「天使が悪魔になる日 45」




 ドラゴンはただ、たたずむ。
 それだけで、思考も疑問も吸い込まれていく吸引力がある。
 なにもかも、どろどろに白く溶けていく―――なんて、美しさ。

 いつの間にやら頭の中の考え事すべてがさっぱり抜け落ちて、金髪の青年のことばかりを呆けたように見つめ続けている自分に気がついて、ケリーは渾身の力で視線をはずした。視線をはずすだけに、痛みを感じるほどの気力が必要だったのだ。
 すっかり息があがり、その息を整えて、仲間に注意の視線をめぐらした。
 スクエア―――クルーノの眼がのっとっているので異常なし。
 茘枝―――これもいつもとおなじ。
 ラークス……駄目だ、呆けてる。
 そしてケリーは目を見張った。
 ヘプライトは、彼らのなかで一番鋭い目をしていたのだ。
 睨むような眼差しで、金髪の青年を見るその眼差しは射抜くといったほうが正しいほどだった。
 ケリーはあわてて脳裏から記憶を引っ張り出してみた。
 ……ドラゴンがドラゴン姿で現れたとき、ヘプライトはどうだった? そういえば、ケリーたちのように萎縮はしていなかったような気もするが……憶えていない。ヘプライトに大した注意は払っていなかったからだ。

「太陽を完全に隠してしまえば、人は必死になって奪い返そうとするだろう。死に物狂いの、窮鼠の覚悟がある。完全な暗闇のなかでは、人はそうそう正気を保っていられないからだ」
「だから雲で覆うだけにしたと?」
「そうだ。曇りの日が多少つづいたところで、人はさしせまった必要にはかられまい? たかがそれだけのこと、そう思い、油断し、さしせまった解決など考えず、対策の手を打つにしても消極的なものにしかならない。―――そして、長期的にはすべてが蝕まれる」
 ドラゴンの最後の一言に、一同はぎくりとした。

「人が人としての健康を保つには、ある程度の陽光が必要なのだよ。陽を浴びずにいれば、まず心が蝕まれる。そしてそれに本人は気がつかない。心に漂うもやもやとした閉塞感に人は気づかないし、気づいたとしても何もできない。澱のように淀みは心に積み重なっていく。そして体に影響は訪れる。人の手も足も瞳も、陽光を浴びて動くようにできている。光が足りなければ、同じように頑丈な骨は作り出せず健康を害す。健康を保つための食物にも影響は訪れる。光がなければ、植物も栄養を作り出すことはできないからだ。その植物を食して命を保つ動物にしたところでそれは同じ。魚に至ってはその影響は更に深刻だ。ただ単に空が曇りになっただけ―――人がそう楽観するうちに、命脈はじわじわと削られていく。そして、もう十年だ」
 茘枝は蒼白だった。
 ……曇りになっただけ。その言葉を、彼女自身も使ったことがある。

 喉の奥から言葉をしぼりだした。
「十年で……どれほど変わりましたか」
「栄養素―――といっても判らないだろうな。君たちが食べる食事のなかの栄養は、五分の一に激減だ。当然、君たちの能力も。唯一の例外は―――この国だけか」
「なぜ―――この国にだけ太陽が―――!」
「リチャードだろ」
 ケリーはぼそりと言った。
 全員がそちらをみる。
「気になっていたんだ。リチャードの失踪にまつわる騒動……ドラゴンに会って頼めばすむなら、どうしてリチャードは自分の頼みを使わない? そして、リチャードにはドラゴンの守護がある。それをしたのは父王だろう。なら、空を明るくする願いは誰の願いだ? ……叶えられたのはひとりだけ。リチャードの願いで、貴方様はこの国の空を明るく照らしたのでしょう?」
「まあ、そういうことだ」

 茘枝はケリーを睨むような目で見て―――複雑な息を吐き出した。
 どうしてそこまでこの国ばかり優遇されるのだと、そうした「不公平感」がさせた行為だった。
「事態が思ったよりずっと悪いことは、よくわかりました。お教えいただき、ありがとうございます。……我々に、ご協力いただけませんか?」
「クルーノの眼の継承者であり、その記憶も見ていながら、よくもまあそんな台詞が吐けるな、君は」
 茘枝はそれが、相手にとっての逆鱗であろうと薄々感じながらも、こういった。
「私は人間ですから。人間が滅びないよう努力するのは当然のことです」
 予想通りの、肌が冷える沈黙。

 ―――私は人間だ。だから、人間のために尽くすのは当然だろう?

 茘枝は何度となく止めるドラゴンへ、そのたびに言った。
 自分は人間なのだから、人間のために尽力するのは、当たり前だ、と。
 その人間に化け物、怪物、鬼と散々なじられていながら(なじる気持ちもわかる気がする……首を切り離してやあこんにちはなんていわれたら茘枝だってそう言ってしまう)、そしてそれをドラゴンに指摘されながらも、茘枝は頑固に自分のスタンスを守りぬいた。

 ドラゴンは右の手にそのままクルーノの眼を浮かばせ、左手を腰にあてる。
「君は、力の使い道について、どう考える?」
 茘枝は目を厳しくして、一秒、答えに迷った。
 その間に、ドラゴンは次の言葉をつむぐ。
「私は、この世界でも君たちの世界でも、最も力強き存在だ。創造神ラミアスなんて、あんな空想とはちがってこうしてここにある」
「……この世界?」
「綺麗だろう? 君たちが今いるのは、私がつくりあげた世界だよ」

 ドラゴンは左手を広げる。
 思わず、ケリーは右手を見た。青い空と、空に浮かぶ大地のへり。そして……
 ケリーは縁に駆け寄って、眼下を見下ろした。
 自覚せずにごくりと喉が鳴った。
 大陸が見えた。
 そしてその大陸は、ケリーが知る全ての大陸とまるで違う形をしていた。

 動揺しきりのケリーとは違い、茘枝はそっけなかった。
「綺麗な世界ですね、生態系の放流は為されましたか?」
「いや、植物系と菌類はしたが、動物はまだだな。それに正直言って迷ってもいる。何も、君らがいるあの不出来な世界の二の舞をすることもないだろう?」
「不出来、ですか」
 よくもまあその世界の生物である自分に向けてぬけぬけと。そういう感情を込め、茘枝は返したがドラゴンはびくともしなかった。

「不出来だとも。……だが、この世界を作るのは楽しかった。さて、ここでさきほどの質問に戻るわけだが―――君は、力をどう使う?」
 茘枝は唇を噛んだ。
「私は、自分の好きなもののために使う。自分の愛する者のためにかつては使った。最近でも、好きな人間のために使ったな。けれどそれだって自分自身のためだ。―――私は、自分の力は好きなようにつかう」
 茘枝には、いやというほど気持ちがわかった。
 かつて彼女もそう思っていた。実は今でも思ってる。
 自分の力は、自分だけのものだ。自分だけで使うと。

「……茘枝様のようにではなく?」
「茘枝のようにでなく。―――私は茘枝がどうしてああまで自分をすり減らすようにしていたか、理解できないよ。自分の考えに反するように力を使って、嫌な事ですらやっていた。その辺りのことは君もよく知っているだろう?」
「ええ。―――知っています」
 『そうしなければならないと思った』から。
 茘枝は、自分の気持ちは常に後回しにして、やるべきことをやりつづけた……。

「そして徹底的に、茘枝は人間の味方だった」
 ドラゴンは、掌の上でふわりと浮かぶ珠に視線をやる。
 数秒見つめて視線をはずし、茘枝の後ろの人々に目を送る。
「こんなものまで作ったほどに。―――さて、教えてあげよう、何もしらない君たちに。これは、茘枝が、私を殺すために作ったものなんだよ」
 衝撃が走り抜けるなか、茘枝だけは微動だにしなかった。

「私は茘枝の生前から、決して人間を好いてはいなかった。だから、茘枝の死後、私が人間を滅ぼそうとするようなことがあるかも知れない。そんな事が起きたら人間は滅びるしかない。そうだろう? 彼我の力の差は、あまりにも絶大だ。だから茘枝は、人間のために、人間を守り私を殺す道具を作ったわけだ―――茘枝を幾度となく裏切り続けた人間のため、茘枝をずっと愛してきた私を殺す道具を」
 珠を見る青年の表情は、切ないとすらいえるものだった。
 桁外れの容量も、ドラゴンの炎すら無力化する能力も、すべてはそのため。

 しかも、茘枝は知っている―――ドラゴンがなぜそれを知っているのか。
 古の大魔術師は、ドラゴンの面前でそういった。そしてドラゴンの瞳から零れ落ちた涙で、クルーノの眼を作り上げたのだ。
 ……人間として見るのなら、茘枝の行動はまさに鑑だ。文句のつけようもない。
 首尾一貫しているということでは、立派なものだ。ふらふらと意見がさまようよりどれほどいいかわからない。
 けれども、ドラゴンにとっては……。

 どれほどの長い時間、ドラゴンが茘枝とともにいたのか、知っている。
 そしてその間、ドラゴンはずっと茘枝に変わらぬ愛情を注ぎ続け、支えつづけたのだ。それを踏みにじられた気持ちだったろう。しかも、それはすべてドラゴンにとって軽蔑の対象でしかなく、茘枝を何度となく傷付けてきた人間などのためなのだ。
 ―――その後。
 ドラゴンが完成したクルーノの眼にどんなことを語りかけたのか茘枝は知らないし、クルーノの眼に聞く勇気もない。

 少なくともそれは心温まるヒューマン話ではなく、最愛の人間から最も手ひどく傷付けられたドラゴンの心に突き立った刃のきらめきが映る話だろうから。





2004 5/29up


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