 とくにどうという理由はない。
 神の特性である、気まぐれからだ。
 気まぐれから召還におうじ、気まぐれから呪いをかけられた。
 神の気まぐれから、彼は苦痛に満ちた長大な人生を送ることになったのだ。
 そんな相手に、不老不死にしてくれといったところで、受け入れられる確率は……ひくい。

 クルーノの眼の継承者には、召還の魔法陣を書く道具が用意されている。惑いの家に、それはある。使用方法は、クルーノの眼が蓄えた記憶の中に貯蔵されている。
 ただし、使用は任意だ。
 古の大魔術師は、自分が味わってきた辛酸を他人にも味合わせてよしとする人間ではなかった。
 あくまで彼は選択肢を用意しただけである。―――自分の血液という、召還の魔法陣を書く上で不可欠な要素を。神族の血でなければ、彼らの注意を引けない。そして古の大魔術師は、半分神族の血を引いていた。
 惑いの家の中で、その道具は時間の浸食を受ける事もなく眠っている。変質は一切ない。
 惑いの家では、時の流れすら本来の役目を忘れる強い魔法がかけられていた。

 スクエアの体を借りたクルーノの眼は、悲痛な顔で訴えかける。
「彼女を、止めてください」



2006 1/14 up


オリジナルのページに戻る

  トップへ行く