ファインダー
カシャカシャカシャカシャカシャ―――
「いやあ、ご苦労様」
その声が取材が終了した事を告げていた。
それと同時に二人のホッとした表情と軽く息を吐き出す声が表に現れた。
そんな様子を目の端に捉えながらそのまま機材の片付けに入る。
頭の上で天野さんが、これが掲載される予定の雑誌名と号を説明する。そしてそのまま
雑談に入ろうとするのを聞くともなしに聞きながら、顔を上げずにそのまま黙々と片付け
を続ける。
――やれやれ、早いところ解放してあげればいいのに
そんなことをこっそり思う。
ファインダー越しに見ると不思議と直に見るより相手の体調とか、気分とかがよく解る。
それで判断すると今日は二人とも少々疲れ気味というところか。
まあ、無理もなかった。
このところの二人はにわかに取材とかインタビューとかの依頼が増えてきていて些かそ
れに振り回されている感があるからだ。
今年は囲碁界ではホットなニュースが続いた。塔矢新碁聖の誕生。奪取ならずも進藤君
の本因坊戦挑戦手としての初陣。そして彼は早碁で並み居る先輩諸氏や塔矢アキラを押さ
えての優勝を飾った。
もともと塔矢君はプロ以前から周囲に期待されていた存在だし、進藤君の方はプロ入り
してから一部で注目されていたが、ここ数年じわじわと塔矢君と並んで期待を受けていた。
しかし、それはあくまで関係者の間でのことだった。
それが今回の快挙でニュースに取上げられ、メディアに顔が載った途端、にわかに一般
に知られるようになったのだ。
それも無理もなかった。まだ誕生日を迎えていなかった二人は若干18歳でこの快挙を
成し遂げた上、大衆受けする容姿にも恵まれていた。
これを機会に囲碁の知名度も上がるだろうし、業界側としてももっと囲碁人口を増やし
たいという欲もある。しかし、それだけではなく待ち望んでいた若い世代の台頭だ。
長い間囲碁の浸透に努め、日本碁界の低迷を嘆いていた棋院職員や出版部では新しい力
強い波に感慨もひとしおだった。有頂天になっていたと云ってもいい。
それは天野さんも同じで、特に早い段階から二人に注目もしていただけに喜びもひとし
おなのだろう。
暗室の暗がりの中でピンセットでつまんだ印画紙をゆっくり液体の中にくぐらせた。
徐々に浮かび上がってきた像に満足の息を吐いた。
良い表情で撮れている。
二人とも被写体としては魅力をそそられる存在だが、タイプはまるで違う。
進藤君は初めて撮った時は緊張して硬い表情だったが、打ち解けると茶目っ気のある眼
を輝かせてクルクルと表情を変える、ビックリ箱だ。
対してアキラ君はこの年にしては落ち着き過ぎなくらい静かな表情でじっとカメラが切
られるのを待つ。対談中は状況に応じてやわらかい表情を見せるが、ファインダー越しに
見る彼はどこかそれは造った表情に感じられた。恐らく幼少時から周りの環境で身につい
た処世術なのだろうと思うが、撮る側としてはもう少し素の表情を見せて欲しい存在だっ
た。
それがこの写真の中の二人は取材中という事を感じさせない自然な表情で収まっていた。
塔矢君の表情が素でほころんでいるのが良く分かる。彼にしては珍しい。やはり同い年で
尚且つ親しい仲間同士だと違うんだろうか。
彼らは好対照として、また実力の折衷した同い年のライバルとして良く取上げられるが、
仲は悪くない。
初めからそうだったのかイマイチ記憶が定かではないが、少なくとも今はよく一緒にい
る姿を見かけるし、話している姿は楽しそうだ。
満足のいく出来栄えに鼻歌を呟きながら作業の手を早めた。後はこれを乾かせば今日は
もう上がれる。
久しぶりに昔の友人と飲みに行く約束を果たせそうだ。
「写真、出来上がりましたー」
「おお、ありがとうっ」
「じゃあ、済みませんが今日はこれで上がらせていただきます!」
「ああ、ご苦労様」
「ハイ、お疲れさまでしたー」
出版部を出て、腕時計を確認すると、今からだと約束の時間に少々遅れて到着といった
ところだろうか。まあ、仕方ない。お互い不規則な仕事に就いているんだから多少時間に
ルーズなのは先刻承知だ。それでもあまり遅れるのもなんだと、足早に棋院を後にした。
◇
連れがまだ来ていなかったので一足早く一杯やっていると、ガラガラ扉が開く音と共に
『ごめん、ごめん』という賑やかな声が降ってきた。
「さきにやってるぞ」
「ああ。すいませーん、オヤジさんっ、オレにも一本お願いしまっス!」
そう大声で怒鳴りながらドカッと腰を下ろし、おもむろにタバコを口に咥える。
「久しぶりだな、仕事は順調にいっているのか?」
紫煙を吐きながら聞いてくる。
「ああ。お前こそどうなんだよ」
「オレは相変わらず声が掛かればどこへでも行かされる便利屋さ。オマエが居た頃とそう
変わらんよ」
コイツとは以前同じ新聞社で働いていた、部付きのカメラマン同士だった。報道カメラ
マンを目指して折りよく潜り込めた会社だったが、いつまでたっても雑用同然のおっつけ
仕事しか回してもらえず、グチを叩き合った仲だった。
一旗上げるには実力はもちろん、運も必要だった。専門学校時代、同期だった連中の中
には名が売れた者もいたが、俺同様大概の者が誰にも知られず、無名のカメラマンとして
くすぶる事になる。
「しかし、オマエがこんなに長くあの業界に逗留するとは思わなかったな」
「実は俺もだ」
そういって顔を見合わせてゲラゲラ笑う。
「もう、かれこれ7・8年?になるんじゃないか?」
「そうか…。もうそんなになるかな…」
当時、俺はまだ駆け出しのカメラマンで、専門学校時代師事していた師匠の紹介で憧れ
ていた大手新聞社に卒業と同時に潜り込む事が出来た。
幸先の良いスタートに大いに運が良いと思ったものだったが、それから先は中々ふるわ
なかった。部付きのカメラマンは当時俺以外にも6・7人居て、俺はその中で一番下っ端
だ。それは先刻承知だったが、いつまで立っても誰が撮ってもあまり変わらないおっつけ
仕事しか回してもらえずに焦っていた。
もともと俺が撮りたかったのは報道写真でこんな間に合わせの写真が撮りたかったわけ
ではない。
プライベートでも街中に出てシャッターを切ったが、個人の力だけでそうタイミング良
く事件に出くわすものでもなかった。それに宮仕えの身ではそうそうプライベートの行動
を取れるわけでもない。必要な時にいつでも出れる。それが会社に必要なカメラマンに求
められる条件で、それが出来なければ即クビだ。
それでもチャンスを待った。
その間に一発当てて独立した先輩カメラマンがいた。俺より後から入ったヤツが運良く
スクープをモノにして名を上げ、重要な事件カメラマンとして厚遇されるのを見送った。
4年辛抱した。俺には相変わらず雑用の様な間に合わせの仕事しか回ってこず、運も掴
めなかった。そろそろ潮時か。ここに留まるか、それとも別の場所を求めるか。俺は考え
ずにはいられない岐路に立たされていた。
そんな折だった。急な代打で囲碁のタイトル戦の記事写真を頼まれたのは。
もっぱらこんなピンチヒッターはいつもの事だった。宮仕えな以上断れるものでもない。
俺は正直気乗りしないまま撮影場所だという、日本棋院会館に初めて足を踏み入れた。
『幽玄の間』だとかいう対局室に一歩入った瞬間、ゾワリと全身が総毛立つものを感じた。
それは殆ど殺気といっても良い。
俺は遠い昔に五目並べくらいはやった事があったが、碁の事には殆ど無知だった。
イイ年したオヤジが黙って碁盤に向かって座っているだけの絵なんて面白くもなんとも
ない、と考えていた俺にはこの空気は正直意外で意表を付くものだった。
気付けば夢中になってシャッターを切っていた。
その時の俺の写真がどれ程その場の空気を写し撮れたかよく分からない。
ただ、それを切っかけにそこの専属カメラマンにならないかという話が舞い込んできた。
棋院に長らく専属していたカメラマンが辞める事になっていて代わりを探していたとい
うことだった。
俺は躊躇した後、それを受けた。
同僚のカメラマン達は物好きなと呆れたし、コイツのように諦めるつもりかと積極的に
止める者もいた。
だが、ここにいても事態は変わらない。それに好奇心も勝った。あの、今の日本では珍
しい、殺気立ったピリピリした空気の正体をもっと知りたいという欲が出て来たのだ。
それを見るために俺はこの世界に飛び込んだ。
俺も元々そんなに長く留まるつもりはなかった。この真剣勝負の世界に触れ、フレーム
に収め、好奇心が満足したら適当な時期に辞めるつもりだった。
そしてそろそろそうしようかと思っていた時に彼が出て来た。
塔矢アキラ。
彼はまさしく早熟の天才だった。
その頃には俺も少しは碁の知識を覚えていた。といってもアマとしても話にならない程
ヘボだったが、日夜高度な棋譜を見る機会にだけは豊富に恵まれていた為、眼だけは少し
は肥えたようだった。
その素人の俺の眼を通していてさえ、彼の操る手腕は年齢のわりに並外れだった。
後で、2歳の頃から父である元名人に鍛えられていたと聞いて成る程と思ったものだっ
たが、それでもその才は際立って見えた。まだあどけない少女のような綺麗な顔で苛烈な
碁を放つ。その落差は撮る側としても興味をそそられるものだった。
ビジュアル的にも絵になる存在の彼の出現は、この天才の行方をもっと見ていたいとい
う気にさせられ、辞めるのは先延ばしにさせられた。
そして翌年、進藤ヒカルという碁を覚えて2年でプロ入りしてきた少年が現れた。
正直、彼の実力のことはよく分からなかった。
ただ、新初段シリーズで塔矢名人が指名したという事実と桑原本因坊先生と緒方九段が
気にしていた事と、或るコトで注意を引いた子だった。
彼はプロ入り早々サボリという甚だ芳しく無い理由で周囲の興味を引いた後、めきめき
頭角を現してきた。新手を次々放ってくる手腕とそのセンスから新しい定石を編み出すの
は彼ではないかと囁かれ、『本因坊秀策の再来』という二つ名が定着するようになってきた。
そして今、新しい碁界の顔として塔矢碁聖と2枚看板をになっている。
彼を見ると真の天才という名は彼の方が相応しいのではないかと思えてくる。塔矢君も
まぎれも無い天才だが、進藤君に比べると彼は努力型の天才だ。
しかしいずれにせよ、この様子の良い、同い年の二人の天才がいる時期に立ち会えたの
は僥倖だと思える。
俺はこの先一流にはなれないかもしれない。
しかし、ここに居れば、近い将来確実に一流トップ棋士と呼ばれる天才達をつぶさに見
る事が叶うのだ。
彼らがこれから先、作り上げる棋譜や、その場の空気を身近に感じ取れる立場を思うと
まだまだ立ち去れないと思える。
それ程自分もこの世界にどっぷり染まってしまった。
◇
酒を飲み交わしながらお互いの近況を伝え合う。
「今日は、あの二人を撮ったんだ」
見るか、と言って掲載用に渡した写真とは別に持っていた写真を見せる。アングルこそ
多少違うが、例の表情をした彼らが写っている。
「もしかして、あの二人か!」
と引ったくる様に奪い取って、食い入るように見つめた。
門外漢のコイツもあの、と言ってすぐ分かるぐらいに一般に浸透した二人だ。この新し
く巻き起こったブームはまだ当分続くのかも知れない。
「………うーん」
「どうした?」
「いや、オレもテレビでも雑誌でも塔矢碁聖の写真は沢山見たが、こんなやわらかい表情
をしているのは初めて見る…」
良い写真だなとポツンと零した。
「それは俺の力じゃないよ」
「えっ?」
「多分、隣に写っている彼のおかげさ」
「えっ、この二人、ライバルなんだろう?タイプも正反対みたいだし、仲良いのか?」
俺は苦笑して続けた。
「悪くないよ。少なくてもお互いの悪口云っているのは聞いたこと無いな」
それを聞いてへーと興味深げにマジマジ写真に見入った。
勝負事ではライバルでも普段は仲良い友達ってところか、今時珍しいさわやかさだなと
感想を述べる。
「なあ、オレもこの二人の取材がしたいな。紹介してくれないか」
今、旬だからなー。二人の写真が載っていれば、確実に女性が買うから部数が伸びるん
だよと熱心に口説く。
「無理云うなよ。専属とはいっても、彼らのスケジュールは棋院が管理しているんだ。俺
を通してもムダだよ」
取材したきゃあ、事務を通しなと笑っていなす。
「そんなつれないこと云うなよー」
酒が回った声で懇願するが、コイツもそんな事は分かっている。半分冗談で半分だめモ
トといったところだ。
――ちぇっ、しょうがない。気長にやるか
案の定、ぼやきながらぶつぶつ呟く姿を見ながら、俺も楽しく酒を呷る。
――そうさ、俺も気長にやるさ
そう自分でも述懐しながら今日はトコトン呑むつもりだった。
◇
イイ加減酒の回った頭でそういえば…と思い出す。
俺が進藤君を気にした理由の一つだ。
―――ここ数年ずっと無いな
去年、若獅子戦で初優勝を決めた時も写真を撮ったが問題はなかった。
―――あれ、なんだったんだろうなー
それはプロ試験合格の時と、新初段シリーズの時だった。
撮った写真の何割かが、なぜか使い物にならないモノが出てくるのだ。
特に新初段シリーズの時は酷かった。肝心の初対局の写真があらかたダメで青くなりな
がらも現像を続け、ようやく最後の一枚まともに写っているのが出て来た時、心底胸を撫
で下ろしたものだった。それ以来、彼を撮る時は余分に多く撮っておく習慣が身に付いて
しまった。
―――変な写真もあったしな…
それは、彼の脇にうっすら白い影が写っていたモノだった。
―――何か、服もヘンだったし…
ハッキリ写っていたわけではないが、かろうじて判別できたソレはテレビで見た事のあ
る、かなり昔の――そう、直衣だとかいう着物だったような…。
その写真は気持ち悪かったので出来損ないの写真と一緒に進藤君には内緒で処分してし
まったが、何となく心配になったのだ。
彼が手合いに来ないと聞いた時。
―――まさか、霊障ってわけじゃないよなー
という笑えない冗談を思いついてしまった。
知人にマスコミ関係が多いものだからそういう話もつい人より多く聞いてしまう。
―――まあ、あれ以降、ヘンな写真も出てこないし、偶然だろう
そう片付けて、コイツが潰れない内に店を出るかと酔った頭でぼんやり考える。
彼は知らなかった。
それが当たらずしも遠からずといった事実だったことを。
END
番外編「不動」にいく