「在りし日を夢見るさまよい人 8」
「……つらくとも、投げ出すわけにはいかねえだ」
「でもあなたに何ができますか?」
肺腑を抉る一言に、ヘプライトはただ、俯いた。
ヘプライトにできることなどほとんどない。実質、パーティで戦力外の存在、それがヘプライトだ。
そんなヘプライトの様子に、スクエアは息を吐き出して、質問を切り上げた。
「じゃあ、私はこれから茘枝のところに行ってきます。―――ヘプライト」
「なんだ?」
「この世から魔法が失われたら―――世界はどうなるのでしょうね」
答えられず、立ち尽くすヘプライトに、憐憫の篭もった微笑をなげかけて、スクエアは去っていった。
◇
スクエアは茘枝の部屋の扉をノックする。
「ヘプライト?」
「いえ、スクエアです」
「女性の部屋に訪れる時間じゃないと思うけど……なにか大事な話?」
「ええ。入ってもいいですか?」
「どうぞ?」
茘枝は立ったまま、見事な青の髪を濡れたタオルで拭いているところだった。以前なら、魔法でできたことを今は手でやろうとしている。理由は―――言うまでもない。
濡れたせいで青みが増した髪。見事な深い青髪は、じつのところスクエアのひそかな羨望の対象だった。
「どうしたの?」
「ヘプライトがあなたを心配してまして。様子を見てくるよう頼まれたんですよ」
「ああ……なるほどね。それであなた自身も、何か聞きたいことがあってきたんでしょう?」
さとい彼女に天をあおいで息を吐き出し、スクエアは壁にもたれかかった。
「……ドラゴンは、取り戻せると思いますか?」
「―――わからないわ」
「でしょうね。あなた自身返答を知らない質問をされても困るだけ。―――それはわかっているんです。でも、聞かずにはいられない……っ」
魔法を使えなくなる。
魔法使いとして生きてきたものにとって、これほどの恐怖はない。存在の根幹そのものに関わる問題である。
スクエアですら、それを思うと平静でいることなどできない。
茘枝は髪を拭いていた手を止め、スクエアに正面から向き直った。
「……昔話をしましょうか?」
「むかしばなし?」
「ええ。昔、昔。あるところに、馬鹿な宗教家の集団がいてね。自分たちに目障りなドラゴンを、殺すことをたくらんだの」
「―――それは」
ひょっとしなくても、スクエアのいるラミアス教の愚行の話では。
「当時はまだ茘枝様存命の時代。大規模な戦争準備はそれだけでも目立つわ。まして、その当時は『軍隊』てもの自体、いまとは比べ物にならないほど小さいものだった。戦争の必要がないんだから、軍隊なんて必要ない。必要ないものに多額の予算をつぎこむ人間はいないわ。だからその教団は一計を案じた。―――ドラゴンは生贄を求める邪悪なる存在。長い時間をかけてそう風評を流し、竜の棲む地を民間人に、襲わせた。ドラゴンが殺されればよし。ドラゴンが民間人を返り討ちにしたならそれはそれでよし。ドラゴンが邪悪な生物だという評判は高まる。どちらにころんでも損はない……」
オチ、を知っていたが、スクエアは語るに任せる。
自分の知っているオチはひょっとして事実とは違うものかもしれないからだ。
茘枝は艶やかな笑顔を向けた。
「ドラゴンは、そこで空に舞い上がると、はるか遠方の地で高みの見物で朗報を待っていた教団関係者を建物ごと灰燼にした……。そして、世界中に通達した。今後自分に手を出す者あれば、その事情を斟酌せず、一切を灰にする、と。―――ドラゴンが実際に手を出してきた民間人を見逃したのは、茘枝様のとりなしのおかげね」
かくて、ラミアス教の総本部は壊滅し、さらにドラゴンに手を出した悪行も、教団関係者の必死の工作にもかかわらず(ドラゴンが全世界に通達したのだからしょうがないが)、世界に知れ渡ることになった。
人間がドラゴンに手を出すべからず。
その不文律はここからきている。
「誇り高いドラゴンが、茘枝様の頼みで譲歩したのよ。自分を狙った人間を殺さなかった」
「……茘枝様とドラゴンは兄弟だとか……?」
ドラゴン自身の言葉だ。信憑性は非常に高いというべきだろう。
「そう。ドラゴンは茘枝様に育てられたから、茘枝様を愛していた。人間は嫌いだけれどもその唯一の例外として、愛していた」
「兄弟なんだから……茘枝様も人間ではないのでは?」
「茘枝様は人間よ」
目をこころもちふせ、茘枝は言った。
「半分しか人間じゃないけれども、茘枝様は人間として行動し、人間の味方でいつづけて、そして死んだ。人間嫌いのドラゴンですら認めていたでしょう? 茘枝様は人間だと……。どう生まれるかじゃない。どう生きたかよ。茘枝様は神ではなく、人間でいる事を選び、人間として生きた。茘枝様は誰にも文句のつけようのないほど、『人』だった」
「……ドラゴンを封印するクルーノの眼を、人間の為につくるほどに、ですか」
初代茘枝を愛し続けたドラゴンに、茘枝が与えた仕打ちはあまりに酷い。……そうスクエアは感じずにはいられない。たしかに、人として人の味方としては、正しい行動なのだろう。
けれども、ドラゴンにしてみれば、あまりに酷すぎる仕打ちではないか?
ずっと、茘枝を支え続けてきたというのに、最後の最後で茘枝はドラゴンより人間を選んだ。
茘枝は労わりの光を含んだ眼差しをスクエアに向けていた。
「―――スクエア。私はドラゴンを復活させる事が出来る、と、あなたに自信を持って断言してあげることはできない。最善は尽くします。でも、最悪の可能性も覚悟しておいて欲しいの」
「……最悪とは? 魔法がつかえなくなった後の、生計の道を今から考えろと?」
茘枝は、だまって、かぶりをふった。
「―――ではなんですか?」
「魔法がつかえなくなった後に、生き延びる道を」
2005 7/17 up
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