「在りし日を夢見るさまよい人 19」



 ヘプライトは、強くもなければ、賢くもない。ケリーのような特権階級の生まれなわけでもなければ、特別な能力をなにか持っているわけでもない。顔立ちにも、とりたて優れたところは見受けられない。

 愚かで、平凡な、ただの人間だった。

 だからだろう、と茘枝は思う。
 ヘプライトが、なにかそれだけで生きていけるような取り柄のある人間なら、茘枝にこんな決心をさせる事はできなかったにちがいない。
 ヘプライトは、変わったところなどない、ふつうの人だ。
 悪い言い方をすれば、どこにでもいる人だ。
 だが、そういう人をこそ、茘枝は救いたい。

 強かったり、生まれが特別優れていたり、魔術の才能を持っている人ではなく、とくだん何の特筆すべきことをもたない、ただびとを。
 彼がこれから生涯背負っていかなければならない罪を、茘枝は、償える。
 それは彼女だけができること。
 ほかの誰にも、できないことだ。

 世界のためなどではない。
 他の誰でもない。
 今この瞬間、茘枝はヘプライトこそを救いたかった。
 今こうして目の前で悩み、絶望の淵に足をひたし、ことばにもできないほど苦しんでいるヘプライトを。

「……何を願うんだ?」
 茘枝ははっとした。
 少しの間、物思いにふけってしまっていた。
 神を部屋に残し、全員で隣の部屋に移動して、ケリーが茘枝に尋ねた。その声だった。

「俺たちは状況を、わかっているようでわかっていない。どういうことだ?」
「―――隣の部屋にいるのは神様よ。私はクルーノの眼を代価に取引したの。クルーノの眼を渡すかわりに、三つだけ、願いを叶えてくれるわ」
 民間に広く膾炙されているおとぎ話。
 神さま、もしくは悪魔に魂を代償に取引すると、相手は三つだけ、願い事を叶えてくれる。
 その土台のせいか、皆の納得は早かった。
「その三つって、どの程度の範囲で叶えてくれるんだ?」
 きまぐれで、ケリーの一族の願いを叶え続けたドラゴンのことを思ってだろう。ケリーが尋ねる。ドラゴンは、きまぐれでのみ、願いをかなえていた。だからドラゴンの気に障るようなことや、大変な事は、たとえ願っても叶えてくれなかったろう。

「かなり広い範囲で、願いは叶うわ」
「ドラゴンを復活させてくれ……っていうのは?」
 ケリーが、うちひしがれているヘプライトに同情的な目をやって、茘枝にたずねた。彼は元々、根が善良にできているのだ。こうまで傷ついている人間を、さらに鞭打つようなまねはできない。

「それは、私も尋ねたけど、駄目だったでしょ? クルーノの眼を破壊しないと、ドラゴンは復活できない。そういう仕組みになっているのよ。そして、契約の代価がクルーノの眼なんだから、当然クルーノの眼を破壊するような行動は却下なの」
「じゃあ、魔物を消滅させてくれっていう願いは?」
「それは大丈夫」
「―――じゃあ、その願いをすればいいんじゃ……ないのか?」

 気遣わしげに、ケリーがたずねる。
 茘枝は沈黙でもってこたえた。
 ケリーは重ねて尋ねてくる。
「なにか、まずいことでもあるのか?」
「……長話に、つきあってくれるつもりはある?」
「いいけど……」
「これからするのは、推測からくる仮定。いい? 人は、困難なく、ただ天から黙って与えられたものを認める事はなかなかできないのよ」
「……ええ、それが?」スクエアが肯定し、つづきを促す。
「願い事として、私が願えば、すぐさまその望みは叶うでしょう。魔物はいなくなるでしょう。でも、そのあとは?」
「―――そのあと?」
「何の苦労もせず、黙ってポンと与えられた平和を、人は自分たちの手で勝ち取ったものと思うかしら? 維持しなければならない大切なものだと思うかしら?」
「思わなくっても、べつに困る点はないんじゃないか?」
「大切なものと思わなければ、人は努力する価値も平和を維持する大切さも、わからないままよ。私たち人間の手で、苦労の末に平和を取り戻すのか、あるいはいきなり現れたこの世界に何の興味も抱いていない神さまの手で一気呵成にやってしまうのがいいのか、どちらがいいのかしらね?」

 全員が顔を見合わせた。
 数秒の沈思は、皆がそれぞれ茘枝の言った事を考えていたのだろう。
 口火を切ったのは、ケリーだった。
「それでも……、人が死んでいるんだ。今こうして話している間も、ずっと。神さまの手を借りて解決するのは卑怯かもしれない。でも俺は、今すぐになんとかできるのなら、そうするのが正しい事だと思う」

 茘枝は、軽く頷いた。
 そのまま、反対意見を待ったが誰も何も言わない。
「……それでいい? みんな」
 おずおずと、だが。
 頭が振られる。
「みんな、ほんとうにいいのね? 後悔しないのね? いつか遠い未来に、今の選択で責められても、それは自分の選択だって、胸を張って言える?」
「ああ」
「じゃあ……わかったわ」
 茘枝は、深く頷いた。

 正直なところ、結論など最初から見えている問いかけだった。


2005 12/24 up


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