「天使が悪魔になる日 36」
「クルーノの眼の特質は、なんといっても強力に主人の存在に縛られることね。この宝珠はこの世の黄金すべてより価値のあるものだけれど、その能力のほとんどは主人の存在に依存しているの。……依存というのは少しおかしいかもしれないわね。クルーノの眼は私に頼ってはいないから。ただ、初期設定に縛られているのよ。クルーノの眼は、主人がいるときでなければその性能の一割も発揮できないわ。そしてまた、主人がいても身近にいなければ、これまた何もできない。その範囲は大体二十歩。この数字は大きな参考になるから、憶えておいてね」
とうとうと流れる茘枝の説明を、ヘプライトは戸惑いながら聞いていた。
茘枝と一緒に村を散策しようと宿舎から足を踏み出した直後、「誰にも言っちゃ駄目よ」という言葉とともに茘枝は言葉を流れ出したのだ。
茘枝はきょろきょろと巨人族の村をものめずらしげに眺めつつ、まるで他愛ない村の感想を言い合っているかのように、ヘプライトにクルーノの眼について語る。
「クルーノの眼にできることはとても単純なこと。―――吸い込むこと。魔力をもつものをすべて吸い込むことができる。これは主人がいないとき吸い込んでいたものとは、決定的に違うの。まず送り込む場所が違う。主人を決める前に吸い込んだものは、元にもどすことが出来る。これは大きいわ。そしてなにより、主人がいなかったときは触った人間しか吸い込めない。でも、今はちがう。距離と範囲とを指定すれば、触らなくても吸い込めるの。しかも不可逆性があるから、決して元には戻せない。……しかも、クルーノの眼の影響の及ぶ範囲は、いくらでも無限大に大きくなるわ。つまり、私が上空に浮かんで範囲を大きく設定してクルーノの眼を眼下に向け、力を解放すれば、簡単に国一つ滅ぼせるってわけ……」
―――聞いているうちに、冷や汗がにじんできた。
クルーノの眼にどうしてあんな厳しい主人選考があるのか、やっとわかった気がした。
それは、個人には持たせてはならない力だ。簡単に国一つ……いや、範囲は無限大に大きくなると言ったから、下手をすれば世界すらもだ。一瞬で滅ぼしてしまえるようなそんなものを、うかつな人間に渡せるはずもない。
茘枝はそんなことはしないだろう。
国や世界を面白半分や憎悪にかりたてられてであっても、滅ぼそうだなんてことは思わないだろう。
この国からどれほどの迫害を受けても、彼女はその力を何も知らない無辜の民に向けることはないと、ヘプライトは彼女という人間を良く知る者として断言できる。
……だからこそクルーノの眼は彼女を選んだのだ。
「ただ、クルーノの眼は魔力がゼロの人にはまったくの無害だわ。無機質を透過し、建物の中にいる人々を吸い込むようにすらできるけど、亜人種やあなたみたいな人には、何もできないの。魔力を持つものへの攻撃力が無限大であり、逆に持たない者への攻撃力は、無限小。そういうアイテムなのよ」
「……なんでだ? なぜそのアイテムを作った人はそんな風に……」
「うーん、現実と、意図、かな。あのね、光と影というか……。すべての能力値が高い者は存在できないの。どれかの数値が飛びぬけて高いほど、他の部分は低くなるのが定めなのよ。二面性というかな。魔力のあるものは何であれ一発で吸い込む―――殺してしまう。まったく傍若無人な圧倒的な攻撃力を誇ると、どうしてもそれ以外の部分が下がる。それに、製作者の茘枝様の意図もあるんだと思う。―――あの方は、亜人種が、自分の作ったアイテムで大量虐殺されたりはしたくなかったんだと思うわ。いくら試練をうけても、『人間に対しては優しいけど亜人種への態度はまったく違う』とかいうやからはいっぱいいるんだし、もしこのアイテムが亜人種へも有効であったら、この村一つ滅ぼすなんてわけもないんだし、ね」
それには首をひねってしまうヘプライトだった。
クルーノの眼は繰り返し言った。―――クルーノの眼の製作者は、人間を深く愛していたと。
「……茘枝ってひとは、人間を愛していたんじゃねぇのか? 亜人種に対して効果がないなら、どうして人間に対しても同じようにしなかったんだ? なんで有効なように作ったんだ?」
茘枝は額に手をあてた。
「……あなたの言葉は正論だわ。私も茘枝様じゃないからよくわからない。けど―――たぶん、それはできなかったんでしょうね。どれほど努力しても、大砲に剃刀の用途を持たせるのは無理ってもんだわ。剃刀のように、肌に傷を付けず体毛だけを無くすなんてまね、大砲にはできない。人間まるごとふっとばすことはできてもね。このクルーノの眼の本来の目的を果たせるようにしたら、どうしても、人間に有害になってしまったんでしょう。大は小をかねるというけど、それって大が入るものには絶対に小も入ってしまうってことなのよね」
ヘプライトが知らない格言を持ち出して、茘枝はうんうんとうなずく。
「で、ヘプライト。私がどうしてあなたにこんなことをべらべら言うのか、わかる?」
「え……」
茘枝はヘプライトに、無造作に何かを渡した。
反射的に受け取ったその体が、手渡されたものを見て飛び上がった。
比喩でなく本当に地面から体が一瞬浮いたのだ。毒蛇を素手でつかむような心境だった。いや、さわっただけでアウトなぶん、毒蛇よりタチが悪い。
「こっこっこっ……」
「ホラ。なんともないでしょ」
ヘプライトの手の中には真円をえがく透明な珠が乗せられていて―――。
散々、それに触った人が吸い込まれる場面を見てきたヘプライトとしてはいかに自分へは無害とはいえそんなものを触りたくない。
「ほら落ち着いて。……どう? 何ともないでしょ」
「な、ないけど……いきなりはやめてくれ」
「いきなりでないと、あなたは絶対さけるじゃない。一度触ってしまえば平気でしょう?」
たしかに最初の衝撃が去ると単なる水晶球に見える無害なその珠に慣れてきて、ヘプライトは反対側の手で珠をなでる。
……ドラゴンの炎にもその形を崩さない、唯一の宝珠。
「私の半径二十歩から離れるまでは、その珠は触った人間を吸い込みつづけるわ。逆にいうと、半径二十歩以内なら、私が持たずに、ヘプライトが持っていても効果は同じ」
茘枝の眼の色が深い。
「あなたはこの珠を持っても無害だから。だからいずれそういう使い方をするかもしれないから、話したの」
成程―――。
「なあ茘枝」
ヘプライトは声をかけた。
「なあに?」
茘枝はゆったりと歩きながら珍しげに村を見回していた。その眼はあきらかに自分たちとはサイズのちがう家屋や小物に向かっている。
「茘枝様っていう人の血を引いている人間が魔力をもつのか?」
「ええそうよ」
「で、おらはその人の血を少しも引いてない」
「そう」
「なんでだ?」
ヘプライトは胸にたまっていた疑問をぶつけてみた。茘枝なら、ヘプライトの疑問がいかに的を外れたものであっても、馬鹿にせずにきいてくれるからだ。
「なんでだって……ただ単に家系図がそうなんだけど……」
「ちがう。どうして、茘枝様つー人の血をひいた人間だけが魔力があるなんてことになるんだ? おかしいだろ?」
茘枝の表情がすっと消えた。
静まり返った水面のような顔で、足を止め正面から向き直る。
「―――どういうこと?」
その声音にたじろぎながらも、ヘプライトは言った。
「茘枝様っつー人の血を引く人間が、魔力を持つんだろ?」
「ええ」
「なら、茘枝様という人が生まれる前は、誰も魔力を持ってなかったんだろ?」
論理的に正しいはずだ。
茘枝も頷いてくれる。……それにしても「茘枝」という名前はどうにかならないものか。まるで彼女のことを言ってるようで、言いづらい。
「ええそうね」
「―――じゃ、茘枝様はどうして生まれたんだ?」
茘枝は数度、まばたきした。
数秒おいて、額に手をあてる。
「……まさか……いえ、なんというか……そうなんだけど……。ごめんなさい、別に馬鹿にするつもりはなかったんだけど。そう、ちょっと驚いて……。まさか、気がつくとは思ってなかったから」
「茘枝……?」
「ヘプライト、あなたの考えは、正しいの、正しいんだけど、その……」
饒舌な彼女が言葉を捜して言いよどむ。
「いいわ、腹を割って話しましょう。魔法使いたちの世界ではね、茘枝様の血を引く人間だけが魔力を……っていう説は、あくまで説にすぎないの。それもあまり力のない一説よ。だってあなたがいった事も理屈にあわないし、なによりいくらなんでも世界中に散らばる魔法使いがすべてただひとりの血縁だなんて、想像しづらいのね。ただし私たちは、クルーノの眼の言葉によって、それを事実にしてしまった……」
「……クルーノの眼が、うそを?」
「それがそうじゃないから、困るのよ……」
茘枝は天を仰いで、ため息をはく。
「クルーノの眼は嘘を言ってないの。茘枝様の血を引かない人は、最初私が思ってたよりずっとはるかに多かった……引いてないあなたみたいな人のほうがずっと少ないぐらいにね。そして、あなたが指摘したあの欠点は……なんて言えばいいかな。茘枝様は、特別な人なのよ」
そこで、茘枝は、ふうと息をついた。
「突然変異? まあそんなものだと思ってくれればいいわ。茘枝様は突然現れたの」
「―――そういう生物は、もうひとりいたな」
茘枝は今度こそ、心底ぎょっとした様子で、振り返った。
「この世界にたったひとりしかいない、ありえない生き物って話、しただな?」
いつか、話題になった。
生き物として考えるならドラゴンはおかしすぎると。この世にただひとりしかいない生物などありえないと。
親が、絶対にいるはずなのに、ドラゴンが複数いるとかいう話は聞いたことがない。
「……そして、その『茘枝様』は、ドラゴンと親密だった……」
何かかかわりが? と問う視線を投げかけると、かんぜんに頭痛を感じたようすで、茘枝は頭を抱える。
「……ううう。まさか、ここまで鋭いなんて思ってみなかったわ……」
「茘枝?」
「そうなの。ぶっちゃけ言って、その通りなのよ。ドラゴンと茘枝様は関係おおありだし、二人ともこの地上に一個体しかいない生き物だったのよ。……お願い、これ以上考えないでくれる? 言っていいものかどうか、私にはまだわからないの」
……一個体しかない、突然現れた生き物?
そんな事実は、必然的に、ファンタジックな想像をさせる。
言われたとおり口をつぐんで足を動かしていると、声がかかった。
「ちょっと待ってくれ、そこの魔術師さま!」
道行く巨人族の人々の間で自分たち一行のことは、広く知れ渡っているらしい。
常にちらちら見られていたが、こうもはっきり呼びかけられたのは初めてで、一見して魔術師姿の茘枝ともどもヘプライトは足をとめ、振り返った。
振り返った先にいたのは巨人族の青年で、たぶん、まだ若い。二十歳になるかならずやといったところだろう。盛り上がった筋肉は男女問わず巨人族の特徴で、この青年も例にもれずよく日に焼けた赤銅の肌のすばらしい体躯の持ち主だった。
「なんですか?」
しとやかに聞く茘枝の顔を見て、駆け寄ってきた青年は戸惑ったように足をゆるめる。
「あ、いや―――」
言葉をためらって、頭をかいた。
「ごめんな、そんな格好してるから、つい誤解しちまって。女の人だとは後姿からじゃわからなかったもんでさ。あの、あんたがた一行の中にいる、魔術師さまってのは、どなたかな?」
ヘプライトも茘枝もまだ口元に微笑みがあった。
彼女への数ある誤解のなかでは誤解のうちにも入らないものである。ヘプライトだって茘枝と会ったときやった誤解だ。
だから茘枝はおだやかに、
「私がその魔術師ですよ」
と告げた。
「えっ!? だって―――茘枝様の名前を継いだぐらいのすごく偉い魔術師だって……」
ヘプライトは冷や汗をかいたがまだ茘枝はたおやかに応じる。
「そうですよ、私です」
「……俺の眼にはあんたは女性に見えるけど? ひょっとして人族の間では男性だとか?」
……そろそろやばくなってきた。
ヘプライトは内心、たじろぎながらそのやりとりを見つめてきた。
「私は見かけどおり女性ですけど、それがなにか?」
青年は一瞬、息をとめ、棒立ちになって茘枝を見つめる。そして声をあげた。
「女の魔術師なんているはずない!!」
素っ頓狂な叫び声をあげた青年を前に、ヘプライトは頭をかかえた。
「禁句」である。
てっきり爆発するかと思ったが、茘枝は怒らなかった。
「私は、魔術師です。どれぐらいの魔術師かというと、そうですね。この村の十や二十、あっという間に滅ぼしてしまえるぐらいの魔術師ですよ」
―――訂正。
茘枝は根深く怒っていた。
それには青年もカチンときたらしく、険悪な目で茘枝を頭上から睨みつける。
「あんたほんとに魔術師かよ? ただローブ着て杖持ってるだけなら、誰だってできるぜ」
「そうですね、あなたみたいな愚行をするのは誰にでもできるのと、一緒ですね」
「なっ……」
気色ばむ相手に、茘枝は鮮やかに微笑む。茘枝一流の、挑戦と軽蔑の微笑。
「―――魔術師を侮辱した対価、払っていただきましょう」
そしてヘプライトは頭を抱えていた。
2004 4/17 up
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