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戦争が終わり、世界の終わりがはじまった 2
なるほど。こんな立場もいいもんだ。
信二の強張った顔を見つつ、のんきに麻衣はそんなことを考えていた。
なにしろこれまではいつも驚かされる側だったのだ。
相棒の青年の言葉に驚かされ、説明を受ける。
それはそれで楽しかったが、立場が逆転してみると、こんな風に驚いた顔を楽しみながら説明するのも、意外と楽しい。
「……まさか……冗談でしょう?」
「の割には顔が引きつってるけど?」
「これがただの友達なら冗談だと思いますよ。でも、渡辺さんの場合、本気でそう言いかねない人だから」
本気でそう言いかねない人だから、は受けた。
吹き出しそうになったが必死でこらえ、頬をぴくぴくさせたまま無言で廊下を指差す。
図書館の学習室だ。お互い小声だったが、それでもしんとした中では目立つ。
周囲をうかがわなくてもいい廊下に出ると、信二はあらためて切り出した。
「渡辺さん―――今のは、本当ですか?」
「本当だったら君はどうする?」
「警察に届けます」
予想と1ミリグラムも違わない返答に、麻衣はまた失笑しかけて踏みとどまった。
「君は、まぶしいぐらいに健全で健康的だ。そーゆーところが僕は気に入っている」
にこりと微笑むと、信二は複雑な顔になった。
「……渡辺さんは男にしか見えないからなあ……。女性に誉められている気がまるでしない」
日焼けした肌に筋肉の筋が浮かび上がった引き締まった腕。
首も太くかつ胴体も直線的で、まろやかな女性的な曲線とは縁遠い。
十人中九人までは男性と断言し、一人は男性か女性か迷う人物だった。
「名前は平凡なのに、どうして本人はこうまで平凡から程遠いんだろう……」
信二の聞こえよがしの感想に、麻衣は鼻で笑った。
「名は体を現さない好例だと思いたまえ」
「それで……あの池には本当に?」
「さあどうだろうね?」
「―――渡辺さんが沈めたと言ったら信じますけど」
「やだなあ。僕は人殺しなんかしないよ」
「これほど……説得力のない台詞も珍しいですね」
「ほんとだよ。だって面倒じゃないか。死体の始末が。あんな風に池に沈めたって、いずれはこんな風に目の利く誰かの不審を招くし」
「……いや、死体の始末云々以前に、ですね。人として……」
「僕が六年で思い知らされたけどね。世の中にはね、人間のうちに数えなるのが馬鹿馬鹿しくなる、人間の資格のない人間が腐るほどいるんだ。……ところで本日君が僕に話し掛けた理由は?」
信二は厳しい顔で話を聞いていたが、はっとした様子で顔をあげた。
「お歳暮でアンコウをもらったので、今日鍋にする予定なんです。あつあつの魚の身や、とろりとした肝をポン酢でキュッと。とても二人では食べきれないので……いかがですか?」
「…………信二君。君は、何気に人を誘うツボを心得てるね」
やるせない様子で何度もかぶりをふる。
「そんなに美味しそうな誘いをされたら断れるはずがないじゃないか」
§ § §
本日の調理人の腕は、文句なしにたいしたものだった。
思う存分舌鼓をうち、ふと気づくと信二がじいっと麻衣を見ていた。一度は冗談としたものの、やはり……というところだろう。
麻衣はにっこり笑ってみせる。
「渡辺さん──」たまらず切り出した少年に、黙ってかぶりを振る。
そのとき信二の養母が入ってきて、麻衣がそちらに目線を向けると、信二も納得したように口を閉ざした。
暇をつげ、玄関を出て少したたずんでいると、予想通り信二が出てきた。
「渡辺さん」
「懐中電灯は持ってる? あと軍手も」
「へ?」
「へじゃない。行くんだろ、死体をひっぱりあげに」
引きつった信二の内心を言葉にするなら「なんでそうなるんだー!」だったろうが、
「行くだろう?」
麻衣が重ねて言うと、信二は肩を落とし、あきらめたようにうなずいた。
夜道を二人肩を並べて歩きながら聞いてきた。
「好奇心は俺にもありますから一緒にいきますけどね……。肝心かなめのところを聞いてませんよ? どうして貴方はあそこに死体があるなんて思ったんですか?」
「そりゃあ君。ビニールが厚かったからだよ」
「……へ?」
「いろんなところにぷかぷか浮いているスーパーのビニール袋。で、信二君。ビニール袋が普通に浮くとしたら、こうぺったんこになるだろう? 間に水が入ることはあっても、まあひたひただ」
「……そう、ですね」
「普通のビニール袋が風に飛んで池に入ったとしても、水は大して入らない。ビニール袋の比重と水の重さからね、そうなんだ。口を結んで密閉しないかぎり、池に入ったビニール袋に水はたいして入らない。そして、葉の奥に隠れたビニール袋は、あれは奥に厚みがあった。『中に何か入っている』袋だった」
「…………」
「三つ目。落ち葉や葉が浮かんでいる池の表面には、膜が張っている。いわゆるヘドロのできそこないだな。これがねぇ……破れてなかったんだ」
「それが……?」
「鈍いよ、信二君。そして落ち葉の下に、ビニール袋がある。以上のことから考えると、膜が張る前、落ち葉が落ちる前にあのビニール袋とビニールに包まれた何か、は沈められたわけだ。ここまではいいかな?」
「……ええ」
「じゃ、最初は沈んでいて、やがて浮きあがってくる、黒のビニール袋に入っているものといったら死体しかないじゃないか!」
「……死体以外にもいっぱいあると思いますけど」
「風船でもなんでも、浮力というやつは最初が一番強くてやがて衰えていくんだけどね。最初は沈むのに、やがて浮き上がってくるものってあるかな?」
「…………」
信二は真剣な表情で考え込んだ。
「ゴミ、とかは……」
「なんで浮くんだ?」
「それは……腐って」
「水の浮力はだいたい1だ。比重が1以上なら沈むことになる。考えてみよう。生ゴミから出てくる腐敗ガスは果たしてそれぐらいで浮かび上がるほど強烈だろうか? だいたい単なる生ゴミならビニール袋一杯まで詰め込んでわざわざ池に捨てなくとも、ゴミの日にゴミ置き場に置いておけばきちんと持っていってくれるじゃないか。ま、『普通でない生ゴミ』なら話は別だけど」
普通でない生ゴミ──つまり、死体。
信二には話さなかったが、麻衣にはもうひとつ材料があった。
匂いだ。
死体の腐った匂い。それが、池のまわりを歩いたときはっきり感じられた。けれどそれはもちろん言わない。言ったらこう言われるだろうからだ。
──どうしてそんもの知ってるんですか? と。
「死体は……最初沈むのに浮き上がってくるんですか?」
「普通の状態では死体は浮かぶねぇ。人の体は浮かぶようにできてるから。でも、死体に重りをつけて沈めれば沈む。そして、死体は時間が経過すると浮かび上がってくるよ。ほら想像してごらん? 死体に鉄アレイか何かをつけて、ドボン! けれども死体は時間が経つと、どんどん浮かぶ。浮力が増して、浮かんでくる。そしてとうとう池の表面に顔を出して、僕の不審を買いました、とさ」
「だからどうして浮かぶんですか?」
「人間の体の中には何がある? 信二君」
「……内臓?」
「胃の消化液はあれはもうかなり酸性が高くてね。生きている間はその胃液を無害化する酵素が出るんだけどね。でも死体に変わると、胃液がどんどん溶かしていくんだな。そしてまあ、当然腐るし」
「……腐敗ガス?」
「そう。それで浮かぶ。かなりの重量の重石をのせていてもやっぱり浮かぶ。鉄アレイの一個や二個じゃ、軽々浮かび上がる。それほど浮力が強い。さっきの生ゴミと違うのは、人間は軽くて五十キロ。あと、人間の体の中にはいろいろガスがたまってるってことだね」
信二は沈黙している。
「……きちんとした材料があったんですね。その場の思いつきや驚かそうとで言ったんじゃなかったんですね」
街灯に照らされたその面に複雑な納得を見いだして、麻衣は笑った。
「ま、その場の思いつきででたらめを並べることも、たまにはある」
2005 2/8up
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