水の彩(みずのいろ) 後編 1

 

 

 キールが目覚めると、シンは消えていた。

「……ねむい」
 と、キールはでっかいあくびをする。
 キールは昨日一日で、五年分は働いたような気がした。シンの毒の治療をして、その解毒剤が届いて毒は消えたが、今度は性分化の変化が途中で止まっていて、シンを叩き起こしてそれを何とか促進して…。
 術に使う体力は幾分戻ってきていたが、気力がいかんせん伴わなかった。

「いないと駄目…なんで駄目なんだっけ、えーと……」
 駄目だ、頭が働かん。
 髪の毛ぐちゃぐちゃ、手には未練がましく枕を抱え、自分が起きた理由について考える。「シンがいないと駄目」と思ったのは憶えているのだが、なんで「いないと駄目」なのかが思い出せない。

「……思い出せないってことはー、大した事じゃ、なかったんだな。寝よ…」
 寝台に入り布団かぶって寝て、その布団が異様に湿っているのに気づいた次の瞬間、キールは跳ね起きた。
「シンっ!」

 いないいないいない。
 ばたばたと家中を回り、キールは外へ飛び出した。と同時に急停車する。
「シンっ」
 シンは、家の近くの大木の前に立っていた。
 ほっとして近づく。
「……おはよ」
 後向きに、接近を感じていたのだろう、挨拶される。しかし、シンは記憶を失うと同時に言葉を失っていた…筈だった。

 キールがまじまじと隣を見ると、
「記憶は戻ってないよ。ただ…僕が僕でいられるのもあと少しだなって、そう思っただけ」
 ああ……そうか。知っていたのか。

 シンは木を見上げ、言う。
「残念。今が、冬でなければこの木、とっても綺麗だと思うのにな。…みすぼらしい、花も葉っぱもない、枝だけだ。まるで僕みたい」
「そうかな。お前にはお前の良さがあると思うけど? 冬の枝に風情があるように」
 シンは腰をかがめ、こげ茶色の落葉を一枚拾った。美しくもなく、腐ってぼろぼろの、みっともない葉を。
「……そうかな。じゃ、キールはこれが綺麗だと思える?」

「思わない。でも、養分とるだけの花や葉より、腐った落葉の方が何倍も地面の役に立ってる」
 落葉を指でくるくる回し、シンはくすりと笑った。
「たとえどれほど価値があっても、僕には関係ないよ。だってキールは、僕よりあいつを選ぶんだ」
「うん」

 しばし、沈黙がおりた。
「…そこまではっきり言うことないだろっ! 少しは慰めるとか、何とか言えよ、もう…」
「俺は、今すごーく心配した。なんでだと思う?」
 シンが不思議そうな顔をする。……シンの顔なのに、浮かべる表情や反応が違う。
 奇妙な感じだった。

 発音、口調、どこでどう伸ばし区切るか、人の言葉は独自の韻を踏んでいる。以前のシンとはまるで違う発音を同じ声でやられると、違和感が物凄かった。
「今のお前は、自衛手段を何一つ持たない。それでいて、二人と現れぬ美しさと謳われたシンと、同じ容姿なんだ。どれほどの人間が、お前に邪心を抱いているか、お前は何も知らない。以前なら、一人で出歩いたら危険だとかは思わなかった。十五年かけて、あいつはその容姿と付き合ってきて、牙を磨いてきたから。あいつは、……強いから、俺はどこに行こうが何しようが、気にもしない。同じ真似は、お前に対してはできない」

「……僕が、自衛できるようになればいいんだろうっ!」
「無理だね」
 キールはにべもなかった。
「シンは、十五年かけた。それでも、まだ、その容姿から自分を守ることに完全には成功してない。それに、一人でできる事には、所詮、限界がある。お前は護衛を持ってない。俺があいつを強いと言ったのは、たとえどんな状況に追い込まれても自分を見失わず、しぶとくあがける心の強さだ。……なれて、諦めて、そうする人間の方がずっと多いし、楽なのに、な…」

 それは、キールには間違ってもない、強さ。
「――人は、どんなことにでも慣れることができる。なのに、あいつは慣れまいとあがいて、本当に馬鹿で、阿呆で、間抜けで、不器用で、死ぬより誇りを取る大馬鹿で、……自分らしく生きようと一生懸命だ」
 何故か、キールは哀しげな顔をして葉を、落とした。
 くるくるくる、葉は回転して落ちていく。
 それを見ているシンの口から、するりと言葉が滑りでた。
「……キールは、以前の僕が好きなんだ」
 キールの答えは、謎めいた含笑。

「僕じゃ駄目なの?」
 見つめられ、キールの全身に瞬時に鳥肌が広がった。
 シンは絶対に言わない台詞だ。「捨てないで」と同意義の言葉である。あの幼馴染みは、本心からそんな事を言うくらいなら舌をかききって死ぬ方を選ぶだろう。

 微妙に視線をそらしつつ、
「……扱いやすさで選ぶなら、断然おまえ。でも、お前は、俺の知ってる喧嘩相手じゃ、ないから」

 あしらうのも、ごまかすのも、操るのも、弄ぶのも、こちらの方が遥かにたやすい。
 でも、それだけが判断基準でないのが、好意というものだ。
 御しやすいのは、こちらの方だ…けれど。
 ―――けれど。

 キールは一旦目をふせ、真顔で、シンに向き直った。シンは視線を受けとめきれずにそらし、うつむく。
 その唇が震え、わななき、きゅっと唇を結んで、一つの単語を吐き出した。
「……わかった」
 シンは覚悟を決めた。キールの言葉は正論だと、悔しいが、認めた。

 しかしキールは唐突にこんな事を切り出した。
「花、見たいか?」
「…は?」
「だから、この木。花見たいのか? それとも青々とした葉の方がいいか?」
「……なんで?」
「見たいのかと思ったから」
 最期に、見たいものを見せてくれるという事らしい。シンは考え込んだ。

「あ。約束果たしてもらってない。光の女王にいつか会わせてくれるって…」
「あ。…そっか。―ーん、すねてたからなぁ。謁見申し込んでもまた拒否されるかも……。うん、光の女王に拒否されたら、死の女王に会わせるから、かんべんな」
「…死、の、女王…?」
「俺の友だち」
 あっさり言い、キールはシンの手をとった。

 


たいへん長らくお待たせいたしました。水の彩下です。
……待ってない方が大半かな?

 

2002 5/10 up

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