それでも君は微笑うから 17


 その翌日。
 昼休みに新聞部に行ったカノンはかなり深刻な顔のひよのに対面した。
「まずいです。かーなーり、まずいです」
「……うまくないわけだ?」
「うまくないです。昨日一日かけて、火澄さんのことを組織に公表をもくろんでいる人物にあたりをつけました。そろいもそろって、私と繋がりのある人物じゃ、ないんですよね」

 ただの一日でそこまでやったひよのにお世辞抜きの賛嘆の眼差しを向けて、カノンは問い返した。
「つながり……というと?」
「具体的には、私が弱みを握っている人物、もしくは私の研究にかかわりのある分野の人物、です」
 ひよのが今研究しているのはロボット。ロボットといっても種類は豊富だが、シーケンサロボットおよびフィードバック制御型ロボットの研究に着手している……らしい。
 先日取得したばかりの新型センサーの特許は業界からひそかに熱烈な注目を浴びており、いくつもの企業からオファーが来ている天才少女なのだ。
「そのどちらかなら何とかなったわけだ?」
「ギブアンドテイクで、取引に持ち込みやすいですから。でも、関係のない人物だと、かなり、手を焼くんですよねー。……ねえ、カノンさん。あなたがたにとって、火澄さんの公表は、打撃ですよね」
「? ―――ああ。致命傷といっていいね」

「ええ。これまで傍観を決め込んでいた人物までもがハンター側にまわることは必至です。でも、……考えてみてくれます? 火澄のことを公表することで、でる利益って、なにかありますか?」
 そう問われて。
 カノンは考え込んだ。

「……ブレードチルドレンを狩りやすくなるっていう利益……かな」
「ブレードチルドレンを放置して、なにか直接的な損害を得る人物って、いますか?」
「いや―――思いつかない。もちろん、返り討ちしたハンターの肉親とかは、いるけど」
「組織にとって、ブレードチルドレンを排斥するメリットなんて、無きに等しいんですよ。もしメリットがあるとしたら、それは多分に個人のこころ―――信念にいきつきます。ハンターたちが、自分の信念をかけてあなた方を殺そうとしたように」
「……」
 カノンは沈黙する。ひよののいわんとする事を理解したのだ。

「信念で動く人間は、一番厄介です。善も悪もへったくれもなく、取引で止まる確率は低い。で、困ったなあっていったんです。全力で洗っていますが、弱みが見つかるかどうかは、運ですね。―――カノンさん、今日の放課後、あいてます?」
「あいてるよ?」
「じゃ、一緒に行ってください。その人のところに、アポイントをとりましたから」
 昨日の放課後五時すぎに相談され、翌日の昼には個人を特定、アポイントまでとって、同日放課後に訪問。
「……君はなんというか……すごい行動力だなあ」

 ひよのはチッチと指をふり、にこりと笑う。
「時は金なり、ですよ」

 放課後になり、ひよのが行ったのはファミレスの公衆トイレだった。
 席でドリンクをのみつつ、カノンが待つこと二十分。
 出てきたひよのは、髪をほどき、なめし革に近い光沢をもつ紺のワンピースとジャケットに身を包んでいた。
 艶消しの紺地のワンピースは全体が紺で、ジャケットも同じ。首筋のチョーカーには、鮮やかな緋色の宝石が下がっていた。
 ワンピーススーツ、というべきか。
 スーツを着るにも違和感のある17歳の少女のフォーマルとしては申し分ない姿である。

 化粧室で化粧もしたのだろう、ひよのは紅をさした唇でカノンに言う。
「行きましょう」
 場所貸り代としてカノンが注文したドリンクを清算し、制服を駅前のコインロッカーに預けると、ひよのは出発した。

 乗り込んだタクシー内、カノンは気になったことを尋ねる。
「……僕は制服でいいの?」
「いいんですよ。だってカノンさんは、男の子ですからね。男子学生の制服は、正式な正装でもあります」
「ところで言い忘れたけど、すごく、似合ってる。とても綺麗だよ」
 ひよのは鷹揚にわらう。
「ありがとうございます」

 通り過ぎる夜景を見るふりをして、カノンは硝子の反射でひよのを窺う。
 ……綺麗だった。
 先日の一件以来、カノンは自分の自制心に信頼が置けなくなっている。
 ひよのがカノンに寄せてくれている信頼をこっぱみじんにするような行為だけはしてはならないと心に誓った。

 タクシーが向かったのは、カノンも知る大企業の本社ビルだった。
「……ここ?」
「ええ」
 思わず聞かなくてもいいことを聞いてしまったカノンへひよのが頷く。
 受付で尋ねると、最上階直行エレベーターを指し示された。

「……意外だね。どうせ政財界のだれかがと思っていたけど、こんな大物が関わっているなんて思わなかった。こんなお偉いさんに、どうやってアポイントを?」
 ひよのの情報収集能力も、悪名も、所詮は17歳の高校生、所詮は月臣学園内のものだ。こんな日本を代表する企業のトップが気にするほどの影響力はない。
「組織間のつながりから依頼しました。天才少女という肩書きが、彼の興味をひいたらしいですね」
 確かに、個人として、天才少女が訪ねてくれば興味もわくだろう。会ってみようかという気まぐれをおこしても、おかしくはない。

 社長室の前には秘書らしい人のデスクがあり、彼女の連絡のあと、二人は社長室へと通された。

     § § §

 政財界にその名をとどろかす小日向グループ社長は、温和な顔立ちの壮年男性だった。
 社長といっても、小日向グループの実権を握るのはグループ総裁、小日向一族直系の小日向くるみだ。その夫が、目の前にいる小日向源次なのだった。

 いつものように、カノンはひよのの影に下がってじっと待つ。
 にこやかに挨拶を交わした後、二人は本題に入った。

「火澄さんのことを、組織の人間全員に公表しようとしているというのは、本当ですか?」
「ええ」
 まずは肯定。
「理由をお聞かせいただいても?」
「……そうですね、人類の未来を憂いて、とでも申し上げましょうか? すでに、彼らの運命は決定している。すでに、事は鳴海歩がなにをするか、ではないのです。火澄がいる。その事実が彼らの運命を決定した」

 小日向源次は、ひよのの背後に控えるカノンに目を送った。
「火澄がいるという事は、誰が何をおこなっても覆らない事実です。そして、火澄がいることの意味もまた、変わらない。ブレードチルドレンが救われないという事実は、変わらない。すべては予定調和であり、確定し、決定している。だとしたらどうして公表を躊躇う理由がありますか?」
 カノンは唇を噛んだ。―――そう。
 彼には、小日向源次の選択を非難する権利はない。カノンもかつて、火澄の存在をしり、鳴海歩に期待するのをやめた。そして、すべてのブレードチルドレンを殺害し、その屍の山の上で一人死のうと決意したのだ。

 そのカノンの迷いを晴らすように、ひよのの凛とした声が響いた。
「理由でしたら、あります。―――彼らが、生きようとしているからです」

 カノンはひよのを見つめる。ひよのの右後方にいるカノンから見えるのは、わずかな横顔と、すっと伸びた背中だけだ。
 その瞬間、ひよのの背中がとてつもなく大きく見えた。
「私は、彼らと同学年です。同じ学校に在学し、その関係でいろいろと関わることになったことは、ご存知と思います。私は彼らと関わり、彼らが自分の運命に苦しみぬいていることを知りました。そして、その運命を知りながらも、彼らが懸命に生きようとしていることを知りました。―――カルネアデスの板。一枚の板切れをつかむ両者の手。他人に譲れば自分が死ぬ。そのような状況で、私はあっさり他人に板を譲り渡す人間の気持ちが理解できませんし、嫌いです。自ら生きようとしない人間に、生きる資格はありません。同様に、生きようとしている人間には、生きる資格がある。―――私がここへきた理由はそれで充分です。彼らは生きようとしている、生きたいと思っている。言葉上の理屈は結構です。源次さん、あなたは必死で生きようとしている人間を前に、死ねと言えますか? 少しも心動かさずに、自分の正義のみを信じていられますか? その望みをかなえてやりたいと、思わずにいられますか? ……私には無理でした」

 ひよのはそこで言葉を区切り、体をねじって、カノンを見た。
 目線の意味を即座に理解。カノンはほんのわずかの躊躇いを踏み越えて、口を開く。
「小日向さん。僕はブレードチルドレンのひとり、カノン・ヒルベルトです。ヤイバの血の呪いは、本物かもしれません。少なくとも偽物と断定できる要素はひとつもない。ですが、僕は―――生きていたいと思います」
「……だが、20歳になった君は、否応なく悪魔になるんだぞ」
「そのときは、私が殺します」

 ひよのの一言に、愕然としたのだろう。源次が信じられないという風に見る。
「もしも彼らが悪魔となった場合は、私が殺します。少なくとも、カノン・ヒルベルトは。小日向さん、私はなにも、子供っぽい正義感からお願いしているのではありません。私は彼らが悪魔となった場合、それを知る情報網をもち、そしてもし実現してしまった場合は、彼らを殺める覚悟をも持って、お願いしているんです。
―――血の呪いはない。ブレードチルドレンはまっとうに暮らしていける。そう思ってください。あなたはもう未来は確定しているといいましたが、違います。蓋を開けるまで、すべては不確定です」

 ……蓋を開けるまで、すべては、不確定です。
 懐かしい台詞に、カノンは目を閉じる。……そう。
 ひよのはあのカーニバルで、そういった。それが口先だけのことではないと、ひよのはこうして証明している。
 体を張って、カノンたちブレードチルドレンの「未来」。カノン自身ですら信じられない未来を信じて、説得してくれている。

 強烈に彼女にひきつけられるのを感じて、まるで磁石になったようだと思う。
 彼女が鳴海歩を好きでも、一生報われなくても構わない。カノンは、彼女が、好きだ。

「……もし、それでも私が看過できない、この事実を発表するといったら?」
 ひよのは頭を振る。
「天下の小日向グループを前に、私ごとき一介の女子高校生に何ができるでしょう? 私が言えるのはひとつだけ。懸命に生きようとしている彼らを、死地に追いやるようなことはしないでくださいと、お願いするだけです」

 交渉において重要なものは、取引材料、口先だけの交渉術だけではない。
 「誠意」もまた、古来からある大事な要素だった。
 小日向源次はしばし、沈黙のなかにいたが、やがて言った。
「君は、個人的好意で、彼らの味方をしているのではないと言いきれるかね?」
「いいえ」
 亜麻色の髪が、かぶりを振る動作にあわせて彼女の体をふわりと巡る。
 想定外の返答に源次の目が軽く見開かれる。

「私は、彼らに好意を持っています。だから何の得もなく、ただ彼らの味方をしたいのです」
 否定を前提とした質問に肯定で返し、更に肯定を重ねる。
 この返答は、小日向の心の琴線を揺らすものだったらしい。
 吐息とともに言った。
「君の意を汲み、私も、待ってみよう。―――駄目だったときには、自ら手を汚す覚悟で言っている君に免じて」

     § § §

 タクシーを待ちながら。
 交渉が無事に済み、ほっとしているひよのの横顔にカノンは話しかけた。
「結崎ひよのさん」
「はい?」
 フルネームで呼ばれ、怪訝そうに振り返るひよの。
 形骸化している礼の言葉。日常で、無数に使われるその言葉を、目線をあわせ、心を込めて、言う。
「ありがとう」

 真正面からそう、告げると、意外にもひよのは気恥ずかしそうに目線をそらした。
「て、照れますね」
 予想外の反応だが、カノンはそれに気づかない。
 剥き出しのなめらかな首。その細い首の下を、どうしても想像してしまう自分がいる。自制心に自信はあるつもりだったが、つのる愛しさにそんな自信は崩壊してしまった。愛しさを感じれば感じるほど、欲望も増すのは人のさがか。

 彼女に無理強いすることだけは、してはならない。絶対に。
 限界が近いとわかりながら。
 それでも側にいたいと思うのは、傲慢だろうか?

 




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