「天使が悪魔になる日 22」
仕方のない、事だったのです……。
娘のような年頃の若輩の魔術師に脅されるまま、長年この国の王の良き相談役であり、貴族の称号と領地を構える魔術師は話し出した。
竜と人は、接触してはならないのです。
青の魔術師と、我が王以外は、竜に接触してはなりません。
ごらんになったように、竜の尾は七国随一をほこる、豊かな国。この国で王家が今ほどの権威と威信をもつゆえんは、竜をつなぐ唯一の血統であるから、なのですから……。
茘枝様、あなたならばひょっとして、竜と対面し、生きて帰った二番目の人物となるやもしれません。これが無名の人物であればいい。誰も、信じはしないでしょうから。
けれどあなたには信頼がある。あなたのその名には、重みがある。
同じ事を言うのであっても、言う人間によって、その重みには格段の違いがでてくる。……それが人間です。嫌われている者の意見は誰もとりあげず、同じ意見でも好かれている者の意見ならばとりあげる。それが人間です。
あなたであれば、茘枝様。魔術師たちは信じるでしょう。魔術師が信じるということは、その魔術師を信じている人々も信じるということです。
ここにある洞窟は、大陸をつらぬき、外洋にまで達していることはすでにそこにいらっしゃるケリー殿からお聞きのことと思います。茘枝様は魔術師の身の上。瞬間移動など、よもやお使いではあられますまい。別の大陸にまで運ばれてしまったら、それはそこまでのこと。たとえ飛行術を駆使したところて、再びこの竜の尾までたどりつくのに、いったい何年の月日がかかることか。
……それさえ済めば、わたくしは構いませなんだ。
ああ、そう、ここへやってきた理由でしたな。ケリー殿に会うためです。どうせいずれはお知りになることとてお話しますが、この方の兄ぎみが、いま、行方をくらましていらっしゃる。
そしてその時期は、ケリー殿の出立と同時期にかぶっております。となれば、話を伺いに参ることに、どのような謎がありましょうか。
……ええはい、そのとおりです。今言ったことは事実の一部ではあります。あなたがたに問われたら、こう答えようと思っていた……その、答えです。真実は、茘枝様。
魔術師は知の探究者。どんな炎にも崩れぬ心の扉も、不可思議の前にはあっけなく燃え尽きます。さまざまな理由で上塗りし、私はあなたに、こうお尋ねするつもりであったのです。
―――クルーノの眼とは、何ですか?
と。
§ § §
「……見てのとおりよ」
茘枝は首にかかる紐をたくしあげ、内側から丸くととのった巾着袋を掲げてみせる。
「触らないでね。私以外の人間が触ったら―――死ぬわよ。吸い込まれて一生出てこないわ」
「もちろん、私とて竜の尾の魔術師を束ねる役目にある者。存じております。……ですが、だからこそ不思議なのです。私は、あなたを拉致するよう命じた者どもに、決してそれには触れるな、と命じました。触れるときは必ずなにかを隔てろと」
「……私も一つ聞きたいわ。―――どうして私を殺さなかったの? 私を殺すのなら―――食事に毒を仕込むか、不意打ちかのどちらかしかないわ。あれは、千載一遇のチャンスだったはずなのに」
「あなたが、『茘枝』であるからです。お忘れですか? その称号を消し去ることが許されるのは、決闘で勝ち取った魔術師のみです」
「……歴史的価値なんていうものに、そんな多大な価値をあなたが認めていたとは思わなかったわ。茘枝の称号は確かに最も有名で価値ある称号だし、私があのまま死ねば称号は受け継ぐ者もなく途絶えていたでしょうけど……」
「私ども人間は、茘枝様とはちがい、残念ながらほんの百年の間しか生きられません。だからこそ、人は歴史を読むのです。人は百年しか生きられずとも、歴史は人が生きてきた何千年もの間続いています。その歴史を読むことで、人は自分の生まれなかった遠い昔の過ちを知る。……かつて我らは一度、『茘枝』様を殺しました。その結果、世の中はどうなったでしょう? ……人は過ちを犯します。ならばせめて、同じ過ちを二度は犯さぬようしたいものです」
「茘枝が人に殺されたという証拠はなにもないわよ」
「殺されたのではないという証拠もありません。そして、茘枝様を殺したがっていた人々は百を越えていました」
茘枝は軽く息をつき、杖を引いた。
「ケリー。何か話すことはない?」
「ある。―――瞬間移動のできる僧侶を一人、貸してくれ」
「ケリー殿。私も太子のことでお尋ねしたいことがあるのですが……」
「知るか」
ケリーは一言でその質問にけりをつけた。
一言一言区切り、杭をうちこむように強く言い切る。
「あいつのことなんざ、過去も未来ももちろん現在も、知ったこっちゃない。竜の尾に戻ってきたのは駄目元でドラゴンに会いたかったからで、リチャードに対して胡麻粒ほどの関心も抱いてない。―――以上。なんか質問あるか?」
「……相変わらずの仲の悪さですね」
「仲が悪いというのは間違ってる。俺は、あいつに、関心ないんだ。あいつもきっとそうだろうよ。文句は母に言え。……ん? あいつが失踪ってことは、ひょっとして俺を王子に戻そうとかいう動きでもあるのか?」
「いえ。さすがにセライア様の建前、そうしたことを考える者はいても、口には出せぬ現状です。太子はご生存であることがはっきりしていますし」
ケリーは首をひねった。
「……なんでだ?」
その場にいた人間全員が耳をそばだてる。気になっていたのだ。一体なぜ竜の尾はリチャードの生を確信できるのかと。
揃って返答を待つ中、ゼンリンの答えは、
「太子には竜のご加護がありますから……」
だった。
「―――はあ!?」
爆弾を投げ込んだひとりを除いて全員が硬直した一瞬の時間のあと、最もストレートに反応を返したのはケリーだった。
「ちょ、まて。それって、まさか……比喩でなく……?」
「代々、直系の第一子にのみ、ドラゴンからの贈り物が与えられるのです。病気だけはいかんともしがたいですが―――少々のことでは怪我をせず、呪いにもびくともしない、この世で最高の守護の護法をいただくのです。城の秘密の部屋にはその魔法を見張る結印があり、この結印が輝いている間は魔法が稼動中……つまり、生存しているということです」
どうやら、まんざら、王家の見栄と権威づくりの嘘っぱちでもなかったらしい―――。
ケリーは頭をかきながらそう考えた。
王家と竜との間にそこまで深い親交があるとは思ってもみなかった。
「それよりゼンリン。うちの宮廷魔術師のなかには一人ぐらい瞬間移動できるやついるだろ。貸してくれ。お前のおかげでこんな遠くまで来てしまったんだから」
「……ケリー殿。相変わらず馬鹿……もとい細かいことは気にしない器の大きい性格はご立派ですが、私はあなたがたを竜のもとに行かせまいとする立場なのですが」
そりゃそうである。
ケリーはうんうんとうなずき―――茘枝に話をふった。
「知識馬鹿のゼンリンがほいほい頷いてしまいたくなるような極上の知識知らないか?」
「もっと簡単な話があるわよ」
「……どんな?」
茘枝はクルーノの眼を袋から剥ぐと、突きつけた。
「これって結構重いの。私の手、いつまでこれを支えていられるかしら……?」
「その珠に吸い込まれるとどうなりますか?」
好奇心に子供のように目を輝かせ、逆に聞いてくるところはさすがというべきか。
茘枝も予想外の反応に、目をしばたかせ、別の意味で首をかしげた。
「うーん、主人を決めるまではある場所に送って試練をうけさせて、今はもう決まっているから永遠絶対脱出不可の場所に閉じ込められるみたいよ」
「ほほう……それはそれは。ところでそれが初代茘枝の創作物だといううわさは……」
「あ、それは本当だったわ」
「なんと! ではこれはかの茘枝様の……いや、見事だ」
「まったくよね。これ一見水晶玉に見えるけど、違うのよ。たぶん魔力とまぜて、作り出した未知の鉱物で出来ているわ。ぱっとめには透明に澄んでいるけど光を通さないの。これ越しに向こうの景色は見えないのよね」
「ほほう、ではやはり組成式も」
「すべてガード。鉄壁よ」
「人ほど質量のあるものを一瞬にして消すということは、やはり質量保存の法則を無視しているか、別の空間につないでいるかですな」
「ええそうなのよ」
突然魔術師同士で話が盛り上がり、それをぽかんと見つめるほか三名。
「よしわかりました! これと引き換えにでしたらお望みに場所に……」
「……勝手に人のことを売買するのはやめてくれないかな」
うんざりしたように言ったのは―――当の茘枝だった。
ただし声が違う。声変わり前の、軽やかな少年の声をしていた。
ケリーは即座に一歩飛びすさり、柄に手をかけ低く聞く。
「……お前は誰だ?」
「マスターにもホント困ったもんだよ」
茘枝は手につかんでいたクルーノの眼を巾着袋に収める。
「信じられるかい? 今、たかだか瞬間移動一回分のために! この僕を売り渡そうかと本気で心揺らいだんだよ、この人は!」
それで誰だか察しがついて、ケリーはやや警戒を緩め、問いかける。
「お前は……クルーノの眼の番人?」
クルーノの眼を得るとき。二人がそんな相手と話したことをケリーは聞いていた。
「そう。だけど安心してほしい。僕はマスターに危害を加えるつもりはこれっぽっちもない。……マスターの方はどうやらその気満々みたいだけど。こんな取引なんかしなくたって、僕の力使えば一発だってのに」
スクエアが慎重にたずねる。
「……空間跳躍系の能力を、あなたがもっていると?」
「ちがうよ。僕が持っているのは―――」
茘枝はゼンリンの前髪をわしっとつかむと、至近距離で目を合わせた。
「―――ドラゴンのいる場所まで僕らを連れて行け」
ゼンリンの眼が見開かれたまま、時がとまる。蛙とみまがうほど目を最大限に見開いたまま、数秒ものあいだ、彼はぴくりとも動かなかった。
誰もが息を呑む。
「……はい、わかりました」
やがて夢遊病者の声音で、そう、つぶやくと、ゼンリンは立ち上がり出て行った。
「な―――何をしたんです? 仮にもゼンリンはこの国の筆頭です、魔法防御も十全のはずなのに―――!」
「魔法使い系にしか使えないけど、便利だろ? じゃ、後は任せるから、よろしく」
目を閉じ、また開いて―――そのときには茘枝に戻っていた。
「……よくもやってくれたわね……!」
地底のマグマのような声だったが、スクエアがなだめた。
「彼のおかげでなんとかなったんですからいいじゃないですか。それに、茘枝。あなただって売り渡そうと思ったんでしょう?」
「一瞬だけよ!」
「……茘枝、語るに落ちてますよ」
「二度と私の体を無断借用しないで。いいわね?」
「お断りします」
潔いほどきっぱりした返事は―――茘枝の口から飛び出した。
「マスターとか呼ぶんなら従いなさい!」
「残念ながら、あなたの命令の優先順位は僕に与えられた絶対的命令より高いものではありません。絶望的なまでに低いですねぇ。あなたの体を少し借りて、目的遂行を推進させていただきます、別に悪い事じゃないと思いますが」
「思いっきり、悪いわよ」
「だってあなたには僕みたいな事、できないでしょう? 別に邪魔しようってんじゃなし、協力するためなんですから目をつむって」
「私は、他人に自分の体を使われるのが、キライなの!」
同一人物が自分自身に向けて、声と表情をころころ変えて論争する。
……傍からみれば、不気味な一人芝居以外の何ものでもないやりとりだった。
「大体、どうしていきなり出てくるのよ。そんなことができるなら、なんでもっと早く―――!」
「あなたが眠れば夢のなかに以前のように登場することもできましたが、あの状況であなたが眠るまで待てませんよ。僕を売り飛ばさないでください」
「そういうのなら少しは役に立ちなさい! 私はいつヘプライトやスクエアがあなたに誤って吸い込まれるかと、気が気じゃないんだから」
「あの……クルーノの眼……さん?」
スクエアはおずおずと切り出した。
「はい、なんでしょう」
といったあと表情と声が瞬時に切り替わって、
「スクエア? どうしたの?」
「目的推進って……どういう目的ですか?」
「僕は茘枝様によって創造されました。だから僕には至高ともよぶべき絶対的命令が組み込まれています。まあ、要は人間を護れってことですが」
「人間を……?」
その話を初めて聞いたスクエアは怪訝な顔をかくせない。無理も無かった。空が雲で覆われているとはいえ、裏を返せば世界の異変は「それだけ」である。
これが太陽の光がすべて失われるとか言うのであれば、人々もマジメかつ真剣に緊急対策を練るだろうが、目下のところ、とても切羽詰って「人間を護らなければ!」と叫ぶほどの緊迫感はない。
クルーノの眼は茘枝の顔で、肩をすくめる。
「だからあなたたち人間は、にぶくってとろくって愚かだっていうんです。存亡のふちに立たされているってのに、気づきもしないんですから」
話を聞いていた三人―――ヘプライトケリースクエアの顔が、引き締まった。これは、膝をわってじっくり話を聞く必要があることに、気づいたのだ。
そこに、辟易したような茘枝の声が響く。
「……クルーノの眼。あなたが重要な情報を持ってるってことはわかったわ。私以外の人間の体をのっとることはできないの?」
「僕は魔法使い系以外干渉できませんよ」
茘枝はびしっとスクエアを指差し、
「スクエアがいるじゃない」
「使っちゃっていいんですか?」
茘枝は鷹揚かつ自分勝手に頷く。
「許すわ」
「……ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 勝手に決めないでください」
もっともなスクエアの抗議は、むなしくも事実によって上書きされる。
「まあまあ、そう怒らずに。……私に聞きたいことがあるんじゃなかったんですか?」
その声が聞こえてきたのは―――今度はスクエアからだった。
茘枝は長年の憂鬱がすっきりと晴れたように爽快な表情になり―――すぐに話の重大さを悟って真顔で語りかける。
「人が滅ぶって、どういうこと?」
「文字通りですけど?」
「どういう要因で、そうなるの?」
スクエアは口をひらき―――結局また閉ざす。
「……語っても、今はまだ理解が及ばないでしょう」
「侮辱ね、それは」
「侮辱? とんでもない、単なる事実ですよ」
「じゃあ、別のことをお尋ねします。―――その滅亡とやらを回避する手立ては?」
「まずはドラゴンに会わないと……」
「ドラゴンに……会えるの!?」
ドラゴンのところに向かう気でいても、会えるという保証はまるでなかった。それがまるで確定事項のように言われ、茘枝は心が浮き立つのを感じる。
「会えますよ。僕がいますから。だからマスターも、きちんと僕の使い道を誤らず僕を使用してくださいね」
「……? つまりあなたが、クルーノの眼が、竜への通行手形……ってわけ?」
「ちがいます、そんなんじゃありません。この世界に竜への面会の通行手形なんてものは存在しません。そんなものがあるとすれば茘枝様の心うちのなかにだけあったものです。ただ……ドラゴンには会えます、僕がいるんですから」
……通行手形ではないといいながらの、この言葉に誰もが首をひねった。
スクエアはここまでまともに言葉の通じる相手の応用力を不思議に思って質問する。
「……あなたは茘枝様によって作り出されたんですか? 茘枝様が誰か人を……その番人の役目に捕らえたのではなく?」
「マスターと同じことを聞きますね……」
「私たちが知っている擬似知性は、あなたほど滑らかな受け答えはしてくれませんから」
「それはただ単に、術者の技量と、練りこみが浅かったんでしょう。僕は茘枝様によって無から作られました。そして、僕はあなたたち人が何度となく世代交代をする長い長い時間を生きています。元々のキャパシティの違いと、学習時間の違いだと思いますよ。きっと、あなたが知ってる擬似知性とやらも、僕と同じぐらいの学習時間を与えられれば、それなりの会話はこなすでしょう」
「……人間はそこまで気が長くないわ。せっかく作っても自分が生きてるうちには完成せず数百年以上かけてやっと完成する擬似知性なんて、人間にとっては役に立たないも同じなの」
「フム。そういうものでしょうか。だから人間は大局的視点に欠けるんですね。無知も愚行も、汲めども尽きない泉のようです」
辛らつな言葉に茘枝はぴくりと一瞬頬を動かしたが、何も言わない。
スクエアは遣る瀬なげに、なんどもかぶりを振る。
「僕はこうして考えていても所詮は擬似知性。最優先の命令が組み込まれていますから、迷うこともありません。でも、ドラゴンは違います。彼は常に考え続け、迷い続けています。……だからこそ、今のこの状況があるのでしょう」
「―――そうね。それは……よくわかるわ」
「どういうことだ、茘枝?」
「前に、魔王なんてものがあるとして、ドラゴンより強いはずが無いって言ったこと、覚えてる?」
「……ああ」
「そういう事よ。もしドラゴンがその気になれば、とっくに世界は青空一色になっているはずなの。けれどドラゴンはそれをしようとはしない……、なんでだろうと思っていたけど、今の言葉でわかったわ。―――迷っているのね、きっと」
「迷う……」
人ならばだれもが経験のあることだ。「迷う」。
自分の選択が正しかったのか、あるいはどれが正しい選択なのか、「迷う」。
そしてまた、ドラゴンも同じように「迷って」いるのだと、クルーノの眼は言う。
「……迷っている人間には、外からの後押しが迷いのきっかけになる事がある。時間を与えてその迷いが取れればいいけど、空が曇って、もう十年がすぎた。ドラゴンには、自分でその迷いに決着をつける力がないのね。迷ったまま時間はすぎ、結果的に何もしないという選択肢をとりつづけている……。
―――だから、あなたは私たちにその迷いを晴らす一撃となれというのね?」
わずかな材料でここまで推理した茘枝に、三人は感嘆の意をこめて目を見張る。
そして、クルーノの眼は満足そうにスクエアの顔で微笑んで頷く。
「そのとおりです。……マスター、どうか、彼を救ってください」
そうして彼は、深々と頭を下げた。
2004 2/14 up
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