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戦争が終わり、世界の終わりがはじまった 18
ふすまが開いて、見知らぬ女性が茶を持ってきた。
見事にしつけられた動作でふたりの前にお茶を置き、下がる。
麻衣はこぶりの湯のみを手にとり、さも匂いをかぐように鼻の前へと持ってきた。にこやかに言う。
「すみませんが交換していただけますか?」
「……疑っているのか」
「ええ。少なくとも信じる理由はありません」
普通の人間なら否定するところを悠然と頷く麻衣に、軽く眉をひそめただけで老人は湯のみを交換する。
「口をつけていただけますか?」
確かに呑むところまでしっかり見届けて、麻衣は手にした湯のみを机に置いた。
「……どうした?」
「あなたがたが、交換することを見越して毒を入れたかも知れませんし、あなたがたには効果のない毒を両方に入れておいたかもしれません」
「……疑りぶかい。たまには他人を信じることも大事だぞ」
「他人を信じたことはありませんよ」
さらっと言ってのけた麻衣に、相対する男の眼の色が深くなる。
「……本当に、誰もか? そのような生き方は人にはできぬ」
麻衣を裏切らなかった人間はたくさんいる―――短期間一緒に仕事をしたメンバーのほとんどは裏切らなかった。裏切った人間もいたが、少数だ。
短い付き合いで裏切る暇もなかったこと、機会もなかったこと、理由もなかったことなどが主な理由だが、麻衣はこうも思っている。
麻衣が機会と理由があればいつでも彼らを裏切ったのと同様に、彼らも機会と理由があれば裏切っただろう、と。
「本当に、ひとりもいなかったのか?」
いましたとも―――口に出すには勿体無さすぎる人間が。
麻衣が「信じた」のはたったひとりだ。
彼だけは信じていた。
―――見捨てろだって? はっ! 僕は初めてあんたの口から馬鹿なことを聞いたよ。良かったね、今僕の手がふさがっていて。そんな事言ったのが他人だったらぶち殺す。あんたが言ったならぶん殴る。今はぶん殴る余裕がないけど、あとでぶん殴るからそのつもりで。……ああもううるさい! 自己犠牲のロマンに浸ってる暇があったら生き延びる算段したらどうなんだ! 今言うべきは、お前だけでも逃げろじゃなくて一緒に逃げようだろう!
怒鳴りつけられた彼の、驚いた顔とそれが苦笑にかわる瞬間を、覚えてる。
「仮にいたとしても、それがあなたがたを信じる理由にはなりませんよ」
「それはそうだ」
麻衣はぴくりと眉を動かした。……これは。
無言でたちあがり、麻衣が入ってきたのとは反対側の襖を勢いよく開ける。
膝をつき、そこにいたのは二人。
十四五歳の少年と、三十を軽く過ぎた大人の男。
少年はワイシャツのジーンズという服装だが、のぞき見えた腕は驚くほど細く白い。男のほうは黒服であり、頬骨が浮き上がった顔で立派な体格をしていた。
「……盗み聞きは、フェアじゃないよ」
麻衣の無表情の言葉は、相手を威圧する効果がある。
男の方は一瞬息をのんだが、少年は甘えるような口ぶりで麻衣をみあげ、いった。
「ねぇ」
少年は、麻衣の記憶の中にいつまでも残る名前を唇にのせる。
―――その瞬間、麻衣は自分を襲った情動を雫も洩らさず完璧に制御して、表情に反映させず、微動だにもしなかった。
目も細めず、顔もしかめず、手を握ったり震えたりはもちろんせず、普段どおりの平易な外見を保っていた。
少年は上目遣いで麻衣を見上げ、言う。
「それがあなたの大切な人なんだね」
2005 7/1up
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