「在りし日を夢見るさまよい人 21」



「うん、そうよ。正しいわ」
「……あっさりしてますね」
「隠す必要なんて、ないでしょ? 今更の話だし」
 むかし神さまが人間を滅ぼそうとしました。
 ヘー。ふーん。……それがどうした?
 というものである。

「だからばれても不都合になることもないし、隠しておいても特に得な事もない。吹聴する必要がないだけだもの」
「……質問してもいいですか?」
「どうぞ?」
 外見たっぷり余裕。
 しかし内心ひやりとしつつ、茘枝は答える。
「人間が生き残っていたことに、あの神さまが驚いたというのはいくらなんでもないと思うんですよ。自分たち人間は、この板のいたるところにいるんですから。いまさら、人間がいることにびっくり、ってことはないんじゃないかと。でも、じゃあ一体何に驚いたのか? ヘプライトの、何に驚いたのか?」
「……」

「ヘプライトだけがもつ希少な特質は、ひとつしかない。魔力をまったく持たない、茘枝様の血をまるで引いていない、ということです。お尋ねしますが、そういうこと、ですか?」
「そういうこと、みたいね」
「その昔、生粋の人は、神さまに滅ぼされた……正確には、かけた。しかし生き残った。その人間たちに、茘枝様は、自分の血を溶け込ませた。そうして生まれる子どもは、かつて滅ぼされたものとは違うものです。長い時間をかけ、茘枝様は血脈を人間社会に浸透させた」
「ええ、そうよ」
 機嫌いいとすら言える笑顔で、彼女は頷く。
 ここまでは問題ない。問題は、ここからだ。
 お願いだから気づかないで―――。

「……ここで不思議なのは、どうしてヘプライトがまだ生きているのかということなんですよね」
「―――どういう意味?」
「神さまが滅ぼしたといっているんですから、生き残った人間の数はそれは少なかったはずです。それに、その事があったのは少なくとも何千年と昔の話でしょう。それなのに、どうして、ヘプライトはまだ生きていらっしゃるんでしょうね? 生粋の人間なんて、とうの昔に絶滅しているはずなのに」
「…………」
 茘枝は何も言わない。
 ただ微笑み、たたずんでいる。
「何千年と昔の、一握りだけ生き残った人間が、一握りの間で婚姻と出産を繰り返しても、血はすぐに濃くなる。今の時代まで血が保たれるはずがない」
「でも、ヘプライトは現にいるじゃない」
「そうですよね。そこが妙なところなんです。つまり、私の考えでは、一握り生き残った、のではなく、人間という種族自体を、茘枝様が再度つくったのではないでしょうか?」
 さあ、どう答えるべきか?
 茘枝は頭をめぐらせる。めぐらせた末―――
「そうよ」
 あっさりと茘枝は答えた。

「世界は何度も滅んだ。主に人間の愚かさによって。生き残るのは茘枝様と黄金の鱗を持つ神さまだけ。……ここまでは知っているでしょ? 当然、その後、茘枝様はいつも人間という種族を新しく作り直し、世界にばらまくのよ」
「……なるほど。では最後の質問です。人は、亜人種たちの、亜流なんですか?」
「………」
 うわちゃー、というところである。
 どう答えるべきか迷ったが―――結局、ありのまま返答した。
「そうよ」
 簡潔な答えに、スクエアは頭を押さえる。

「茘枝様は、亜人種のひとたちから、人を作り上げたの」
「……茘枝様が、亜人種の保護に力をいれていたはずですね。亜人種、なんかじゃない。私たちこそが亜流だったわけですか」
「ちょっと重い事だから、変な人の耳に入ると困るの。亜人種をさげすむことを日常にしている人は、平静に聞けない事実でしょう?」
 茘枝はにっこりと笑う。
「内緒にしてくれるわよね、もちろん」
「……いまの亜人種に厳しい現状を変える価値ある一言だと思いますが」
「人間ってものを、あまりに甘く見すぎているわ、スクエア」
 茘枝の言葉は喋り口こそ物柔らかだが痛烈だった。

「いい? まず証拠がない。証拠がない以上、信じてもらえることはまずない。人間にとって、これは信じたくない事実なの。人は信じたくない事実を、証拠もなしに信じはしない。信じたいことならば、証拠なしでも信じることもあるでしょうけど。何より、自分が蔑んできたものが尊ぶべきものだったと知らされて、その変換を快く認められる人間はそういないわ」
「……そうですね。あなたは正しい」

 ローブ姿のスクエアは頷くと、息を吸い込む。
 どうやらこれまでのことは枕詞だったらしい。本題はここから、ということだろう。
 緊張して体を固くする茘枝に、スクエアは言った。
「何を、三つ目として願うつもりなんです?」
「……秘密よ」
「ヘプライトが、あなたを案じています。自分がショックを受けていたから、だからあなたはとんでもない決断をしたのではないかと、そういって」
 ……ヘプライト。
「―――愛していた事に、今になって気づくなんて、不思議ね」
「はあ?」
「とても不思議ね。私は、この世界を憎んでいると思っていたわ。好きではなかった。女である私を否定し、認めず、抑圧するばかりのこの世界を、むしろ嫌っていると思っていた。なのに、私は、今になって……」
 吹く春の風。
 揺れる名もない野の草。
 混乱に満ちた今の風すらも、思い返せばかぎりなく愛しい。

「どうしてヘプライトが、自分ではなく私に頼んだのか、あなたならわかるでしょう?」
「……わからないわ」
「ヘプライトは、自分があなたの側に行けば、あなたをますます意志強固にしてしまうだろうと言っているんです。ヘプライトが、あなたに何かを決意させた原因なんですから」
 冷静かつ、的確な読みだ。
「可能性として、彼はこんなものを挙げました。―――あなたは、古の大賢者が通った道を通ろうとしているのではないか、と」
「……面白い想像ね」
「想像ならいいんですけどね。おやめなさい。あなた一人を犠牲にして、それで私たちが心やすらぐと思いますか?」

 茘枝は真っ直ぐ射込んでくるスクエアの眼差しに抗す気もなく、顔を伏せた。
「……口に一つの炎がなくとも、心には炎がある。あなたがたを凍えさせても、世界の他の人々は喜ぶでしょう」
 口にしたのは、事実上の肯定だった。
「でしょうね! でも」
「この世界には、神様が必要なの」
 やんわりといって、茘枝は反論を封じた。
「茘枝様の存在で、世界が安寧の中に封じ込まれたように。世界は、神様が必要なの。
―――人間だけを取り出して世界といっているわけじゃないわ。この板に生きる生き物には、神様が必要なのよ」
「意味が……よくわかりません」

「ドラゴンがなくなった。助け出す手段は、今のところ見当たらない。……よりによって、今、この時期に」
「―――何度も聞きましたね。それ」
 よりによって、今。
 茘枝がクルーノの眼の継承者となったことで、関係者が何度も言った。
「ええ。―――そうね。もう、隠しておいても、どうにもならないわ。もう。スクエア、皆を呼んで頂戴」

    ◇

 集まった面々の前で、茘枝は切り出した。
「今この世界には、茘枝様がいません。茘枝様の願いならば、盲目的に叶えてきたドラゴンもです。このふたりがいないいま……この板は、どうなるのか判りません」
「……どういう……?」
「順を追って説明します。この板には、周期的に、ある一定の動乱が起こるのです。その周期は人の一生よりもはるかに長く、自分の一生の間に出くわしてしまった人間は不運というしかありません。それでも、これまでは、茘枝様という守護者がいました。ドラゴンも、茘枝様をまもるためならば力を貸したでしょう。ですが今はお二人ともいらっしゃいません。このままでは、蝗が畑を覆い尽くすように、すべては滅ぼされてしまうでしょう」
「動乱って、なんだ?」
「違う板からの、侵入者です」
「―――は?」
「茘枝様がいらしたころは、撃退する事が出来ました。でも、いまは……この板には、誰もいないのです」
「つまり、その侵入者っていうのは、侵略者、ってことか?」
 豊かになるため、他国に戦争を仕掛ける。その思考自体は、為政者にとって慣れ親しんだものだ。ケリーはそう頭の中で整理したが、茘枝は否定した。
「少し違います。侵入者たちは、この世界を自分たちの住む場所にしようとは考えていないのです。ただ……整理しようとしているだけです」
「ああ、判ったような気がします」
 スクエアが得心のいった顔になった。
「板というのは、私たちにとってはこの世界が唯一の、かわりのきかないものですが、違う視点から見ればそうではない。さながら大図書館のように、『板』は無数にあり、整然と並べられている。図書館にも本の入れ替えは必要でしょう。不要になった板は、交換される。その不要かどうかの見極めがその侵入者ですか? いわば、掃除人」
「不要を、不適格になおせば、百点満点よ」
 茘枝は舌を巻いた。
 人は皆、自分を基準にして考えるものだ。
 そして人間は皆、この世界を愛し、唯一絶対のものと考えている。「他にも同じような世界が無数にあり、その一つに過ぎない」ということを、なかなか想像しがたい。

「魔物を、世界に放ったのはドラゴンです」
 ―――動揺が走り抜ける。
「ドラゴンは、二つの目的の為にこの世界に魔物を作り上げ、放ちました。一つは、人間同士の戦争をなくすため。……これはあまり役には立たなかったけど。もう一つは、人間の力の強化です」
「魔物は、練習用の試し切り人形の役割だったんだな……」
「ドラゴンは茘枝様亡きあと、この世界を守る気はなかった。けれども、彼にとってもこの板は愛着があったのでしょう。チャンスを与えました。それが魔物です。魔物との戦闘が日常となった私たち人間は、間違いなく、そうでない人間よりも強くなっています」
「でもそのために……」
「ええ。―――石が切磋琢磨して磨かれるように、磨かれない人間は魔物に殺されていきました。だからこそ、茘枝様はその策をとれなかったのです。人間を数で考え、流れる涙と血を無感動に傍観することができなかったので。―――でもそのために、茘枝様なきあとの私たちは、あまりに無防備であり、無力であり、無知です。茘枝様がいて全てを背負ってくださったので、私たちは何も知らないのです。そういう危機があるということすら、知らないのです」
「……いまの魔物の増加はどういうことです?」
「ドラゴンが創造した、魔物を作り出す管理人が、何らかの意図を持ってやっているのでしょう。いよいよ侵入者が迫ってきた為に慌てて人間の力を強化しようとしているのか……あるいは、ひょっとして、ドラゴンが亡き今、魔物によって覇権を握ろうとしているのかもしれません」
「覇権を握ってどうしようというんです? もうすぐ、侵入者がやってくるんでしょう?」
「知らないのかもしれません。あなた方が知らなかったように」
「……それもそうですね……。ドラゴンが作った相手なんでしょう? 連絡をとることはできないんですか?」
「何度かやってみましたが、できませんでした」
 接触は拒絶された。

「だから、私は、あの神に願います。私を不老不死にして欲しいと」

 かつてその呪いを受けた魔術師の人生を見た彼女は、それだけは嫌だと拒絶していた。
 ヘプライトの犯した過ちを、彼女は修正できる。
 彼女だけが、つぐなえるのだ。
 ヘプライトは、彼女に何をしてくれたというわけでもない。
 臆病で、力弱く、とりえのないただの人間だった。
 けれど、その彼の涙を見て、やっと茘枝は決心できた。

 何の見返りもなく、ただ、助けたいと思ったのだ。
 王侯貴族を助け過大な褒賞をもらうよりも、力なく打ちのめされた人々の力になりたいと、彼女はようやく、そう思えた。



 ―――力とは、なんのためにあるものか。
 自分よりか弱きものを助けるため。



2006 1/7 up


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