「天使が悪魔になる日 30」
「ヘプライト、これから話すこと、決して誰にも言わないでね」
茘枝は右手に持った魔法の珠を、目の高さにまでかかげる。
「クルーノの眼。返答は、私の体を使っていいわ。答えて頂戴。……大魔術師は、なぜ、亡くなったの?」
ヘプライトは目を見開く。
歴史上、最大の謎といってもいい。―――それが、茘枝の死因だった。
毒を飲んでも死なず、刃にて貫かれても死なず、焼かれても死なない。不老不死を体現し、一定の二十代の容姿のまま二千年の長きを生きつづけた大魔術師。
ヘプライトは固唾を呑んで見つめたが。
「……わかりません」
茘枝の唇から零れ落ちたのは、その一言だった。
「……ほんとうに?」
「ええ。私はそのとき、茘枝様の側にはいませんでしたから。ただ、絶命の瞬間はわかりました。世界のどこにいても感じられた茘枝さまの気配が、突如、世界から消え去ったのです。ドラゴンもまた、それを感じたのでしょう。あわてて世界を回る姿がありましたが」
「……茘枝の姿は見つからず、死亡は確実になったのね……。茘枝が生きていれば見つからないはずがなく、茘枝が死んでいれば、その骨も髪の一筋たりとも残らずすべて消え去るから」
茘枝は軽く息をつき、珠をしまう。
「れ、茘枝―――は茘枝、だか?」
「あ、うん。そう。私よ。ごめんなさい、クルーノの眼との切り替えにちょっと時間がかかってしまって。その、ちょうど悪いときに襲撃があって動けなくて」
「え? 眠りの魔法をかけられていたからじゃ……」
「私と彼らのレベル差で、低級呪文が効くはずないでしょ。状態異常の魔法はなんであれ、高レベルの相手には効きにくいものよ。―――それより杖はどこ?」
魔法が使えないがためにクルーノの眼には必要ない杖をヘプライトはあわてて引っ張り出した。茘枝はそれをもち、呪文の詠唱に入る。
「弾け呪文の子よ。退去し静寂の闇につつめ。魔法退去!」
ヘプライトは驚いた。
さっきまで部屋中をただよっていたピンクだったりブルーだったりする靄が、綺麗さっぱり見えなくなったのだ。
「この家限定で、魔法を使えなくしたわ」
「ま、魔法を使えなくって……」
「そう、私も無力。だからヘプライトが護ってね。まず、南側の部屋にいるスクエアの部屋に行きましょう。そこで彼が戦っているから」
§ § §
スクエアは猛烈にあせった。
突然、自分をつつむ防御がなくなってしまったのだ。そして、それは相手の魔術師も同じなようで、ひたすらうろたえている。
いきなり室内の靄がなくなったことで、何が起きているのかは察しがついた。
エナジー……魔法の発動の必須要素。それを誰かが排除したのだ。―――誰が?
そんな魔法聞いたこともない。そんな高度な魔法を使えるとしたら……。
「茘枝?」
思わずつぶやいたとき、背後の扉が開いた。
「はい、お呼び?」
タイミングよくやってきた茘枝は、ヘプライトを従えていた。
それから、魔法の使えなくなった魔法使いをヘプライトが縛り上げるまで、約三分。
戦士は魔法使いには敵わない。……が。
魔法の使えない魔法使いなど、十人だろうが二十人だろうが戦士の敵ではない。
集まったパーティメンバーは一瞬よろこび、すぐに唯一の不在者を危惧する声をあげた。
「ケリーは……」
「ケリーは大丈夫。いまごろ叩きのめしているわよ」
その言葉は正解で、エナジーが使用できないということは、全ての魔法と、永続使用の魔法道具すべてが使用不可になる。
エナジーが消滅したことを悟ったケリーは魔法が使えなくなってあせっている魔法使いをあっさりと気絶させ―――そして、階段を苦労しいしい上っている音が仲間の耳に入った。
「ヘプライト。ちょっとどいてくれる?」
茘枝は携帯している小刀(彫刻用の、人を殺傷する能力はゼロに等しい)で指を切ると、その血を使って捕虜になった魔法使いの額に魔法封じの印を書いていく。書き終わると、魔力をこめた。
「美しき静寂の闇よその静謐を保て」
魔法が完成したころ、ケリーが扉を叩いた。
「れ、い、し……は、ぶじか?」
全身鎧で階段を上るなんていう難行苦行を果たしたケリーの息はいいとこあがっていた。
「私はここよ、大丈夫」
茘枝が声をかけると、その声の調子―――クルーノの眼とは明らかにちがうイントネーションから、ケリーは悟ったらしい。
「……茘枝? 茘枝……なのか?」
「ええ。クルーノの眼は退いたわ。ところで―――ヘプライト。悪いんだけど、ケリーが倒した魔法使いをここまでつれてきてくれる?」
ヘプライトが抱えてきた魔法使いにも同じように魔法封じをすると、茘枝は自分のかけた呪文を解いた。
「……やっぱりエナジーがあるっていうのはほっとますねぇ」
魔法使いではないふたりはきょとんとするばかりだったが、茘枝は力強く頷いた。
「まったくだわ。ええと……」
茘枝は指先ににじむ血を見て、杖を振る。
傷が治っていくのを見て、スクエアが声をあげた。
「できるようになったんですか?」
「ええ。―――ケリーもダメージ負ってるわね。ちょっと治させて」
また、呪文の詠唱なしで杖の一振り。
久しぶりにもどった茘枝を前にした仲間の口元には、隠しきれない笑顔が浮かんでいた。
「ひさしぶりです、茘枝。会いかったですよ」
「ええ、私もよ」
「それじゃええと……あなたがいない一月になにを知ったのか、教えてくれますか?」
「うーん、よろこんでといいたいところだけど……一月かかる情報量を、口で言えと?」
「では要点だけ」
「要点ね。了解。クルーノの眼は、巨大な知識を収蔵するものでもあったの。そして私はその中から、クルーノの眼が必要と判断した知識を見せられた。そして、困ったことに、その中には大魔術師の記憶なんてものまであったのよ。もちろんごく一部だけど。その記憶を見て、さらに、知識を受け取った私は、魔法の実力があがったわけ。正直いって、耳から知識がハミ出そう」
「……記憶も、ってことは……大魔術師の家がどこなのかとか、わかるのか?」
「わからないわよ。彼の家がどこなのかは知っていても、実際その地にいけば、『見ていても見えない』状態になるでしょうから」
茘枝はしゃなりと嘘をつく。
ヘプライトは縛られた捕虜二名を見下ろす。
ふたりとももう目覚めていたが、自分にかけられた魔法封じを自覚して、口をつぐんでいる。ただし、その表情はまったく不快なもので、なぜ自分たちがこんな目にあわなければならないのかという、自分たちが喧嘩をふっかけた経緯を脳内からすっかり消去した、見るだけで不快な表情が浮かんでいる。
―――プライドの高い魔法使いは、他者の手に生殺与奪の全権を握られているという事態を、親身に理解できないのだ。
「ところで、こいつらは……?」
「それはこれから聞きましょう。なんで、こんな王都のまっただなかで、貴重な魔法使いが三人もいきなり襲ってきたのか……」
ケリーがそこで、疑念をあげた。
「……さんにん?」
目の前にいる捕虜はふたり。ひとり足りない。逃げたのか?
「もう一人は、私がクルーノの眼に封印したから」
捕虜たちが表情をこわばらせる。
「ああなるほど―――ってそれは」
「茘枝……それはあん人が……死んでしまったっつうこと……だか?」
「死んだも同然だから、そういうことね。クルーノの眼の使い方に慣れておきたかったし、ちょうどよかったわ」
「なにも……ころさんでも……」
ヘプライトは複雑だ。あの魔術師は、けっして悪い人間ではないようだった。ヘプライトが魔法使いではないからと、言葉でやんわり退去をうながしてきた。
「魔法使いが魔法を使えない人間を傷付けるのは道義にもとる」
まったくだ。
しかし茘枝やあの魔術師のように、それを実践している人間の、いったいどれほど少ないことか。
茘枝はあきれた眼差しでヘプライトを見た。
「バカね。相手は敵なのよ? 相手から仕掛けてきたのよ? 何をどうしようが、それは相手の未熟からくる自業自得だわ」
「ヘプライト……」
やさしく話しかけたケリーは苦笑していた。困ったような、優しい苦笑。
「ヘプライト。冒険者は、他者に攻撃した時点で、その人間は命と権利を戦いの神にゆだねられたと考えるんだ。戦いの結果、どのような無残な扱いを受けようとも、それは敗者の義務であり勝者の権利だ。まして、自分から戦いを仕掛けた時点で、そいつにはもう情状酌量の余地はないよ」
「……そうだな」
ケリーの筋の通った言葉に、ヘプライトは頷いた。
スクエアが話を元にもどした。
「それで―――どうします? このふたり。なんだか襲った理由はクルーノの眼だとかかんとか言ってましたが―――」
「それが本当なら、ばっかじゃない? こんなもの奪ってどうするのよ。私が側にいなきゃ、無用の長物だわ」
ケリーがぼそりとつぶやいた。
「……だから、茘枝ごとさらう気だったみたいだぞ」
「…………ますます、お馬鹿? 機能停止していないクルーノの眼とその主人の組み合わせが、ほとんど無敵なのがわからないの?」
「……その馬鹿女に魔法封じをかければいいだけの話だろうが」
捕虜のひとりが呟くと、男三人はそろって不快な顔になり、茘枝は「あら」とにっこり笑った。
「魔法使いって、大事にされることになれすぎて、こういうとき謙虚な態度がとれない馬鹿な人が多いからこまるわ。捕虜の心得は、無用な虐待を招くようなことは言うべきでない、よ。とりあえず、あなたの今の暴言の代価は、これね」
茘枝はとりあげておいた杖を拾い上げ、二本とも、炎の中につつませる。
「わ……わたしの杖が……っ!」
「やわい杖ね。火炎防御がなってないわよ」
「わたしの杖……っ!」
魔法使いにとって杖は、片腕に等しい。その悲痛な叫びにも茘枝は動じなかった。
「杖なしでは魔法も行使できないレベルなの、あなたたちは。よくまあ……私を攻撃する気になったものね」
「色気で茘枝の名を奪った姦婦がでかい面するな!」
茘枝は哀れみすらこめて、苦笑した。
「なるほど。あなたたちは、一方的にそのうわさを信じたわけね? なんて、馬鹿な。いえ、ちがう。あなたたちは、『信じたかった』んでしょ。だから信じた……。きちんと冷静に頭を働かせれば、きちんと情報を集めれば、そうでないということがわかるだけの材料は転がっていたのに、あなたたちは自分たちに都合のいい情報だけを一方的に採択した。そして都合の悪い情報には目をつぶった……」
茘枝はかぶりをふる。
正直なところ、他の三人も、同じ気分だった。
これを愚かといわずして、なんと言おう?
「閉鎖された魔法大国、ペイログリフ。その弊害もあったのかしらね。自分たちの国以上に優れた魔法技術を持つ国はない―――優れた魔法使いはいない。そう思っていたんじゃなくて?」
「……愚か者、ですね。茘枝が魔法使いを倒したという情報は全魔法使いに一斉送信されたでしょうに。すこし調べれば、それが各国の筆頭魔術師であるとわかったでしょうに」
「そういうことには、きっとこう目隠ししたのよ。色仕掛けをつかったにちがいない、油断させたにちがいない、体調が悪かったにちがいない、あるいは―――他の国の魔法使いなんざたかが知れてる、筆頭といっても他の国での筆頭だ、とかね。もっといえば、筆頭魔術師だってこともしらなかったんじゃないの?」
ケリーがぼそりととどめをさした。
「阿呆、だな」
まったくだった。
「よく見てみれば―――なによ、あなたたち。私のレベルの半分にも満たないじゃないの。茘枝たる私に挑戦するなら、もうすこしマシなレベルになってから来なさい。こんなレベルで私に立ち向かおうなんて、ちゃんちゃらおかしいわ」
「でも、三人そろえばなんとかなると思ったんでしょう。……じっさい、苦しかったですし」
「それは、たまたま私が眠ってたからでしょ。正式な魔術師としての立会いなら、いくらでも相談にのるわよ。茘枝の称号を持つ者は他者の挑戦を退けえず。消し炭にしてあげるから、いつでもいらっしゃい。―――で? あなたたちが私たちを襲った理由は? 言っておくけど私―――あっさりのこのこ自分から口にした理由を信じるほど素直ではないの」
スクエアが朗らかに提案した。
「どうします? 拷問しますか?」
「……魔術師系より僧侶系にそっちの呪文が多いのは、どうしてかしらね。あ、いいわ。私にやらせてみてくれる? たぶん今の私なら、できると思うから」
「全身にとげを打ち込むっていうのはいかがでしょう?」
「爪を一枚一枚はがしていくっていうのはどうだ?」
スクエアがにこやかに提案すれば、ケリーも同様だった。
ひとり善良なヘプライトはもちろん沈黙を護っている。
茘枝はしばらく考え込んでいたが、にっこり笑って指を鳴らした。
「全身に親指の爪大のとげを100本打ち込み、爪をはがして、更に水につけ、最後に弱い電撃を流しましょう」
話を聞いていた捕虜たちはふるえあがり、そして。
茘枝が前もって防音しておいた室内で、絶叫が響き渡った。
2004 3/21 up
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