「在りし日を夢見るさまよい人 1」



 天上に猫の爪の月がかかり、空気は清澄に澄んでいる。
 粉を撒いたように夜空には無数の星がきらめいて、吐く息は白くとどまり、大気を吸う人々に心までもが白くなるような錯覚を抱かせる。
 そんな静かで美しい夜だった。

 月は細く、星明りは地上を照らすにはあまりにもこころもとない。闇に包まれた地上では、一つの争い事が勃発していた。
 街からすこし離れ、けれども不安になるほどは離れない、そんな手ごろな場所に少し開けた野原がある。地面は柔らかい露草で覆われ、しっとりと柔らかい。満天の星空の下恋人たちが愛し合うにはまさに絶好の場所で、ちょっとした隠れた穴場となっていた。
 しかし今いるのは、殺気を放つ六人の男と、それに囲まれた一人の男だった。

 多勢に無勢の男は怯えた様子もなく、のんきな感想をもらした。
「無粋だなあ、こんな気持ちのいい夜を血の匂いで汚すこともないのに」
 囲んだ男の一人、リーダー格だろう男は感情を出さない声で言う。
「この夜を血で汚すも静寂のままにするもあなた次第。―――その肩の小動物を渡していただこう」
「小動物?」
 青年は目を丸くする。
「ひょっとして小動物ってボクのこと?」
 それに合わせて、闇に包まれたなかでも燦然とよく目立つ、金色の生き物が言葉を返す。

 ちょこんと行儀よく青年の肩にのっているその生き物には知性があるらしい。
「へー知らなかった。ボクって小動物なんだー」
 揶揄。嘲笑。そしてそれらを皮肉にくるんでの、思い切り馬鹿にした返答。
「いやいや私も知らなかったな、お前が小動物だったとは。まったくもって驚きの大発見だ」
「うん、ほんとにびっくりだね。じゃあ新発見を教えてくれたこの人たちに、プレゼントしようか?」
 かぱりと口を開けようとする生き物に待ったがかかる。
「いやいや待て待て。ちょっと待ちなさい。無闇に人を殺傷しちゃいけないといつも言ってるだろう。―――というわけで、衝撃の新発見を教えてくれたことに免じて逃がしてあげるからどこか行ってください、命は大事にしましょう、バイバイ」
 ひらひらと手を振られてそんなことを言われて、はいそうですかと引き下がる刺客はいない。

「―――わかりました、血をお望みと見えます」
「茘枝、やっぱりプレゼントしようよー」
「こら。駄目だと言ってるだろう。ここは穏便に、だな」
 パンっと青年の真上に光の球があがる。
 闇に慣れた瞳にくらった突然の光に、男たちはとっさに目を手で覆った。
 しかしもう遅い。しらじらと輝く光によって目はつぶされ、草原は光でくっきりと照らし出された。しかし頭を振って視線を戻した彼らは愕然とする。
 てっきり逃げたと思った青年は、まだそこにたたずんでいたのだ。
「穏便に、ここは戦意喪失していただくのが筋というものだろう? えーと、もう目は慣れた? じゃ、いくよ、皆さんちゃんと見ているように」
 何が起きるか察して、金色は肩から飛び上がる。光が生まれたことによって、生き物の全身もすみずみまでよく見える。四本の脚、それとは別に背中から生えた双翼、しなやかに伸びた長い首、その先にある頭部には二つの瞳と口がある。尾は長く、体長の半分ほどもあった。
 それは、この世界のどこにも他に存在しない稀有なる生き物だった。
 青年は右の掌を上げ、自分のこめかみに当てた。

「!」

 衝撃が走り抜ける。頭を吹き飛ばされた青年の身体がぐらりとかしぐ。つけていたサークレットが一緒に飛んで見えなくなる。
 衝撃の五秒が過ぎると、金縛りが切れた男たちは死体に駆け寄った。間違いなく、死んでいる。一人がつぶやきのように言う。
「逃げ切れないと悟っての、覚悟の自殺……?」
 つぶやく声の中にも、過度の疑念が渦巻いていた。
「馬鹿な、ならなぜわざと明るくして逃げにくくしたのだ!?」
「しかし―――」

「まあまあ皆さん、そう揉めないでください」
 緊張感の欠如した声に、驚かなかった者は六人の中にひとりもいない。
 頭髪を逆立てて六人が振り返ると、そこにはさきほどの青年が手を振って立っていた。さきほどとは違う衣類も身につけた、健常体で。
 空を飛ぶ生き物からも呆れた声がかかる。
「馬鹿だなあ、茘枝はぜったい死なないって噂聞いたことないの?」
「どうせ君たちは私がいかに不老不死だろうと頭をふきとばせば死ぬだの、不老不死というのは単なるデマだのそんな風に思っていたんだろう? それはまあ、気持ちはわかるけどね。あ、なんならその死体、持ち帰っていいよ。ぞんぶんに調べてみるといい」
 男たちが再度視線を元に戻すと、そこには頭を吹き飛ばされた男の死体がまだあたたかくあった。吹き飛んだ頭からは血と脳漿、湯気まで出て。



 戦意喪失、顔面蒼白、一目散に退散していく人々をにっこりと見送って、茘枝は金色に輝く美しい生き物に手をのばした。
 すんなり肩におさまったドラゴンの頭をなでる。
「黒焦げにしてしまえばよかったのにあんな奴ら」
「まあまあ。いいかい、人間は無闇に殺しちゃいけないよ。……この死体、どうするか……。こんなところにあると、翌日無用の騒ぎになるだろうな。捨てるのも勿体無いし、食べるか?」
 自分の死体をつま先でつつく姿は、見た人間が頭痛を催すほどシュールだった。
「うん、そうだね、勿体無いし」
 食事をするのに要した時間は約十秒。
 小型犬ほどの大きさのドラゴンは人間一体を食べつくして「ごちそうさま」と手をあわせた。

 元通りに肩に乗り、間近な耳に話しかける。
「茘枝は再生速度が早いね」
「忌々しいことに無から有をつくり出すからな、お手上げだ。……お前も同じことができるか?」
「残念ながら。無から有はつくりだせるよ、それが神の特権だからね。でも、無から茘枝を作り出すことはできない」
 声には悔しげな気配があった。
「茘枝に不老不死の呪いをかけたのは、相当高位の神だね」
「本人もそんなことを言っていたな」
「……ひょっとして、ボクのお父さん?」
「いや、私たちとはまるで縁もゆかりもない神だ。無闇矢鱈と強力な呪いをよくまあかけてくれる……」
 「魔法」ではなく「呪い」。
 それは茘枝の偽らざる本心だった。だから、その手で育てられたドラゴンも、祝福ではなく呪いと言う。

「再生が有から有を生み出すものならプロセスに介入してエラー原因でも突っ込んで停止させてやれるんだがな、まったくの無から私を再生している。……手のつけようがない。材料を無くすとか、減らすとか、変質させるとかが出来ない」
 人間の―――茘枝を含む人間の全ての所産は「有から有」だ。何かから何かを作り出す、生み出す。
 無から有を生み出せるのは、神の特権だった。それができるからこそ彼らは神と呼ばれるのだ。
 それができるのは現在、茘枝の肩の上で「小動物」呼ばわりされた小さなドラゴンだけである。

「茘枝は生きるのに飽きちゃったの?」
 茘枝はその鱗をなでる。
「お前は純粋な神だからな、時間感覚が私とはちがうんだ。私は人間だぞ、いくらなんでも長生きしすぎだ、うんざりする」
 心底辟易している声。忌々しげな、さきほどの呑気さのかけらもない口調だった。
「心臓つぶしても再生するし、頭をつぶしても再生するし、全身を粉みじんにしても再生するし、毒を飲んでも再生するし……」
「茘枝は死にたいの?」
「ああ。だからお前もできれば協力してくれるとありがたいが、してくれなくとも恨みには思わないぞ、お前の成長期がくるまでは生きていないとまずいしな……」

「茘枝は、なんで不老不死になったの?」
「あほな餓鬼が、阿呆を極めて加減の知らない阿呆なことをしでかした結果、その阿呆さに相応しい罰を受けたんだよ」
 惜しむらくは、自分が半分とはいえ神族の血を引いていたことだ。
 その事がなければいかに阿呆であってもここまで事がこじれることはなかっただろうに。
 馬鹿で、馬鹿で、まったく馬鹿でどうしようもないほど馬鹿で後先考えずにした結果が、これだ。
「……誰かを生き返らせたい、なんて思うなよクリス。それだけは、思っちゃいけない。思ってもいいけど、やっちゃいけない。お前のように、力のある者ほどそれはやってはいけないことだ」
 はるか昔、自分に備わった中途半端な力を過信しすぎた茘枝はそれをしようとして覿面に罰をくらったのだ。
 今につづく、永遠に死ねないという罰を。

 呪いの効力は想像をはるかに越えて強かった。すでに実年齢を数えなくなって久しいが、大雑把に数えても数千年は経っているだろう。
「もしも呪いが解けたら、茘枝はどうするの?」
「そうだな―――そのときは」
 さっさと死にたい、と言いかけて、自分が育てたドラゴンを思い出し、修正する。
「お前にお別れを言ってから、眠るよ」



 しかしその約束は果たされずに終わる。
 この時から長い長い時を経て彼の望みは果たされたが、猶予は与えられなかった。
 解けた呪いは蓄積された時間の流れをいちどきに引き寄せ、茘枝はあっけなく、髪のひとすじ爪のひとかけら血のひとしずくすらも残さずに土に還ることになる。
 だから当然、茘枝の遺した遺言も誰も知らない。
 世界を導く大賢者の総身に長年かかった呪いをついに解きえたのは、神でも魔法使いでもない、無名の一人の青年だった。
 茘枝は最後に、こう言い残した。
 ―――考えられるかぎり与うるかぎりの祝福を彼へ、と。
 しかしそれをドラゴンは聞かず、彼以外の何者も聞かなかった。

 その後茘枝を探しに来たドラゴンと青年は出会わずに終わる。
 青年はドラゴンと出会うことを望まなかったのだ。
 もし出会っていたならば、ドラゴンは青年が望む限りの助力をしただろう。たとえ自らの耳で茘枝の遺言を聞かずとも、茘枝を苛みつづけた呪いから解放した者へドラゴンは援助を惜しまなかったにちがいない。
 しかし青年はそれを望まず。
 無名の青年は無名のまま、生を終える。
 大魔術師茘枝の殺害という歴史に残る偉業を果たした人間は、その後の歴史に少なからぬ変更を余儀なくさせて、生涯名誉にも財にも縁のない一庶民として、この世を去った。

 遥か昔、今となっては誰も知ることの無い四百年昔の出来事である。



 こんにちは、杉浦明日美です。またお会いできて嬉しいです。
 いきなり断言しますが、魔法物語の世界では死んだ人は生き返りません。
 茘枝―――昔の大魔術師が不老不死になる過程についてちらっと出てきていますが、死者を生き返らせることができると思ったのが彼の不幸の原因でした。
 艱難苦行のあげく―――やっぱり死んだ人はそのまんまです。まあ生き返っても困るだろうなあ、死んでから何万年も経ってから生き返らせられても。カルチャーショックでとても困ることになるでしょう。
 というわけで、今後作中でばんばか人が死にますが、
 死んだらはいそこまでよ
 です。
 生き返ったりとかは絶対しないので、ご安心(?)ください。

 ちなみにドラゴンが前作で茘枝とかヘプライトとかを生き返らせているのですが、あれは前もって準備してから殺したからこそです。魂さえ回収できれば後は身体の損傷のみですからね。
 それでは再び長丁場スタートですが、お付き合いいただけると嬉しいです。

2005 3/6 up


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