「天使が悪魔になる日 44」
どこから話せばと迷った末、ケリーはこんな風に切り出した。
「この国に、王太子がおります。名前はリチャード。俺の弟です」
「知っている」
うすうすケリーの言いたいことに察しがついているのだろう、興がる色があった。
「そのリチャードが姿を消し……国はいま、大混乱に陥っています。中枢にいた者すべて。ですが実際はリチャードは俺と一緒にいたんです」
「……」
青年は、微笑したまま沈黙し、語るにまかせていた。
「リチャードの失踪を、誰も犠牲にならない形で丸くおさめたい。そして出来れば……一緒に旅をつづけたい。それにはドラゴン様、あなたのご助力が必要なのです。あなたがリチャードとともに民衆の前に姿を現し、魔王退治のためこの国の王子を選んだ、身柄を借り受けると言えば、誰も反対はしますまい。むしろ熱狂的に賛意を示すでしょう」
この国の住民誰もがあがめるドラゴン。そのドラゴンが魔王退治に必要な人材としてこの国の王子を選んだ、とあれば、そのままヒロイックファンタジーの世界の王道である。
そうした物語めいた派手派手しさは、民が最も好むものだ。
ケリーは頭を下げた。
「お願い申し上げます。弟のため、そしてわがパーティのため、ご助力を」
数秒、何も返事がなかった。
下げた頭の首の後ろがちりちりする。
胸の奥から何かがせりあがってきて、殺到する不安に飲まれそうになる。
とうとう耐え切れなくなって頭を上げようとしたとき、声がした。
「その望み、叶えよう」
§ § §
そこから先の記憶はフッと途切れている。
気がついたら茘枝たちがいて、場所は同じ空中にうかぶ島で、そして正面にはいつ現れたのか、ドラゴン姿のドラゴンが、いた。
巨大だった。
思っていたよりずっと。
正面をむいた視界のすべてがその鱗で奪いつくされて、上を向いた視界のずっと向こうに、ドラゴンの頭があった。山脈のてっぺんをふもとから眺めるように輪郭しかわからず、何があるのかまではとてもわからない。
約束どおり、交渉はすべて茘枝に任せて黙っていた。
最初はクルーノの眼が会話をしていたが、奪われた。かわりに、茘枝がドラゴンとの会話をうけもつ。
茘枝は爛々とした瞳でドラゴンを見つめ(といってもドラゴンの眼は見えないのでドラゴンの胴体を見つめ)、言い放つ。
「偉大なるドラゴン。私があなたに望むのは、会談です。話をしましょう」
「会談というにしては、こんなものを手にするのは礼儀違反ではないのか?」
「わかっています。―――が……あなたの魔法を打ち破れるのは、世界にクルーノの眼だけです。そして、なによりその宝珠は私にとって友人も同然です。置いてくることなどできません」
「愚かなことだ。この珠にある人格は、所詮擬似人格だというのに」
「擬似であろうがそうでなかろうが、私の知ったことではありません。私はその珠と会話をし、彼に確かな人格を感じた、それがすべてです。……どうかその珠をお返しください」
「返してどうする? この珠を用いて私を脅迫するか?」
「いいえ。……ですが今この場であなたの協力が得られないときは、その珠が何においても必要になります」
約束どおりに黙っていたケリーだったが、思わず小声で呟いた。
「……脅迫?」
偉大なるドラゴンに対するには、あまりに不似合いな……。
その声が聞こえたのだろう、ドラゴンはこう言った。
「そなたは、クルーノの眼のことを話しておらぬのだな」
茘枝は憤懣やるかたない様子で首を振る。
「ええ! ……ええ! 私はあなたと話し合いにきたのであって、侮辱しにきたわけではありませんから。話さなくても、支障はないことです」
「なるほど―――そなたは私を哀れんだのか」
優しいほどの声でドラゴンは言い。
茘枝はぴたりと口をつぐんだ。
肝を冷やすたぐいの静寂が広がった。
「初めての経験だ。茘枝以外の人間に、哀れまれるとはな。この―――わたしが」
茘枝は唇を結んで黙っていたが、すぐに口を開いた。
「哀れみという形容があなたの誇りを傷付けるというのでしたら、配慮と言い換えても。ドラゴン―――私はあなたを敬愛しています。そしてあなたを侮辱する気はありませんでした。実際問題どうですか? 私がクルーノの眼のことを言いふらしていたら、あなたは満足したのでしょうか?」
「クルーノの眼、か。……その名すらもすでに皮肉の産物だ」
茘枝はドラゴンの巨体をうんざりしたように見上げ、言う。
「もう少し話しやすい姿になっていただけませんか? あなたにその姿でいられると、人間はたいへん話しにくいんです。目も口も遥か上空にあって見えません」
よくもまあ。
天下のドラゴンに。
ケリーは呆れるより前に絶句した。ついでに感嘆した。
ドラゴンの姿を見ただけで全身が萎縮している自分たちが普通なのだ。こうもずけずけと遠慮なく言いたいことを言える茘枝は絶対に、特殊な例外だ。
「……そなたの豪胆さに、敬意を表そう」
ドラゴンの姿が消えた。
ケリーは一瞬視線をさまよわせたが、戦士の本能が素早く標的を察知する。
あの巨大さからの落差で一瞬消えたように見えただけで、ドラゴンはそこにいた。金髪の青年となって。
ケリーは一瞬さきほどのあの青年かと思ったが、服装も違えば顔立ちもちがう。
そこにいたのは、長い前髪で右半分を隠した、それでも絶句するほどの美貌の青年だった。
白皙の美貌とはこういうことをいうのだろう。半眼を隠してなお、その容姿はずば抜けていた。それでいて女性的な要素はまるでない。高い鼻梁、深い彫り、異国の顔立ち。
独特の一癖ある雰囲気は、さながら自分の美貌を自覚しているひねくれ屋。右半分をかくす長い前髪すら―――、男らしさを演出する小道具となっていた。
右手の肘をまげて掌を上にあげ、その少し上にクルーノの眼が浮かんでいる。
同性のケリーですら絶句していたのだから、異性の茘枝はおしてしるべし。
それに思いいたってあわてて茘枝の様子を窺ったが、茘枝の顔には感嘆の念すらない平静そのものだった。
彼女はあくまで冷静に質問する。
「……その右顔は?」
「右目をひとりの人間にくれてやってしまったのでね」
「ああ……もう茘枝様はいらっしゃらないから」
「その通りだ。この世界の生き物をいくら喰らっても、私の肉になりようもない」
「目的あって取り外されたのですね」
茘枝の質問はあくまで確認だ。ドラゴンの右目を抉れる人間がいるはずがない。
「最初の一年で終わると思っていたが、人間は意外としぶとい。かれこれ数百年になるか」
その言葉を聞いたケリーははっとした。
……王太子にだけ伝えられるというドラゴンへの連絡手段。それがドラゴンの右目だ。
最初ドラゴンはせいぜい数年で終わると思っていたのだろう、ところが、人間は思っていたよりずっと、したたかだったのだ。
しかし、それを知らない茘枝はこう答えた。
「まったくです。……今の時期に、私がクルーノの眼の主人となったことといい」
「あれには驚いたな―――言っておくが私が驚くことなど、めったにないんだよ。だが、クルーノの眼の主人が決まったときには驚いた」
「同感ですね」
そういったのはスクエア。ケリーはそちらに視線を向けたが、次の一言で明らかになる。
「あなたは動く気がなかった現在、私が動かなければ未来は決まっていた。けれども私が動くためには主人を必要とする。……ほんとうに、この状況で出てくるとは思っていませんでしたよ」
「憎まれっ子世にはばかるというべきか、悪運が強いな、しぶとい」
「それでも―――あなたは動こうとはしなかった」
茘枝の冷静な声が水をさした。
その眼差しはドラゴンへ向かっている。
「人間を積極的に滅ぼす気はなくとも、滅びるならば滅びろと、そうお思いですか?」
ドラゴンは茘枝を見ていたが、やがて、口を開く。
「どうして『彼ら』は空から太陽をうばったと思う?」
2004 5/28up
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