「天使が悪魔になる日 39」




 生まれてほんの数年で思い知っていることだ。農奴に生まれた子供なら、誰でも。
 ヘプライトがいた国では農奴はちっとも珍しい存在ではなかった。その存在はそこらを行き交う職工や少し小奇麗な召使と同程度の割合でよく見かけたしよくいたし待遇だって別に悪くはなかった。
 そりゃあ中にはなんとかの一つ覚えのように「農奴のくせに」を口癖にするやつもいることはいた。いることはいたが、そういうやつは貴族でもないかぎり、決して長生きできない世の中だ。りっぱな工房を構え何人かの徒弟を従える職工が四つ角の南東の飲み屋で農奴と肩を叩いて飲みあうのなんて、日常茶飯事のよくあることだった。

 それでも農奴は自分が農奴であることを自覚させられる瞬間というのがいくつかあって。
 たとえば農奴は字が読めない。たとえば農奴は自由に町の外へいけない、たとえば農奴は結婚に主人の許可が要る―――。
 積極的に農奴の地位から抜け出したいと思うのはせいぜい二十人にひとりいればいいほう。
 農奴と主人の間にはある種の「決まりごと」がある。
 怠けたがる農奴。それを手をかえ品をかえ、働かせる主人。
 そのゲームめいたやりとりは、鞭や罵声なんかよりよほど精巧なかけひきだった。
 鞭や罵声がそのゲームのなかで使われることはある―――重要な道具のひとつだ。けれど、そればかり多用する奴は上手くいかない。絶対いかない。そんな農奴頭は闇夜に頭を殴られて、翌日には大海にむかってゆらゆら泳ぎながら鮒に体をつつかれている。

 ともあれ。
 特別な農奴でない限り、農奴の知識というのは極めて限られている。ほんとうに狭い世界だ、一都市のさらにその一角だけが、農奴の世界ですべて。
 だからヘプライトは自分が右も左もわからないことは骨身にしみてよく知っていた。
 右を見ても左を見ても、教養がたっぷり人の十倍どころか百倍はありそうな人間のただ中に転がり込んで、右を見れば頭を打ち付けたいほどの自分の無知さ加減に気づき、左を向けば自分の馬鹿さにのたうちまわりたいほどの恥ずかしさに包まれる。
 そういう毎日だったわけだ。

 そして。
 更に、ヘプライトはここにきて初めて、本来なら最初にぶちあたるべきだった壁にぶちあたっていた。
 パーティに入ったそれはそれは立派な体格の青年は、茘枝にしゃなりと「召し使い」と放言された。
 悔しさに顔を満貫にそめて、それでも一言も言い返さないでぐっとこらえている態度にヘプライトはつい一言二言声をかけたが、青年は振り返ると怪訝な顔をした。
 そう。
 ヘプライトの話す言葉がパーティの誰に対しても通じていたのは、ただ単に、パーティ内の誰もがヘプライトの国の言葉を理解できたからなのだ。
 しかしほとんど他国と交流のない竜の尾で、ヘプライトの国の言葉が理解できるのはケリーなどの特権階級、もしくは魔術師などの知識層だけである。

 そしてもちろん、自分の里にこれまでずうっと引きこもっていた亜人種の巨人族の青年は、他国の言葉などひとつも知らなかった。
「なんて言ったんだ?」
 青年がいう、その言葉のほうは、茘枝が作ってくれた指輪のおかげで理解できるのに。
 スクエアが仲介した。
「彼は、あなたを気遣っているんですよ」
「気遣ってる?」
 顔をはっきり不快感にしかめて、青年は憤然としてその言葉を吐き出した。
「こんな薄汚れた小男のオヤジにまで同情されるほど、俺はおちぶれてねーよ!」

 おそらく、ヘプライトに判るはずがないという軽んじた気持ちもあったのだろう。また、わかったとしても何ほどのことかという気持ちも、あったにちがいない。
 筋骨隆々として、しかも若い。身長差ときたら大人と子供。
 外見だけで実力を判断するのは危険だが、ヘプライトとこの青年の戦いのオッズはさぞヘプライトに高くなるだろう。
 ヘプライトがショックに凍り付いていると、茘枝は強烈な逆襲に出た。
 エネルギーで真っ赤になった杖の先端で、したたかに殴りつけたのである。
 ヘプライトと青年の身長差以上に茘枝との身長は離れている。
 無理に手を伸ばして殴ったのではなく、青年の頭の方が引き寄せられたという動きだった。
 体を二つに折って頭を押さえる青年に、茘枝は冷ややかに宣言する。
「今度ヘプライトを侮辱するときは、相応の覚悟をしなさい」
 しかし天晴れな根性というべきか。巨人族の青年は起こした瞳にヘプライトを映すと、毒づいた。
「女に庇われているお前はいったい何だ?」
 ヘプライトは今度こそ、心臓を射抜かれて立ちすくんだ。
 村について四日目。
 竜に会いにいく日の出来事である。

     § § §

 その日の朝、早朝から背中に背負う荷物袋を抱えて、巨人族の青年は宿舎の前にたたずんでいた。
 ヘプライトは朝起きて窓をあけてすぐそれを発見し、食事をしてまた窓をみて確認し、そうこうするうちに来て最初に出会ったあの巨人族の青年が蛇人の人々をつれて館を訪問し、その話の間中、ちらちらと外を眺めてはそこにあの青年がいるのを確認していた。

 そしてその話も終わり、やっと外へ出たとき。
 かなりの長時間たたずんでいるはずだが、最初見たときから少しも動いていなかった。
 口約束一つで内心不服に思いながらも腸が煮えくり返りながらもむっつりと押し黙りじっと耐え忍ぶ―――それが巨人族の性質らしい。
 どれほど不本意なことであろうとも、約束は約束として、守る。
 そうした信条の持ち主であるらしい。

 事情を説明されている自分たちはともかく、そのとき宿舎から出てきたなかには、蛇人や巨人族のまとめ役らしき人物もいた。
 彼らは揃って、その青年にいぶかしげな、疑惑の眼差しを向けた。
「昨日ティニアンに勝って、私が彼を所有することになったんです」
 亜人種たちは比較的冷静に青年を見つめた。そうした事は珍しくはないのだろうか?
 巨人族の長もまた驚きはなく、若者の無鉄砲をいましめる厳しい顔つきで向き直った。
「ラークス。お前がいったい何をしている?」
「すみません……」
 そして茘枝のほうを向き、
「茘枝様、この者はこの次の翼周祭に、祝言をあげる予定なのです。たしかにティニアンに勝った以上はあなたにはその権利がありますが、どうか―――」
「若長。いい。俺は負けたんだ。だから俺は彼女に従う。その義務がある。若長は俺を、義務も果たせない卑怯者にするつもりか?」
「しかしお前……」
「ティアナには待っててもらう。昨日と、おととい。そう話し合った。五年以内に勝ちを取り戻すとそう決めた。五年以上かかったら、仕方ない」

 茘枝に五年で勝とうと思ったら、確実な方法がひとつある。
 毒でも薬でも盛ることだ。
 あるいは寝込みを襲うだとか、こっそり杖を奪うだとか。
 どれもこれも、正式な決闘からはかけ離れているが、それが嫌ならあきらめろとヘプライトは言いたい。

 若長と呼ばれた巨人族は振り返ると、気遣いの見える表情で、茘枝を見た。
「茘枝様、一体なにをこいつに? こういってはなんですが、こいつは不出来で未熟者な馬鹿者ですが」
「荷物もち、料理係……まあ、召し使いですね」
 てらいのない堂々とした放言に一様にパーティはぎょっとしたが、亜人種たちの反応は、さほどでもなかった。
 ひとり青年だけは自分に与えられる役割に顔を真っ赤にしたが、何も言わなかった。
 その様子を見て、若長は吐息をつき、
「……お前にはいい勉強になるだろう」
 とだけ言うと、茘枝に目をうつした。
 深々と―――頭をさげる。
 それを見る青年の口がぽかんと開いた。
「同族の者としてお願いいたします。どうせこいつが貴方様に喧嘩を売ったのでしょう。まことに不勉強にして怒りっぽくかつ見識も不十分な若者ですが、それでも私にとっては大事な一族の者。なにとぞ、よろしくお願いいたします―――茘枝様」
「ええ。命だけは守るよう努力しましょう」
 頭を下げる巨人族の若長に、鷹揚に茘枝は頷いた。

 今の今まで、自分が喧嘩を売った人間の魔術師がそんな重要人物だとは思ってもいなかったらしい。少なくとも、若長が頭を下げるほどとは。青年はぽかんとしていた。
 そこにヘプライトが声をかけ―――冒頭のやりとりにもどるわけである。

     § § §

 諸君らは子供時代に、とっても広いと思っていた遊び場を大人になって再訪したとき、あれこんなに小さかっただろうかと戸惑った経験はないだろうか?
 少し考えれば誰でもわかるこの理屈。
 子供だったから大きく見えたんだ。
 そしてもう少し考えばこれまた誰でもわかるこの理屈。
 子供だったからじゃなくて、体が小さかったからだ。
 さらにちょっと考えれば、この理屈からこうした事実が導き出される。

 巨人族にくらべれば、人間なんて子供と同じで、つまり巨人族の道案内が「一日」という距離はいわば子供に対して大人の足で一日という距離と同じで、つまり子供が大人の足で一日の距離を歩く場合そこにかかる時間ときたら×2、いや3で……。
 ラークスが先導する一行は、結構な距離を―――しかも山道を歩いた。
 たとえば一キロ歩くのに、苦痛を訴える人はあまりいない。
 しかし、同じ一キロでもそれが山道であった場合……その苦痛ときたら、平坦な道の十倍にも跳ね上がるのだ。いやそれ以上かもしれない。平坦な道を歩くときとはまるで別種の苦痛……ふくらはぎ、足の裏、足首、足の指に力をこめ、自分の体重を上に運ぶ。山登りに慣れない者は20歩しないうちに筋に痛みを感じ、ぜいぜいと息つく間も惜しいほどの呼吸で肺がきりきり痛むほどだ。

 神聖銀の採掘のため掘られた坑道は地崩れ防止のための木組みでしっかり土壌が固定され、蟻の巣のように入り組んでいる。
 その中をラークスは迷いもせずに一行を導いていた。光は茘枝がたっぷり出したので普段より遥かに明るいという事もあるかもしれないが。
 そのラークスが振り返った。
 「召し使い」ラークスに道案内の役目を割り振ったのは当然茘枝である。宿舎のなかでの話し合いのなか、若長は道案内をつけようとしたのだが、茘枝が断ったのだ。
 ラークスは、一部を除いて息も絶え絶えな一行に質問する。
「本当に、竜神様のご機嫌を取り結べるのか?」
 数秒あけて、茘枝が答えた。
「やく、そく……するわよ」
「なあ茘枝―――、ちょっと飛行術を使ったらどうだ?」
 無言のまま、茘枝はかぶりを振る。
「なんでだ? スクエアと一緒にのぼっちまえばいいだろ?」
 スクエアが期待に満ちた眼差しを投げると、茘枝は再度、首を振る。
「……すこし、でも、体力、つけないと……」
 なるほど。
 納得して、スクエアもまた諦め顔で、足を上に踏み出す作業に入った。
 ヘプライトもへたばってはいたが、茘枝ほどではない。ケリーは完全に涼しい顔で、ラークスのすぐ後につづき、真ん中に魔法使いふたり、そしてしんがりがヘプライトである。

 網の目のようにくまなく隙間なく延々と伸びた坑道。
 こうした坑道の深部で一体何ができるのかというと、あちこちに宿営所ができるのである。
 一日の距離は、日帰りできるほど短くない。
 ラークスが説明したところによると、一日交代で採掘するのだという。つまり仕事の前日坑道にはいり、宿営所で睡眠をとり、次の日掘り続けている工夫と交代してえっさほっさと掘って、交代するのだ。神聖銀は休みなくたゆまなく、掘り続けられる。
 そして掘り続けられるということは当然、坑道が延びるということでもある。坑道の補強をしていく人々もまた、工夫の後ろで木材とハンマーをもち、もくもくと自分の仕事をこなしていたのだろう。
 更に土砂をトロッコに乗せて運ぶ人々、その土砂を洗い流し選別する人々……。
 鉱石掘りは一人でできる仕事ではない。たとえ百人力の巨人族であっても、ひとりでは無理だ。そこには力持ちのひとりの手よりも、たくさんの手が必要となる。そういう種類の仕事だ。
 竜が閉ざすまでのこの鉱山は、さぞ活気に満ちた山だったに違いない。

 一日、宿泊地で休憩した。
 ヘプライトは茘枝のぱんぱんに腫れた筋肉を、いつものように揉んだ。
 なぜかラークスはぎょっとしていた。
 それを見ていたスクエアが自分もとヘプライトに頼んで、もちろん揉んだ。
 ベッドに横たわり、揉まれている最中に、ふたりとも寝入ってしまった。

 そのあとヘプライトも寝たが、ケリーとラークスの会話はしっかり耳に入っていた。
「……なんだ? ヘプライトとかいう男のあれは」
 ケリーの声が答えた。
「巨人族ではマッサージはしないのか?」
「マッサージ?」
「人間の間では、こわばった筋肉をほぐすために揉むっていう行為があるんだよ」
「筋肉がこわばるのか?」
「巨人族はこわばらないのか?」
 びっくりした響きがあった。
「ああ。しない」
「そりゃ、うらやましい。とにかくそれだけだ。大した意味はない」
「……あのヘプライトというやつは、あの魔術師の恋人なのか? だからこのパーティにいるのか?」
「……さあな、俺にもわからない」
 どこか苦いケリーの声がして、それきり何もかも静かになった。



 元々の設定に巨人族の青年の名前はあったのですが、ころっと忘れました。
 そして、なんにしようかなあ、と書きながら考えて即席で決めたのがコレ。
 ううむ、本名なんだったっけ。


2004 5/12up


オリジナルのページに戻る

  トップへ行く