「天使が悪魔になる日 24」
ヘプライトは宿屋の裏手の井戸の脇で、剣を磨いていた。
……ケリーの言葉の一つ一つが、胸に突き刺さる。
お前がついていながら、どうして茘枝をさらわせたんだ!
……ケリーの言葉は、感情的だが正しい。筋が通っている。
魔術師は強い。……敵が見えているのなら。そして、詠唱時間を邪魔されなければ。
だから魔術師を擁するパーティにおける戦士の役割とは、敵から魔術師をまもる楯となることだ。茘枝は詠唱時間がゼロに近いが、それでも決して、敵と茘枝を相対距離がない状態で対面させてはいけない。茘枝が魔法を発動させるのと、敵が剣を振り下ろすだけの動きは、せいぜい互角だ。
不意打ちから魔法使いを護る盾。それが……戦士の役割。
その場に居合わせていなかった相手にそういわれるのは理不尽だとも思うけれど、もしもヘプライトではなくケリーが側にいたならけっしてあんな結果にはならなかっただろう。
……今ヘプライトがパーティを抜けたいと言ったら、誰も反対はしないだろう。
形式的に引きとめはしてくれるだろうけれど、それだけだ。唯一ついてきてくれるのは、茘枝だけだろうが。
ヘプライトは恐れていた。自分が足手まとい以外の何者でもないことは、わかっている。ヘプライトはパーティの「穴」以外のなにものでもない。今はいいが、いずれ戦いはシビアなものになり、ヘプライトの「穴」は、他のメンバーにとって重すぎる荷物となるだろう。いずれ、かばいきれなくなる。それは自分でもわかってる。
だから……もしもケリーあたりに膝を割って正面から「抜けてくれ」と言われたら、ヘプライトは自分が断りきれるか、わからない。今までも散々、パーティに面倒をかけている自覚があるので。
大きすぎる自責の念に、息がつまりそうで、胸の奥から真っ黒い感情がこみ上げてくる。涙をともなうようなものが。
それをこらえて、水をかけた砥石でごしごしと剣を磨く。水が手の擦り傷にしみて、少し痛い。……魔物をほとんど斬っていない剣は、血脂のよごれはないが、刃こぼれはいっぱいある。魔物の外殻、それに骨。そういったものばかりを斬ることは剣を痛めると、口をすっぱくしてケリーに言われたものだ。
けれど敵のほうも動くのだ。やわらかい部分なんてとても斬らせてくれない。巧みにうごき、手にした盾や武器や外殻で、こちらの動きを受け止めてくる。
ケリーの腕は言うだけのことはあった。魔物の隙をさそい、相手の動きの間をひろって関節の節目や柔らかい部分にやすやすと剣をつきたてた。伊達に長く生きてない。住んでいた街が冒険者が多く集まる街だったこともありヘプライトはこれまでいろんな冒険者をみてきたが、かなり熟練の冒険者でも、ケリーに伍する腕の人間を知らない。ケリーの剣は刃こぼれがほとんどなく、逆に血脂のせいで手入れが欠かせない。
冒険者は、強さがすべてた。
だから、ケリーは、ヘプライトに言う権利があった。
お前は弱い、と……そういう権利がある。
「ヘプライト」
優雅な女性の声で、穏やかに呼ばれるのは、たいていの男にとって快い。
そして現在、こんな声で自分を呼ぶのは、ひとりしかいない。
ヘプライトは振り返る。
そこには、青い髪と農作業を長い間していない白い肌の女性が佇んでいた。
「ヘプライト、話があるんだけど」
そう話しかけてきた彼女を、ヘプライトは十秒ばかり沈黙のなか注視する。その沈黙に居心地の悪さと不審を感じたのだろう、彼女は戸惑ったように眼差しをゆらし、唇をひらきかけた。
その機先を制して、ヘプライトは断じる。
「あんた、茘枝じゃねぇな」
「……へぇ」
意外そうに目をしばたかせる。
ヘプライトは続けて問いかけた。
「クルーノの眼か?」
「そうだよ。驚いたな、こんなに短時間でばれるとは思わなかった」
「茘枝はどうした?」
「僕の主人は、今ちょっと取り込み中で、しばらく表に上がってこれない。人間でいうなら昏睡状態」
「こんす……?」
「失礼、ぐーすか眠っていて叩いても殴っても起きない状態だと思ってほしい。君たちは仮にもパーティを組んでいるから、いきなり彼女がそうなったらびっくりするだろ? それを伝えにね」
「……ケリーには話したか?」
「いや?」
「じゃ、話してほしい。おらが言っても……ケリーは真面目に聞いちゃくれないから」
ケリーがヘプライトからいきなり「茘枝がしばらく目覚めない」と聞いたらいぶかしみ、疑いの眼を向けるだろう。なんといっても、茘枝と一番近くて親しいのはヘプライトであるのだから、ヘプライトが何かしたのではないか、または―――何か勘違いをしているのではないかと、そう思うだろう。人は言う人間によって、言葉に重みを持つのだ。ヘプライトが言っても駄目だが、クルーノの眼が言えばケリーは納得するだろう。
その辺の事情を汲み取って、クルーノの眼は頷く。
「わかった、言ってくるよ」
その背に思いつき、声をかけた。
「あんた、名は?」
クルーノの眼は立ち止まる。
「名前?」
「そうだ。なんか、あるんだろ? クルーノの眼っつうのはおらたちが勝手に呼んでる名前だし……」
クルーノの眼は素の表情らしき顔で、きょとんとしている。
「名前ねぇ……ないから好きにつけていいよ」
「ない!?」
「うん、だって必要ないだろう?」
「必要は……あるんじゃねぇかと思うけど……」
「これからはね。でも、これまでは必要ないものだったんだよ。僕がこうして誰かと話をするのは、茘枝様とドラゴンをのぞいて、君たちが最初だったんだから」
「自分で自分に名前とか……」
「つけても仕方ないだろ? 誰も呼ばないんだから。……そうだね、クルーノの眼だから可愛くクルちゃんてのはどうかな」
「クル……ちゃん?」
「―――いくらなんでもそれは可愛すぎだと思いますよ、クルーノの眼」
突然降ってきたのは、スクエアの声だった。
宿に沿ったわき道を、スクエアは片手に杖を持ち、ローブを揺らしながら歩いてくる。
「それに、事情を説明してほしいんですが。茘枝はどうしたんですか?」
「僕が溜め込んできた知識を今継承している。なにしろ膨大な量だから、一月ほど彼女は眠ってることになると思うよ」
『一月!?』
ヘプライトとスクエアの声がシンクロする。
「人間はそれだけの間寝ていたら死んじゃうだろう? それに、肉体も極度に衰弱する。まともに一月寝ていたら、彼女は目覚めたとき歩くこともできないだろう」
「……あの……なんで?」
ヘプライトをクルーノの眼は茘枝そっくりの優しい慈愛の瞳で見つめた。
「人はただ起きて動いているだけで、特に運動していなくとも、体の筋肉を使っているんだよ。だから筋肉は動いている。でも眠っていると動かせないから……」
スクエアが手をあげた。
「―――ちょっとまってください。筋肉という言葉、わかりますかヘプライト」
「……体のなかの動く源……のことか?」
ヘプライトは、こういう場面が本当に嫌だ。自分がパーティのなかでいちばん頭が悪いのはわかっているけれど、いたたまれなくなる。
言葉の内容から類推して、ヘプライトが答えると、ふたりはうなった。
言葉を捜しているようだったが、やがてスクエアが諦めたように、
「……ま、そうです。間違ってはいませんね」
「そしてこれは、体を動かさないと衰える。だから一月も寝たきりでいると、人は歩くこともできなくなるんだ」
「それで、あなたがかわりに、ですか―――。今日の昼にはゼンリンが手配した人間がきて、竜のところへ行くんですよ?」
「だからだよ。竜に会うまでに、彼女には事情を知っていてもらわないといけない。なんせ、竜を説得するんだ。事情をしらなかったら、とても説得できないだろう? それに、移動のときは僕がこの体を動かすから大丈夫」
「……そして着いた先の巨人族の村で一月の間ポケッとしてから竜に会いにいけ、と?」
「そんなに暇なら僕が鍛えてあげようか? ―――ヘプライトを」
「……え?」
突然話がまわってきて、ヘプライトは対応しきれず間抜けな声を出した。
「僕は、こう見えてもこれで結構マスター思いなんだよ。彼女は君に心を許している。そして君は、パーティ内で微妙な立場だ。鍛えてあげるよ、ただし地獄を見る覚悟が必要だけどね……」
「お願いします!」
クルーノの眼も、そしてスクエアもおどろいた。
含みをもたせたクルーノの眼の言葉に、ヘプライトは一瞬すら迷わず、頭をさげていた。
§ § §
目蓋の裏が、明るい日の色にすけている。
暖かい陽だまりをかんじながら、青年は目を閉じ草越しに感じるごつごつとした地面の上で、寝転がっていた。
暖かく、気持ちがいい。意識の一部は目覚めているけれど、目覚めたくない。
けれど、そんな心地よいまどろみにいつまでも浸っているわけにはいかなかった。声がしたのだ。
「ねぇ! あなた、行き倒れてるの? それとも昼寝してるの?」
青年は二三度まばたきすると、目をあける。
瞳に入ったのは、まだ十かそこらの少女。質素ながら清潔な木綿の服をきて、上にエプロンをかけている。
「―――めをさましたってことは、言葉は聞こえるのね。行き倒れてたの? すごくお腹がへってるみたいな顔しているわよ、なんなら私のおひる少し食べる?」
マシンガンのように吐き出される言葉は年不相応にこまっしゃくれて面白い。
女はどれほど幼くとも女だということか。
それに気圧されたように青年は口をつぐんでいたが、少女が口をとじると、なんとか言葉を吐き出した。
「……ああ、少し分けてくれ」
「あらやだほんとに行き倒れだったの? しょうがないわね、はい」
少女は懐から布でくるんだパンを取り出すと、岩のように堅いパンを半分ちぎって差し出した。きっとこの少女は世話好きで女の子のグループのまとめ役なのだろう。そんなしぐさにも語り口にも、背伸びしている様子も無く自然なのが面白い。
青年は受け取ると、そのままその場で食べ始めた。
少女は困ったような顔でいう。
「……このパン、水に浸してたべるものよ」
「君は?」
「このちょっと先に湧いてる泉に浸して食べるつもりだったわ、もちろん。……歯、痛くない?」
「大丈夫」
と、言う間も彼は岩石のようなパンを食べていく。さほどの時間もたたぬうち、パンはすっかり胃の中におさまった。
「とってもお腹すいてたのね……」
感心と同情がいりまじった声音でつぶやくと、少女はよし、と手をうち大らかな笑顔を見せた。
見ると、誰もが心がぽかぽかするような笑顔だ。
「私の家にくる? 可哀相な行き倒れの男の人に、美味しいご飯の一つもご馳走したげる!」
「……それは」
迷惑なんじゃ、ととさすがにためらう色をみせる青年に対して、少女は腰に手をあて胸を張った。
「だーいじょうぶよ。それに、貧しく困った人には親切にしなきゃ! そうすればどこかできっと、神様が見ててくださるわ!」
そう言い放つ少女の、なんと小気味よく爽快なことか。
生気が陽の光に反射して燦然と輝いている。
青年はまぶしげに目を細めた。
「……じゃ、ご相伴にあずかろうか」
立ち上がり、微笑んでみせる。
青年は、よくよく見ればとても整った顔をしていた。海や空と同じ、不思議な色の髪をしていた。不思議な形の見たこともない衣服―――はじめ見たとき地面に広がっていたそれは、ぼろにしか見えなかったものだ。
少女は満足げにわらって、意気揚々と先導し歩き始めたが、その途中でぴたりと足をとめ、振り返った。
「そうだ。仲良くなるには、まず名乗りあわなきゃね。私はマリベル。あなたの名前は?」
青年は少し目をみはり、そして優しく微笑む。
「―――茘枝」
2004 2/22 up
|