「天使が悪魔になる日 26」



 クルーノの眼は、人間とほとんど変わらないほど発達した擬似知性だ。
 彼の現在の主人が言ったように、機能的には、人間の「こころ」というものと、ほとんどかわりばえのない。理論のなかで仮定を積み重ねて演算することもできるし、感情もある。
 しかし、それでも彼の自己意識というのは、『自分は擬似知性である』というものだった。

 クルーノの眼は、この世界で、最高のマジックツールだ。かの大魔術師が、精魂こめて作り上げた最高傑作。それが、彼だ。そして大魔術師の最高傑作ということは、この世のすべてのマジックツールのなかで最高のものだということだ。
 彼のキャパシティはとてつもなく大きい。たとえていえば、この世界に二つある人の住む大陸を両方とも丸呑みにして、まだ「腹五分目」といったところか。この世の人間すべてを封じて、なお余る。処理速度もそれにあわせて桁がちがうが、作り上げた茘枝の定めた初期設定により、機能のほとんどに制約がつけられている。
 クルーノの眼は、主人が定められている時しか自分の力をふるうことができず―――なおかつ、その主人の選定に手心を加えることはできず―――かつ、主人と離れた単独では力を振るえず―――とどめに、その主人の選定ときたら、クルーノの眼自身が考えても意地悪いことこの上ない。

 茘枝の意識が戻るのを待つ間、パーティは王都に滞在することになった。別に王都なんかにいきたくもないのだが、瞬間移動は自分が行った土地もしくは、その場の誰かが行った土地にしか運べない。瞬間移動の魔法を使った僧侶は当然ながら国家機密の巨人族の村になど行ったことがなく、ケリーも話を聞いているだけだった―――というわけで最寄りの街である王都に移動したのだ。
 巨人族の村に向かったところでどうせ一月待たなければならない―――クルーノの眼いわく「茘枝が目覚めたらドラゴンの元に連れて行ってあげますから、待っててください」。そして滞在には宿泊費がかかる。ならケリーが暮らしていた家が王都にはあり、そこで寝泊りするぶんには宿泊費はタダなのだから、そちらにいたほうが得というわけだ。

「なあ。どうして茘枝は、クルーノの眼の試練をやろうとしたんだろうな?」
 うららかな日差しのもと、部屋でお茶をしていたケリーのつぶやきに、同室でお茶を楽しんでいたスクエアと―――現在クルーノの眼が操る茘枝が振り返った。
「だって、茘枝は『茘枝』だったんだろ? その気になれば、いくらでも贅沢ができるんだろ?」
「竜の尾国から茘枝に来た召喚状、見ます?」
 ぴらっとスクエアが書面を差し出す。
「うっ……。領地一都市に金山の所有権一つぶん!?」
「死後は領地は王家に編纂しなおされ、相続を認めないという条件つきですけどね……。茘枝の魔法使いを囲ってるってだけで、示威になるんですよ」
「特に、僕まで手にいれちゃーねー」
「……クルーノの眼。その軽い喋り方、なんとかなりませんか?」
「いいじゃないか。こうして誰かと喋るのって、かれこれ十世紀ぶりですごく楽しいよ」
「……あなたはドラゴンと喋ったことがあると言ってましたね。どういう人間……もといドラゴンなんですか?」
「あれはあんまり……、喋ったというより、ドラゴンが僕に語りかけてきたって感じかな、一方的に。あの頃はまだ、会話を成立させられるほど、知性が成熟してなかったからねー」
「ふむ……でどういう事を?」
「それはプライベート。あれから千年ほどたってるからなあ……、しかもただの千年じゃない、最愛の茘枝を失った千年だからね。ドラゴンがどういう人格もといドラゴン格になっているかは想像が…………つくようなつかないような」
「最愛……? ドラゴンは……茘枝が好きだったんですか!?」
「うん、もちろん」
「―――クルーノの眼。スクエアが聞きたいのは、ドラゴンが茘枝を恋愛感情で愛していたのかって事だよ」
 黙って話を聞いていたケリーが的確な援護射撃をした。
 そうそう、とスクエアが頷く。
「人間のそういう区切りは、僕にとって不可解なものの一つだね」
 口調をがらりと変え、人間でない宝珠はクールに言ってのける。
「ドラゴンは茘枝様を、それはそれは深く愛していたよ。かたちや大きさに例えることなど、到底不可能なほど。言葉では言い表すことのできないほど。恋愛かと言われたら、僕にはわからない。なんせ僕には恋愛の愛情とそのほかの愛情の違いがわからないからだ。生殖行為を行いたくなるのが恋愛だと言われたら、僕には生殖欲求がないからなおさら理解不能だし、ドラゴンも然りだ。でも、……哀しいね。想いがすれちがうのは、人間だけの話じゃない」
「……それは、茘枝はドラゴンを愛してはいなかった、ということですか」
 しずかな声で、スクエアがたずねた。
「自分が誰かを愛するほどには、相手は自分を愛してくれない―――そういった経験、あるかな?」
「……」
「…………」
 ふたりの男性は、沈思した。
 それぞれに、自分の想い人のことを考えていたのだろう。
 ケリーは、今昏睡中で体だけは自分の正面に座る魔術師の。
 スクエアは、クルーノの眼があずかり知らぬ誰かの事を。

「茘枝様は、ドラゴンを愛していたよ。……でも、それ以上に愛するものが、あの方にはあったんだ」
「それは?」
「僕は頭の悪い人間は嫌いだ」
 あっさりとクルーノの眼は言い放つ。
 あまりに直截な言葉に、ふたりは目を見張った。
「聞いてばかりないで、ちょっとは自分の頭で考えてごらん。頭があるのなら使わないと、日よけと大差なくなるよ。帽子掛けにするためにあるんじゃないだろう、その頭は」
「…なかなかいい性格してますね、クルーノの眼」
「千年いきてごらん。いい加減に性格もねじくれるよ。僕は僕の主人に対する以外の忍耐力の持ち合わせがないんでね。主人ならどれほど愚か者でも付き合わなきゃいけないが、幸いにして僕の主人は頭がいいらしい。でも、君たちの頭の程度がどれぐらいなのかは、まだわからないから教えてほしいな」
 黙ってクルーノの眼を見据えていたケリーが口を開く。
「茘枝が愛したのは―――人間、だろ?」
「そう。簡単なクイズだったね。僕は茘枝様に作られた。だからあの方を敬愛している。これは初期設定ではなく、僕個人が経験と学習につみあげた知性の上での感情だ。でも、正直いって、これだけはさっぱりわからない。茘枝様は一体どうしてこんな生き物を愛したんだろうなあ? まあ命令だから護るけどさ」
「茘枝から聞きました。人間を護るのが、あなたに下された命令なんですよね」
「そうだよ。……このタイミングで主人が現れるあたり、人間っていう生き物は、悪運だけはある」
 クルーノの眼は、自分の作り主の思考をトレースするたび、一点だけはとてつもなく不思議になる。
 ―――なぜ。茘枝は自分にこんな面倒な起動設定を与えたのか。
 主人となる条件はきわめて厳しい。ましてかかるものは命だ。誰でも闇雲にためすというわけにはいかなくなる。
 いくら自分に最優先命令として組み込んでも―――人間が危機に陥ったとき、自分が主人を得ている確率なんて、一割にも満たないではないか。
 実際、奇跡に等しい。
 千年現れなかった主人が、今、現れたということは。
 彼はそこまで読んでいたのだろうか? ―――いや、読めるはずがない。偶然だ。
 もし本気でなにがなんでも人間を護ろうとするのなら、人間が危機に陥っている場合のみ、主人なしでも機能を使用できるようにとか設定しておけばいいものを。
 ということは、彼もまた、賭けていたのだろうか。人が滅びるべきか生き延びるべきかを……自分の主人が現れるかどうかで。
「あーあ。主人と出会ってしまった上は、人間を護らなきゃいけない。面倒だなあ」
「それなんですけど、ほんとう―――どうして茘枝は試練を受けられたんでしょうね? 一歩間違えばなんてもんじゃない、これまで何百年もの間多くの人が挑んで誰も成功していない、99.9パーセントまでは命をドブに捨てるようなまねを」
「そうだよな。望めば、何不自由なく暮らせるのに」
「そういう賭けに出られるのは、何もかも失いやぶれかぶれになっている人間か、自殺希望者か、あるいは成りあがろうとしている人間か。つまり、失敗しても何も失わない、元々何も手にしていない人間です。ところが、彼女は魔術師の頂点に立つ人間であり、地位も、名誉も、……望みさえすれば、金銭まで手に入れてました。わざわざ、命を失いかねない賭けに出ることなんて何もないんです」
「『茘枝』の地位に……満足していなかったのかな」
 ケリーはぽつりと言った。
「そうですね、茘枝は……満足していなかったのかもしれません。魔術師として最高の地位にありながら、茘枝はとかく、実力を過小評価されていましたから。……女性であるというだけで」
「あるいは、単純にもっと力がほしかったのか―――」
「でもそーいう人間でないと、僕の主人にはなれないんだよ」
 一斉に、クルーノの眼を振り向いた。
「力があり、実力があり、それに見合った評価も受けている―――そういう人間でないと、僕の主人にはなれない」
 一拍あけて理解し、ケリーはうめいた。
「……むちゃくちゃだ……。つまり、それは、一国の貴族や王や……実力者でないとお前の主人にはなれないのに、そんな人間に命を賭けさせろって!?」
「そうだよ。何の分野でもいい。工芸でも芸術でも、なんならお針子さんだっていいぐらいだ。自分の理想を自分で体現していること、一致させることができた強い意志力と運の持ち主が、僕の主人になれる」
 スクエアも苦々しい顔でつぶやく。
「……あなたがいままで、何千という人々を殺してきたはずですね……。そんな人間は、まず絶対に勝算がほとんどない勝負に命をかけたりしません。誰も強制しないのに、どうして自分がいま手中にしている成功を捨てる気になる人がいますか」
「たまにはいたけどね。誘拐とかで僕を手に入れた人間に無理矢理さわらせられたりー、自信家こうじて『俺はこんな珠の一つや二つ、従えてみせるっ!』って自信満々に触ったひと」
「……んで、そのどちらも殺したんだよな、おまえは」
 うんざりした声でケリーは指摘する。
「やだなあ、殺すなんて言葉がわるい。封じたって言ってほしいな」
「……確かに、クルーノの眼を手に入れて、活用しようとしたら、無理矢理誰かに触らせて試練を受けさせるのが早道でしょうね。千年の間に、そんなことがあっても少しも不思議じゃありませんが……、自分の意思で触ったのでもないのに、かわいそうに」
「あと一時期は暗殺用の道具にもされたよ」
 ますます苦い顔になった二人だった。
「……たしかに……あなたが人を吸い込む以上、死体も残りませんし、暗殺用としてはまさに最適ですね」
「ただし、ヘプライトみたいな人間には効果ないけどね」
 二人は同時に窓に目をやった。

 昨日、クルーノの眼はヘプライトを瞳をあわせて覗き込んだ。およそ目の奥の心までも覗きこもうとするかのような凝視にヘプライトは何度かまばたきしていたが、一分ほどでその凝視は外れた。そして、言った。
「珍しいね。茘枝様の血を……ほんとうに一滴も引かない人間が、まさかまだいるなんて」

 茘枝の血を引く者だけが魔法使いになれる。それは発展させればこうした考えになる。
 ―――茘枝の血を引く者が、魔力をもつのだ。
 ヘプライトはいっさいの魔力を持たない。それは一つのことを意味する。
「彼は、僕を素手で持っても何の害もないよ。ヘプライトに対して、僕は何一つできない。完全に無力だ」



2004 2/29 up


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